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幕間 ある日の王国魔法師団にて

 王都の高台、険しい山脈を背にそびえ立つ、堅牢な造りの巨大な城。その一角に、王国魔法師団にあてがわれている棟がある。


 城との統一感を持たせた外観は荘厳な印象を与えるが、中に入ると途端に忙しなく動き回る団員の姿に出くわす。

 来客をもてなすためにエントランスや応接室は装飾性が優先されているのだが、その絢爛さや趣のある造りが醸し出す雰囲気を消し飛ばすような光景が広がっているのだ。



 春の終わりのある日のこと。

 そんな魔法師団の棟の、一番奥まった執務室の扉がノックされた。

 室内にいた中年の男性……王国魔法師団の団長であるワースは、扉の外にいるはずの取次ぎ役に向かって「何用だ」と短く問うた。


「第一連隊所属のムルクが、団長に取り次いで欲しいと来室しております。何でも、退団したセレストについて確認したいことがあるとか」

「……通せ」

「は!」


 思いがけない名を耳にして、ワースは書類に落としていた視線を上げて入室許可を出す。

 程なくして、魔法使いらしからぬ大柄な男が「失礼します」という声とともに入室した。


「セレストについて確認したことがあるとのことだったが、一体何を確認したいと?」


 ワースはムルクに一瞥をくれると、時間に追われているが故に単刀直入に問いかけた。

 するとムルクは背筋を伸ばし、「貴重なお時間を取らせてしまい、申し訳ございません」と前置きしてから改めて口を開く。


「セレストが退団を申し出た際、何故団長は即日退団の許可を出されたのでしょうか」

「それを今更問うのか?」


 セレストが退団してから既に半年以上が経過している。

 何故今になってそんなことを訊いてくるのか、ワースからしたら不思議に思うところだ。


「いえ、その……ずっと気にはなっていたのですが、先日セレストが王都を発ったあとに、セレストが退団するきっかけになった手紙の封蝋のことを思い出したんです。あの時は封蝋の印章がどなたのものか思い出せなかったのですが、今になって思い至りまして」

「ほう?」


 ムルクの言葉にワースは書類を机に置いた。面白そうに目を細め、机に両肘をつくと、組んだ手の甲で顎を支える。


「その印章は、一体誰のものだったんだ?」

「……団長はそれをご存知だったからこそ、セレストに即日退団の許可を出したのではないですか?」

「ふふっ、なるほど。それで直接確かめに来たと」

「はい」


 ワースは心底楽しそうな笑みを浮かべ、深く頷いた。


「まぁ、印章についてはお前が予想している通りだろう。だが退団を許可した全容まではわかるまい」


 そう言って椅子から立ち上がると、ワースは書棚の前に立った。


「私はセレストが魔法師団に入団するきっかけとなった事件に関わっている。ついでに言えば、世間知らずのあの青年を魔法師団に引き入れたのも私だ」


 書棚から一冊の本を取り出すと、ワースはムルクの方へと向き直る。

 手にした本の背表紙、その著者名の箇所には『マールエル・オーリエ』と記されていた。


「この本は、書の賢者マールエルの『時繰り魔法学』が出版された際に共に世に出された著書だ。その二冊を最後にもう著書は出さないという書の賢者直筆の手紙と、本の原本を持って王都にやってきたのがセレストだ」


 ワースが手にしている本のタイトルは『魔法の基礎』。

 意外にも最後の著書としたものが最高難易度の魔法学と魔法についての基礎だったと、ワースは呟く。


「マールエルから独立した際に依頼を受け、この本の原本を国王に届ける途中、セレストは闇取引に手を出したとある魔法使いと出くわした……という話は、また今度するとして」

「えっ、今聞かせて貰えないんですか!?」

「今、少々立て込んでてな。また今度話すとしよう。そもそもお前が聞きたかったのは、私がセレストに即日退団の許可を出した理由だろう?」


 にやり、と意地の悪い笑みを浮かべてワースはムルクを見遣った。ムルクは反論できずに口を噤む。

 その様子を確認すると、ワースは不意に笑みを収めた。


「……これでも一応、セレストを魔法師団に引き込んだ責任は感じていてね。セレストが周囲からやっかまれていたことも、そんな中でお前がセレストを気にかけてくれていたことも知っている」


 静かな声音でワースが発する言葉を、ムルクはただ黙って聞く。


「私は、セレストにはお前のような友人が必要だと思っている。だがセレストはお前に自分のことをあまり話さなかっただろう? 恐らく今後も、あいつは進んで自分のことを話したりはしないだろう。まぁ、それでもお前はあいつの友人のままでいてくれるだろうがな」


 それはその通りだな、と思うものの口には出さず。


(まぁ、言わなくても団長は見抜いているんだろうな)


 そんなことを考えているムルクを真っ直ぐ見据えたまま、ワースは続けた。


「だから勝手ながらいつか私からお前にセレストのことを話すつもりでいる……が、セレストが王都にいる間に精霊狩りと妖精狩りの犯人を何人も捕まえてくれただろう? そこから思わぬ人物が犯人たちの背後に見え始めてな。国の上層部からひっきりなしに遣いが来て対応に追われているところだ。だから今は、即日退団を許可した理由だけ教えよう」

「団長は、一体──」


 問いを発しようとしたムルクの眼前に、遮るようなタイミングで『魔法の基礎』が差し出された。ムルクは反射的に差し出された本を受け取り黙り込む。

 怪訝そうな表情を浮かべるムルクに笑みを向け、ワースはムルクの問いなど聞こえなかったかのように話を続けた。


「実のところ、即日退団の許可を出した理由はそんなに難しい話ではない。私がセレストの即日退団を許可したのは、セレストが師を持つ魔法使いであり、退団を申し出た理由が師からの呼び出しだったからだ」


 言われた意味がわからず、ムルクが目を瞬かせる。

 そのどこか間の抜けた顔がおかしくてワースは吹き出して笑った。


「お前は知らないだろうが、私も師を持つ魔法使いだ。私の師は大分前に亡くなったが、師を持つ魔法使いにとって師匠は恩人であり、家族だ。そんな相手からすぐにでも戻ってきて欲しいと言われたら、何事かと思うだろう? それに──」


 ふと、ワースは遠い目をして窓の外を見遣る。


「それに、私はセレストが集団に属するのに向かない性格であると気付きながら、その能力を惜しんで師団に引き入れた。セレストもさぞ居心地が悪かっただろう。だからいつかセレストの方から退団を申し出てきたら、すぐにでも解放するつもりでいたんだ。半年前のあの日は、ついにその日がきたのだと思ったよ」


 それでも惜しくて「いつでも戻ってこい」などと言っている自分の言動を思い出し、自嘲する。


「しかし残念だな。退団して半年の間に弟子をとっていたとは。弟子がいるのでは、魔法師団への勧誘もできない」


 自嘲しながらも今も尚、あの勘が良く、魔法に関する実力や判断力、知識や理解力が並外れている青年が戻ってきてくれたらと思わずにはいられない。

 そんなワースを、ムルクは意外な思いで見ていた。


「そんな素振りがなかったので、団長がそこまでセレストを買っているとは思いませんでした」


 とは言ったものの、そもそも魔法師団にセレストを勧誘したのがワースであったことを思えば充分その力を買っていたのだとわかる。

 ただ、それすらもムルクにとっては予想外のことだったのだが。


「ただでさえ浮いていたんだ。私が重用すればより浮いてしまうだろう? そういう意味でも、ムルクがセレストの側にいてくれたことは有り難かった」


 それは確かに……とムルクも納得する。

 ムルクの表情をじっと見ていたワースはこれまでの穏やかな声音を一変させ、「さて」と疲れを滲ませた声を零す。


「そろそろ執務に戻らなければ。近々団員たちにも協力依頼を出すことになるだろう。その際は力を貸してくれ」


 退室を促す言葉に、ムルクは背筋を伸ばして頭を下げた。


「貴重なお時間を割いて頂き、ありがとうございました。あの、この本は……」

「もし手持ちにない本なのであれば、貰ってくれ。復習のつもりで読んでもなかなか勉強になる」

「ありがとうございます。では、有り難く頂戴します」


 そう告げて改めて頭を下げてから去っていく大きな背中を、ワースは扉が閉まるその瞬間まで見送った。

 静かに閉められた扉から視線を外すと、執務机に腰掛ける。

 脳裏に浮かんでいるのは、鮮やかな赤い髪。涼やかな水色の瞳の少女の姿。


「……セレストは、気付かないのか」


 ワースは独り言のように呟き、書棚に空いた一冊分の空間をじっと見つめる。

 そして、囁きよりも小さな声で「マールエル……」と呟いた。

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