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次の段階へ

 王都から帰宅した翌日、セレストは朝早くから泉の横でライアーを奏でていた。


 夏と呼ぶにはまだ早いながらも春の終わりが見え始めたこの頃は、夜が明けるのも大分早くなっている。

 とは言ってもここは森の中。夜明けの時分ではまだ太陽の光が充分に届かず、薄暗い。


 そんな中、セレストは明かりも灯さず昨日のヒューティリアの言葉を思い出していた。

 その指先から紡ぎ出される音色が、静かに朝の空気に溶けていく。


(悲しい……か。あのとき、俺は本当にそう感じていたんだろうか)


 何とも思わなかったわけではないが、これまで精霊狩りや妖精狩りに遭遇し、その度に精霊や妖精の死を見てきて感じてきたものは、悲しみとは少し違う感情のように思えた。

 それがどうにも引っかかって、夜明け前に目が冴えてしまったのだ。


(それに、何か大事なことを忘れている気がする)


 思考の渦の底に沈み、答えを求めて上昇を試みるもうまくいかず。

 セレストは判然としない何かに囚われていた。


(そう言えば、王都を出る前の精霊狩りの現場でも似たような感覚があったな……)


 頭の片隅に刺すような痛み。そして何かを忘れているような、その取っ掛かりが見えそうで見えない感覚。


(あれは一体何だったんだ……)


「延長分のお礼?」


 不意に声をかけられて振り返れば、きっちり身支度を整えたヒューティリアがこちらに向かってきていた。


「悪い、起こしたか」


 セレストが演奏の手を止めると、周囲にいた精霊や妖精たちが明かり代わりに体を光らせ始めた。

 色とりどりの光が空中のみならず泉の水面にも映り込み、幻想的な光景を生み出す。


「違うよ。何だかよく眠れなくて」


 ヒューティリアは首を横に振りながら、目の前で展開されている光景に目を輝かせた。


「綺麗……」


 感嘆のため息をつくヒューティリアから視線を外し、セレストも泉を見遣った。


 実はついさっきまで、セレストは精霊や妖精たちから精霊狩りや妖精狩りについて質問攻めにされていた。

 これまで何度セレストが注意してものらりくらりとはぐらかしたり、その場限りで恐がるだけだったのに、昨日のヒューティリアの涙がよほど効いたのだろう。

 彼らは真剣にセレストの話に耳を傾け、王都で行われている精霊狩りや妖精狩りの実体を知ってどよめいていた。


 その後、精霊も妖精も見知らぬ人間に対する警戒心を強めようとか、森の外縁には行かないようにしようとか、あのいい匂いがしても誘惑に負けず、周りに知らせて逃げようとか話し合っている傍らで、セレストはセレストで考え事をしていたのだが……。


「……俺は、悲しいと思っていたんだろうか」


 ふと零すように、考えていたことを口にする。

 何のことかわからず、ヒューティリアは首を傾げた。


「助けられなかったことを、悔しいとは思った。虚しいとも思った。だが、悲しいと思っていたんだろうか」


 独白のように紡がれる言葉に、ヒューティリアはようやくセレストが何の話をしているのかに気が付いた。


「あたしには、そういう風に見えたけど……」


 あくまでヒューティリアの目から見てそのように見えただけであって、確信はなかった。

 セレスト自身も自分が悲しんでいたのかわからないのであれば、本当のことは誰にもわからない。

 むしろセレストにその自覚がないのなら、実際は悲しいと思っていなかったのかも知れない。


「……そうか」


 何に納得したのか、セレストはそう呟くと立ち上がった。

 既に空は青さを帯び始め、森の中も明るくなってきている。


「そろそろ朝食の支度をしよう」

「うん」


 何だかセレストの様子がおかしい。

 そう思いながらも、ヒューティリアはセレストに続いて家に戻った。




 朝食を終えると、ヒューティリアは早速フルートの練習を始めた。


 短い期間ではあったがムルクから教えられたことはほとんど身についており、簡単な曲なら演奏できる。

 やや指が覚束ない箇所はあるものの、ヒューティリアはムルクの言葉を思い出し、それすらも曲の味だと言わんばかりに気持ちを込めて演奏を続けた。


 ムルク曰く、「魔法使いとして楽器を演奏するなら、上手くなることよりも精霊たちを喜ばせ、楽しませることを考えればいい。それさえできていれば楽団の奏者のような技巧なんてなくても充分精霊たちは喜んでくれるし、力も貸してくれる」とのこと。


 この言葉を聞いて、ヒューティリアは「ムルクに教えられたことを森に帰るまでに完璧にしなければ」という緊張状態から解放され、上手く肩の力を抜くことができた。

 同時に、冬の終わりに精霊たちから言われた言葉を思い出す。


『ねぇ、ヒューティリア。もっと楽しく弾こうよ!』

『そんな暗い顔をしてたら、楽しい曲も楽しくなくなっちゃうよ?』


 あのときはヒューティリアを元気づけようとして言ってくれた言葉だと思っていたが……もちろんその面もあったにせよ、あれは精霊たちの本心からの言葉でもあったのだと思い至る。



 ムルクが教えてくれた曲は、ムルクの考えを体現するかのように楽しげに弾む曲が圧倒的に多かった。

 気分転換用に緩やかな曲も幾つか教えて貰ったものの、重点的に練習したのは前者だ。


 今はその中でも特に楽しい気持ちにさせてくれる曲を奏でている。フルートの音色が軽やかに弾み、聞き手のみならず、演奏している側も自然と気持ちが上向いてくるような曲だ。


『あぁ、確かにフルートの方がヒューティリアに合ってるのかも』

『そうだね〜』

『あとはフルートを吹きながら、わたしたちと対話できるようになれば完璧だね!』


 周囲に集まった精霊たちも楽しそうにそんな会話を交わしている。


 正直なところ、ヒューティリアはまだ演奏だけで一杯一杯で対話をする余裕が全くない。

 ライアーであれば口を動かせば言葉を介して対話出来るので何とかなっていたが、フルートは口が塞がってしまうので言葉を発することができない。

 ムルクからも口が塞がる楽器を使う場合、演奏中の精霊との対話は魔法を使う時と同じく、魔法使い側の意志を精霊に向けて念じることで成立させていると教えられた。


 ちなみに演奏中の精霊との対話にも重要な役割があり、その最たるものが魔法使いと精霊間の意志の疎通が滞りなく行えるようになる、というものだった。

 つまり、演奏中の精霊との対話なくして魔法の上達はあり得ないことを示している。


(セレストが前に「口が塞がれる楽器は演奏中の精霊との対話をすべて頭の中でやらなきゃいけないから勧めない」って言ってたけど、あの意味がやっとわかった。これは難しい!)


 ヒューティリアはそう痛感しつつ、今後はフルートを中心に練習し、けれどライアーも弾き方を忘れないように続けようと決意した。




 午後になると、セレストから庭に来るように言われた。

 先に庭に出ているセレストの許に向かうと、セレストは泉の畔に咲く魔法薬用の薬草の前に立っていた。


「来たか」


 ヒューティリアの気配に気付いてセレストが振り返る。

 何故庭に呼ばれたのかわからないヒューティリアはセレストに駆け寄ると、問うような視線を向けた。


「王都に向かう前に言った通り、今日から次の段階に進もうと思う。とりあえずお前の得意分野から順当に教えるつもりだ」


 ヒューティリアの意図を察してそう告げながらしゃがむと、セレストは地面に手をついた。


「得意分野?」


 セレストに続いてしゃがみ、首を傾げる。


「お前は火と土に関する魔法に親和性が高い。火はもう一定以上扱えるから、次は土だ。土の初歩の魔法は効果が見えにくいが、魔力の細かな調整を覚えるなら最も向いている属性でもある」

「土の……初歩の魔法」


 ヒューティリアはセレストの言葉を繰り返し、じっと地面を見つめる。


 物語に出てくる魔法使いが扱う魔法で土の魔法と言ったら、巨大な岩を落としたり、地面を隆起させたり陥没させたり……と、意外と派手なイメージがある。

 その初歩の魔法となると一体どんなものなのだろうかと想像してみるも、全く思い浮かばない。

 魔力の細かな調整を覚えるのに最も向いていると言うからには、繊細な魔法であろうことはわかるのだが……。


「どんな魔法なの?」


 問いかけると、セレストは薬草の生えている地面から土を手ですくい取り、ヒューティリアに見せた。


「作物や薬草を育てる土を整える魔法だ」


 答えを聞くなり、ヒューティリアもセレストの手に乗る土を凝視した。

 さすが森の中と言うべきか、多くは腐葉土のようで所々に朽ちきっていない枝葉が残っている。そこにやや赤みのある茶色の土が混ざり、適度に湿気を帯びている。


「今日からこの一角の薬草園をお前に任せる。調整が難しいから始めは枯らしてしまうかもしれないが、家の裏にも薬草園はある。仮に枯らしたとしても気にするな。ただ、失敗したらその都度必ず原因を考えて、考えてもわからなければ俺に聞きにくるように。ゆっくりでいいから、しっかり調整の仕方を覚えてくれ」

「……わかった!」


 遠回しに失敗しても落ち込む必要はないと、原因がわからなければ一緒に考えると言われ、ヒューティリアは真剣な面持ちで頷いた。

 ヒューティリアも折角やるなら出来るだけ枯らしたくないと思ってはいるが、初心者が始めから成功するとは考え難い。

 それに、魔法植物が貴重品であることはヒューティリアも知っている。枯らしてしまったら気に病むに決まっていた。


 セレストはそれを見越して言葉を選んだのだが──ふたりの様子を見守っていた精霊や妖精たちから拍手が送られてきた。


『セレスト……』

『すっかり師匠が板についてきたね』

『嬉しいねぇ』


 まるで親のようにしみじみと言葉を交わす精霊や妖精たちを横目で見遣り、セレストは対応するのが面倒くさいと言わんばかりの表情を浮かべた。

 その表情を見るなり、精霊や妖精たちはくすくすと笑い声をあげる。


『なぁに、その顔。ぼくらは誉めてるんだよ!』

『照れない、照れない』

『ふふっ、可愛いねぇ』


 からかっているのか本気なのか。

 どうにも判断がつかない精霊や妖精たちの様子に、セレストは無言のまま諦めの溜息を漏らした。

 そして切り替えるように視線をヒューティリアに戻し、土の初歩の魔法について説明をすべく、持ってきていた『魔法の基礎』を開く。


 一方、ヒューティリアにも彼らの声は聞こえていた。

 セレストがまるで子供のように扱われているのがなんだか可笑しくて、セレストに気付かれないようにこっそり小さな笑みを浮かべた。

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