最後の真実・3 〜求められていたもの〜
僅かな静寂を挟み、クロベルは確認するように言葉を紡ぎ出す。
『何が起こったのかは、以前話した通りだ。その後マールエルが過ごした日々についても、この手記に書かれている通り。赤子となったソルシス──セレストを、マールエルは立派に育て上げた。そして独り立ちさせ、マールエルはこの家に残った』
そこまではヒューティリアも理解している。けれど知りたいのはその先だ。
視線で先を促すと、クロベルは静かに頷いた。
『マールエルがひとりになって三年が経った頃。マールエルが倒れた。と言ってもそれはわたしが目にした状況であって、マールエルが言うには酷い目眩に襲われたらしい。その後も同様の症状が繰り返され、一年様子を見たが改善されることはなかった』
クロベルの眉間に皺が寄る。
『わたしはマールエルに、セレストと連絡を取るよう提案した。しかしマールエルは大したことはないと。王国魔法師団で頑張っているセレストを呼び戻す必要はないと言った。本当に駄目だと思ったら自分で連絡すると念を押されてはそれ以上強く言えず、わたしは引き下がった。が、もっと食い下がれば良かったと、今でも後悔している』
その言葉からマールエルの状況が悪化したことを察したヒューティリアは、ぎゅっと胸を抑えた。
『その更に二年後。マールエルは急激に体調を崩し、ベッドの上から動けない状態に陥った。その姿を見た瞬間、マールエルに残された時間はもう少ないのだとわかってしまった。ソルシスを救いたかったわたしに代わり、ソルシスを救ってくれたマールエルに……そしてわたしの過ちで苦しめてしまったマールエルに、わたしは一体何が出来るのだろうかと思った。だから、わたしはマールエルに問いかけた』
──何か、望みはないか。叶えられるものなら叶えてやる。
その時を再現するように、クロベルは言葉を紡ぐ。
『マールエルはこう答えた。叶わないことは重々承知の上で、ひとつだけ、と。師匠とまた出会いからやり直したい。今度は失敗しないように。今度こそ、師匠の願いを叶えられるように──と』
カチリと、欠けていた何かが嵌った気がした。
全てが繋がり、ようやくヒューティリアにも、何故自分がここにいるのかが理解できた。
「時繰り魔法を使ったのは、クロベル?」
ようやく口を開いたヒューティリアに、クロベルは頷いた。
『十歳以降のマールエルの記憶と、わたしがこれまで蓄えてきた魔力。そして、森の精霊や妖精たちが提供してくれた核を代償に、マールエルの時を巻き戻した。時期もちょうどよかった。マールエルがソルシスと出会った季節と同じ、秋の始まり。そこが、マールエルの命が存えられる限界だった』
不意にヒューティリアの脳裏に浮かんだのは、この森に捨てられた日の夜のこと。
無心で星の数を数えていたヒューティリアと星空とを隔てた人影。
ぎこちない手つきで、頭を撫でてくれた手。
(あれは、マールエルさんじゃなかった)
今思えばあの影は、女性のものではなかったように思う。
触れた手も、とても大きくて──
(あれは──ソルシスさんだったんだ)
ヒューティリアの持つ情報の全てがあるべき場所に収まり、ここ最近曇りがちだった視界がようやく開けたような気がした。
不安に思っていた気持ちも、恐れていた気持ちも自然と晴れていく。
しかしまだ聞いていないことがある。
それは、クロベルがヒューティリアにマールエルの手記を見せた意図だ。
「肝心なことを、まだ聞いてないんだけど」
先ほどまで生気を失ったような顔でただ話を聞いていたヒューティリアから鋭く切り出され、クロベルは一瞬言葉に詰まった。
しかしヒューティリアの瞳に宿る意志の強さに降参して、瞳を伏せる。
『わたしは、マールエルの望みを叶えたかった。マールエルの望みに関しては、さっき伝えた通りなのだが──』
言いながら、マールエルの手記を開いてヒューティリアに差し出した。
手記を受け取ったヒューティリアは、開かれている頁に視線を落とす。
その頁は、手記の序文が書かれている頁だった。
『最後の一文に、マールエルが最も叶えたかった望みが書かれていると、わたしは思ったんだ』
その言葉に促されるように、ヒューティリアは序文の最後の一文を見た。
──今度こそ師匠が……セレストが、幸せになれますように。
飛び込んで来た文字に、初めて目にした時とはまるで違う思いがこみ上げてくる。
あの時は明かされた事実にただひたすらショックを受けていた。しかし今は、マールエルの想いが痛いほどよくわかる。
『わたしも同じ願いを抱いている。セレストと、そしてヒューティリア。きみが、今度こそ幸せになれるようにと。散々振り回しておきながら、こんなことを願う資格はないのかも知れないが……』
クロベルの静かな声に、ヒューティリアは俯いた。
そして。
「そんな言い方は、ずるい」
ぽつりと、言葉を零す。
『そうだな』
クロベルは否定しない。
ただヒューティリアの言葉を受け入れる。
「あたしだって、セレストには幸せになって欲しいって思ってるもん」
『……わかっている』
クロベルの言葉にヒューティリアはぐっと眉根を寄せると、勢い良く顔を上げた。
「だったら、わかってるんだったら、マールエルさんの気持ちなんてわざわざ知らせなくても良かったじゃない」
ヒューティリアの声は震えていた。その瞳がクロベルを強く射抜く。
しかしその言葉とは裏腹に、ヒューティリアの中ではすでに、真実を知らなければ良かったなんて思えなくなっていた。
そして、クロベルがヒューティリアに真実を伝えた別の理由にも気づき始めていた。
それでも、どうしても文句の一つも言ってやりたかったのだ。
何故ならば。
『……悪かった』
クロベルが素直に謝罪する。
ヒューティリアに知らせたのは独りよがりだという自覚がクロベルにはあった。そのことに、ヒューティリアも気付いていた。
だからヒューティリアはクロベルに文句をつけたし、クロベルも謝罪したのだ。
しかし。
クロベルは下げた頭を持ち上げると、自分を射抜くヒューティリアの視線を正面から受け止めた。
ヒューティリアを見返す瞳には、強い意志の光が宿っている。
『でも、知っていて欲しかった。もう繰り返したくなかったんだ』
「……わかってる」
クロベルの訴えに、今度はヒューティリアが頷いた。
そして大きく息を吸い込むと、クロベルが望むものを──望む言葉を、口にした。
「もう繰り返さない。時繰り魔法は、もう必要ない」
はっきりとヒューティリアが言葉にすると、クロベルは全身から力を抜き、今にも泣きそうな微笑みを浮かべた。
『──その言葉を、聞きたかった』
長い長い後悔の日々に、ようやく終止符が打たれた。
ソルシスやマールエルからの許しを得ることは適わなかったが、全ての真実を知ったヒューティリアから許しを得たことで、クロベルの中で終わることのなかった悪夢が取り払われる。
脱力して座り込み、そのまま小さく溶けてしまいそうなクロベルに、ヒューティリアが手を伸ばした。
縋るようにクロベルも手を伸ばし、ヒューティリアの腕の中で震える。
許されたのだと。しかしもう二度と繰り返さぬよう戒めなければと、自らに強く言い聞かせながら。




