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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第3章 群雄割拠

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第73話 鉅野の狼

 鉅野(きょや)の沢へ入った俺たちは、ほどなく彭越(ほうえつ)の一団と向かい合った。


 湿地と葦原の間には粗末な小屋が並び、その周囲を武器を持った荒くれ者たちが取り囲んでいる。中央には大柄な男が腕を組んで立っていたが、俺の目はその男ではなく、少し離れた杭のそばに繋がれた一人の女へ吸い寄せられた。


「……楊端和(ようたんわ)


 隣にいた蒙恬(もうてん)の声も低くなる。


 首には鉄の輪、両手には枷が嵌められ、そこから延びた鎖が地面へ繋がれていた。衣は汚れ、頬や腕には痣が残り、手首には枷で擦れた傷が赤黒く刻まれている。


 かつて秦軍を率いて戦場を駆けた女将とは、とても同じ人物には見えなかった。


 楊端和(ようたんわ)もこちらに気づいた。


 一瞬だけ目を見開いた後、すぐに顔を伏せる。


「……見ないでください」


 掠れた声だった。


 その一言で、ここで何があったのかを詳しく聞く必要はなかった。


 蒙凛(もうりん)の表情が険しくなる。


「扶蘇様。あの女は」


「分かってる」


 俺は短く答えた。


 忘れているはずがない。


 楊端和(ようたんわ)は俺たちを裏切った。蒙恬(もうてん)を殺そうとし、俺の軍が壊滅する一因を作った女だ。


 許せる相手ではない。


 それでも、鎖に繋がれ、人ではなく物のように扱われている姿を見て、そのまま立ち去ることもできなかった。



「その女を放してくれ」


 俺が言うと、大柄な男が一瞬きょとんとした後、声を上げて笑った。


 こいつが彭越(ほうえつ)


 前世の知識では、この先の楚漢戦争で名を上げる男だ。正面から大軍をぶつけるより、敵の後方を襲い、補給を断ち、捕まる前に消える。後に劉邦(りゅうほう)を支えることになる、遊撃戦の名手だった。


「何を言い出すかと思えば、それか」


 彭越(ほうえつ)楊端和(ようたんわ)を顎で示した。


「こいつは俺に斬りかかってきて負けた。俺が捕らえた。なら俺のものだろ」


「人間を物みたいに言うな」


「物みたいに、じゃねえ。俺の女だって言ってるんだ」


 悪びれる様子はなかった。


 むしろ、俺が何を問題にしているのか、本気で分かっていないようだった。


「それに俺は男だぞ」


 彭越(ほうえつ)は自分の胸を指で叩いた。


「男がどれだけ少ないか、お前だって知ってるだろ。女どもは男を欲しがる。だったら、力のある男が気に入った女を何人か抱えて何が悪い」


 周囲の盗賊たちから笑い声が起こる。


「貴族どもだって同じようなことをしてるじゃねえか。男一人に女が何人もつく。俺だけ駄目だって理由があるか?」


「相手が自分から望んでいるなら、好きにすればいい」


「同じだろ」


「違う」


 俺は即座に否定した。


「自分で選んで隣にいるのと、鎖で繋いで逃げられなくするのは全然違う」


 彭越(ほうえつ)は呆れたように鼻を鳴らした。


「負けた奴に選ぶ権利なんかあるかよ」


「ある」


 自分でも驚くほど、はっきり声が出た。


「戦で負けても、人間であることまで失うわけじゃない」


 笑い声が少しずつ止まった。


 彭越(ほうえつ)の目が細くなる。


「随分と綺麗なことを言うな、公子様。お前だって男だろ。女の方から寄ってくる側の人間じゃねえか」


 その言葉には、一瞬だけ返事が遅れた。


 確かに俺も男だ。


 この世界では、それだけで特別に扱われる。蒙恬(もうてん)も、蒙凛(もうりん)も、俺が男であることと無関係ではない。


 だからこそ、余計に腹が立った。


「俺が男だから何だ」


 彭越(ほうえつ)を睨む。


「男が少ないから、何をしても許されるのか。女より希少だから、欲しい相手を物みたいに扱っていいのか」


「それだけ価値があるってことだろ」


「違う。それは価値じゃなくて、都合だ」


 彭越(ほうえつ)の笑みが消えた。


「男だから女を飼って当然だっていうのは、自分に都合のいい世の中へ甘えているだけだ。強いんじゃない」


 俺は一歩前へ出た。


「相手に拒ませないよう鎖で繋がなきゃ側に置けない男の、どこが強い」


 周囲が静まり返った。


 彭越(ほうえつ)の表情が完全に変わる。


「……言ってくれるじゃねえか」


「事実だろ」


「じゃあ、お前ならどうする」


 彭越(ほうえつ)楊端和(ようたんわ)を指した。


「こいつはお前を裏切ったんだろ。仲間を殺そうとして、お前の軍まで潰した女らしいじゃねえか。それでも助けるってのか」


「ああ」


「馬鹿じゃねえのか」


「そうかもしれない。でも、こいつが俺を裏切った罪と、お前がこいつを物扱いすることは別だ」


 鎖の向こうで、楊端和(ようたんわ)が顔を上げた。


「罪があるなら、罪として裁く。償わせるなら償わせる。でも、それを理由に好き勝手に壊していいことにはならない」


 しばらく沈黙した後、彭越(ほうえつ)は肩を揺らして笑った。


「面白えな。秦の公子なんて、もっと気取った男だと思ってた」


「俺も、お前がもう少し話の通じる男だと思いたかった」


「なら話は簡単だ」


 彭越(ほうえつ)は拳を鳴らした。


「男同士で決めようじゃねえか。俺に勝てたら、この女はくれてやる」


 その言い方で、また腹の底が熱くなった。


「くれてやる、じゃない」


「あ?」


楊端和(ようたんわ)は物じゃない。勝ったら解放しろ」


 彭越(ほうえつ)は俺をしばらく見た後、歯を見せた。


「いいぜ。だったら俺に勝って、その綺麗事を通してみろ」



 蒙恬(もうてん)がすぐに前へ出た。


「扶蘇様。私がお相手いたします」


「駄目だ」


 彭越(ほうえつ)が先に断った。


「俺が勝負するのはそこの男だ。秦の公子が偉そうなことを言ったんだ。自分で証明してもらわねえとな」


「その必要はございません」


 蒙恬(もうてん)の声が冷える。


「こちらには三千の兵がおります。力ずくで解放することもできますが」


 周囲の盗賊たちも武器へ手を掛けた。


 一触即発だった。


蒙恬(もうてん)


 俺は制した。


「俺がやる」


「扶蘇様」


「ここで全面戦闘を始めれば、こっちにも死人が出る。それに、ここまで言われて他人に任せたくない」


 蒙恬(もうてん)はなお反対したそうだったが、やがて小さく息を吐いた。


「危険と判断した場合は、勝負の途中でも止めます」


「分かった」


 そのやり取りを聞いていた楊端和(ようたんわ)が、弱々しく口を開いた。


「……やめてください」


 俺はそちらを見る。


「私のために、そこまでする必要はありません。私はあなたを裏切った。蒙恬(もうてん)殿を殺そうとまでした女です」


「知ってる」


「なら」


「許したとは言ってない」


 楊端和(ようたんわ)の表情が強張る。


「でも、許してないからって、お前が何をされてもいい理由にはならない」


 それ以上は言わず、俺は剣を蒙恬(もうてん)へ預けた。



 勝負は素手で行うことになった。


 彭越(ほうえつ)は沢の中に開けた場所へ出ると、首を鳴らしながら構えた。俺も正面へ立ったものの、まともに考えれば分が悪い。


 武を学んでこなかったわけではない。それでも、本職の武人ではない。まして彭越(ほうえつ)は、衰弱していたとはいえ楊端和(ようたんわ)を徒手で叩き伏せた男だ。


「始めようぜ、公子様」


 言葉が終わるより早く、彭越(ほうえつ)が踏み込んだ。


 顔を狙った拳を辛うじて避けた直後、脇腹へ別の一撃が入った。息が詰まり、身体が折れたところへ脚を掛けられ、そのまま背中から地面へ叩きつけられる。


「扶蘇様!」


 蒙凛(もうりん)の声が飛ぶ。


「まだ大丈夫だ」


 咳き込みながら立ち上がると、彭越(ほうえつ)は追ってこなかった。


 余裕なのだ。


「大したことねえな」


「俺も今、同じことを思ってたよ」


「自分で言うか」


 彭越(ほうえつ)が笑い、再び間合いを詰める。


 今度は最初から腕で顔を守った。拳が前腕へ当たり、骨まで響く痛みが走る。続いて反対側から拳が飛び、顔を守ったままでは腹が空くと見れば、すぐに狙いを変えてくる。


 単純な力任せではなかった。


 こちらが何を嫌がるか見ながら、守りの薄い場所を探している。


(なるほど)


 遊撃戦の名手になる男だ。


 正面から押し潰すのではなく、弱い場所を探してそこを突く。その性格が拳にも出ている。


「考え事か?」


 彭越(ほうえつ)の膝が鳩尾へ入った。


「ぐっ……!」


 息が抜け、俺は再び地面へ転がった。



「もう十分です!」


 蒙恬(もうてん)が声を上げる。


「扶蘇様、これ以上は」


「まだ終わってない」


 口の中に血の味が広がっていた。


 彭越(ほうえつ)は強い。技でも速さでも、正面から上回るのは難しい。


 なら、こちらにも考える必要がある。


 立ち上がりながら、俺は彭越(ほうえつ)の足運びを見る。


 右を打つ時は、左足に重心が残る。


 俺が後ろへ退けば必ず追ってくる。


 こちらが防御に回れば、守りの外側へ回ろうとする。


 ならば、次は退かない。


 彭越(ほうえつ)が踏み込んできた瞬間、俺は顔への拳を腕で受け、そのまま前へ出た。肩を胸へぶつけ、体勢を崩そうとする。


 だが、体格でも向こうが上だった。


「甘い!」


 腰を取られ、逆に地面へ叩きつけられる。


 背中に激痛が走り、視界が白く弾けた。それでも手をついて身体を起こすと、足が震えているのが自分でも分かった。


「……しぶといな」


 彭越(ほうえつ)の顔から、最初の軽い笑みが少し消えている。


「公子様ってのは、もっと簡単に泣くと思ってたぜ」


「期待に添えなくて悪いな」


「いや。少し面白くなってきた」



 鎖に繋がれたまま、楊端和(ようたんわ)はその戦いを見ていた。


 理解できなかった。


 自分は扶蘇(ふそ)を裏切った。蒙恬(もうてん)を殺そうとし、何万もの兵が崩れる原因を作った。


 そんな自分のために、なぜ扶蘇(ふそ)が殴られているのか。


 また拳が入る。


 扶蘇(ふそ)が地面へ倒れ、血を吐きながら立ち上がる。


(やめろ)


 声にはならなかった。


 頭曼(とうまん)に捨てられてから、何もかもどうでもよくなったと思っていた。秦へ戻る場所も、将としての誇りも、自分を必要としてくれる者もなくなった。


 彭越(ほうえつ)に捕らえられてからは、身体に何が起きても考えないようにしていた。


 そうしなければ耐えられなかった。


 それなのに今、扶蘇(ふそ)が倒れるたびに胸の奥が痛む。


(死なないでください)


 自分でも驚くほど強く、そう願っていた。



 何度目かの攻防の末、俺は片膝をついた。


 頬は腫れ、脇腹も背中も痛む。対して彭越(ほうえつ)には目立った傷がなく、呼吸が少し乱れている程度だった。


「もう終わりにしろ」


 彭越(ほうえつ)が言った。


「これ以上やれば、本当に立てなくなるぞ」


「……まだ立てる」


 片膝へ力を入れ、ゆっくり身体を起こした。


「何でそこまでする」


 彭越(ほうえつ)の声から、最初の嘲りが薄れていた。


「その女はお前を裏切ったんだろ。放っておけばいいじゃねえか」


 俺は一度だけ楊端和(ようたんわ)を見た。


 鎖に繋がれ、顔を腫らし、それでもこちらを見ている。


「……俺にも分からない」


「何だそりゃ」


「ただ、見てしまったからな」


 俺は構え直した。


「人間が物みたいに扱われてるのを見て、知らないふりして歩いていけるほど器用じゃない」


 彭越(ほうえつ)は黙った。


「それに、お前の言ったことが気に入らない」


「男が女を飼って当然って話か?」


「ああ」


 俺は拳を握った。


「男だから許されるなんて理屈を、俺は認めない」


 彭越(ほうえつ)が口元を歪めた。


「なら最後まで立ってみろ」


 今度の踏み込みは、それまでより深かった。



 彭越(ほうえつ)の拳が頬を捉えた。


 身体が横へ流れる。


 追撃するため、彭越(ほうえつ)がさらに一歩踏み込んだ。


 その瞬間、楊端和(ようたんわ)の目が変わった。


 虚ろだった女の目から、敗戦も辱めも消えたわけではない。それでもその一瞬だけ、長く戦場で生きてきた将の目が戻っていた。


 扶蘇(ふそ)を追うたびに、彭越(ほうえつ)は少しずつ後ろへ下がっている。


 そして今、鎖の届く距離へ入った。


 楊端和(ようたんわ)は地面へ垂れた鎖を静かに手繰った。枷が傷んだ手首へ食い込み、再び血が滲む。


(今さら何をしても、私の罪は消えない)


 頭曼(とうまん)へ媚びた。


 秦を裏切った。


 扶蘇(ふそ)を裏切った。


(それでも、この方を私のために死なせるわけにはいかない)


 彭越(ほうえつ)が止めの一撃を振り上げた瞬間、楊端和(ようたんわ)は立ち上がった。


扶蘇(ふそ)様!」


 叫びと同時に両手の枷を振り抜く。


 鉄の塊が彭越(ほうえつ)の後頭部をまともに捉えた。


「ぐっ!」


 完全な不意打ちだった。


 彭越(ほうえつ)が大きく前へよろめき、顎が無防備に浮く。


 俺はその隙を見逃さなかった。


 残っていた力を脚へ集め、一歩踏み込み、腰を捻り、拳を下から振り抜いた。


「おおっ!」


 拳が彭越(ほうえつ)の顎を捉える。


 鈍い感触が腕へ返り、巨体の頭が大きく跳ね上がった。彭越(ほうえつ)は二、三歩よろめいた後、膝から崩れ、そのまま地面へ倒れた。


 だが、まだ終わっていなかった。


 彭越(ほうえつ)は地面へ両手をつき、歯を食いしばりながら身体を起こそうとする。


「まだ……だ……」


 声は掠れていた。


 それでも立とうとする。


 強い男だった。


 だからこそ、俺も止まれなかった。


 彭越(ほうえつ)が片膝を立てた瞬間、俺は最後の力で踏み込み、もう一度拳を振り抜いた。


 今度は側頭部へ入った。


 彭越(ほうえつ)の身体が横へ崩れる。


 それでも地面へ手をつこうとしたが、指に力が入らず、そのまま顔から倒れ込んだ。


 口元から血が流れる。


 焦点の合わない目が、俺を見上げた。


「……公子様が……俺を……」


 言葉は最後まで続かなかった。


 身体から力が抜ける。


 彭越(ほうえつ)は二度と動かなかった。



 沢が静まり返った。


 俺もその場に片膝をつき、荒い息を繰り返していた。


 蒙恬(もうてん)が駆け寄り、まず俺の身体を支える。


「扶蘇様!」


「俺より……そっちを」


 そう言って彭越(ほうえつ)へ目を向ける。


 蒙恬(もうてん)は一瞬だけ迷った後、倒れた男へ近づき、首へ指を当てた。


 しばらくして、静かに首を振る。


「絶命しております」


 その言葉を聞いて、周囲の盗賊たちがざわめいた。


 頭を失った。


 しかも、その頭は一騎打ちで敗れて死んだ。


 彭越(ほうえつ)の強さを頼りに集まっていた者たちにとって、それは何より大きかった。


 逃げようとする者が現れ、武器を捨てる者も出る。だが、こちらの兵がすでに周囲を押さえていたため、大きな戦いにはならなかった。


「武器を置け!」


 蒙恬(もうてん)が声を張る。


「抵抗しない者は斬らぬ!」


 その言葉を受け、盗賊たちは次々と武器を地面へ置いていった。



 俺は彭越(ほうえつ)の遺体を見下ろした。


 前世の知識では、この男はここで死ぬ人間ではない。


 後に大きな勢力を築き、劉邦(りゅうほう)を助けるはずだった。


 その未来は、今なくなった。


 俺の拳で。


 だが、今さらそのことだけを悔やむ気にはなれなかった。


 彭越(ほうえつ)は、自分が男であることを理由に女を所有していいと考えていた。負けた女に選ぶ権利はないと、本気で信じていた。


 俺はそれを認められなかった。


 そして互いに退かなかった。


 その結果として、彭越(ほうえつ)は死んだ。


 それだけだった。



 蒙恬(もうてん)は兵から道具を受け取り、楊端和(ようたんわ)を繋いでいた金具を外した。


 首の鉄輪が落ち、続いて両手の枷が地面へ落ちる。


 乾いた金属音が響いた。


 自由になった楊端和(ようたんわ)は、すぐには立ち上がらなかった。赤黒く傷ついた手首を、自分のものではないように見つめている。


 蒙恬(もうてん)も何も言わなかった。


 裏切られた相手だ。


 簡単に手を差し伸べられるはずもない。


 俺が近づくと、楊端和(ようたんわ)はゆっくり顔を上げた。


「……なぜです」


 何を聞いているのかは分かった。


「言っただろ。許したわけじゃない」


「私はあなたを裏切りました。蒙恬(もうてん)殿を殺そうとし、あなたの軍を窮地へ追い込みました」


「ああ」


「なら、なぜ私など」


「罪があるからって、何をされてもいいことにはならない」


 俺はそれだけ答えた。


 楊端和(ようたんわ)は俯いた。


「それと」


 もう一度声をかけると、楊端和(ようたんわ)が顔を上げる。


「さっきは助かった。お前が彭越(ほうえつ)を殴ってくれなかったら、俺が先に倒れてた」


「……私は」


「礼と罪は別だ。助けてもらったことには礼を言う。でも、お前がしたことまでなくなったわけじゃない」


 楊端和(ようたんわ)はしばらく黙っていた。


 やがて地面へ両手をつき、深く頭を下げる。


「……ありがとうございます、扶蘇(ふそ)様」


 その声には、以前のような将としての張りはなかった。


 けれど、頭曼(とうまん)へ向けていた媚びも、彭越(ほうえつ)のもとで身についた諦めもなかった。


 罪を背負った一人の女が、ようやく自分の意思で絞り出した言葉だった。


 俺はそれ以上何も言わず、鉅野(きょや)の沢に残った者たちへ目を向けた。


 頭を失った盗賊。


 流れてきた敗残兵。


 行き場を失った人々。


 そして、こちらにも帰る場所はない。


 ならば、この土地で生き延びる方法を考えるしかなかった。

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