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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第3章 群雄割拠

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第69話 函谷関の攻防

 函谷関(かんこくかん)


 西の関中(かんちゅう)と東方を隔てるこの関は、長く秦の東門として諸国の侵攻を阻んできた。その前へ、周文(しゅうぶん)が率いる反乱軍が押し寄せた。


 数、およそ五十万。


 もっとも、その全てが武器を揃えた兵士ではない。秦の支配から逃れて加わった農民、旧張楚の兵、地方で蜂起した者たちが次々と合流した結果、途方もない人数に膨れ上がった軍勢だった。


 それでも、今の函谷関(かんこくかん)にとっては十分すぎる脅威だった。


 各地で相次ぐ反乱を鎮圧するため、秦軍の主力は東へ分散している。かつて六国の大軍を退けた堅関も、守る兵が少なければその力を十分には発揮できない。


「押せ! ここを破れば関中(かんちゅう)だ!」


 周文(しゅうぶん)の号令を受け、反乱軍が関門へ殺到した。


 攻め方は荒かった。


 梯子を掛ける場所も、門へ押し寄せる順番も十分に整理されていない。それでも次から次へと人が押し寄せ、倒れた者の後ろから新しい兵が前へ出る。


 少数の秦兵は懸命に防いだものの、やがて守る場所が足りなくなった。


 門の一角が破られる。


 そこへ数千、数万の兵が雪崩れ込み、守備兵を押し流した。


「関が開いたぞ!」


「入れ! 入れ!」


 歓声が山々へ響いた。


 天下の険、函谷関(かんこくかん)


 その関門が、反乱軍の手に落ちた。



 勝利に最も驚いたのは、攻めた兵たち自身だったのかもしれない。


 難攻不落と聞かされてきた函谷関(かんこくかん)を、自分たちが落とした。


 しかも、その先には咸陽(かんよう)がある。


「秦も大したことはない!」


「五十万もいれば、咸陽(かんよう)まで一息だ!」


 関内のあちこちで酒が開けられた。


 倉から持ち出した食糧を囲み、勝利を祝う声が夜まで続く。つい先日まで農民だった者たちにとって、この勝利は自分たちが天下を動かせるという証明に思えた。


 その光景を、蒙恬(もうてん)だけは険しい表情で見ていた。


「酒を止めさせてください。まず門と城壁を固めるべきです」


 周文(しゅうぶん)へ進言する。


「敵が退いた道へ斥候も出します。兵糧の所在を確認し、部隊ごとに守備位置を決めなければなりません」


「そこまで急ぐこともあるまい」


 周文(しゅうぶん)は上機嫌だった。


「ようやく天下の函谷関(かんこくかん)を落としたのだ。兵にも休息は必要であろう」


「休ませることには反対しておりません。ただ、全軍で浮かれるのは危険です」


 蒙恬(もうてん)は関の西を見た。


「秦はまだ滅びておりません。ここを奪われたと知れば、必ず取り返しに来ます」


「来れば、また勝てばよい」


 周文(しゅうぶん)は笑った。


「我らは五十万だ」


 その言葉を聞いて、蒙恬(もうてん)はそれ以上の説得を諦めた。


 五十万。


 その数字が、周文(しゅうぶん)だけでなく兵たちの目まで曇らせていた。



 蒙恬(もうてん)は、自分の指揮下にある兵だけでも備えさせた。


 北辺から扶蘇(ふそ)とともに落ち延び、幾度もの戦いを生き抜いてきた三千。


 敗走を繰り返しながらも軍としての形を失わなかった、扶蘇(ふそ)軍の中核だった。


「周囲が何をしていても、こちらは警戒を解きません」


 蒙恬(もうてん)の前に、将兵たちが整列している。


「鎧を脱ぐ者は交代で。武器は手の届く場所へ置き、夜警を増やしてください。西へ斥候を出し、少しでも動きがあればすぐ知らせるように」


「はっ!」


 こちらには命令が通る。


 わずか三千。


 だが蒙恬(もうてん)にとっては、五十万の中で確実に動かせる兵が三千いることの方が重要だった。


 その日の夕刻。


 西へ放っていた斥候が戻ってきた。


蒙恬(もうてん)将軍!」


「何がありました」


「西方より大軍! こちらへ向かっております!」


 蒙恬(もうてん)の表情が変わった。


「旗は?」


「秦軍にございます。率いる将は、章邯(しょうかん)と!」


「……来ましたか」


 予想より早い。


 蒙恬(もうてん)はすぐに馬へ乗った。


「全軍、戦闘配置へ。周文(しゅうぶん)殿にも急報を!」



 その頃、章邯(しょうかん)函谷関(かんこくかん)の西方まで進んでいた。


 後ろに続くのは、驪山(りざん)から解放された刑徒たち。


 数こそ膨大だが、こちらも正規軍ではない。


 章邯(しょうかん)は、そのことを誰より理解していた。


「難しいことをさせる必要はありません」


 将校たちへ命じる。


「隊列を崩さず関まで進ませる。敵は勝った直後です。陣を整える前に叩きます」


「しかし、敵は五十万との報告です」


「こちらも数なら足ります」


 章邯(しょうかん)は淡々と答えた。


「それに、五十万を一度に相手にする必要はありません」


 敵軍全てが同じ意志で動くわけではない。


 先ほどまで農民だった者、別の土地から合流した者、陳勝(ちんしょう)時代から戦っている者。


 巨大であるがゆえに、命令が伝わるまで時間がかかる。


 しかも今は勝利の直後。


「関の中が乱れていれば、そのまま押し込みます。敵に考える時間を与えないでください」


 章邯(しょうかん)は剣を抜いた。


「戦えば罪を赦すという約束は変わりません。生きて驪山(りざん)へ戻りたくない者は、前へ」


 刑徒たちが武器を握り直した。


 自由を得るために戦う。


 それだけは、どの兵にも分かりやすかった。



「敵襲!」


 警鐘が鳴った時、反乱軍の陣はまだ整っていなかった。


「秦軍だ!」


「西から来るぞ!」


 酒を飲んでいた者が慌てて武器を探し、眠っていた者が飛び起きる。自分の部隊がどこに集まるのか分からず、人の流れに押されて走る者もいた。


 周文(しゅうぶん)は急いで本陣へ戻った。


「兵を集めろ! 門を固めよ!」


「どの隊を門へ!?」


「近くにいる者から出せ!」


 命令は飛ぶ。


 だが、五十万へ届く前に別の命令とぶつかった。


 前へ進めと言われた兵と、関内へ戻れと言われた兵が同じ道で衝突し、兵糧車まで道を塞ぐ。


 そこへ章邯(しょうかん)軍が襲いかかった。


 最初に崩れたのは、西側へ出ていた部隊だった。


 反撃する者もいたが、周囲が退き始めると自分たちも取り残されることを恐れて下がる。その退却が後ろの兵には敗走に見え、さらに後方へ伝わった。


「負けたぞ!」


「秦軍が入ってくる!」


 誰かが叫んだ。


 事実かどうかを確かめる者はいない。


 人の波が東へ動き始めた。


 五十万という大軍は、前へ進む時には圧倒的な力となった。


 だが今は、その数そのものが逃げ道を塞いだ。



「止まれ!」


 蒙恬(もうてん)の声が飛ぶ。


「こちらは退くな! 隊列を維持してください!」


 三千の兵だけは、その場に踏みとどまった。


 盾を並べ、槍を前へ出す。


 周囲を逃げる農民兵がぶつかってきても、隊列を崩さない。


「通す場所を開けろ! 味方を押し返すな!」


 蒙恬(もうてん)は敵だけではなく、味方の敗走まで計算に入れながら陣を動かした。


 その前へ章邯(しょうかん)軍が迫る。


 刑徒兵が勢いのまま突撃した。


「構えて!」


 槍衾が迎え撃つ。


 突っ込んできた兵が倒れ、その後ろが詰まる。横から回り込もうとすれば、隊列の端が向きを変えて塞いだ。


 それまで農民兵を追い立てていた刑徒軍の勢いが、そこで初めて止まった。



 離れた場所から戦場を見ていた章邯(しょうかん)は、すぐに違いへ気づいた。


「……あの部隊は何です」


「分かりませぬ。敵軍の一部かと」


「一部ではありません」


 他の反乱軍とは動きが違いすぎる。


 味方が崩れても釣られず、敵が押せば正面で受け、横へ回れば即座に陣形を変える。


 章邯(しょうかん)は目を細めた。


「旗を確認してください」


 しばらくして報告が返る。


「蒙の旗!」


 そこで章邯(しょうかん)は理解した。


蒙恬(もうてん)ですか」


 かつて秦の北辺軍を率いた将。


 扶蘇(ふそ)に従って朝廷へ反旗を翻し、現在も生きている。


 ならば、あの三千をここで潰す価値は大きい。


「左右から兵を回してください。正面で止め、退路を切ります」


 命令を受けた刑徒軍が動き始めた。



 敵の動きを見た蒙恬(もうてん)も、その意図を悟った。


 こちらへ兵が集まり始めている。


 章邯(しょうかん)は、逃げる農民兵より自分たちを狙うことに決めたらしい。


周文(しゅうぶん)殿は?」


「本陣との連絡が取れませぬ!」


「探しに行かせる必要はありません」


 すでに全軍を立て直せる段階ではなかった。


 周囲では反乱軍が東へ逃げ続け、旗も次々と倒れている。


 戦は終わっている。


 残る問題は、どれだけ生きて帰れるかだけだった。


「退きます」


 部下たちが蒙恬(もうてん)を見る。


「ただし走ってはなりません。前列から順に下がり、敵が来れば止まって迎え撃つ。三千を三千のまま持ち帰ります」


「はっ!」


 号令とともに、陣がゆっくり動き始めた。


 前列が敵を防いでいる間に後列が下がる。


 距離が開けば前列も退き、再び陣を組む。


 それを繰り返した。


 章邯(しょうかん)軍も追うが、急ごしらえの刑徒兵では、崩れず退く精鋭を容易には包囲できない。


「追いすぎないでください!」


 章邯(しょうかん)も無理をさせなかった。


 この戦の目的は蒙恬(もうてん)一人ではない。


 函谷関(かんこくかん)を奪還し、反乱軍の主力を潰すことだ。


 それはもう達成されつつあった。



 周文(しゅうぶん)が討たれたとの報せが届いたのは、蒙恬(もうてん)が関から十分に離れた後だった。


 混乱する本陣を立て直そうとしているところを秦軍に攻め込まれ、退くことができなかったという。


 蒙恬(もうてん)は馬上でしばらく黙った。


 五十万。


 あれだけいた兵が、もう軍として存在していない。


 もちろん全員が死んだわけではない。武器を捨てて逃げた者もいれば、故郷へ戻る者、別の反秦勢力へ流れる者もいるだろう。


 だが、扶蘇(ふそ)の旗の下にあった五十万の軍勢は、この日をもって瓦解した。


「……成皋(せいこう)へ戻ります」


 蒙恬(もうてん)は告げた。


「公子扶蘇(ふそ)様へ、すべて御報告せねばなりません」


 将兵たちが黙って従う。


 後方には、秦の旗が再び函谷関(かんこくかん)の上へ掲げられていた。



 勝利した章邯(しょうかん)は、関内を見回っていた。


 倒れた兵。


 捨てられた武器。


 逃げる際に放置された荷車。


 先ほどまで五十万を数えた反乱軍の痕跡が、至るところに残っている。


「追撃いたしますか」


 副将が尋ねた。


「逃げる者全てを追う必要はありません」


 章邯(しょうかん)は答えた。


「ここで大軍を破ったという事実の方が重要です」


 反乱軍も、各地の豪族も、これで知る。


 秦にはまだ戦える将がいる。


 そして刑徒を集めただけの軍でも、使い方次第では数十万の反乱軍を破れる。


「次へ向かいます」


「次、でございますか」


「この反乱は周文(しゅうぶん)だけではありません」


 章邯(しょうかん)は東を見た。


 各地で上がった反秦の旗は、まだ数え切れないほど残っている。


 函谷関(かんこくかん)を取り戻しただけでは終わらない。


「一つずつ潰します」


 秦が崩れ始めた乱世に、これまで宮中にいた一人の女将が姿を現した。


 章邯(しょうかん)


 その名を、反秦の諸勢力が恐れることになる戦いは、ここから始まった。

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