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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第3章 群雄割拠

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第65話 偽りの公子

 陳勝(ちんしょう)が率いる反乱軍は、俺たちが想像していた以上の速さで膨れ上がっていた。


 成皋(せいこう)を出て東へ進むにつれ、街道を行く人々の口から何度も同じ噂を聞いた。死んだはずの公子扶蘇(ふそ)が生きており、二世皇帝に苦しめられる民を救うため兵を挙げたという。


 もちろん、その公子扶蘇(ふそ)は俺ではない。


「ずいぶん派手に俺の名前を使ってるな」


 俺が呟くと、隣を進む蒙恬(もうてん)が険しい顔をした。


「名だけならまだしも、公子扶蘇(ふそ)様御本人を名乗っております。放置すれば、何をしても扶蘇様の行いとして広まります」


「ああ。それが一番まずい」


 反秦を掲げるだけなら、まだ分かる。


 だが俺の名を使って略奪でも虐殺でもされれば、その責任まで本物の俺へ返ってくる。


 だからこそ直接会う必要があった。



 張楚の陣へ着いた俺たちを待っていたのは、兵だけではなかった。


 女が多い。


 それも兵士ではなく、農村や町から集まってきたと思われる女たちが、王を称する陳勝(ちんしょう)の居館の前に長い列を作っていた。


「……何の列だ?」


 俺が尋ねると、案内役の兵が不思議そうな顔をした。


「公子様のお種を頂くためでございます」


 足が止まった。


「……誰の?」


「公子扶蘇(ふそ)様の、でございます」


 横を見る。


 蒙恬(もうてん)も黙っている。


 蒙凛(もうりん)は意味を理解した途端、露骨に嫌そうな顔をした。


「扶蘇様の御名で……?」


「そういうことらしい」


 列には若い女もいれば、かなり年上の女もいた。


 男が十人に一人ほどしか生まれないこの世では、男との縁を一度も持てないまま一生を終える女も珍しくない。まして皇族の男の子を得られるとなれば、それだけで一族にとって大きな価値を持つ。


 だから女たちは集まった。


 ただし、その列にも順番があるらしい。


 居館の入り口では、陳勝(ちんしょう)の配下が女たちへ何かを尋ねていた。


「兵は何人出せる」


「家には三十ほどおります」


「三十か。では後だ」


「そんな! 何日も待っているのです!」


「次!」


 別の女が前へ出る。


「銭五百と、兵百をお出しできます」


「よし。中へ」


 俺は黙って、そのやり取りを見ていた。


 最初は万人へ血を開くと言っていたはずだ。


 王侯だけが男を独占する世を否定し、貧しい女にも自分の種を与える。それが陳勝(ちんしょう)の掲げた理屈だった。


 だが今、居館へ入れる者は選別されている。


 金。


 兵。


 土地。


 持っているものが多い女から先に通されていた。


「扶蘇様」


 蒙恬(もうてん)が低い声で呼んだ。


「ああ」


 もう十分だった。


「中へ行こう」



 居館の奥へ案内された俺は、そこでさらに言葉を失った。


 酒宴の跡が残り、女たちの衣が無造作に置かれている。


 その中央に陳勝(ちんしょう)がいた。


 女を傍らへ抱き寄せ、俺たちが入ってきても離そうとしない。


 少し離れたところには次に呼ばれるのを待つ女までいた。


「……」


 何も言えなかった。


 こいつは俺の名で、これをやっている。


「ほう」


 陳勝(ちんしょう)が俺たちを見る。


「西から三千ほど連れて来た秦兵というのは、お前たちか」


 態度だけは、完全に王だった。


「秦を捨てて我が軍へ加わりたいというなら歓迎しよう。今の張楚には、まともに戦える将が足りぬからな」


 蒙凛(もうりん)が弓へ手を伸ばしかける。


 俺は片手で制した。


「その前に聞きたい」


「何だ」


「お前は誰だ?」


 陳勝(ちんしょう)が眉を寄せた。


「何を言っている。我こそは秦の長公子、扶蘇(ふそ)だ」


「そうか」


 俺は一歩前へ出た。


「なら、俺は誰なんだろうな」


 陳勝(ちんしょう)の顔から笑みが消えた。


「……名は?」


扶蘇(ふそ)


 部屋の空気が止まった。


「始皇帝の長子、公子扶蘇(ふそ)だ」


 陳勝(ちんしょう)は俺の顔を見つめた。


 会ったことはないはずだ。


 それでも、俺の後ろには蒙恬(もうてん)がいる。


 北辺三十万を率いた秦の大将。


 その娘である蒙凛(もうりん)もいる。


 何より俺たちは三千とはいえ、秦軍の装備を保った兵を連れてここまで来ている。


 偽物だと言い張るには、あまりにも条件が悪かった。


「……くだらん」


 陳勝(ちんしょう)は笑おうとした。


「公子扶蘇(ふそ)は死んだ。天下の誰もが知っている」


「だから名を使ったのか?」


 笑みが消える。


「死人なら文句を言いに来ないからな」



「外に女が並んでいた」


 俺は室内を見渡した。


「俺の名を使って、お前の子を与えているそうだな」


「それがどうした」


 陳勝(ちんしょう)は開き直った。


「女どもが望んでいるのだ。男は少ない。まして公子の血ともなれば、欲しがるのは当然であろう」


「お前の血だろ」


「同じ男の種だ」


 あまりに平然と言うので、一瞬返す言葉を失った。


 陳勝(ちんしょう)は傍らの女を抱いたまま続ける。


「俺は王侯将相に特別な種などないと言った。だから王侯が独占してきたものを民にも開いている。何が悪い」


「じゃあ、なぜ金と兵で選んでる」


 陳勝(ちんしょう)の目が僅かに動いた。


「外で見た。兵百を出せる女は通して、貧しい女は追い返していた」


「軍を大きくするには必要なことだ」


「最初に言ったことと違うじゃないか」


「世の中を変えるには力が要る!」


 陳勝(ちんしょう)の声が大きくなった。


「貧乏人ばかり相手にして、どうやって秦を倒す! 俺は奴らに夢を与えた。その代わり、持っている者から金と兵を受け取る。それだけだ!」


 俺はしばらく陳勝(ちんしょう)を見た。


「それで、俺を名乗る必要があるのか」


「ある!」


「俺の名前で女を集める必要も?」


「男として生まれた以上、使えるものを使って何が悪い!」


 そこで我慢が切れた。


「ふざけるな」


 俺は陳勝(ちんしょう)へ歩み寄った。


「俺の名前を騙るだけなら、まだ政治だと言い訳できたかもしれない。だが俺の名で女を集め、自分の欲と兵集めに使うな」


「何を偉そうに」


 陳勝(ちんしょう)も立ち上がった。


「生まれた時から宮殿にいた公子様に、俺の何が分かる。俺は農民だった。貴重な男だと言われても、腹が減れば土を耕し、役人には頭を下げた。王侯どもが女も土地も富も抱えている間、俺には何もなかった!」


 その怒りまで否定する気はなかった。


 陳勝(ちんしょう)が立ち上がった理由は、本物だ。


 秦の重い負担に耐えられなくなった民も、本当にいる。


 だからこそ腹が立った。


「なら、どうして同じことをしてる」


「何?」


「お前が嫌っていた連中と同じだろ」


 陳勝(ちんしょう)の顔が強張る。


「力を手にした途端、金を持つ者を優遇し、持たない者を追い返す。お前は王侯を否定したんじゃない。自分が王侯になりたかっただけだ」


「黙れ!」


 陳勝(ちんしょう)が拳を振り上げた。


 俺は避けなかった。


 その腕を掴み、身体を引き寄せる。


 そして、腹へ拳を叩き込んだ。


「ぐっ!」


 陳勝(ちんしょう)の身体が折れる。


 そのまま襟を掴んで引き起こし、今度は顔を殴った。


 鈍い音がして、陳勝(ちんしょう)は床へ転がった。


「扶蘇様!」


 蒙恬(もうてん)の声が飛んだ。


「ああ。もうやらない」


 三発目を入れたい気持ちはあった。


 だが、こいつを殺しに来たわけではない。



 騒ぎを聞いた兵や女たちが、居館へ集まってきた。


 床に倒れた陳勝(ちんしょう)と、その前に立つ俺を見てざわめきが広がる。


「誰だ、あの男は」


「公子様と同じ名を……」


「まさか」


 俺は振り返った。


「俺は扶蘇(ふそ)だ」


 ざわめきが止まる。


「始皇帝の長子、公子扶蘇(ふそ)。死んだと伝えられたが、ここにいる」


 俺は後ろに立つ二人を示した。


「そこにいるのは蒙恬(もうてん)。北辺の軍を率いていた将だ。そして蒙凛(もうりん)。俺とともに咸陽(かんよう)から逃れてきた」


 兵たちの視線が二人へ集まる。


 蒙恬(もうてん)の顔を知る者もいたらしい。


 どよめきは、やがて別の色を帯び始めた。


 床から起き上がった陳勝(ちんしょう)が叫ぶ。


「騙されるな! こいつこそ偽物だ!」


 だが先ほどまでの威勢はなかった。


 鼻から血を流し、衣を乱し、俺を指さしている。


 その姿を見て、女の一人が口を開いた。


「では、なぜ私たちに公子の血だと言ったのです」


 陳勝(ちんしょう)が黙る。


「私の姉は銭がないから追い返された。誰にでも分けると言っていたのに」


 別の女も続いた。


「兵を出せば先にしてやると言われた」


「私は田を売った」


 声が増えていく。


 俺が煽る必要はなかった。


 不満は、すでに溜まっていたのだ。



「出ていけ」


 俺は陳勝(ちんしょう)へ言った。


「……何?」


「お前を殺すつもりはない。だが、俺の名前を使うのは今日で終わりだ」


「ここは俺が作った軍だぞ!」


「なら、聞いてみればいい」


 周囲を見る。


「ここにいる者で、まだ陳勝(ちんしょう)を公子扶蘇(ふそ)として担ぎたい者はいるか?」


 誰も声を上げなかった。


 陳勝(ちんしょう)の顔が青ざめていく。


「俺は……お前たちのために立ったんだぞ」


 返事はない。


「秦に逆らったのは俺だ! 最初に立ったのは俺だぞ!」


「それは否定しない」


 俺は答えた。


「お前が最初に立ち上がったことまで奪う気はない。ただ、俺の名は返してもらう」


 陳勝(ちんしょう)は拳を震わせた。


 その後ろから呉広(ごこう)が現れる。


 呉広(ごこう)は俺と陳勝(ちんしょう)を見比べた後、黙って陳勝(ちんしょう)の肩を掴んだ。


「行くぞ、陳勝(ちんしょう)


呉広(ごこう)!」


「今ここで争っても勝てない」


「だが!」


「生きていれば、やり直せる」


 呉広(ごこう)の言葉に、陳勝(ちんしょう)はようやく黙った。


 最後に俺を睨みつける。


「覚えていろ、扶蘇(ふそ)


「俺の名前を使わないなら、覚えておくよ」


「……必ず後悔させる」


 陳勝(ちんしょう)は吐き捨て、呉広(ごこう)と数人の腹心を連れて居館を出ていった。



 残された兵と民は、すぐには動かなかった。


 主を追い出したからといって、そのまま俺の兵になるわけではない。


 俺も強制する気はなかった。


「帰りたい者は帰っていい」


 俺は集まった者たちへ告げた。


「俺は陳勝(ちんしょう)の代わりに王になりに来たわけじゃない。俺と戦う理由があると思う者だけ残ってくれ」


 一人の女が尋ねた。


「公子扶蘇(ふそ)様は、私たちに何をさせるのですか」


「まず飯を食わせる」


 思わぬ答えだったのか、女が目を瞬いた。


「その後は兵を整理する。戦えない者まで無理に前へ出すつもりはない。秦の朝廷と戦うにしても、このまま寄せ集めで突っ込めば死ぬだけだ」


 蒙恬(もうてん)が僅かに頷いた。


 俺は居館の前に残る女たちを見た。


「それから、もう俺の種を求めて並ぶ必要もない」


 何人かが気まずそうに目を伏せる。


「男が少ないのは分かってる。子を望むことを悪いとも思わない。でも、兵や金と引き換えに俺を買うことはできない」


 ここだけは、はっきりさせておかなければならない。


 陳勝(ちんしょう)を追い出した直後に、本物の扶蘇(ふそ)も同じことを始めたのでは何の意味もない。


「俺について来るかどうかは、それとは別の話だ」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて、一人が膝をついた。


 その後ろで、また一人。


 全員ではない。


 陳勝(ちんしょう)を追って陣を離れる者もいれば、様子を見るため距離を取る者もいた。


 それでいい。


 俺が手に入れたのは、大軍ではなかった。


 ただ、陳勝(ちんしょう)が掲げた旗の下に集まりながら、そのやり方に疑問を持っていた者たちが残った。


 そこへ俺が連れてきた三千が加わる。


 ようやく、自分の名で戦うための最初の兵ができた。


 偽物の公子扶蘇(ふそ)は去った。


 そして本物の俺は、張楚の残した兵たちの前に立っていた。

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