↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第2章 秦の栄光と崩壊編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/81

第50話 博浪沙

 始皇帝の巡幸は、天下統一後も続いていた。


 新たに秦となった土地を自ら見て回り、各地へ皇帝の存在を示すためである。


 だが、それを「支配の確認」と見る者ばかりではない。


 旧六国の者にとっては、祖国を滅ぼした皇帝が自分たちの土地を踏み歩いているようにも見えた。


 その一人が、張良(ちょうりょう)だった。


 旧韓の名門。


 祖父も父も韓の宰相を務めた家に生まれながら、その韓は秦に滅ぼされた。


 張良は、そのことを忘れていなかった。



 始皇帝の車列が東へ向かうという情報を得ると、張良は動いた。


 狙う場所は、博浪沙(はくろうさ)


 道の周囲に起伏と草木があり、身を隠す場所もある。


 張良はそこで、以前から探し出していた大男と待った。


 男の傍らには、巨大な鉄槌が置かれている。


 普通の兵では持ち上げるだけでも苦労する重さだった。


「一度しか機会はありません」


 張良が言う。


「分かっている」


「外せば、次はないでしょう」


「なら外さなければいい」


 男は鉄槌を見た。


 張良もまた道の向こうへ目を向ける。


 始皇帝を討つ。


 それだけのために一族の財を使い、人を探し、情報を集めてきた。


 韓を取り戻せるわけではない。


 死者が帰るわけでもない。


 それでも、何もしないまま秦の天下を受け入れることだけはできなかった。


「来ます」


 遠くから土煙が上がった。



 始皇帝の巡幸は、小さな行列ではなかった。


 前後を多くの兵が固め、その間を何台もの馬車が進む。


 張良は目を凝らした。


「どれが皇帝の車だ」


 大男が尋ねる。


「待ってください」


 同じような車がいくつもある。


 暗殺を警戒しているのだ。


 始皇帝がどの車に乗っているのか、遠目には分からない。


 張良は一台ずつ観察した。


 やがて、車列の中央近くに大きな馬車を見つける。


 他より豪奢で、車体も大きい。


「あれです」


「間違いないか」


「おそらく」


 張良は答えた。


 確信はない。


 だが、車列は近づいてくる。


 迷っている時間はなかった。


「構えて」


 男が鉄槌の柄を握る。


 両腕に力を込め、持ち上げる。


 張良は車列との距離を測った。


 もう少し。


 まだ早い。


 護衛兵の顔まで見える距離になった。


「今!」


 男が踏み込んだ。


 巨大な鉄槌が手を離れる。



 鉄塊は宙を飛び、狙った馬車へ直撃した。


 凄まじい音とともに車体が砕けた。


 木片が飛び散り、馬が暴れる。


「敵襲!」


「陛下を守れ!」


 秦兵が一斉に動いた。


 張良は息を止めた。


「やったか」


 大男が言う。


 張良もそう思った。


 あれほどの一撃を受けて、生きていられるはずがない。


 だが次の瞬間。


 別の馬車から、人影が現れた。


 張良の顔から血の気が引いた。


 (せい)


 始皇帝本人だった。


「……違う」


 鉄槌が砕いたのは、皇帝の乗る車ではなかった。


 副車。


 襲撃者を欺くために用意された、身代わりの車だった。


「逃げます!」


 張良はすぐに立ち上がった。


 大男も鉄槌を捨てる。


 秦兵がこちらへ走り始めていた。


「いたぞ!」


「逃がすな!」


 二人は草木の中へ飛び込み、その場を離れた。



 始皇帝は砕けた副車を見ていた。


 鉄槌は車体を原形が分からなくなるほど破壊している。


 もし自分が乗っていれば、まず助からなかった。


「犯人は」


「捜索しております!」


「この一帯を封鎖せよ。怪しい者はすべて調べろ」


「御意!」


 政の声は冷静だった。


 だが、死は確かに近くまで来ていた。


 仙薬を求めても、死は消えない。


 壁を築いて匈奴を遠ざけても、死は別の方向から来る。


 今回は、それが巨大な鉄槌の形をして現れた。



 博浪沙の襲撃は、すぐに咸陽にも伝えられた。


 北辺にいた俺がそれを知ったのは、数日後だった。


「……博浪沙?」


 報告を聞いて、俺はすぐに思い出した。


 張良。


 始皇帝暗殺未遂。


 前世で知っている事件だ。


「陛下はご無事とのことです」


 使者が続ける。


「副車が破壊されましたが、御身体には傷一つございません」


「そうか」


 俺は息を吐いた。


 蒙恬(もうてん)がこちらを見る。


「ご存じだったのですか」


「何を」


「博浪沙という地名を聞いた時、驚いておられました」


 俺は一瞬、答えに詰まった。


「……韓の旧領だからな」


 苦しい言い訳だった。


 だが蒙恬はそれ以上聞かなかった。


「陛下がご無事で何よりにございます」


「ああ」


 その通りだった。


 母上が死ぬのは、まだここではない。


 そのことを俺は知っている。


 以前なら、それだけで安心できた。


 だが今は違う。


 楊端和と羌瘣の件で、それを痛いほど思い知らされた。


 史実通りの事件が起きたからといって、その先まで同じとは限らない。



 博浪沙から逃げ延びた張良は、遠く離れた土地まで身を隠した。


 暗殺は失敗した。


 秦は健在。


 始皇帝も生きている。


 使った財も、人も、長い準備も、一撃で終わった。


「……力だけでは駄目か」


 張良は一人、呟いた。


 巨大な鉄槌で皇帝の車を砕いても、本物を見抜けなければ意味がない。


 兵力でもない。


 腕力でもない。


 秦という巨大な国を相手にするなら、それだけでは足りない。


 張良は南へ向かった。


 そして下邳(かひ)で、一人の老人と出会うことになる。


 後にその出会いが、彼女を単なる復讐者から、天下を動かす軍師へ変えていく。


 だがその頃、北辺にいる俺はまだ知らなかった。


 博浪沙で始皇帝を討ち損ねた女が、やがて秦そのものを崩す側へ回ることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。