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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第2章 秦の栄光と崩壊編

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第44話 秦を亡ぼす者は胡なり

 中華の北には、匈奴(きょうど)と呼ばれる騎馬の民がいた。


 水と草を求めて移動し、男も女も馬を駆り、弓を引く。城に拠って戦う中華の軍とは違い、敵が来れば退き、追撃をやめれば再び現れる。


 この頃の匈奴を束ねていたのが、単于(ぜんう)頭曼(とうまん)である。


 男が少ないのは中華と同じだったが、血統への考え方は異なっていた。匈奴では、強い単于の子を残すため、戦で捕らえた優れた女をその相手とすることがある。


 強い女の血もまた、次代へ残す価値がある。


 そこに本人の意思はなかった。



 天下統一後も、北辺では匈奴の侵入が続いていた。


 家畜を奪われ、集落を襲われ、ときには女が草原へ連れ去られる。報告が重なると、(せい)はついに討伐を決めた。


「一度、北へ退かせる必要がある」


 その言葉を聞いた時、俺は前世の記憶を思い出した。


 匈奴討伐。


 蒙恬(もうてん)、三十万。


 河南かなんの地。


 そして長城。


 知っている戦だった。


「将は楊端和(ようたんわ)羌瘣(きょうかい)。兵は五万とする」


 俺は顔を上げた。


 違う。


 将も、兵数も。


「母上」


 声を出しかけて、止めた。


 何を根拠に反対する。


 楊端和(ようたんわ)羌瘣(きょうかい)も歴戦の将だ。匈奴がまだ巨大な勢力ではない以上、五万でも戦えると考えるのは不自然ではない。


 それに、これまでも歴史は細部を変えながら、最後には俺の知る流れへ戻ることがあった。


(今回も、そうかもしれない)


 俺は黙った。



 草原へ入った秦軍は、すぐに戦い方の違いを思い知らされた。


 匈奴は正面から長く戦わない。秦軍が進めば退き、追えばさらに離れ、足を止めれば矢を射かける。


 それでも楊端和(ようたんわ)羌瘣(きょうかい)は深追いを避け、二隊の距離を保ちながら進んだ。


 やがて楊端和(ようたんわ)の隊が、頭曼(とうまん)の本隊を捉えた。


「単于がいる」


 斥候に周囲を調べさせてから、楊端和(ようたんわ)は兵を進めた。


 戦いは秦軍が押していた。


 頭曼(とうまん)も自ら馬上で槍を振るい、やがて楊端和(ようたんわ)と刃を交える。力は強い。だが、技では楊端和(ようたんわ)が上だった。


 数合の後、頭曼(とうまん)の槍が大きく流れた。


「そこだ!」


 楊端和(ようたんわ)が踏み込む。


 その時、角笛が鳴った。


「将軍、左右から騎兵です!」


 低い草地を使って回り込んでいた匈奴騎兵が、一斉に姿を現した。


 狙いは楊端和(ようたんわ)だった。


 馬を射られ、地面へ投げ出される。


 すぐに立ち上がって剣を振るい、迫る兵を斬り伏せたが、数が違った。


「触るな!」


 背後から腕を取られ、別の兵が脚へ組みつく。


 楊端和(ようたんわ)は最後まで暴れたが、数人がかりで地面へ押さえ込まれた。


「単于! 秦の将を捕らえました!」


 剣を向けた兵を、頭曼(とうまん)が止める。


「殺すな。生かしておけ」



 捕縛の報せは、すぐに羌瘣(きょうかい)へ届いた。


楊端和(ようたんわ)将軍が捕らえられました!」


 羌瘣(きょうかい)は目の前の戦場を見た。


 こちらは優勢だった。


 このまま押せば、敵の一隊を崩せる。


「単于はどこです」


「北西へ移動中です」


 僅かな沈黙の後、羌瘣(きょうかい)は決めた。


「向かいます。楊端和(ようたんわ)将軍を取り戻します」


 救援を急ぎ、進軍の速度を上げた。


 その結果、隊列が伸びた。


 頭曼(とうまん)はそこを突いた。


 左右から現れた匈奴騎兵が秦軍の間へ入り、前後を分断する。


「止まって! 隊列を戻してください!」


 羌瘣(きょうかい)はすぐに命じたが、間に合わなかった。


 夕刻まで戦い、馬を失い、それでも剣を振るった。


 最後は背後から縄をかけられた。


「離して!」


 振りほどこうとしたところへ、さらに兵が飛びかかる。


 羌瘣(きょうかい)もまた、捕らえられた。



 その夜、二人は頭曼(とうまん)の前へ引き据えられた。


 武器も甲冑も奪われ、両手を縛られている。


「秦では名のある将らしいな」


「殺すなら早くしろ」


 楊端和(ようたんわ)が睨みつけた。


「殺さぬ」


「なら、身代金でも取るつもりか」


「返すつもりもない」


 頭曼(とうまん)は二人を見比べた。


「お前たちは強い。だから、その血を残す」


 羌瘣(きょうかい)が顔を上げる。


「どういう意味です」


「我が子を産め」


 楊端和(ようたんわ)の顔色が変わった。


「……ふざけるな」


「強い女の血を、次の単于へ残す。それが草原のやり方だ」


「殺せ!」


 立ち上がろうとした楊端和(ようたんわ)を、兵が押さえた。


「こんなことをするくらいなら、ここで殺せ!」


「その選択はお前にはない」


 羌瘣(きょうかい)も縄を強く引いた。


「私たちは秦の将です」


「知っている。だからこそ欲しい」


「拒んでも?」


「聞かぬ」


 二人は言葉を失った。


 戦場で死ぬ覚悟はあった。


 だが、生かされたまま自分の身体を奪われ、敵の血統のために使われることまで覚悟していたわけではない。


 頭曼(とうまん)が兵へ命じた。


「二人とも連れていけ」


「触るな!」


 楊端和(ようたんわ)が激しく抵抗した。


 縛られた腕を取られ、足を踏ん張る。それでも数人に押され、同じ天幕へ引きずられていく。


楊端和(ようたんわ)将軍!」


 羌瘣(きょうかい)も後を追うように縄を引かれた。


「離してください! 自分で歩きます!」


 兵は手を緩めなかった。


 天幕の入口で楊端和(ようたんわ)が最後に身体を突っ張った。


「殺せと言っているだろう!」


 そのまま中へ押し込まれる。


 続いて羌瘣(きょうかい)も連れ込まれ、入口の布が閉じた。


 しばらく、中から争う音が聞こえた。


「触るな!」


 楊端和(ようたんわ)の怒声。


「やめてください!」


 普段ほとんど声を荒らげない羌瘣(きょうかい)の叫びも続いた。


 やがて、それはすすり泣きに変わっていく。衛兵はその泣き声に、甘い声が混じるのを聞き逃さなかった。朝が来るまで衛兵はずっと聞き耳を立てていた。


 天幕の前には二人の剣と甲冑が乱雑に置かれていた。


 二人は外へ出てこなかった。


 秦軍を率いて草原へ来た二人の女将は、その夜から、単于の子を残すための女として匈奴に留め置かれることになった。



 敗報が咸陽かんようへ届いた時、俺は朝議の席にいた。


「五万の軍は大きな損害を受け、楊端和(ようたんわ)将軍、羌瘣(きょうかい)将軍はともに捕縛。匈奴側は、両将を返還する意思を示しておりません」


 使者が言いにくそうに続ける。


「現地の習俗に従い、単于の子を産ませるため留め置かれているとのことです」


 俺は俯いた。


 将の名を聞いた時、違うと思った。


 兵が五万と聞いた時もそうだった。


 それでも、俺は黙った。


(史実では勝つ)


 そう考えたからだ。


 だが、俺が知っているのは、この世界の未来ではない。


 歴史が変わっていると知りながら、都合のいいところだけ前世の知識へ縋った。


「返還を要求せよ」


 母上が命じた。


「財で済むなら払う。だが、返すとは思えぬ」


「母上。それでも、取り戻す道を探してください」


「そのつもりだ」


 母上は険しい顔で続けた。


「だが、二人を救うためにまた五万を草原へ入れ、さらに失うことはせぬ」


 俺は何も返せなかった。


 正しい判断だった。


 だからこそ、苦しかった。



「ならば三十万を送り、単于を討っては」


 臣下の一人が進言した。


「草原の奥まで追うべきではありません」


 今度は、俺はすぐに口を開いた。


「匈奴には、落とせば終わる都も城もない。深く追えば、こちらの補給だけが伸びます」


「ではどうする」


 母上が聞いた。


「まず河南かなんから押し退けます。その後は、趙や燕が築いた北辺の壁を修め、足りない場所を繋ぐ。烽火ほうかと守備兵を置けば、匈奴の侵入路を絞れます」


「長い城壁を作るのか」


「はい。壁だけで完全には止められませんが、今より守りやすくなります」


 母上はしばらく地図を見つめた。


「よかろう。ただし、先に奴らを退かせる」


 そして将の名を告げた。


蒙恬(もうてん)に三十万を与える。匈奴を河南から追い、その地を取れ。その後、北辺の壁を繋がせる」


 俺の胸がざわついた。


 三十万。


 蒙恬(もうてん)


 河南。


 今度は、俺の知る歴史に近い。


 けれど、もう安心する気にはなれなかった。


 そこへ戻るまでに、二人の人生は変わってしまったのだから。



 その時、方士の盧生(ろせい)が進み出た。


「陛下。古い予言に、秦の行く末を記したものがございます」


「申せ」


 盧生(ろせい)は頭を下げた。


亡秦者胡也ぼうしんしゃこなり。秦を亡ぼす者は、胡なり、と」


 広間がざわめいた。


「胡……」


 母上は北辺の地図を見た。


「匈奴か」


「このたびの敗北を思えば、軽んじるべきではないかと」


 母上の表情に、不安が浮かんだ。


「北伐を急がせよ。蒙恬(もうてん)にはすぐに準備をさせる」


 俺は「胡」という一字を頭の中で繰り返した。


 母上は北方の胡を見ている。


 だが、俺には別の名が浮かんでいた。


 胡亥(こがい)


 思わず弟へ視線を向けた。


 歴史は変わっている。


 だから、同じ結末になるとは限らない。


 それでも今度は、その言葉を安心するための理由には使えなかった。



 その一瞬を、趙高(ちょうこう)は見ていた。


 「胡」という一字を聞いた直後、扶蘇(ふそ)胡亥(こがい)へ目を向けた。


(なぜ、そこで胡亥を見る)


 答えは分からない。


 だが、覚えておく価値はある。


 趙高(ちょうこう)の中で、扶蘇(ふそ)への疑いがまた一つ増えた。


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