第43話 仙薬
隴西から戻って以降、政のもとには、方士と呼ばれる者たちが次々と集まるようになった。
仙人を見たという者。山中で老いぬ薬草を知ったという者。星の動きから寿命を延ばす術を読み解けるという者。話の内容はさまざまだったが、共通しているのは、不老不死や長寿を口にすることだった。
以前の政なら、まともに相手をしなかったはずだった。
根拠のない話を嫌い、役に立つかどうかをすぐに見極める人だったからだ。
だが今は違った。
不老不死に関わると聞けば、まず話を聞いた。
扶蘇は、その変化を黙って見ていた。
母が本気で死を避ける方法を探し始めたことは、もう疑いようがなかった。
◆
その中に、他の方士とは少し違う者がいた。
徐福という女だった。
斉の出身で、若く、身なりも整っている。話し方にも落ち着きがあり、天文や地理、海流、風の向きについて尋ねられても、すぐに答えた。
少なくとも、何も知らずに法螺だけを吹く者ではない。
だからこそ、扶蘇は余計に警戒した。
謁見の日、徐福は玉座の前まで進み、深く頭を下げた。
「皇帝陛下。東の海の彼方に、三つの神山があると伝わっております。蓬萊、方丈、瀛洲にございます」
政が身を僅かに前へ出した。
「そこに何がある」
「仙人が住み、不老不死の薬を持つとされております」
広間が静かになった。
徐福は続ける。
「海を渡るには、大きな船と十分な糧、それに長い航海へ耐えられる人員が必要となります。しかし準備さえ整えていただければ、この徐福、東海へ渡り、その地を探してまいります」
「見つけられるのか」
「必ず、とは申し上げられませぬ」
意外な返事だった。
政の眉が僅かに動く。
「必ずではない?」
「海は広く、風も潮も人の思い通りにはなりませぬ。神山の位置についても、伝承ごとに違いがございます」
扶蘇は徐福を見る。
他の方士より慎重だった。
それでも、その次の言葉は政が最も聞きたいものだった。
「ただし、探さなければ、見つかることもございません」
政の表情が変わった。
「必要なものを申せ」
その時、扶蘇は前へ出た。
「陛下。畏れながら、申し上げたいことがあります」
広間にいた者たちの視線が集まる。
政は少しだけ顔を険しくした。
「申せ」
「その三つの神山を、実際に見た者はいるのでしょうか」
徐福が答えた。
「古い記録や伝承はございます」
「帰ってきた航海者は?」
「私の知る限りでは、おりませぬ」
「では、島が本当にあるという確認は取れていない」
徐福は否定しなかった。
「その通りにございます」
扶蘇は政へ向き直った。
「陛下。海へ船を出すこと自体に反対するつもりはありません。東の海に何があるのか調べることには意味があります」
政は黙って聞いている。
「ただ、不老不死の薬があるという伝承だけを理由に、大量の財や人を投じるのは危険です。航海に失敗すれば、すべて失います」
徐福が静かに口を挟んだ。
「公子のお考えはもっともです。ゆえに私は、十分な準備をお願いしております」
「準備すれば、仙薬が実在することまで確かになるわけではない」
「それも仰る通りです」
徐福は、なおも穏やかだった。
「ですが、未知のものを確かめるには、誰かが初めて行かなければなりません」
扶蘇は返答に詰まらなかった。
「それなら、探索として送り出すべきです。不老不死を得られることを前提にしてはいけない」
そこで政が口を開いた。
「扶蘇」
声は強くなかった。
だが、広間の空気が変わった。
「お前は、私に死ねと申すか」
扶蘇は一瞬、言葉を失った。
「違います」
「では、なぜ止める」
「止めたいのは、根拠のないものに国の財と人を賭けることです」
「根拠がないと、なぜ言える」
「実在を確認した者がいないからです」
「見つかっていないことと、存在しないことは同じではない」
政の返事は早かった。
扶蘇は母の顔を見る。
怒っているというより、追い詰められているように見えた。
「もしあるのなら、探す」
政は続けた。
「西にあるなら西へ行かせる。東にあるなら東へ行かせる。探せる場所を残したまま、諦めるつもりはない」
「母上」
「私は皇帝だ」
そこで、政は一度言葉を切った。
「天下を統一し、これから先も治めねばならぬ。死んでしまえば、それができぬ」
扶蘇には、その言い方が引っかかった。
まただ。
死ぬことそのものより、自分がいなくなった後のことを恐れている。
「陛下」
今度は公の呼び方へ戻した。
「せめて、航海の目的は仙薬だけにせず、東海の地理や島々の調査も命じてください。それなら、たとえ仙薬がなくても無駄にはなりません」
政はしばらく扶蘇を見た。
やがて、徐福へ目を戻す。
「そのようにせよ」
「は」
徐福が頭を下げた。
「ただし」
政の声が低くなる。
「仙薬を探すことを、忘れるな」
「承知いたしました」
◆
謁見が終わると、李斯が具体的な準備に入った。
必要な船の数。
積み込む糧。
航海に必要な職人。
医師。
農業や工芸に通じた者。
海上で不足しやすい水や食料を、どう保存するか。
李斯は徐福から一つずつ聞き取り、役所へ命令を出していった。
扶蘇は、その様子を見ながら尋ねた。
「李斯。本当に仙薬があると思ってる?」
李斯は筆を止めなかった。
「それを決めるのは私ではありません」
「でも、これだけの人と金を使う」
「陛下が命じられました」
「命じられたら、何でもやるの?」
そこで初めて、李斯が顔を上げた。
「何でもではありません」
「では今回は?」
「陛下が決めた事業を、失敗しにくい形へ整えるのが私の仕事です」
扶蘇は黙る。
「仙薬の有無について、私に確かな知識はありません。ならば、あるともないとも断言できません」
「でも、疑ってはいる」
李斯は少しだけ口元を緩めた。
「公子は、時々余計なところまで見ますね」
それ以上は答えなかった。
扶蘇にも、それで十分だった。
李斯が政と同じように仙薬を信じているわけではない。
ただ、皇帝が決めた以上は実行する。
それが彼女の立場だった。
◆
趙高も、その日の謁見を見ていた。
扶蘇がまた皇帝へ異を唱えた。
しかも今回は、政が最も強く望んでいるものについてだった。
趙高は、その事実だけを覚えた。
まだ使う必要はない。
扶蘇は皇帝の長子であり、有力な後継者でもある。今の段階で敵に回す理由はなかった。
だが、いつか皇帝と扶蘇の間に大きな亀裂が入った時、今日の出来事は意味を持つかもしれない。
趙高は記録へ目を落とした。
公子扶蘇、不老不死を求める東海派遣に異議を唱える。
事実だけを書けば、それでいい。
後からどう読むかは、読む者次第だった。
◆
準備には時間がかかった。
大きな船を揃え、航海に使える者を集め、長く海上に出るための物資を積む。徐福自身も港へ何度も足を運び、船の作りや積荷を確認した。
扶蘇も、一度だけ出航前の港を訪れた。
想像していたより大きな事業だった。
船員だけではない。
医師や職人、農業を知る者もいる。若い男女も多数集められていた。
新しい土地へ辿り着いた場合、そこで生活できるようにするためだという。
扶蘇は、徐福へ尋ねた。
「本当に戻るつもりはある?」
徐福は少し驚いたようにこちらを見た。
「随分なことをお尋ねになりますね」
「これだけの人と物を持っていく。新しい土地を見つけたら、そのまま住める」
「そうですね」
「仙薬が見つからなかったら?」
徐福は海を見る。
「その時は、その時に考えます」
「答えになってない」
「海へ出る前から、すべて決めておくことなどできません」
徐福は笑わなかった。
「公子さま。私は仙薬の存在を証明できません。ですが、ないことも証明できない」
「それは分かってる」
「ならば、私は見に行きます」
扶蘇は、その横顔を見た。
この女が詐欺師なのか、本当に仙境を信じているのか、最後まで分からなかった。
あるいは、そのどちらでもないのかもしれない。
未知の海へ行ける機会を、ただ逃したくないだけなのかもしれなかった。
◆
出航の日、政も港まで来た。
船には大量の糧と財貨が積まれ、人々が次々と乗り込んでいく。
見送る家族も多かった。
子の名を呼ぶ者。
手を振り続ける者。
泣いている者もいた。
政は、そのすべてを黙って見ていた。
やがて徐福が最後に船へ乗る。
「陛下」
船上から深く頭を下げる。
「必ず、東の海の彼方を確かめてまいります」
政が頷いた。
「仙薬があるなら、持ち帰れ」
「は」
船が岸を離れた。
続いて、他の船も動き始める。
扶蘇は、政の少し後ろに立って海を見ていた。
前世の知識では、徐福の名はこのあとも残る。
だが、仙薬が政の手へ届くことはない。
それだけは知っている。
船が小さくなっても、政は動かなかった。
見えなくなるまで、海を見ていた。
扶蘇も何も言わなかった。
母が待っているものが、決して手に入らないことを知っていたからだ。




