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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第41話 斉滅亡

 田儋(でんたん)の抵抗が始まってから、秦軍の進みは明らかに鈍くなった。


 斉王・けんは戦う意思を示しておらず、斉の正規軍も大きく動いてはいない。それでも田儋(でんたん)に従った兵たちは、秦軍が通る道を避けながら小部隊に分かれ、補給隊や斥候ばかりを狙ってきた。


 夜になれば陣の外へ矢が飛び、夜明け前には別の街道で荷車が焼かれる。追えば散り、追わなければまた別の場所へ現れるため、兵力では圧倒しているはずの秦軍が、なかなか決戦へ持ち込めなかった。


「また逃げたか」


 李信(りしん)が報告を聞き、地図の上へ手を置いた。


「はい。こちらが到着した時には、すでに林の中へ」


「追跡は?」


「二里ほど追いましたが、道が三つに分かれたため打ち切りました」


「それでいい。深入りするな」


 以前の李信(りしん)なら、そこでさらに追わせていただろう。


 だが、楚で失ったものは大きかった。


 自分の前から退く敵を見ると、身体は今でも追えと訴える。それでも一度立ち止まり、周囲を見る癖だけは身についていた。


 その変化を、蒙恬(もうてん)も見ていた。


 軍人としての李信(りしん)は、以前より強くなっている。


 それについて異論はなかった。


 ただし、それと自分への感情は別だった。



 数日後、軍議の席で李信(りしん)が地図の東側を指した。


田儋(でんたん)は、この辺りを通っている」


 細い谷と林が続く場所だった。


「補給隊を襲ったあと、北へ逃げたように見せて、実際には東へ回っている。次に出るなら、この谷を使う可能性が高い」


 王賁(おうほん)が地図を見る。


「兵を置くのか」


「ああ。ただ、大勢を入れれば向こうも来ない。少数で塞ぐ必要がある」


 李信(りしん)は少し間を置き、蒙恬(もうてん)を見る。


蒙恬(もうてん)の隊がいい」


 蒙恬(もうてん)は表情を変えなかった。


「理由を伺っても?」


「斥候の扱いがうまい。奇襲を受けても崩れにくい。それに、谷を抜けられれば田儋(でんたん)の退路を一つ潰せる」


 説明だけを聞けば、筋は通っている。


 だからこそ、蒙恬(もうてん)はすぐには反論しなかった。


「承知しました」


 王賁(おうほん)が二人を見比べる。


「兵数は私が決める。予定より多めに持っていけ」


「ありがとうございます」


 軍議はそれで終わった。


 陣幕を出たあと、蒙恬(もうてん)は一度だけ振り返った。


 李信(りしん)はすでに別の将と話している。


 何もなかったような顔だった。


 それが、かえって気になった。



 東の谷は、蒙恬(もうてん)が予想した通り、守るには厄介な場所だった。


 左右に高い斜面があり、道幅も狭い。兵を多く置けば動きづらく、少なければ左右から攻められた時に逃げ場がなくなる。


「前だけ見るな。斜面の上にも斥候を置いてください」


「はい!」


「退路も二つ確保します。本道が塞がれた場合は南側へ抜けます」


 部下が少し驚いた。


「奇襲を想定しているのですか?」


「ここなら、私でもします」


 蒙恬(もうてん)は淡々と答えた。


 さらに谷の出口にも小隊を置き、連絡役を増やした。


 準備を終えた翌朝、斜面の上から角笛が鳴った。


「敵襲!」


 ほぼ同時に矢が降ってきた。


 木々の間から斉兵が現れ、谷の前後へ回ろうとする。


「盾を上げて! 前へ出ないでください!」


 蒙恬(もうてん)は馬を進めながら、斜面を見上げた。


 正面に見える兵は多くない。


 本命は後ろだ。


「後衛、南へ寄せてください! 入口を取らせないように!」


 命令が伝わる。


 斉兵が谷の出口へ殺到したが、先に伏せていた秦兵が槍を並べて迎えた。


 田儋(でんたん)は攻める場所を変えた。


「中央へ!」


 斉兵が斜面から駆け下りる。


 狭い谷で接近戦になった。


 蒙恬(もうてん)は前線を支えながら、後方へ合図を送る。


「一隊ずつ南へ抜けます。走らせないでください。前の隊から順に!」


 全軍を一度に退かせれば崩れる。


 前で受け止めながら、一隊ずつ抜く。


 田儋(でんたん)もそれを見ていた。


「逃がすな! 出口を先に取れ!」


 斉兵がさらに押し込む。


 秦兵にも倒れる者が出たが、蒙恬(もうてん)は隊列を崩させなかった。


 最後の部隊が南側へ抜けたところで、自身も馬首を返した。


「退きます!」


 谷から出た秦軍は、そのまま追撃を受けながらも開けた場所まで下がった。


 そこまで出れば、斉兵も深く追えない。


 田儋(でんたん)は距離を取ったまま、秦軍を見ていた。


「……あれが蒙恬(もうてん)か」


 隣の兵が頷く。


「はい」


「いい将だな。もう少し慌ててくれれば、半分は取れた」


 田儋(でんたん)はそれ以上追わず、再び兵を散らした。



 夕刻、蒙恬(もうてん)は本陣へ戻った。


 損害報告を済ませると、その足で李信(りしん)のもとへ向かう。


李信(りしん)将軍」


「何だ」


「東の谷ですが、予想通り田儋(でんたん)が来ました」


「そうか。損害は?」


「あります。ただ、隊は維持しております」


「なら問題ない」


 李信(りしん)は地図を見たまま答えた。


 蒙恬(もうてん)はしばらく黙ってから続ける。


「見事な配置でございました」


 そこで初めて、李信(りしん)が顔を上げた。


「嫌味か?」


「いいえ。軍事的には理に適っています。私の隊なら持ちこたえられるという判断も、間違ってはいませんでした」


「なら、何だ」


「ただ」


 蒙恬(もうてん)は声を変えなかった。


「私を嫌うのは構いませんが、そのために兵を巻き込むのはおやめください」


 李信(りしん)の顔から、僅かに表情が消えた。


「何の話だ」


「分からないのであれば、それで結構です」


「勝手に決めつけるな」


「では、私の考えすぎなのでしょう」


 蒙恬(もうてん)は一礼した。


「次も命令には従います。ただし、部下を無駄に死なせるつもりはありません」


 そのまま去ろうとしたところで、後ろから声が飛んだ。


「……お前はいつもそうだな」


 蒙恬(もうてん)が足を止める。


「何でしょう」


「正しい顔をしている」


 李信(りしん)は低い声で言った。


「楚でもそうだった。お前は止めた。俺は進んだ。結果は知っての通りだ」


「それを今、私に言われても困ります」


「分かってる」


 返事は早かった。


「分かってるから腹が立つんだ」


 蒙恬(もうてん)は振り返った。


 李信(りしん)自身も、口にしてから少し驚いたようだった。


 そこへ別の声が入る。


「そこまでにしろ」


 王賁(おうほん)だった。


 いつから聞いていたのか分からない。


 王賁(おうほん)は二人の間へ来ると、まず蒙恬(もうてん)へ目を向けた。


「谷での判断は聞いた。よく持ちこたえた」


「ありがとうございます」


 次に李信(りしん)を見る。


「以後、各隊の配置は私が決める」


 李信(りしん)の眉が僅かに動いた。


「俺が私情で配置したと?」


「そうは言っていない」


「なら」


「疑われる配置を続ける必要もない」


 王賁(おうほん)の声は平坦だった。


「今は斉を落とす。お前たちの昔の話は、そのあと勝手にやれ」


 李信(りしん)はしばらく黙ったあと、視線を外した。


「……了解した」


 蒙恬(もうてん)も一礼する。


「承知しました」


 それで話は終わった。


 少なくとも、表向きには。



 田儋(でんたん)の遊撃は、その後も続いた。


 だが、王賁(おうほん)は追い回すことをやめた。


 街道沿いに小さな拠点を増やし、補給隊には必ず護衛をつける。橋や渡し場を押さえ、田儋(でんたん)が兵を集められる集落には先に秦軍を置いた。


 一度に捕らえようとせず、動ける場所そのものを減らしていく。


 田儋(でんたん)も黙ってはいなかった。


 小さな秦軍拠点を襲い、夜のうちに道を壊し、秦兵が集まる前に別の場所へ移る。時には追撃隊を逆に伏兵へ誘い込み、損害を与えた。


 それでも、使える場所は少しずつ減っていった。


「西の村も秦軍が入りました」


「南の渡しもです」


「兵糧を出してくれる邑も、もうほとんどありません」


 報告を聞いた田儋(でんたん)は、地図の前で腕を組んだ。


「朝廷は?」


「変わりません。王は降伏の準備を進めています」


「そうか」


 それだけ答えた。


 最初から分かっていた。


 斉王も后勝(こうしょう)も、自分を助けるつもりはない。


 それでも、ここまで戦った。


「兵は何人残っている」


「まとまって動けるのは、二千ほどです」


「なら、まだ動けるな」


 部下の一人が顔を上げる。


「まだ戦うのですか」


 田儋(でんたん)はその問いに少し笑った。


「降るためにここまで来たと思うか?」



 最後の戦いは、斉東部の小さな平地で起きた。


 王賁(おうほん)田儋(でんたん)が移動できる道をほぼ塞いだあと、三方向から兵を寄せた。逃げ道を完全に断てば死兵となって暴れるため、東だけはわざと薄くしてある。


「東へ逃がすのか?」


 李信(りしん)が尋ねる。


「ああ」


 王賁(おうほん)は答えた。


「斉王を取るのが先だ。ここで何日も潰す必要はない」


「逃がせばまた来るぞ」


「来たら、その時に討つ」


 李信(りしん)は少し考えてから頷いた。


「分かった」


 秦軍が進む。


 田儋(でんたん)は正面から迎え撃った。


 数では圧倒的に不利だったが、最初から勝ち切るつもりではない。兵を小さく分け、秦軍の隙へ入り、包囲が閉じる前に位置を変える。


 蒙恬(もうてん)の部隊とも一度ぶつかった。


「前へ出すぎないでください!」


 蒙恬(もうてん)は追撃を止めた。


 斉兵が退く。


 その先へ秦兵は入らない。


 田儋(でんたん)は遠くからそれを見て、舌打ちした。


「どいつも追ってこなくなったな」


 秦軍も学んでいる。


 特に楚で大敗した者たちは、罠を知っていた。


 午後になる頃には、斉兵の数は半分近くまで減っていた。


 田儋(でんたん)も腕に傷を負い、鎧には血がついている。


「将軍、東が空いています!」


「分かってる」


「罠でしょうか」


「だろうな」


「では」


「それでも行く」


 田儋(でんたん)は馬を東へ向けた。


「ここで死ねば、それで終わりだ。生きていれば、また兵を集められる」


 残った兵をまとめ、秦軍の薄い場所へ突っ込む。


 秦兵も止めようとしたが、王賁(おうほん)から深追いするなという命令が出ていた。


 田儋(でんたん)は包囲を抜けた。


 追ってくる兵がいないことを確認すると、一度だけ振り返る。


 遠くには秦軍の旗が並んでいた。


「……斉は、ここまでか」


 隣の兵が何も言えずにいる。


 田儋(でんたん)は手綱を引いた。


「行くぞ。俺はまだ降らん」


 そのまま東へ消えていった。



 田儋(でんたん)が戦場を離れると、斉に組織だった抵抗を続ける者はいなくなった。


 秦軍は斉の北から南へ進み、都へ迫った。


 斉王・けんの宮廷では、后勝(こうしょう)が秦から届いた条件を読み上げていた。


「王の命は取られません。王族についても、抵抗しない限り処刑は避けられるとのことです」


「……本当だな」


「はい」


 斉王・けんは何度も同じことを尋ねた。


 城外からは、秦軍が近づいているという報告が続いている。


「もし戦えば?」


「勝てません」


 后勝(こうしょう)は迷わなかった。


田儋(でんたん)があれだけ動いても、秦軍を止められませんでした。今から正規軍を出しても同じです」


「民はどうなる」


「城内戦になれば、多く死にます」


 斉王・けんは長い間、俯いていた。


 やがて顔を上げる。


「門を開けよ」


 それが斉王として最後に出した大きな命令となった。



 秦軍が都へ入った日、大きな戦闘は起きなかった。


 斉兵は武器を置き、城門は開かれた。


 王賁(おうほん)は先頭に立って宮へ入り、斉王・けんの降伏を受ける。


 李信(りしん)も、蒙恬(もうてん)も、その場にいた。


 斉王は王冠を外し、秦軍の前へ進み出た。


「斉王・建、秦王に降る」


 その言葉が伝えられると、広間にいた斉の臣たちは次々と頭を下げた。


 誰も歓声を上げなかった。


 秦兵も、勝鬨かちどきを命じられてはいない。


 五百年以上続いた戦乱の最後の国は、大きな決戦を経ることなく秦へ降った。



 斉王降伏の報告が咸陽かんようへ届いた時、扶蘇(ふそ)(せい)の近くにいた。


 使者は床へ膝をつき、深く頭を下げる。


「斉王・建、降伏。斉都は秦軍の支配下に入りました」


 広間が静かになった。


 扶蘇(ふそ)も、すぐには言葉が出なかった。


 韓が滅びた。


 趙が滅びた。


 魏が滅び、楚が滅び、燕も代も消えた。


 そして今、斉が降った。


 自分が生まれてからずっと続いていた戦争が、ようやく終わったのだ。


 (せい)は玉座に座ったまま、しばらく何も言わなかった。


 群臣が王の言葉を待っている。


 やがて(せい)が口を開いた。


「これで、六国はすべて秦に帰した」


 声は落ち着いていた。


「韓、趙、魏、楚、燕、斉。その王はすべて失われ、天下に並び立つ国はない」


 群臣が一斉に頭を下げた。


「王よ、天下統一、まことにおめでとうございます!」


 声が広間へ広がる。


 扶蘇(ふそ)は、その中で母を見ていた。


 (せい)は笑っていなかった。


 喜んでいないわけではない。


 ただ、長く求め続けてきたものを手にした直後とは思えないほど、静かだった。


 扶蘇(ふそ)には、その理由が少し分かる気がした。


 ここまで来るために、多くの人間が死んだ。


 桓齮(かんき)


 李牧(りぼく)


 司馬尚(しばしょう)


 荊軻(けいか)


 韓非子(かんぴし)


 昌平君(しょうへいくん)


 項燕(こうえん)


 秦側にも、名を知らない兵が数えきれないほどいる。


 それらすべての上に、今の統一がある。


扶蘇(ふそ)


 呼ばれて、扶蘇(ふそ)は顔を上げた。


「はい、母上」


「終わったぞ」


 その言葉だけは、王が群臣へ告げるものではなかった。


 母が息子へ言った言葉だった。


 扶蘇(ふそ)は少しだけ間を置いてから頷いた。


「はい」


 戦国の世は終わった。


 秦が天下を統一した。


 扶蘇(ふそ)が前世の歴史で知っていた、始皇帝の天下が、ついに現実になった。


第1章 了

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