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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第40話 最後の残敵

 燕が滅び、残るはだいの残党と、東の大国・せいのみとなった。


 (せい)は天下統一へ向けた最後の征討を命じ、大将には王賁(おうほん)を据えた。副将には将軍位へ復帰した李信(りしん)、そして蒙恬(もうてん)が加わった。


 楚で苦い経験をした三人が、今度は同じ軍を率いて北へ向かう。


 最初の標的は、代だった。



 代を治めていたのは、趙王家の血を引く公子嘉(こうしか)だった。


 趙が滅びたあと、北方へ逃れた彼女は代王を名乗り、旧趙兵や秦への服従を嫌った者たちを集めて抵抗を続けていた。


 だが、その勢力はかつての趙とは比べものにならない。


 兵は少なく、土地も狭く、頼れる同盟国もすでに残っていなかった。


 王賁(おうほん)は正面から軍を進める一方で、蒙恬(もうてん)に周辺の道を押さえさせ、李信(りしん)には逃走路になりそうな北東側の監視を任せた。


 以前の李信(りしん)なら、敵が退けばそのまま追い続けたかもしれない。


 だが今は違う。


「止まれ」


 代兵が崩れ、北へ逃げ始めたところで、李信(りしん)は自分から兵を止めた。


「追わないのですか?」


 部下が尋ねる。


「あの先は道が細い。伏せられたら面倒だ。斥候を回してから行く」


 しばらくすると、案の定、道の先に小さな伏兵が潜んでいることが分かった。


 李信(りしん)は笑いもしなかった。


「右から回れ。正面は放っておけ」


 迂回した秦兵が側面へ出ると、伏兵は戦わず退いた。


 王賁(おうほん)はその報告を聞き、何も言わず地図へ視線を落とした。


 ただ、蒙恬(もうてん)だけが少しだけ李信(りしん)を見た。


 楚で共に戦った時とは、動きが違う。


 そう思ったが、口には出さなかった。



 代の抵抗は長く続かなかった。


 秦軍は城邑を一つずつ押さえ、逃げ道を塞ぎながら中心部へ迫った。公子嘉(こうしか)も最後まで兵をまとめようとしたが、残っていた部隊だけでは王賁(おうほん)の軍を止められない。


 最後の拠点が囲まれたあと、公子嘉(こうしか)は捕らえられた。


「代王、公子嘉(こうしか)を捕縛しました」


 その報告が咸陽かんようへ届いた時、扶蘇(ふそ)はしばらく黙っていた。


 趙が滅びた時、まだ北には代が残っていた。


 だから、どこかで完全に終わったとは思わずに済んでいた。


 だが今、その代もなくなった。


 扶蘇(ふそ)は目を閉じた。


 思い出したのは、邯鄲(かんたん)の土だった。


 牢の中で殺された李牧(りぼく)


 彼女を逃がすため最後まで戦った司馬尚(しばしょう)


 そして、城の外で蒙恬(もうてん)とともに掘った穴。


 あの時、自分の手で李牧(りぼく)を埋めた。


 趙王を直接動かしたのは郭開(かくかい)だった。


 それでも、趙の宮廷へ金を流し、李牧(りぼく)を失脚させる策を最初に口にしたのは自分だった。


 あの策がなければ、結果は違っていたかもしれない。


李牧(りぼく)。俺の策も、あなたの死へ繋がった)


 それを忘れるつもりはなかった。


 趙は今度こそ消えた。


 李牧(りぼく)が守ろうとした国も、司馬尚(しばしょう)が命を懸けた国も、もう存在しない。


 扶蘇(ふそ)は目を開いた。


 残る国は、一つだけだった。


 せい



 斉は、これまでほとんど秦と正面から戦っていなかった。


 韓が滅び、趙が崩れ、燕が逃げ、魏が水に沈み、楚が六十万の軍に敗れていく間も、斉は東方で国を保っていた。


 その理由の一つが、宰相さいしょう后勝(こうしょう)だった。


 后勝(こうしょう)は以前から秦と通じ、多くの金品を受け取っていた。斉王・けんもまた、秦との戦争を避ける道を選び続け、他国が秦と戦っている間にも大軍を送ろうとはしなかった。


 秦軍が斉へ迫れば、戦わず降る。


 少なくとも后勝(こうしょう)は、そのつもりだった。


「ここまで来れば、戦う必要などございません」


 斉の宮廷で、后勝(こうしょう)は王へ進言した。


「秦は韓、趙、魏、楚、燕をすべて取りました。今さら斉だけで抗って、何ができます」


 斉王・けんは黙っていた。


「民を死なせぬためにも、秦王へ従うべきです。王のお命についても、私から秦へ話を通します」


「……本当に、命は助かるのか」


「そのために、これまで関係を築いてきたのです」


 斉王・けんはしばらく考えたあと、弱く頷いた。


 その場にいた者たちの多くも、反対しなかった。


 戦えば負ける。


 それを皆が理解していた。


 だが、その中で一人だけ、顔を上げた男がいた。


 田儋(でんたん)


 斉王家に連なる田氏の一族であり、軍を預かる武将でもあった。


「王よ」


 田儋(でんたん)が口を開く。


「本当に、戦わず降られるのですか」


 后勝(こうしょう)が眉を寄せた。


田儋(でんたん)。すでに決まったことだ」


「私は王に聞いている」


 男の声は大きくなかった。


 それでも、広間にいた者たちは一斉に彼を見る。


 この国では男は少ない。


 まして王族に近い家の男なら、本来は戦場から遠ざけられてもおかしくない。


 だが、田儋(でんたん)は自ら軍に入り、兵を率いてきた。


「韓は戦った。趙も戦った。燕も楚も、最後まで兵を出した」


 后勝(こうしょう)が遮る。


「だから滅びたのだ」


「そうだ」


 田儋(でんたん)后勝(こうしょう)を見る。


「だが、斉は何をした」


「国を残した」


「他国が滅びるのを見ていただけだろう」


 宮廷の空気が変わった。


田儋(でんたん)!」


「秦から金を受け取り、他国が助けを求めても動かず、最後には自分たちも戦わず降る。それで国を守ったと言うのか」


 后勝(こうしょう)の顔が険しくなる。


「言葉を選べ」


「選んでいる」


 田儋(でんたん)は今度こそ斉王を見た。


「王。私は秦に勝てるとは申しません。今の斉だけで秦を退けられるとも思っていない」


 斉王・けんは何も言わない。


「それでも、一度も戦わず国を渡すことだけは認められない」


「では、民を死なせるのか」


 王が尋ねた。


 田儋(でんたん)は少し黙った。


「戦えば死者は出ます」


「なら」


「だからといって、王も臣も何もせず降ることが正しいとは思いません」


 后勝(こうしょう)が前へ出た。


「お前一人の意地のために国を巻き込むつもりか」


「国を売った者に言われたくない」


「何だと」


「秦から受け取ったものを、ここで全部並べてみるか?」


 后勝(こうしょう)の顔から色が消えた。


 斉王・けんが手を上げる。


「もうよい」


 二人が黙る。


「私は、秦とは戦わぬ」


 田儋(でんたん)の目が細くなった。


「王命ですか」


「そうだ」


「……分かりました」


 田儋(でんたん)は頭を下げた。


 后勝(こうしょう)が息を吐く。


 だが、田儋(でんたん)はそのまま続けた。


「ならば、私は王の兵を使いません」


 斉王・けんが顔を上げる。


「何を言っている」


「私に従う者だけで戦います」


「許さぬ」


「許しを求めておりません」


 周囲がざわめいた。


「私は田氏の人間です。秦へ降るために生きてきたわけではない」


 田儋(でんたん)は深く一礼した。


「これより先、私の戦は私の責任で行います。敗れた時は、私一人を逆賊として処分されればよい」


 そう言い残し、男は広間を出た。


 斉王・けんは呼び止めなかった。


 后勝(こうしょう)も追わせようとはしなかった。


 少数の兵で秦軍に挑んだところで、すぐに潰される。


 二人とも、そう考えていた。



 だが、田儋(でんたん)のもとには思ったより多くの者が集まった。


 秦へ降ることに納得できない兵。


 他国を見捨て続けた朝廷に不満を持つ者。


 田氏への恩がある者。


 数は秦軍には遠く及ばない。


 それでも一軍を作るには足りた。


 田儋(でんたん)は集まった兵たちを前にして、最初に言った。


「正面から戦えば負ける」


 誰も声を上げなかった。


「秦は強い。兵の数も、武器も、補給も、こちらより上だ。だから、大軍同士の戦などしない」


 地図を開く。


「道を使わせるな。荷を運ばせるな。休ませるな。戦う場所はこちらで決める」


 部下の一人が尋ねた。


「秦軍を追い返せますか」


「分からん」


 田儋(でんたん)は即答した。


「だが、何もせず門を開くよりはいい」


 それだけだった。



 代を平定した秦軍が斉へ向きを変えた頃、最初の異変が起きた。


「補給隊が襲われました!」


 報告を受けた王賁(おうほん)は地図へ視線を落とした。


「どこだ」


「北東の街道です。荷車十数台を焼かれ、護衛にも被害が出ています」


「斉軍か?」


「旗は田氏のものだったとのことです」


 李信(りしん)が腕を組む。


「王は降るんじゃなかったのか」


「そのはずでした」


 蒙恬(もうてん)が答えた。


「王命ではない兵でしょう」


 王賁(おうほん)は周囲の将を見る。


「数は」


「多くありません。襲撃後、すぐに散っています」


「面倒だな」


 李信(りしん)が言った。


 その日の夕方には、別の場所からも報告が来た。


 斥候が襲われた。


 橋が壊された。


 夜になれば小さな部隊が陣へ近づき、矢を放ってすぐに退いた。


 どれも大きな被害ではない。


 だが、一つ一つ対応すれば軍の足が止まる。


「名は?」


 王賁(おうほん)が尋ねた。


田儋(でんたん)という男です。斉王家に連なる田氏の者で、王命に背いて兵を集めたとのこと」


 李信(りしん)が鼻を鳴らした。


「男なのに、自分から戦場へ出たか」


 蒙恬(もうてん)が隣から言う。


「あなたもそうでしょう」


「俺は昔からだ」


「なら、珍しがることでもないのでは」


 李信(りしん)は一瞬だけ蒙恬(もうてん)を見る。


「……そうだな」


 表情は変わらなかった。


 だが、その声は僅かに低かった。


 王賁(おうほん)は二人を見たが、何も言わず地図へ戻る。


「正面の斉軍だけを見ていると、後ろを削られる。明日から補給隊の護衛を増やす。斥候も単独では出すな」


「了解」


 李信(りしん)が答える。


「承知しました」


 蒙恬(もうてん)も続いた。


 秦軍は、斉の国境へ進み始めた。


 斉王は戦うつもりがない。


 それでも、戦は始まった。


 その相手は王でも、斉の朝廷でもない。


 田儋(でんたん)という一人の男と、彼に従った者たちだった。

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