↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/81

第35話 公子、戦場へ

 昌平君(しょうへいくん)軍の後方で、突然、ときの声が上がった。


 最初に食い込んだのは王離(おうり)だった。三千の兵を一点へ絞り、大剣を振るって後列の槍を弾き飛ばし、その隙へ王氏の私兵を押し込んでいく。横から騎兵が回ろうとすれば、少し後ろを走る蒙凛(もうりん)が馬上から矢を放ち、先頭の動きを止めた。


 その中央に、扶蘇(ふそ)はいた。


 ここへ来るまでのことが、ほんの一瞬だけ脳裏をよぎる。


 あの日、扶蘇(ふそ)王賁(おうほん)を呼び、兵を貸してほしいと頼んだ。


「王命がない。王軍は出せない」


「分かってる。でも、蒙恬(もうてん)が危ない」


 王賁(おうほん)はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……王氏の私兵なら三千出せる。王離(おうり)も連れていけ」


 そこへ蒙凛(もうりん)まで同行すると言い出し、止めても聞かなかった。


 王命はない。


 (せい)の許可もない。


 それでも扶蘇(ふそ)は、三千の兵と二人を連れて楚へ向かった。


 そして今、ようやく間に合った。


王離(おうり)! 深く入りすぎるな!」


「分かってます!」


 返事と同時に、王離(おうり)の大剣が二本の槍をまとめて押し退けた。


 その右から騎兵が寄る。


「右、来るよ!」


 蒙凛(もうりん)が矢を放つ。先頭の騎手の肩へ刺さり、馬列が僅かに乱れたところへ、王氏の兵が盾を押し込んだ。


 三千で昌平君(しょうへいくん)軍を倒す必要はない。


 道を開ければいい。


 その向こうに、蒙恬(もうてん)がいる。



 昌平君(しょうへいくん)軍の後列にいた兵たちは、最初、その三千を敵だと思っていなかった。


 掲げているのは秦旗だったからだ。


 援軍かと思って道を開けかけたところへ、王離(おうり)が飛び込んだ。


「退いてください!」


 大剣が振られ、槍の穂先ではなく柄を叩き折る。


 正面に立った兵を次々と斬り伏せるような戦い方ではなかった。盾を弾き、武器を飛ばし、押し込み、ひたすら陣に穴を開けていく。


 それでも王離(おうり)膂力りょりょくを正面から受ければ、兵は簡単には立っていられない。


「止めろ!」


 後方の将が叫ぶ。


 その声に応じて槍兵が集まったが、今度は蒙凛(もうりん)の矢が飛んだ。


 弓弦が続けて鳴る。


 将の手元。


 旗手の腕。


 騎兵の肩。


 致命傷を狙うよりも、動きを止める射だった。


「今!」


 蒙凛(もうりん)の声に合わせ、三千がさらに深く食い込む。


 だが、数の差は大きい。


 昌平君(しょうへいくん)軍が立て直せば、この程度の兵力などすぐに押し潰される。


 扶蘇(ふそ)もそれは分かっていた。


 だから、ここで使うべきなのは兵ではない。


 自分自身だった。


 馬を前へ出す。


「聞け!」


 周囲の兵が振り向いた。


「俺は扶蘇(ふそ)! 秦王(せい)の子だ!」


 ざわめきが広がる。


「公子……?」


「なぜ、ここに」


 扶蘇(ふそ)はさらに前へ出た。


蒙恬(もうてん)が裏切ったという話は嘘だ!」


 兵たちの表情が変わった。


 昌平君(しょうへいくん)軍がここまで戦えていた理由の一つは、自分たちこそ秦を守っていると信じていたからだ。


 李信(りしん)軍の敗北は蒙恬(もうてん)が救援しなかったせい。


 だから逆賊を討つ。


 そう聞かされていた。


 しかし、その逆賊を救うために、王の長子が自ら戦場へ来た。


 それだけで、話が噛み合わなくなる。


昌平君(しょうへいくん)は一度、秦を裏切った!」


 扶蘇(ふそ)の声が戦場へ響く。


呂不韋(りょふい)の謀反に加わった。それでも母上は命を取らず、もう一度秦のために働く道を与えた!」


 何人かが顔を見合わせた。


 古参の兵なら、その出来事を知っている。


「その恩を捨てて、今また秦兵へ刃を向けている! 兵糧を止め、退路を塞ぎ、李信(りしん)蒙恬(もうてん)を殺そうとしている!」


「嘘だ!」


 昌平君(しょうへいくん)側の将が怒鳴った。


「公子は蒙恬に騙されている!」


 だが、今度は兵たちの反応が鈍かった。


 扶蘇(ふそ)はその揺れを見た。


 ここで迷わせるだけでは足りない。


 槍を下ろさせなければならない。


「俺を信じろ!」


 声を張る。


「俺は秦王の子だ! 秦へ帰りたい者は、今ここで武器を下ろせ! 昌平君(しょうへいくん)に従ったことは問わせない。俺が咸陽かんようまで連れて帰る!」


 一人の兵が槍を下ろした。


 隣にいた兵が、その顔を見る。


 やがて同じように穂先を地面へ向けた。


「私は……秦兵です」


 誰かが呟いた。


「秦兵を殺すために来たんじゃない」


 その言葉が近くへ広がった。


 武器を下ろす者が増えていく。


 後方で生まれた迷いは、戦列の前へ前へと伝わっていった。



扶蘇(ふそ)?」


 報告を聞いた昌平君(しょうへいくん)は、思わず聞き返した。


「はい。公子本人です。王氏の兵を率いて、後方へ攻め込んでおります」


「王命は?」


「確認できません」


 昌平君(しょうへいくん)は前方を見た。


 蒙恬(もうてん)軍はまだこちらへ圧力をかけている。


 後ろからは扶蘇(ふそ)


 それだけでも厄介だが、もっと悪いのは自軍だった。


「兵が武器を捨て始めています!」


「止めなさい!」


「将たちが命じていますが、広がっています!」


 昌平君(しょうへいくん)は唇を噛んだ。


 蒙恬(もうてん)が逆賊だという話を兵に信じ込ませることはできた。


 だが、その場に扶蘇(ふそ)本人が現れてしまえば、話は変わる。


 王の子が命を懸けて救いに来た相手を、逆賊だと信じ続けられる者は多くない。


 しかも、扶蘇(ふそ)は自分の過去まで持ち出した。


 一度秦を裏切ったこと。


 赦されてなお、再び刃を向けたこと。


 その事実は消せない。


「後方部隊をまとめます」


 側の将が言った。


「まだ戦えます」


「無理です」


 昌平君(しょうへいくん)は首を振った。


「前に蒙恬(もうてん)、後ろに扶蘇(ふそ)。その上、兵までこちらを疑っている。ここで粘れば軍そのものを失います」


「ですが、項燕(こうえん)将軍は近くまで」


「間に合う前に崩れます」


 昌平君(しょうへいくん)は馬を返した。


「従う兵だけ連れて退きます。楚側へ抜けてください」


 秦旗の一部が動き始める。


 武器を下ろした兵たちは、その動きについてこなかった。


 昌平君(しょうへいくん)は一度だけ振り返った。


 遠くで、扶蘇(ふそ)の旗が見えた。


 あの子まで戦場に来るとは思わなかった。


「……(せい)の子か」


 小さく漏らし、そのまま馬を走らせた。



 前方の圧力が急に弱くなったことに、蒙恬(もうてん)はすぐ気づいた。


「敵の後方で何が起きています?」


「崩れています! 武器を捨てる兵も!」


「誰が来たのですか」


「秦旗です!」


 その答えだけでは分からなかった。


 しかし、ほどなくして聞き慣れた声が届いた。


「道を開けろ!」


 蒙恬(もうてん)の身体が固まる。


 聞き間違えるはずがない。


 それでも、こんな場所で聞くはずのない声だった。


 敵兵が次々と道を開けていく。


 その向こうから、大剣を担いだ王離(おうり)が現れた。少し遅れて弓を持った蒙凛(もうりん)が続き、その中央に、泥と埃にまみれた少年がいる。


「……扶蘇(ふそ)様?」


 声が掠れた。


 扶蘇(ふそ)蒙恬(もうてん)を見つけた。


 鎧には血がつき、髪は乱れている。


 頬にも小さな傷がある。


 それでも立っている。


 生きている。


 扶蘇(ふそ)は馬から降りた。


蒙恬(もうてん)!」


 走ってくる。


 蒙恬(もうてん)も馬を降りた。


「どうしてここにいるんですか」


「助けに来た」


「王命は?」


「ない」


 蒙恬(もうてん)の顔が強張った。


「……ない?」


「うん」


扶蘇(ふそ)様、それは」


「後で怒って」


 そこまで言ったところで、扶蘇(ふそ)蒙恬(もうてん)へ抱きついた。


 蒙恬(もうてん)は、一瞬だけ動けなかった。


 だが、すぐに腕を回した。


「生きててよかった」


 耳元でそう言われ、蒙恬(もうてん)は目を閉じた。


「それはこちらの台詞です」


 扶蘇(ふそ)の身体は少し震えていた。


 戦場へ来るまで押し込めていたものが、ようやく緩んだのだろう。


 蒙恬(もうてん)はそれ以上何も言わず、しばらくその背を抱いた。


 少し離れたところで、蒙凛(もうりん)が二人を見ていた。


 やがて口元がむっと曲がる。


「……お母さん」


 隣の王離(おうり)が振り向いた。


「どうしました?」


「別に」


「怒ってます?」


「怒ってない」


 王離(おうり)は抱き合っている二人を見た。


 それから蒙凛(もうりん)を見る。


 もう一度二人を見る。


「……あっ」


 蒙凛(もうりん)の目が細くなった。


「何」


「いえ、何でもないです」


「今、絶対何か分かったでしょ」


「何でもないですって」


 王離(おうり)は慌てて顔を逸らした。



 再会を喜んでいられる時間は短かった。


 項燕(こうえん)軍が迫っている。


 蒙恬(もうてん)はすぐに指揮へ戻り、自軍と王氏の三千をまとめて西へ向かわせた。昌平君(しょうへいくん)に従うことをやめた兵たちも多くが加わり、途中では李信(りしん)軍から離れてきた敗残兵を拾った。


 扶蘇(ふそ)はその列の中を馬で進みながら、初めて戦場の全体を見た。


 負傷して担がれる兵。


 武器を杖代わりに歩く兵。


 仲間の肩を借りなければ進めない者。


 自分たちは蒙恬(もうてん)を救った。


 だが、この戦そのものに勝ったわけではない。


 李信(りしん)軍は大敗した。


 多くの兵が死んだ。


 昌平君(しょうへいくん)は楚へ逃げた。


 そして項燕(こうえん)は、まだ生きた軍を率いている。


扶蘇(ふそ)様」


 隣へ来た蒙恬(もうてん)が声をかけた。


「何?」


「戻ったら、かなり怒られると思います」


「……誰に?」


 蒙恬(もうてん)は答えなかった。


 答える必要もなかった。


 扶蘇(ふそ)は前を向いたまま、小さく息を吐いた。


「まあ、そうだよな」


「王命なしで兵を動かしていますから」


「でも助けられた」


「はい」


 蒙恬(もうてん)は少しだけ笑った。


「ですから、怒られる時は私も一緒にいます」


 扶蘇(ふそ)は横を見る。


「一緒に怒られてくれる?」


「私を助けるために来たのでしょう」


「そうだけど」


「なら、一人で怒らせるわけにはいきません」


 扶蘇(ふそ)も少し笑った。


 やがて軍は、秦の支配がまだ崩れていない地域へ入った。


 そこまで来て、ようやく蒙恬(もうてん)は全軍を休ませた。


 帰れる。


 その実感が、少しずつ兵たちの間へ広がっていく。


 扶蘇(ふそ)は西の空を見た。


 この先には咸陽がある。


 (せい)がいる。


 自分は王命もなく兵を借り、三千を連れて戦場まで来た。


 その結果、蒙恬(もうてん)は生きている。


 それでも、したことの重さまで消えるわけではない。


 扶蘇(ふそ)は隣を歩く蒙恬(もうてん)を一度だけ見た。


 何を言われても、後悔はしない。


 そう思いながら、咸陽へ続く道を進んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。