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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第34話 背後

 街道の先に並ぶ秦旗を、蒙恬(もうてん)はしばらく黙って見ていた。


 歩兵が道を塞ぎ、その両側に騎兵。後ろには予備の隊まで置かれている。味方を迎える陣ではない。


「間違いありません。昌平君(しょうへいくん)様の軍です」


 隣の将が低く言った。


 兵たちの間には戸惑いが広がっていた。旗も鎧も同じ秦のものだ。楚兵なら迷わず槍を向けられるが、昨日まで味方だった相手となれば、そうはいかない。


「使者を出します」


 蒙恬(もうてん)はそう命じた。


 白布を掲げた騎馬が両軍の間へ進んでいく。向こうからも一騎出てきたが、言葉を交わす間もなく、昌平君(しょうへいくん)軍の陣から矢が飛んだ。


 使者の馬が倒れる。


 同時に、太鼓が鳴った。


「逆賊蒙恬(もうてん)を討て!」


 敵陣から声が上がる。


李信(りしん)将軍を見捨てたのは蒙恬だ! 救援を拒み、敗北させた!」


 蒙恬(もうてん)軍の列がざわめいた。


 隣の将が顔をしかめる。


「こちらを裏切り者にするつもりですか」


「そうでしょうね」


 蒙恬(もうてん)は前を見たまま答えた。


「全軍に伝えてください。旗ではなく、武器を見ろと。こちらへ刃を向ける者は敵です」


 ほどなく、昌平君(しょうへいくん)軍が動き始めた。



 戦い始めてすぐ、蒙恬(もうてん)は相手の厄介さを悟った。


 昌平君(しょうへいくん)は中央を厚く押すのではなく、左右を絶えず動かした。こちらが右翼へ兵を寄せれば左を突き、左へ回せば中央を押す。蒙恬(もうてん)軍に休む間を与えず、対応だけを強いてくる。


「右翼、追わないでください!」


 相手が下がるのを見て前へ出ようとした兵を止める。その直後、反対側から騎兵が回り込んできた。


「左翼、槍を外へ!」


 辛うじて受け止める。


 だが、その間に中央が押された。


「前列を下げて。二列目と入れ替えます」


 命令を飛ばしながら、蒙恬(もうてん)は相手の旗を追った。


 こちらの動きを知っている。


 秦軍の陣形も、号令も、予備の使い方も知っている。長く秦にいた昌平君(しょうへいくん)だからこそできる戦い方だった。


「嫌ですね」


 蒙恬(もうてん)が呟く。


「こちらの癖まで知っています」


 隣の将が答えた。


「ええ。それに、向こうは急ぐ必要がありません」


 問題はそこだった。


 昌平君(しょうへいくん)はここで勝ち切る必要がない。ただ止めていればいい。


 背後から項燕(こうえん)が来るまで。



 蒙恬(もうてん)は中央を少しだけ下げさせた。


「入らせます。左右から閉じてください」


 敵兵がじわじわと中央へ入ってくる。


 十分に引きつけてから両翼を動かしたが、昌平君(しょうへいくん)軍は深く踏み込まず、すぐに下がった。


「読まれました」


 将の声に、蒙恬(もうてん)は小さく息を吐いた。


 時間をかければ崩せるかもしれない。


 だが、その時間がない。


「左を破ります」


「中央ではなく?」


「中央は待っています。左へ兵を寄せて、相手の予備を動かします」


 歩兵を先に当てる。


 昌平君(しょうへいくん)軍の兵が左へ寄った。


「今です。中央を押して!」


 秦兵が一斉に前へ出る。


 一瞬だけ道が開いた。


 そこへ騎兵を入れようとしたが、横から矢が飛び、さらに後方から回った敵騎兵が穴を塞いだ。


 突破口は消えた。


 蒙恬(もうてん)は手綱を握り直した。


 また、最初からだ。



 遠くから戦況を見ていた昌平君(しょうへいくん)は、僅かに目を細めた。


 蒙恬(もうてん)はよく耐えている。


 若いが、判断が早い。普通の将なら、とうに焦って正面へ兵を叩きつけているだろう。


 昌平君(しょうへいくん)は、いつの間にか秦の戦場に若い名が増えたことを思った。


 王賁(おうほん)

 李信(りしん)

 蒙恬(もうてん)


 かつてなら、それを喜んだはずだった。


 自分も、中華統一を望んでいた。


 だから呂不韋(りょふい)についた。


 あの時、自分は秦を壊そうとしたつもりではない。(せい)よりも、呂不韋(りょふい)の方が国を安定させられると考えた。


 だが、謀反は失敗した。


 呂不韋(りょふい)は消え、嫪毐(ろうあい)も死んだ。


 自分だけが残った。


 処刑はされなかった。


 僅かな領地も与えられた。


 だが、赦されたとは思わなかった。


 軍権は戻らず、中枢からも遠ざけられた。今回の楚攻めでも、前線に立ったのは李信(りしん)蒙恬(もうてん)で、自分に与えられたのは兵站だった。


 その間にも、若い将たちは前へ進んでいく。


 自分が夢見た天下が近づくほど、その中から自分の名だけが消えていった。


 最初に兵糧を止めた時、迷いはなかった。


 昌平君(しょうへいくん)は密かに項燕(こうえん)へ使者を送り、李信(りしん)の進路と秦軍の補給路を知らせた。


 楚の血に呼ばれたわけではない。


 秦に、自分の居場所がなくなっただけだった。


「左翼を前へ。中央は押しすぎないように」


 昌平君(しょうへいくん)が命じる。


「蒙恬は突破を急いでいる。逃げようとしたところだけ塞げばいい」


 今は、蒙恬(もうてん)をここに縫い止めれば十分だった。


 項燕(こうえん)が来れば終わる。


 そして、もし蒙恬(もうてん)まで討てれば、楚へ渡るにはこれ以上ない手土産になる。



 戦いが長引くにつれ、蒙恬(もうてん)軍の余裕は消えていった。


「左がまた押されています!」


「予備を回してください!」


「残りは半分です!」


「それでも回します!」


 そこへ後方から伝令が駆け込んできた。


「将軍! 西へ出した斥候から報告です! 大軍が移動していると思われる土煙を確認しました!」


 周囲の空気が変わった。


「数は?」


「まだ分かりません。ただ、こちらへ近づいております!」


 蒙恬(もうてん)は黙った。


 項燕(こうえん)だろう。


 そうでなくても、確認している余裕はない。


「どれくらいで来ますか」


「速ければ今日中にも」


 蒙恬(もうてん)はすぐに顔を上げた。


「左へ全力を集めます」


「予備もですか」


「全部です」


「失敗すれば立て直せません」


「ここに残れば、立て直す機会そのものがなくなります」


 太鼓が鳴った。


 秦兵が左へ集まり始める。


 昌平君(しょうへいくん)軍もすぐに対応し、槍列を厚くした。


「突っ込みます!」


 両軍がぶつかる。


 同じ秦の鎧を着た兵同士が、同じ言葉で叫びながら槍を突き合った。


「蒙恬は逆賊だ!」


「李信将軍を見殺しにした!」


 敵陣から声が飛ぶ。


 こちらの兵の一人が一瞬だけ動きを止め、その胸へ槍が入った。


「聞かないで!」


 蒙恬(もうてん)が叫ぶ。


「前だけを見てください! ここを抜けます!」


 兵たちが押す。


 少しずつ敵の列が下がる。


「騎兵、そこへ!」


 開いた隙間へ騎兵が走る。


 だが、その先へ昌平君(しょうへいくん)軍の後列が入り込み、また道を塞いだ。


 蒙恬(もうてん)は奥歯を噛んだ。


 間に合わない。


 このままでは、項燕(こうえん)が来る。


 自分が死ぬことより、兵をここで失う方が怖かった。


 その時、一瞬だけ扶蘇(ふそ)の顔が浮かんだ。


 帰らなければならない。


 それだけを思った。



 昌平君(しょうへいくん)は、蒙恬(もうてん)軍の動きが次第に大きくなっているのを見ていた。


 焦っている。


 予備まで使い始めた。


 あと少し止めればいい。


「中央も前へ出してください。左へ兵を寄せた分、薄くなっています」


 将が合図を送ろうとした。


 その時、後方からときの声が聞こえた。


 昌平君(しょうへいくん)が振り返る。


 自軍の後列が乱れていた。


「何が起きています?」


 返事はすぐには来なかった。


 遠くで旗が一本倒れた。


 続いて、馬を飛ばしてきた伝令が叫ぶ。


「後方から攻撃を受けています!」


「誰です?」


「分かりません!」


項燕(こうえん)では?」


「違います! こちらを攻めています!」


 昌平君(しょうへいくん)の表情が変わった。


 蒙恬(もうてん)は前にいる。


 李信(りしん)は敗走した。


 項燕(こうえん)は味方だ。


 ならば、後ろから来る者などいるはずがない。


 だが、自軍の後列は確かに崩れていた。


 また一つ旗が倒れ、その向こうから新たなときの声が近づいてくる。


 昌平君(しょうへいくん)蒙恬(もうてん)の背後を塞いだ戦場で、今度はその昌平君(しょうへいくん)自身の背後が破られ始めていた。 

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