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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第2章 秦の栄光と崩壊編

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第26話 方士

 巡幸じゅんこうからもどった始皇帝しこうていのもとへ、天下中から奇怪きかいな者たちが集まり始めた。


 方士ほうしである。


 不老不死ふろうふし仙人せんにん仙薬せんやく。人のことわりを超えた術を操るとしょうする者たち。皇帝がそれを求めていると知るや、彼らは甘言かんげんを携えて咸陽かんようへ押し寄せた。


 常の母であれば、一顧いっこだにしなかったはずだ。六国を呑み込んだ、あの怜悧れいりな女である。まじないの類を、鼻でわらう人であった。


 その母が今、片端から謁見えっけんを許している。胡散臭うさんくさい山師も、腰の曲がった占い師も。仙薬せんやくの二字を口にする者は、誰であろうと宮へ通した。


 俺は末席から、それを見ていた。



 その中に、際立った女がいた。


 徐福じょふくである。


 せいの地の出という徐福じょふくは、他の方士とは違った。怪しげな老人でも、饒舌じょうぜつな山師でもない。若く、身なりの整った女であった。言葉は理路整然とし、天文にも地理にも航海術にも通じている。並の学者では及ばぬ知識を、よどみなく並べてみせた。


 謁見の間。徐福じょふく玉座ぎょくざの前に進み出ると、朗らかに奏上そうじょうした。


「皇帝陛下。東の海の彼方かなたに、三つの神山がございます。蓬萊ほうらい方丈ほうじょう瀛洲えいしゅう。……仙人の住まう、不老不死の島々にございます」


「不老不死の、島だと」


 母の声が、わずかに前へ出た。


「は。その島々には仙薬が自生しております。これを得れば、陛下は永遠の生を手にすることが叶いましょう。……この徐福じょふくにお命じくださいませ。東の海を渡り、必ずや持ち帰ってご覧に入れます」


 母の顔に、抑えきれぬものが滲んだ。


 俺はそでの中で、こぶしを握った。



 嘘だ。


 東の海に、不老不死の島などない。徐福じょふくは帰ってこない。財と人だけが海の彼方へ消えて、母の手には何も残らない。


 だが、それをどう言えばよい。


 史書ししょで読んだから、とは言えぬ。俺の口から出せるのは、公子こうしとしての理屈だけだ。


 賢く在ろうとするなら、黙るべきであった。皇帝が焦がれているものに、群臣の前で水を差す。角が立つどころの話ではない。……これまで幾度も、余計な一言で身を危うくしてきた。


 だが。


 母が壊れていくのを、黙って見ているのか。


「――おそれながら、陛下」


 俺は、前へ出た。



 広間の空気が、ぴたりと止まった。


「その三つの神山を、これまでに見た者がおりましょうか」


 徐福じょふくが、静かに俺を見た。


「古の書に、記されております」


「書にはある。だが、渡って戻った者はおらぬ。……島があるかどうかを、確かめた者が、一人もおらぬということです」


「公子さま」


 徐福じょふくは、慌てず微笑ほほえんだ。


「戻った者がおらぬのは、島がないからではございませぬ。……仙境せんきょうのあまりの美しさに、皆、帰ることを忘れるのでございます。それほどの楽土らくどが、東の海にはあるのです」


 舌の回る女であった。ないものを、あるかのように語らせれば、この女の右に出る者はおるまい。


「では、こう申し上げましょう」


 俺は引かなかった。


「その楽土が真にあるなら、なぜ陛下が、わざわざ財と人を投じて船を出さねばなりませぬ。……仙人が不老不死を分け与えたいと望むなら、向こうから中華へ、薬を携えて参るはず。来ぬのは――そもそも、おらぬからではございませぬか」


 徐福じょふくの笑みが、わずかに強張こわばった。


 俺は母を見上げた。


「陛下。この事業には、莫大ばくだいな財と、幾千の人が要りましょう。船を仕立て、かてを積み、若い男女を乗せて海へ出す。……六国を平らげたばかりの天下に、その負担を強いるのは」


扶蘇ふそ


 母の声が、俺をさえぎった。


 冷たい声であった。


「お前は」


 そこで、母は言葉を切った。


 ……ほんの一瞬。何かを言いかけて、飲み込んだように見えた。


「――お前は、私に死ねと申すか」


 俺は、答えられなかった。


 違う。そうではない。そう言おうとして、言葉が出てこなかった。母の目に浮かんでいたのは、怒りではなかった。もっと切羽せっぱ詰まった、追い詰められた者の色であった。


 ……なぜ、そこまで。


 母上には、天下がある。功も、名も、これ以上ないほど手にしている。それでもなお、死ねぬ理由が、どこにある。


 問いは胸に留まったまま、形にならなかった。


徐福じょふく。船を仕立てよ」


 母は俺から目をらし、玉座ぎょくざから告げた。


「要る物は、何なりと申せ。国庫こっこを開く」


「……ははっ」


 徐福じょふくが、深々と頭を垂れた。



 丞相じょうしょう李斯りしが、進み出た。


「陛下の御事業、この李斯りし、万事整えまする」


 異を唱えるどころか、算段を買って出た。……この丞相は、皇帝の望むものを最も速く形にする男である。是非ぜひを問わぬ。それが李斯りしの忠であった。


 その傍らで、もう一人。


 趙高ちょうこうが、目を伏せたまま、筆を止めていた。


 ――公子こうしが、陛下の御望みに、公然と逆らった。


 趙高ちょうこうは、それだけを胸に刻んだ。今すぐ使えるふだではない。だが、いつか必ず使える。


 あの公子は、陛下の御世そのものを否とする。……そう仕立てられる日が、いずれ来る。


 筆が、また静かに動き始めた。



 徐福じょふく船団せんだんは、その年のうちに東へ発った。


 大船数十。積み込まれた財貨。そして、童男童女どうなんどうじょ三千人。……島に住まうという仙人への、ささげ物であるという。


 港には、見送りの民が並んだ。海へ送り出される我が子の名を呼ぶ声が、いつまでも岸に残った。


 船は水平線すいへいせんの向こうへ消え、そして――二度と、中華へ戻らなかった。



 母は待った。


 一年。二年。使者を出し、報せを求め、なおも待った。……そして待ちながら、次の方士を、また宮へ通した。


 俺の胸を重くしたのは、ついえた財ではなかった。


 あの氷のように怜悧れいりだった人が。老女をわらい一つで処刑し、六国を呑み込み、天下を統べた、あの母が。


 いま、海の向こうの仙人などという法螺話ほらばなしに、己の理性をじ伏せてすがっている。


 人の極みを成し遂げた者が、次に突き当たったのは、どうやっても越えられぬ壁であった。その壁の前で、最強の女帝が、少しずつ形を失っていく。


(……何が、母上を、そこまで急かしている)


 答えは出なかった。


 だが、一つだけ、分かったことがある。


 隴西ろうせいで「死ななければよい」と口にした時、母はまだ、思いつきを語る顔をしていた。だが今の母は違う。仙薬を疑う者を、遮り、睨む。……あの思いつきは、もう母の中で、疑ってはならぬ信仰に変わっていた。


 止められる段は、過ぎたのだ。


 皇帝のかわきは、これで終わらぬ。次はあなを掘るのか、毒をあおるのか。……俺には見えぬまま、母は越えられぬ壁へ、また一歩近づいていく。


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