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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第24話 天下

 田儋でんたんが去り、せいあらがう者はいなくなった。


 せい王・けん密約みつやくの通り、戦わずして城門を開いた。四十余年、戦火せんかを避け続けた東の大国は、一兵も交えることなく秦に下った。


 かんちょうえん、斉。


 戦国の世をいろどった六つの国が、すべて地図から消えた。



 咸陽かんよう


 斉降伏の報せが届いた時、宮は割れんばかりの歓喜にいた。


 天下統一。


 春秋戦国、五百年にわたる乱世に、ついに終止符しゅうしふが打たれたのだ。数えきれぬ人が死に、数えきれぬ国が興り滅んだ、長い長い戦いの時代。その全てが今、一つの王の下に統べられた。


 群臣ぐんしん拝賀はいがし、楽が奏でられ、宮は祝賀しゅくがの渦に包まれた。


 だが俺の心は、その歓喜の中で静かに沈んでいた。



 俺は一人、宮の高楼こうろうに上った。


 眼下がんかには統一を祝う咸陽かんようの街が広がっている。人々は喜び、酒を酌み交わし、平和の訪れを寿ことほいでいた。


 だが俺の脳裏のうりを過ぎるのは、祝いの光景ではなかった。


 死んでいった者たちの顔だった。


 ――李牧りぼく


 軍神と呼ばれ、王翦おうせんすら恐れさせた女。司馬尚しばしょうと生きることを願いながら、俺の策で失脚し、辱めを受けて死んだ。邯鄲かんたんの夜、俺が蒙恬もうてんとともにめた、あの変わり果てた亡骸なきがら


 ――大梁だいりょうの民。


 水攻めで沈んだ都。舟で救った者もいた。だが救えず、水に呑まれて死んだ者も大勢いた。泥の中で俺に頭を下げた、あの人々の傍らに、数えきれぬしかばねがあった。


 ――荊軻けいか


 俺が初めて斬った人。その命のぬくもりを、俺の手は今も覚えている。


 ――項燕こうえん昌平君しょうへいくん


 じゅんじた、誇り高き将と公女。「秦には惜しい公子がいた」と言い残した、あの女。


 ――田儋でんたん


 王に見放され、それでも意地のために独り戦った男。


 そして、名も知らぬ数えきれぬ兵たち。易水えきすいで血の川に沈んだ者。楚で敗れて散った者。秦の兵も、六国の兵も。数えきれぬ命がこの統一のいしずえとなって、土に還っていった。


(この天下は……しかばねの上に築かれている)


 俺は欄干らんかんを握りしめた。


 平和が訪れた。戦乱は終わった。それは尊いことだ。だが、この平和の下には数えきれぬ死が埋もれている。俺が斬った命。俺の策が奪った命。守れなかった命。


 軍神・李牧りぼくの骨の前で、俺は誓った。守りたいものを守れる男に。だが天下統一までの道のりで、俺はどれほど多くを守れなかっただろう。


 喜べはしなかった。忘れてはならないと思った。この歓喜の裏に、数えきれぬ涙があったことを。



「こんな所にいたのか、扶蘇ふそ


 声に振り返ると、せいが立っていた。


 天下を獲った女。だが、その顔に勝利のおごりはなかった。むしろ、どこか静かなかげりがあった。


「母上。祝いの席を離れて、よろしいのですか」


「少し、疲れた」


 せいは俺の隣に立ち、眼下の街を見やった。


「何を考えていた、扶蘇ふそ


「……死んでいった者たちのことを」


 俺は正直に答えた。


「この天下は、数えきれぬ死の上に築かれています。敵も味方も。俺が斬った者も、俺の策が奪った者も。……喜んで良いのか、分からなくなりました」


 せいはしばし黙っていた。


 そして、静かに言った。


「お前は優しいな。……昔、私が『その優しさは王のうつわではない』と言ったことを、覚えているか」


「邯鄲で、老女を……はい」


「あの言葉を、少し訂正せねばならぬかもしれぬ」


 せいは遠くを見つめた。


「死んだ者を忘れぬこと。奪った命の重さを背負うこと。それは弱さではないのかもしれぬ。……私には、できなかったことだ」


 王の声であった。


「私は忘れることで強くなった。忘れねば、六国は斬れなんだ。……お前は、覚えていることで強くなるのかもしれぬ」


 それから、せいは少し口をつぐんだ。


 やがて、その声の調子が変わった。


「……乳が、出なんだな。お前が生まれた時」


 唐突であった。俺は母を見上げた。


蒙恬もうてんに、お前を預けた。あれは良い乳母うばだった。……私は戦とまつりごとに追われて、お前を抱いた日を、数えるほどしか覚えておらぬ」


「母上……」


びているのではない。王とは、そういうものだ」


 せいは、ふ、と息を吐いた。


「ただ、今日くらいは。……母のような口も、きいてみたくなった」


 それは、この氷の女帝の口から、初めて聞く類の言葉であった。



 その時。


 せいが、俺の顔を見た。


 ……見た、というより。覗き込む、という方が近かった。


 俺の目元。鼻の形。唇。……まるで、そこに誰かの面影おもかげを探すように。母の視線が、俺の顔の上を、ゆっくりと辿たどっていく。


「……母上?」


 背筋に、かすかな寒気が走った。


 母の目が、俺を見ていない気がした。俺を通して、その向こうにいる誰かを、見ているような。……その眼差しには、いつくしみとも恐れともつかぬ、名づけられぬ色が混じっていた。


「……お前は、誰に似たのだろうな」


 せいが、ぽつりと言った。


「……母上に、似ておりましょう」


 俺は、そう答えた。


 せいは、答えなかった。ただ、ふいに視線を外し、眼下の街へ戻した。


「……そうだな。そうであればよい」


 それきり、母はその話をしなかった。



 俺は、その横顔を見ていた。


 ――今の、違和感は。


 母は確かに、俺の顔に、何かを探していた。そして、探し当てたくないものを、探し当ててしまったような顔をした。


 それが何なのか、俺には分からなかった。


 俺の中の記憶を、いくら探っても、答えは出ない。母が何を恐れ、何を確かめようとしたのか。……その正体は掴めぬまま、胸の底に小さなとげのように残った。


 氷の女帝。老女をわらい一つで処刑し、旧友に裏切られてえんを滅ぼした女。その母が今、天下の頂で、静かに翳りを帯びている。


 天下を獲るとは、こういうことなのかもしれない。喜びよりも、背負せおうものの重さの方が大きい。


 ……そう、思うことにした。



 だが俺は、知っていた。


 この統一は終わりではない。始まりなのだ。


 母はやがて始皇帝しこうていを名乗る。中華に君臨する、最初の皇帝こうていとして。だが史実では、その治世は長く続かない。始皇帝しこうていの死の後、秦は瞬く間に崩れ去る。


 趙高ちょうこう陰謀いんぼう胡亥こがい暗愚あんぐ。各地で燃え上がる反乱。そして史実では、俺自身が謀られて死ぬのだ。沙丘さきゅうで偽りのみことのりにより、自ら命を絶つよう命じられて。


 俺の傍らには、李信りしんくらい悪意がある。楚戦以来、俺を憎み蒙恬もうてんうとむ、あの男。宮の奥には、趙高が温める竹簡ちくかんがある。俺の出生の秘密へと繋がる、あの時限爆弾が。そして、母の命には限りがある。


 平和の裏で、滅びの種は既に、静かに芽を吹き始めている。


 だが俺には、守りたい者がいる。


 蒙恬もうてんりん王賁おうほん王離おうり。……そして、この翳りを帯びた母すらも。あの母を、史実のような孤独な死なせ方はしたくない。


 守りたい者を守り抜く。そのためには、生き延びねばならぬ。


 史実では俺は死ぬ。だが、この世界は史実とは違う。男が貴重な、女だらけの秦。ならば俺にも、生き延びる道があるはずだ。


 欄干を握る手に、力が籠もった。



 眼下では、統一を祝う人々の歓声が夜空に響いていた。


 五百年の乱世が終わった。


 だが俺の戦いは、むしろこれから始まる。


 天下統一の夜。俺は一人、来たるべき嵐を見据えて、静かにこぶしを握りしめた。


 守りたいものを、守り抜くために。


 ――第一章 了


第1章を読んで頂きありがとうございました。第2章では陰謀渦巻く秦末期へと突入していきます。よろしければブクマして頂くとありがたいです。

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