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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第6章 定まらぬ天下

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第180話 新たな王

 寿春(じゅしゅん)へ続く街道では、翌日も漢と楚の先鋒がぶつかった。


 曹参(そうしん)と鍾離眜(しょうりばつ)は中央の歩兵を入れ替えながら押し合い、両翼では灌嬰(かんえい)と龍且(りゅうしょ)が騎兵を率いて激突する。初日と同じく真正面からの戦いとなり、どちらかが押しても、そのまま戦列を破るところまでは届かなかった。


 劉邦(りゅうほう)の本隊も次第に前線へ近づいていた。


 ここまで来れば、南東から韓信(かんしん)が動くはずだった。九江軍が東へ進めば、楚は寿春(じゅしゅん)だけを見ていることができなくなる。


 ところが、三日経っても九江軍が動いたという報告はなかった。


「まだ出てねえのか?」


 劉邦(りゅうほう)は地図から顔を上げた。


「はい。六(りく)周辺に軍を留めたままとのことです」


 使者の答えに、劉邦(りゅうほう)の眉間へ皺が寄る。


「何やってんだ、あいつは」


 隣にいた張良(ちょうりょう)も、九江の位置へ目を落とした。


 楚へ兵を向けることを勧めたのは、他ならぬ韓信(かんしん)である。それにもかかわらず、自分だけが軍を止めている理由は見えなかった。


「兵站に問題があるのでしょうか」


「そんな報告は来てねえ。そもそも戦えるって言ったのはあいつだぞ」


 劉邦(りゅうほう)は苛立ちを隠さず、すぐに進軍を促す書状を書かせた。


 命令は明確だった。


 九江軍は予定通り東進し、会稽(かいけい)方面へ進め。


◆


 その書状が六(りく)へ届いた時、韓信(かんしん)は軍を動かす準備すら始めていなかった。


「催促が来たぞ」


 書状を読み終え、韓信(かんしん)は向かいにいる蒯通(かいとう)へ放った。


「当然でしょう」


「戦えと言ったのは俺だからな」


「だからこそ、漢王はあなたがすぐに動くと思っております」


 蒯通(かいとう)は書状を拾い、内容を確認した。


「ですが、今動いてはいけません」


「理由は?」


「漢王が、あなたなしでは困るところまで待つためです」


 前線ではすでに激戦が続いている。


 曹参(そうしん)と灌嬰(かんえい)だけでは楚軍を押し切れず、項羽(こうう)本人もまだ動いていない。漢にとって、九江軍が東へ出ることの意味は日に日に大きくなっていた。


「困らせてから値を吊り上げろってことか」


「その通りです」


 蒯通(かいとう)は悪びれなかった。


「大将軍として命令に従って東へ進めば、勝っても得るのは漢王です。あなたは功績を挙げても、次の命令を待つ身に変わりありません」


 韓信(かんしん)は黙って書状を見た。


「九江王になれば違います。この地の兵も税も、あなた自身のものになる。漢王と肩を並べるとまでは申しませんが、少なくとも一将軍ではなくなります」


「まだ王位を寄越せと言うのか」


「今こそ言うべきです」


 蒯通(かいとう)は地図の九江を指した。


「漢王はあなたの兵を必要としている。必要としている時に求めなければ、戦が終わってから王位など与えるはずがありません」


 理屈は通っていた。


 それでも、韓信(かんしん)はすぐには頷かなかった。


 劉邦(りゅうほう)への恩義が消えたわけではない。何者でもなかった自分を大将軍まで引き上げたことは、どれほど不満があろうと事実だった。


「俺が王になったら、漢王を裏切ったことになると思うか?」


「王になっただけでは裏切りではありません。漢王のために楚と戦うのですから」


 蒯通(かいとう)はさらりと答えた。


「ただ、自分の国を持つだけです」


「言い方だけは綺麗だな」


「乱世では言い方も大切ですよ」


 韓信(かんしん)は鼻を鳴らした。


 しばらく考えたあと、筆を取る。


「九江王に封じろ。それなら東へ出る」


「よろしいかと」


「随分嬉しそうだな」


「あなたがようやく、自分のために一歩進まれるのですから」


 韓信(かんしん)は返事をせず、書状を書き続けた。


◆


 漢軍が動かない九江を警戒していたのは、劉邦(りゅうほう)だけではなかった。


 彭城(ほうじょう)の項羽(こうう)にも、同じ報告が届いている。


「九江軍はまだ動かないのか」


「はい」


 鍾離眜(しょうりばつ)から送られてきた報告を読み、項羽(こうう)は地図の前で腕を組んだ。


 漢は西から押している。


 それなら韓信(かんしん)が東へ出て楚を広く揺さぶるのが自然だった。ところが数日経っても、九江軍は六(りく)からほとんど離れていない。


「誘っているのでは?」


 虞(ぐ)が尋ねた。


「その可能性はある」


 項羽(こうう)は否定しなかった。


「だが、劉邦(りゅうほう)が正面で兵を削っているのに、韓信(かんしん)だけがいつまでも待つ理由がない」


 罠なら、そろそろ動かなければ意味が薄れる。


 それでも動かないとなれば、別の理由を考えるべきだった。


「仲違いでしょうか」


「まだ分からん」


 項羽(こうう)は即断しなかった。


「だが、九江が動くまで俺も出ない。鍾離眜(しょうりばつ)と龍且(りゅうしょ)には今の位置を保たせろ」


 漢の前線を止めるだけなら、今の二人で足りている。


 項羽(こうう)は、動くべき瞬間を待つことにした。


◆


 同じ頃、北では一人の使者が燕へ入っていた。


 使者が持っていたのは、陳平(ちんぺい)から臧荼(ぞうと)へ宛てた密書だった。


 内容は長くない。


 秦王は趙を残し、燕も残した。


 だが、それがいつまで続くと思うのか。


 かつて匈奴と結び、秦へ刃を向けた王を、扶蘇(ふそ)が永遠に信用すると考えているのか。漢へつくのであれば、燕王としての地位を認める。


 臧荼(ぞうと)は書状を二度読んだ。


 すぐには返事を書かない。


 だが、火へ投げ入れることもしなかった。


◆


 数日後、韓信(かんしん)からの返書が劉邦(りゅうほう)のもとへ届いた。


 劉邦(りゅうほう)は前線近くの陣で封を切り、数行読んだところで動きを止めた。


「……は?」


 張良(ちょうりょう)が顔を上げる。


「何が書かれているのです?」


 劉邦(りゅうほう)は答えず、最後まで読んだ。


 そして書状を卓へ叩きつけた。


「ふざけやがって!」


 周囲の者が一斉に振り向いた。


「大将軍にしてやった俺に、今度は王位を寄越せだと?」


 張良(ちょうりょう)は卓上の書状を取った。


 そこには、九江を安定させ、東方攻略を確実にするため、自らを九江王へ封じてほしいと記されていた。王として九江を治めることが認められれば、すぐに東進するともある。


 張良(ちょうりょう)は読み終えても、しばらく何も言えなかった。


 韓信(かんしん)が楚攻めに賛成した理由。


 その一端が、ようやく見えた。


「俺が戦ってる間に、あいつは自分の国を作る気だったのか!」


 劉邦(りゅうほう)の怒声が陣幕の中へ響いた。


「王になりてえなら、最初からそう言え!」


 張良(ちょうりょう)は書状へ目を落としたまま、眉を寄せた。


 自分は漢と楚を争わせようとした。


 だが、盤上にいたのは漢と楚だけではなかった。


 韓信(かんしん)もまた、自分のために動き始めていた。

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