↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第6章 定まらぬ天下

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

170/182

第169話 新鄭

 漢軍が韓へ侵入してから、各地の城が落ちるまでに長い時間はかからなかった。


 韓王成(せい)が動員できる兵は、およそ三万。それに対して漢軍は七万を擁し、灌嬰(かんえい)の騎兵が先行して街道や渡河点を押さえ、その後ろから曹参(そうしん)の歩兵が城を受け取るように進んでいた。


 これだけの兵力差がある以上、国境から一城ずつ守っていては、新鄭(しんてい)へ敵が到達する頃には兵が残らない。


 韓へ戻った張良(ちょうりょう)は各地の守将へ使者を送り、持ち堪えられない城は捨て、兵と運べるだけの兵糧を持って王都へ退くよう命じた。


「城を守るために兵を失ってはなりません。漢軍と野で戦う必要もない。新鄭(しんてい)まで戻ってください」


 その命令によって、漢軍が奪った城の数に比べれば、韓軍の損失は少なかった。


 灌嬰(かんえい)も退いていく韓兵を無理には追わない。騎兵に小城の攻略をさせるより、先へ進んで道を押さえることを優先し、抵抗の残る場所は後続の曹参(そうしん)へ任せた。


「追わなくていいよ。あたしたちは韓兵の首を集めに来たんじゃない。新鄭(しんてい)までの道を開ければ、それで十分だからね」


 曹参(そうしん)も、守備兵の少ない城へ兵を無駄にぶつけることはせず、降伏を促しながら着実に前進した。


 韓の旗を降ろす城は日ごとに増えていったが、そのたびに漢軍が目にしたのは空になった兵舎と、持ち出された兵糧庫だった。


 張良(ちょうりょう)は土地を差し出す代わりに、兵を新鄭(しんてい)へ集めていた。


◆


 漢軍七万が王都へ到達した頃には、新鄭(しんてい)の守備兵は三万近くまで増えていた。


 城門は補強され、各地から持ち込まれた矢や弩、兵糧も城内へ集められている。領土の多くを奪われたにもかかわらず、韓軍の主力そのものはほとんど失われていなかった。


 城壁の上から広がる漢軍の陣を眺め、成(せい)は表情を曇らせた。


「本当に七万もいるのですね」


「はい。ただし、七万すべてが同時に城壁を攻められるわけではありません」


 張良(ちょうりょう)は漢軍の配置を追いながら答えた。


「外へ出て戦えば数で押し潰されますが、こちらには城壁があります。敵が攻めてくる場所を見極め、必要な兵だけを動かせば、まだ守れます」


「秦からは?」


「返事はまだ届いておりません。ただ、使者が咸陽(かんよう)へ着いている頃でしょう」


 成(せい)はしばらく黙って城外を見た。


「それまで持ちますか」


「持たせるために、ここへ三万を集めました」


 その日の午後、曹参(そうしん)が最初の攻撃を始めた。


 弓兵と弩兵が城壁を射て、盾を並べた歩兵の間から梯子を運ぶ兵が進んでくる。韓兵の矢で倒れる者が出ても隊列は止まらず、やがて何本もの梯子が南壁へ掛けられた。


「予備兵を出しますか?」


 守将に問われても、張良(ちょうりょう)は首を振った。


「まだです。城壁へ上がってくる兵を、今いる者だけで落としてください」


「ですが、突破されたら」


「梯子一本から上がれる人数は限られています。敵が兵を増やしたからといって、こちらまで同じだけ増やす必要はありません」


 最初の漢兵が城壁へ手を掛けたところで、韓兵の槍が左右から突き出された。


 先頭の兵が落ちれば、狭い梯子の上で後続も巻き込まれる。別の場所で登り切った者もいたが、数人ずつでは城壁上に足場を作れず、すぐに押し返された。


 曹参(そうしん)は何度か攻める場所を変えたものの、夕刻になると兵を退かせた。


「外の城をあっさり捨てた理由が分かったね」


 陣へ戻った曹参(そうしん)が城壁を振り返ると、隣にいた灌嬰(かんえい)も頷いた。


「最初から全部ここへ集めるつもりだったんだろうね。逃げてたんじゃなくて、こっちに取らせる城を決めてたってことか」


「明日は西も叩いてみるよ。北は任せてもいい?」


「いいよ。ただし、城壁へ馬で登れなんて言わないでよ」


「言わないよ」


 翌日、曹参(そうしん)は南壁への攻撃を続けながら、西側にも歩兵を回した。北門の外には灌嬰(かんえい)の騎兵が現れ、守備兵を三方向へ振り分けさせようとする。


 それでも張良(ちょうりょう)は、城内中央に置いた予備五千を動かさなかった。


「西の敵が増えています」


「南にも新手が出ました」


 相次ぐ報告を聞きながら、張良(ちょうりょう)が見ていたのは城壁の上ではなく、遠くに立つ曹参(そうしん)の旗だった。


 やがて漢軍本陣から一隊が動き、南へ兵が厚くなる。


「南へ二千。残り三千は北門へ回してください」


 間もなく、北側でも灌嬰(かんえい)の騎兵が動いた。


「門を開けます」


 守将が驚いて振り返る。


「打って出るのですか?」


「弩兵だけを出してください。騎兵が射程へ入ったら射ち、離れたらすぐ城内へ戻る。追撃は不要です」


 門が開くと同時に韓兵が弩を構え、迫っていた騎兵へ矢を放った。


 灌嬰(かんえい)はすぐに馬首を返し、射程の外まで下がる。


 韓兵は追わなかった。


 数射しただけで門の内側へ戻り、重い扉が再び閉ざされる。


「やっぱり出てこないか」


 灌嬰(かんえい)は追撃の機会が消えた門を見ながら、苦い顔をした。


「こういうところ、昔から抜け目がないんだよね、張良(ちょうりょう)は」


 攻城が始まって数日が経っても、新鄭(しんてい)は落ちなかった。


 曹参(そうしん)も兵力差だけを頼みに死傷者を積み上げるつもりはなく、灌嬰(かんえい)も城外へ誘い出せない韓兵を相手に騎兵を浪費しなかった。その慎重さを逆に利用し、張良(ちょうりょう)は最小限の兵だけを動かして城壁を守り続けた。


 韓軍に漢軍七万を打ち破る必要はなかった。


 新鄭(しんてい)さえ落ちなければよかった。


◆


 韓王成(せい)からの救援要請が咸陽(かんよう)へ届いた時、漢軍がすでに新鄭(しんてい)を包囲しているという報告も入ってきていた。


 俺は書状を読み終えると、地図の上で新鄭(しんてい)と関中の間を指でなぞった。


「五万を出す。韓へ行く」


 蒙恬(もうてん)が静かに頷いた。


「張良(ちょうりょう)殿が三万をまとめておられるのであれば、まだ時間はございます。ただ、漢軍も秦の救援を予想しているでしょう。急いだ方がよろしいかと存じます」


「ああ。俺と蒙恬(もうてん)、それから酈商(れきしょう)で出る」


 漢軍の主力が韓へ出た以上、南西から関中へ大軍が侵入してくる危険は以前より小さい。そこで、長く漢中方面からの桟道を守ってきた酈商(れきしょう)を呼び戻し、副将と守備兵を現地へ残すことにした。


 呼ばれた酈商(れきしょう)は、地図を見るなり笑った。


「相手に灌嬰(かんえい)がいるんですね」


「前に桟道で止めた相手だ。今度は城を攻める側にいる」


「なら、顔くらい見ておきたいですね。あの時は山道から追い返すだけで終わりましたから」


 蒙恬(もうてん)が横から釘を刺す。


「今回は追い返すことだけが目的ではありません。敵を見つけたからといって、勝手に突撃してはいけませんよ」


「分かっています。私だって、いつまでも昔のままじゃありませんよ」


 そう答える酈商(れきしょう)を見ながら、少なくとも本人にはその自信があるらしい、とだけ思っておくことにした。


「私も行くわ」


 軍議が終わりかけたところで、蒙凛(もうりん)が口を挟んだ。


「今回は残ってくれ」


「どうして? もう身体は戻ってるし、弓だって前と同じように引けるわよ」


「それは分かってる。でも俺と蒙恬(もうてん)が五万を連れて出るなら、咸陽(かんよう)にも信頼できる人間を残しておきたい」


 蒙凛(もうりん)は納得しないまま、隣にいる母へ視線を向けた。


「だったら、蘭(らん)はおばあちゃんに任せて、私が行けばいいじゃない」


 その瞬間、蒙恬(もうてん)の顔が変わった。


「蒙凛(もうりん)」


「な、何よ」


「今、何と仰いましたか?」


「だから、蘭(らん)はおばあちゃんに」


「そこではありません!」


 珍しく声を荒らげた蒙恬(もうてん)に、蒙凛(もうりん)が目を瞬かせた。


「ではどこなのよ」


「全部です。まず私は扶蘇(ふそ)様と出陣いたします。それ以前に、あなたは母親でしょう。自分が戦へ行きたいからと、娘を母親へ放り投げるようなことを平然と言わないでください」


「放り投げるなんて言ってないでしょう。母上なら安心して任せられるって」


「そういう問題ではありません。それから、おばあちゃんという呼び方もやめなさい」


「本当におばあちゃんじゃない」


「蒙凛(もうりん)!」


 酈商(れきしょう)が吹き出しかけて慌てて横を向いた。


 俺も口を挟む頃合いを探していたが、蒙恬(もうてん)がここまで娘へ怒るのは珍しい。しかも最後の一言については、本人も論点が少しずれている自覚があるらしく、頬が僅かに赤くなっていた。


「まあ、その話は置いておくとして」


「置いておかないでくださいませ、扶蘇(ふそ)様」


「そこを拾うと長くなるから置いておく」


 俺は蒙凛(もうりん)を見る。


「お前が戦えることは疑ってない。ただ今回は、咸陽(かんよう)に残ってほしい。蘭(らん)のことだけじゃなく、兵糧や増援を東へ送る役目もある。関中の中心で判断できる人間が必要なんだ」


 蒙凛(もうりん)は少し不満そうに唇を尖らせた。


「私だって、いつまでも子守だけしてるつもりはないのよ」


「分かってる。だから今回は、と言ってる」


「次は?」


「状況次第では連れていく」


「本当?」


「ああ」


 そこでようやく蒙凛(もうりん)は折れた。


「分かったわ。今回は残る。でも、帰ってきたらちゃんと蘭(らん)の面倒を見てよ。最近、あなたを見るとすぐ手を伸ばすんだから」


「もちろんだ」


 蒙恬(もうてん)もようやく表情を緩めたが、蒙凛(もうりん)へ向けて最後に一言だけ付け加えた。


「それと、おばあちゃんではなく母上と呼びなさい」


「蘭(らん)から見れば、おばあちゃんでしょう?」


「あなたという娘は……」


 今度こそ酈商(れきしょう)が堪えきれず、顔を背けた。


◆


 同じ頃、閼与(あつよ)にも咸陽(かんよう)から急使が到着していた。


 書状を読んだ王賁(おうほん)は、周辺に駐屯する秦軍へすぐに招集を命じた。


「三万を出す。韓へ向かうぞ」


 副将が地図を広げる。


「扶蘇(ふそ)様は咸陽(かんよう)から五万を率いて東進されるとのことですが、合流なさいますか」


「道が違う。無理に合流する必要はない。扶蘇(ふそ)が正面から新鄭(しんてい)へ向かうなら、私は北西から下って漢軍の側面へ出る」


「閼与(あつよ)にはどれほど残しますか」


「守備に必要な兵は残す。趙にも街道を見てもらえばいい」


 王賁(おうほん)の指が、地図上の新鄭(しんてい)を押さえた。


「漢が韓へ七万を入れたのは、秦が動く前に決着をつけるためだろう。なら、こちらがやることも決まっている。新鄭(しんてい)が落ちる前に着くぞ」


 翌朝、王賁(おうほん)率いる三万は閼与(あつよ)を発った。


◆


 咸陽(かんよう)でも、準備に長い時間はかけなかった。


 三日後、東門から秦軍五万が出陣した。


 俺の隣には蒙恬(もうてん)が馬を進め、先鋒には南西の守備から戻した酈商(れきしょう)が立つ。後ろには歩兵と弩兵、それを支える輜重隊が続き、長い隊列が東へ延びていった。


 城門の上には蒙凛(もうりん)が立ち、その腕には蘭(らん)が抱かれていた。


「無茶しないで帰ってきてね!」


 蒙凛(もうりん)が声を張る。


「お前も咸陽(かんよう)を頼む!」


「分かってるわ。母上もちゃんと帰ってきてよ!」


「承知しております。蒙凛(もうりん)も、蘭(らん)をお願いいたします」


 蒙凛(もうりん)は蘭(らん)の小さな手を取ると、こちらへ向けて振らせた。


「ほら、蘭(らん)。お父様とおばあちゃんに行ってらっしゃいして」


「蒙凛(もうりん)!」


 城壁まで届く蒙恬(もうてん)の声に、周囲の兵から笑いが漏れた。


 俺は笑いを堪えながら馬を東へ向け、そのまま軍を進めた。


 目指す先は、漢軍七万が囲む新鄭(しんてい)。


 そして北西からは、王賁(おうほん)の三万も南下を始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。