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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第15話 水底の都

 軍はの王都・大梁だいりょうを完全に包囲した。


 だが大梁は堅城けんじょうであった。高くそびえる城壁。幾重いくえにも巡らされたほり。力攻めにすれば甚大じんだい犠牲ぎせいが出る。攻めあぐねる形が幾日か続いた。


 その城を俺は王賁おうほんとともに遠望していた。


 大梁の周囲を流れる二つの大河。北の黄河こうがと、それに繋がる運河・鴻溝こうこう。城はその豊かな水の中に築かれている。


 俺はその地形を見て、王賁の腹の内をさっした。


「王賁。……水攻めにするつもりだな」


 王賁が弾かれたように俺を見た。


「――お分かりに、なりますか」


「この地形で、この堅城だ。力攻めを避けるなら水しかない。……お前ほどの将が、この黄河を見過ごすはずがない」


 傍らの蒙恬もうてんすら目を見張っていた。


扶蘇ふそ様。将の腹の内を読まれるとは……この蒙恬、舌を巻きまする」


 王賁は苦笑くしょうした。


「仰せの通り。黄河と鴻溝のつつみを切り、一気に大梁へ流し込む。城もろとも水底に沈めてご覧に入れましょう」


 ――一気に、沈める。


 その言葉に、俺は眉を寄せた。



「王賁。……一気に、と言ったな」


「はい。堤を大きく切り、濁流だくりゅうを叩き込みます。城は半日で水没し、抵抗する間もなく陥落かんらくいたしましょう」


「ならぬ」


 俺はさえぎった。


「一気に沈めれば、城の中の民はどうなる」


 王賁が口をつぐんだ。


「あの城の中には兵だけではない。何万という魏の民がいる。老人も女も子供も。……濁流を叩き込めば、その者たちは逃げる間もなくおぼれて死ぬ」


「ですが扶蘇様。それが水攻めというもの」


「一気にやるから、そうなる」


 俺は城を指した。


「徐々にやれ。堤を少しずつ切る。水をゆっくりと城へみ込ませるのだ。折よく、この数日は長雨が続いている。天の水と黄河の水。二つを合わせ、時をかけて水位を上げていく」


「時をかけて……? なぜ、わざわざ手間のかかる方を」


「その方が、民が逃げられるからだ」


 俺は王賁の目をまっすぐに見た。


「水が徐々に満ちれば、城内の者は皆、逃げ場を求めて外へ出ようとする。……その出てきた者を、俺たちが救うのだ」



 水攻めが始まった。


 王賁は俺の策を容れた。堤は少しずつ切られ、折からの長雨がそれを助けた。大梁の周りに、水はゆっくりと、しかし確実に満ちていく。濠が溢れ、城壁のすそが浸かり、城内の低い土地から順に沈んでいった。


 城内の民は恐怖に駆られた。


 日ごとに水位が上がる。家が沈み、井戸が濁り、食料が水に浸かる。このままでは城ごと水底に沈む。……民たちは次々と城の外へ逃げ出し始めた。


 そして、その逃げ出してきた者を。


 秦軍は――救った。


「舟を出せ! 溺れる前に引き上げよ!」


 王賁の号令で、無数の舟が水面を進む。城を出て水に難儀なんぎする民を舟に乗せ、高台へ運ぶ。高台には炊き出しの支度が整えられていた。温かいかゆが配られ、濡れた体をぬぐう布が渡される。


「敵国の我らを……なぜ助ける」


 震える魏の民に、秦の兵は言った。


「公子・扶蘇様のお指図だ。……城を出た者は、敵味方問わず救えとな」



 噂は城内へ逆流ぎゃくりゅうするように広がった。


 ――城を出れば秦に救われる。舟で助けられ、炊き出しが振る舞われ、高台で守られる、と。


 最初は民だけだった。だがやがて、城を守る兵の中にも脱走する者が現れ始めた。水に沈みゆく城で飢えと恐怖に耐えるより、城を出て秦に降る方が生きられる。そう考える兵が後を絶たなくなった。


 脱走兵もまた、扶蘇の命で殺されることなく受け入れられた。降る者は救われる。その一事が、城の守りを内側から溶かしていった。


 水が城を沈め、噂が人の心を沈める。


 大梁は外からの水と、内からの離散で、二重に崩れていった。


 城を守る兵は日に日に減っていく。水攻めが始まって三月の後、大梁を守る兵は、もはや城壁を埋める数すら残っていなかった。


 魏王・仮は、ついに降伏した。



 魏王は捕縛ほばくされ、秦へと護送ごそうされていく。


 かんちょうえん、そして魏。四つ目の国が地図から消えた。残るはせい。天下統一は、もはや目前に迫っていた。


 水の引き始めた大梁を、俺は高台から見下ろしていた。


 泥にまみれた街。それでも城を出て生き延びた民は、数えきれぬほどいた。高台には救われた魏の民と、降った兵が身を寄せ合っている。城を一つ落とすのに、これほど人が生き残った戦は、かつてなかったかもしれない。


 王賁が俺の隣に立った。


「……正直、驚きました」


 女将おんなしょうは静かに言った。


「徐々に水を満たせば、城を落とすのに三月もかかる。一気に沈めれば半日であったものを。将として見れば、愚策にございます」


「そうだな」


「ですが」


 王賁は高台の民を見た。


「三月かけて、あなたは城を落とし、民を救い、敵兵すら味方に変えた。水で城を攻め、情けで人を攻める。……一気に沈めるより、余程恐ろしい攻め方だ」


 俺は答えなかった。


 恐ろしいと言われて、素直に喜べはしなかった。三月の間、救えなかった者も大勢いた。水に呑まれ、逃げ遅れ、命を落とした者が。俺の策は決して完全ではない。


 だが、城を出れば助かると知って生きることを選んだ者たちが、今、目の前にいる。


 それで良しとするしかなかった。


 魏は滅んだ。



 咸陽かんよう勝報しょうほうが届いたのは、それから半月の後であった。


 玉座ぎょくざの政の前で、使者が声を張る。


「魏王・仮、降伏。大梁、陥落にございます」


 政は静かに頷いた。だが使者の言上ごんじょうは、それで終わらなかった。


此度こたびの戦、公子・扶蘇様は……まず、村々で略奪りゃくだつを働いた兵をことごとく捕縛し、軍法ぐんぽうに照らして裁かれましてございます」


「……ほう」


「さらに戦功を上げた者を、身分の上下を問わず調べ上げ、その場で報償ほうしょうされました。兵の士気は、いまだかつてなく高こうございます」


 政の指が玉座の肘掛ひじかけを、とん、と叩いた。


「そして大梁は、水攻めにて。……ただし一気にではなく、三月をかけて水を満たし、逃れ出た魏の民と兵をことごとく救い上げられました」



 使者が退がった後も、政はしばらく動かなかった。


 ……初陣ういじんである。


 まだ年端もゆかぬ子が、軍の規律きりつを正し、将の功を見抜き、堅城を水で沈めた。しかもその水すら、民を殺さぬために遅らせたという。


(末恐ろしい子だ)


 武を知り、法を知り、人の心を知っている。……己の跡を継ぐうつわとして、これほどの者は、他におらぬ。


 王の素質がある。認めるほか、なかった。


 だが。


 その先を思うと、政の胸はふさがった。


 ……あの子の血。嬴氏えいしの血は、四分の一に過ぎぬ。残る大半は、あの男のものだ。


 呂不韋りょふい


(私が父をたおし、この手で握った秦を。天下を。……あの商人の血に、渡すのか)


 継がせるに足る子は、扶蘇しかおらぬ。だが、その扶蘇こそが最も濃く、あの男の血を引いている。


 政は玉座で、長いあいだ、目を閉じていた。


 誰にも告げられぬ迷いだけが、静かに胸の底へ沈んでいった。

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