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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第14話 初陣

 俺が十四になった、ある日。政は俺を呼び、唐突とうとつに言った。


「扶蘇。そろそろ、戦を経験せよ」


「戦、にございますか」


「うむ。次の魏攻め、お前も従軍せよ。……なに、案ずるな。私とて、お前くらいの年に、初めて戦を見た。王たる者、机上の兵法だけでは、務まらぬ」


 母の声には、珍しく、教すような響きがあった。


 思えば、政もまた、若くして苛烈かれつな権力闘争を生き抜いてきた女だ。嫪毐ろうあいの乱、呂不韋りょふいの乱。血で血を洗う宮廷きゅうていを、自らの才覚で渡ってきた。その母が、俺に「戦を見よ」と言う。それは、王となるための通過儀礼ぎれいであった。


「……承知、いたしました」


 俺は、頭を垂れた。


 荊軻けいかを斬ったとはいえ、あれは突発的な出来事。軍に身を置き、本物の戦場に立つのは、初めてだ。



「緊張しておいでですね、扶蘇様」


 出陣の前夜。甲冑かっちゅうの具合を確かめる俺の手が、わずかに震えているのを、蒙恬は見逃さなかった。


「……分かるか」


「長い付き合いにございますれば」


 蒙恬は、柔らかく微笑むと、俺の震える手に、自分の手を重ねた。


「案じられますな。私が、お側におります」


 その一言で、強ばっていた肩から、すっと力が抜けた。


「扶蘇様が赤子の頃から、この蒙恬、ずっとお側におりました。戦場とて、同じこと。何があろうと、私が扶蘇様をお守りいたします。……だから、安心して、戦をご覧なさいませ」


 三十路を過ぎた乳母の言葉は、温かかった。母の政が与えぬ種類の、優しさだった。


「……ああ。頼りにしている、蒙恬」


 俺は頷いた。震えは、いつの間にか、止まっていた。



 魏攻めの大将は、王賁おうほんであった。


 邯鄲かんたんの夜、李牧を弔う俺を見て「珍しいものを見た」と言った、あの女将。父・王翦おうせんに並ぶ名将として、今や秦軍の柱の一人である。


 そして、その軍には――王離もいた。


「お久しゅうございます、扶蘇様!」


 数年前、邯鄲で会った時には、きょとんとした少女だった王離は、見違えるほど大きくなっていた。背は伸び、体躯たいくは引き締まり、祖母・王翦、母・王賁の血を継ぐ、凛々しい若武者になっている。王離もまた、これが初陣であった。


「王離。……立派になったな」


「はい! 今日は、扶蘇様の前で、王家の武を、お見せいたします!」


 王離の目は、初陣の緊張よりも、期待と闘志に輝いていた。俺とは大違いだ、と少し苦笑した。



 戦は、野戦から始まった。


 魏の軍が、秦の進軍を阻もうと、平野に布陣している。両軍が、土煙を上げて激突した。


 俺は、本陣の後方から、それを見ていた。


 ――凄まじい、と思った。


 数万の人間が、怒号を上げてぶつかり合う。剣と剣が噛み合い、矢が雨のように降り注ぎ、馬が嘶き、人が倒れる。遠く離れた後方にいてなお、地を揺るがす震動と、血の匂いが、伝わってくる。


 書物で読んだ戦。地図の上で語った戦。その正体が、これだった。


(……これが、戦場)


 荊軻を斬った時の、あの手の震えが、蘇る。だが今、目の前で起きているのは、その何万倍もの規模の死だった。一つ一つが、荊軻のように、命を持った人間なのだ。それが、数えきれぬほど、死んでいく。


 恐怖で、足が竦んだ。


 だが、俺は目を逸らさなかった。これが、天下を獲るということ。母が背負い、いずれ俺も背負うかもしれぬ、現実なのだから。



 その戦場で、一際輝く影があった。


 王離である。


「王家の王離、ここにあり! 魏の兵ども、かかってこい!」


 初陣とは思えぬ奮迅ふんじんであった。若い王離は、先頭を駆け、魏の陣へと斬り込んでいく。その槍捌やりさばきは鋭く、次々と敵を打ち倒していった。祖母譲りの用兵の才、母譲りの武勇。王家三代の血は、伊達だてではなかった。


「見よ、あの若武者の働きを!」


「王家の三代目か! 末頼もしい!」


 王離の活躍に鼓舞こぶされ、秦軍の士気は上がった。魏の軍は押され、じりじりと後退を始める。


 初戦は、秦の勝利であった。


 後方で見ていた俺は、複雑な思いだった。同じ初陣でありながら、王離は戦場を駆け回り、俺はただ、後方で震えている。立場の違いは分かっている。俺は公子で、武を振るう者ではない。だが――羨ましさが、なかったと言えば、嘘になる。



 勝利の後、軍は魏の王都・大梁だいりょうへ向けて、進軍を続けた。


 その行軍の途上。俺は、忘れがたい光景を目にする。


 街道沿いの、小さな村。そこで、秦の一部隊が、魏の民から、略奪を働いていた。


「離せ! それはわしらの食い扶持くいぶちだ!」


「うるさい! 敗けた国の民が、何を言う!」


 兵たちは、老人を突き飛ばし、わずかな蓄えを奪い、女を引きずり回していた。泣き叫ぶ子供。抵抗して殴り倒される男。


 ――この時代、それは珍しい光景では、なかった。


 戦に勝てば、敗れた国の民から奪う。兵にとっては、それが戦の役得やくとくであり、当たり前の習いだった。誰も、咎めない。将すら、見て見ぬふりをする。


 だが。


 俺の中で、何かが、沸騰した。


「――やめさせろ」


 気がつけば、俺は馬を降り、その部隊の前に立っていた。


「王賁! あの部隊を、捕縛せよ!」


 傍らの王賁が、戸惑った。


「捕縛……? 扶蘇様、あれはよくある略奪。兵の役得にございます。捕縛などすれば、かえって兵の不満が――」


「役得だと?」


 俺は、王賁を見た。


「抵抗できぬ民から奪い、弱き者を踏みにじる。それが役得か。……俺は、認めぬ。捕えよ。これは、公子・扶蘇の命である」


 俺の声には、自分でも驚くほどの力が籠もっていた。王賁は、しばし俺を見つめ、それから、命を下した。


「……聞いての通りだ。その部隊、捕縛せよ」


 略奪兵たちは、呆然ぼうぜんとしながら、縄を打たれた。助けられた魏の民は、信じられぬという顔で、俺を見ていた。


 だが――兵たちの間に、明らかな不満が、漂っていた。



 その夜。一人の古参兵が、俺の陣を訪れた。


 顔中に古傷を刻んだ、老いた兵であった。幾つもの戦場を潜り抜けてきたのだろう。その目には、若造への、隠しきれぬ反発があった。


「公子様に、申し上げたきことが」


「申せ」


「……昼間の、あれにございます。略奪を禁じ、味方を縛る。……公子様は、お優しい。ですが、その優しさで、戦が勝てましょうか」


 古参兵の声は、絞り出すようだった。


「わしらは、命を懸けて戦っております。田畑を捨て、家族と離れ、いつ死ぬとも知れぬ身。その見返りが、勝った国での分捕りにございます。それを取り上げられては……何のために、戦うのか。兵は、理想では動きませぬ。腹が、膨れねば」


 俺は、言葉を失った。


 反論しようとして、できなかった。この老兵の言うことは、間違っていない。俺の「守る」という理想は、この男の「生きる」という現実の前で、あまりにも軽い。傍らの王賁も、口を挟まず、ただ俺の答えを待っていた。その横顔にも、わずかな不満の色が、滲んでいる。


「……お前の言うことは、分かった」


 俺は、それだけを言った。安易な言葉で、丸め込みたくなかった。


「一晩、考えさせてくれ」


 古参兵は、一礼して、去っていった。


 俺は、その夜、眠れなかった。


(なぜ、兵は略奪に走る……?)


 答えは、単純だった。報いが、足りぬからだ。


 命を懸けて戦っても、末端の兵に、見合う報償が行き渡らない。だから彼らは、奪う。自らの手で、役得を得ようとする。略奪は、報償の不足が生む、必然の病だった。


(ならば、奪わせぬ代わりに、報いを、正しく与えればよい。……だが、どうやって、末端まで)


 考え続けた。そして、明け方近く、一つの形に、辿り着いた。



 翌朝。俺は、軍の前で、王離を呼び出した。


「王離。初陣での働き、見事であった」


 俺は、自らの筆で認めた感状かんじょうを、王離に授けた。


 軍が、どよめいた。


 王族からの――しかも、貴重な男である公子からの、直々の感状。それは、異例中の異例であり、受ける者にとっては、この上ない名誉であった。


「扶蘇様……! これを、私に……?」


 王離は、目を見開き、声を震わせた。


 そして俺は、金品の包みを王離に手渡す時、他の誰にも聞こえぬよう、そっと耳打ちした。


「王離。この金品は、お前一人で受け取るな。……お前の隊の兵に、分けてやれ。今日、共に戦った者たち全てに。名誉はお前のものだが、実は、皆で分かち合え」


 王離が、はっと目を見開いた。そして、力強く頷いた。


「……はい。仰せの通りに」


 俺は、軍全体に聞こえるよう、声を張った。


「手柄を立てた者には、必ず報いる。奪わずとも、正当な働きが、正当に報われる。……俺は、そういう軍を、作りたい」


 その日、王離は、感状の名誉を受けながら、たまわった金品を、自らの隊の兵たちに、余さず分け与えた。末端の一兵に至るまで。公子から下された金を、若き将が、独り占めせず、皆で分かつ――兵たちは、驚き、そして、沸いた。


 あの古参兵の姿も、その中にあった。


 分けられた金を握りしめ、老兵は、遠くの俺を、じっと見ていた。昨夜の反発は、消えていた。代わりにあったのは、値踏みを終えた者の、静かな了解だった。


 奪えば、一度きり。だが、正しく報いる将の下でなら、繰り返し報われる。腹が膨れる。しかも、罪を負わずに。――理想ではなく、実利。この若い公子は、それを分かっている。老兵の目は、そう語っていた。



 王賁が、静かに俺へ歩み寄り、小声で言った。


「扶蘇様。……昨夜、正直に申せば、私も、あの古参兵と同じことを思うておりました。優しさだけでは、兵は動かぬ、と」


 女将は、王離が兵に金を分ける様子を、眺めていた。


「ですが、あなたは、優しさを、実利に変えてみせた。略奪を禁じるだけなら、ただの理想論。ですが、それに代わる報いを示し、しかも将に分配させ、末端まで行き渡らせる。……兵は、これで、あなたに従いましょう」


 王賁の目に、邯鄲の夜とは違う、確かな光があった。


「邯鄲で、私はあなたを『珍しい御方』と申しました。訂正いたします。――あなたは、珍しいのではない。得難い御方だ」


 俺は、胸が熱くなるのを感じた。


 邯鄲で「興味」に留まっていた王賁との絆が、この初陣を経て、確かな信頼へと変わった瞬間だった。


 軍は、大梁へと進む。


 魏の王都を前に、俺の初陣は、まだ続く。

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