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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第6章 定まらぬ天下

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第130話 北へ

 楚から二度目の使者が来たのは、最初の書状を受け取ってから十日ほど経った頃だった。


 内容そのものは大きく変わっていない。


 項羽(こうう)は斉へ向かい、田横(でんおう)を討つ。その間、秦にも兵を出し、燕方面の匈奴を牽制してほしい。


 ただし、前の書状より少しだけ急かす調子が強くなっていた。


「催促されてもなあ」


 俺は返書を脇へ置き、卓いっぱいに広げた地図へ目を落とした。


 西には咸陽(かんよう)、東には趙、さらにその先に燕がある。


 楚の求めるまま燕へ兵を出そうとすれば、一番厄介なのは匈奴ではなかった。


「どうしても、ここを通るよな」


 指を置いた先を、張良(ちょうりょう)も見た。


「陳余(ちんよ)殿の領域ですね」


「道を借りるだけ、で済むと思う?」


「済まないでしょう」


 返事が早い。


 俺たちは張耳(ちょうじ)を受け入れ、今では秦の下で趙王の名まで認めている。一方の陳余(ちんよ)は楚に従って東部を押さえているものの、張耳(ちょうじ)との関係が修復されたわけではない。


 そこへ俺が軍を率いて通行を求めれば、陳余(ちんよ)にしてみれば敵を家へ入れるようなものだった。


「楚から頼まれて来ました、って言っても?」


「陳余(ちんよ)殿が喜んで道を開ける理由にはなりません。むしろ、そのまま居座るのではないかと疑うでしょう」


「だよな」


 無理に通れば戦になる。


 それでは匈奴を牽制するために、先に楚の配下と戦うという意味の分からないことになる。


 項羽(こうう)との関係を切りたいわけでもない。むしろ今は、切れないから困っている。


 俺は地図を眺めながら、燕まで続く道を何度かなぞった。


 どう進んでも陳余(ちんよ)の領域へ入る。


 そう思っていたところで、ふと指が止まった。


「……待てよ」


 張良(ちょうりょう)がこちらを見る。


「何か?」


「燕へ行く必要、あるのか?」


 自分で口にしてから、もう一度地図を見直した。


 項羽(こうう)から頼まれているのは、燕の城を取り返すことではない。匈奴へ圧力をかけ、斉へ向かう楚軍を助けろという話だ。


 なら、こちらが燕へ行く必要はない。


 俺は趙のさらに北へ指を滑らせた。


「匈奴は燕を取った。でも、全員が燕の城に住み始めたわけじゃないよな」


「もちろんです。冒頓(ぼくとつ)殿が中華へ根を張ろうとしていても、部族の全てが遊牧を捨てたわけではないでしょう」


「馬も羊も、北に残ってる」


 張良(ちょうりょう)はそこで、俺が何を考え始めたのか察したらしい。


「牧地を叩きますか」


「燕じゃなくて、そっちを」


 北方の牧地は、これまで匈奴が軍事力を支えてきた場所だ。


 馬を育て、羊を飼い、季節ごとに草を求めて移動する。中華の城や田畑を取ったからといって、それまでの生活を一年や二年で全部捨てられるわけではない。


 そこへ秦軍を入れる。


 燕を直接攻めなくても、冒頓(ぼくとつ)は無視できない。


「北を荒らせば、燕や斉に回してる兵を戻さざるを得なくなる。楚への援護にはなる」


「陳余(ちんよ)殿の領域を通る必要もありません」


「そうなんだよ」


 初めて道が見えた気がした。


 そのまま俺は、北に記された牧地を見ていた。


 馬を奪う。


 羊を奪う。


 冬を越すための草を奪う。


 そこまで考えたところで、さっきまでの勢いが急に止まった。


「……これ、匈奴が中華でやってたことと同じじゃないか?」


 張良(ちょうりょう)は否定しなかった。


「似ておりますね」


「似てるどころか、ほとんど同じだろ。向こうの家畜を奪って、食べ物を奪って、生活できなくするんだから」


 中華の村を襲った匈奴を、俺は何度も賊のように見てきた。


 その自分が今、同じことを地図の上で考えている。


「だったら、奪うだけにしなければよいのでは?」


 張良(ちょうりょう)が何でもないことのように言った。


「どういうこと?」


「人も連れてくるのです」


 俺は顔を上げた。


「……人?」


「羊や馬だけ奪えば、残された者は生活できません。ならば家族ごと移せばよい。家畜もまとめて趙西部へ入れるのです」


 思わず地図の西側へ目を移した。


 戦乱の続いた趙西部には、まだ人の戻っていない土地が多い。農地として使いづらい場所でも、牧畜なら利用できる土地はある。


「移民させるってこと?」


「本人たちが望めば、そう呼べます」


 そこで張良(ちょうりょう)が言葉を切った。


 続きは聞かなくても分かった。


「望まなかったら?」


「連れてくることになります」


「それ、移民じゃないよな」


「はい」


 あっさり認めた。


 俺は椅子へ背を預けた。


「羊も馬も取って、家まで捨てさせて、こっちへ連れてくる。殺さないだけで、やってることは十分ひどいぞ」


「そうですね」


「もう少し何かないの?」


「慰めの言葉ですか?」


「……いや、いい」


 張良(ちょうりょう)にそれを求める方が間違っている気がした。


 しばらく二人で地図を見た。


 張良(ちょうりょう)は急かさなかった。


 その代わり、逃げ道も作らなかった。


「何もしないという選択もあります」


「それを言う?」


「選択肢ではありますから」


 張良(ちょうりょう)は北の方を指した。


「匈奴が燕を固め、趙へ入り、さらに西へ来るまで待つ。その時になってから戦うこともできます。秦王がそう決められるのであれば、私は止めません」


 言葉は丁寧だったが、中身はまるで優しくない。


「でも、その結果も俺が引き受けろってことだろ」


「王である以上は」


 分かっていた。


 正しい選択肢がどこかに隠れているわけではない。


 匈奴の牧地へ入れば、そこで暮らしている人間からすれば俺たちが侵略者になる。だからといって何もしなければ、今度は趙や秦の民が襲われるかもしれない。


 人を連れてくれば人口は増える。


 羊や馬も手に入る。


 軍事的にも、統治の面でも利はある。


 利があるから余計に気分が悪かった。


「……やる」


 口に出してからも、すっきりはしなかった。


「北へ出る。牧地を押さえる。ただし、無意味に殺すのは禁止。降る者は家族ごと受け入れる。家畜も一緒に連れてきて、趙西部に住ませる」


「承知しました」


「逃げる者は?」


「追いますか?」


 少し考えた。


「全部は追わない。戦える男や女を無理に狩る必要はない。でも、冒頓(ぼくとつ)のところへまとまって戻られるのも困るな」


「その辺りは、現地で判断するしかないでしょう」


「結局それか」


「地図の上で全部決められるなら、王は楽でしょうね」


 張良(ちょうりょう)はそう言って、地図を畳み始めた。


◆


 最初に呼んだのは、楊端和(ようたんわ)と黥布(げいふ)だった。


 北へ出ると聞いて、楊端和(ようたんわ)は少しだけ表情を変えた。


「匈奴の本拠へ向かわれるのですか」


「本拠そのものというより、牧地だ。燕を攻めるつもりはない」


 俺は二人の前に地図を広げた。


「冒頓(ぼくとつ)は燕と斉に兵を割いている。趙へも入ってる。その間に北を押さえて、馬と羊をこちらへ持ってくる」


「略奪か?」


 黥布(げいふ)は遠慮がなかった。


「……そう見えるよな」


「見えるっていうか、そうだろ」


「だから、人も連れてくる」


 黥布(げいふ)が眉を上げる。


「丸ごとか」


「抵抗しない者は殺さない。家族を引き離すな。羊や馬も一緒に移す。趙西部で生活させる」


 黥布(げいふ)は少し考えたあと、肩をすくめた。


「俺は戦う奴を倒せって言われた方が楽なんだがな」


「俺もそう思う」


 楊端和(ようたんわ)は地図を見たまま黙っていた。


 かつて匈奴の中へ入り、頭曼(とうまん)に近づき、そこで長く暮らした女である。俺たちより、北の暮らしがどんなものかはよく知っている。


「楊端和(ようたんわ)、嫌なら」


「行きます」


 俺が言い終える前に答えた。


「北の道を知る者は多くありません。私がいた方がよいでしょう」


「……頼む」


「はい」


 それ以上、何を思っているのかは聞かなかった。


 楊端和(ようたんわ)には先行して北への道を探らせ、黥布(げいふ)にはその護衛と、抵抗する部族への対応を任せることにした。


「できるだけ戦うなよ」


 そう言うと、黥布(げいふ)が露骨に嫌そうな顔をした。


「俺を連れていく意味あるか?」


「戦わないために、戦ったら怖そうな奴を連れていくんだよ」


「そういう使い方か」


 納得したのかしていないのか分からない顔で、黥布(げいふ)は引き下がった。


◆


 俺自身も北へ向かうことにした。


 今回は大軍を東へ出すわけではない。閼与(あつよ)や趙西部の守りを崩さない範囲で兵をまとめ、楊端和(ようたんわ)と黥布(げいふ)の後を追う。


 張良(ちょうりょう)も同行する。


 そしてもう一人、俺の近くには大きな剣を背負った女がいた。


「その剣、もう少し普通のにできない?」


「無理です」


 王離(おうり)が即答した。


「即答するところじゃないよ。お前、世間では死んだことになってるんだから」


「顔を隠しております」


「剣が顔より目立つんだよ」


 深く兜をかぶり、王氏の一兵として紛れ込んでいるものの、その体格と巨大な剣はどうしても目につく。


「これより小さいと使いづらいです」


「だったら仕方ないか……」


「はい、扶蘇(ふそ)様」


「納得してないからね」


 王離(おうり)は気にした様子もなかった。


 出発の日、俺は城門の外から北へ続く道を見た。


 楚へは、援軍を出すと返事をしてある。


 ただし燕へは行かない。


 匈奴の北側へ回り、その力の根を削る。


 言葉にすれば、ずいぶん立派な作戦に聞こえる。


 実際にやることは、誰かが暮らしている土地へ兵を入れ、家畜と人をまとめてこちらへ連れてくることだった。


 王になったからといって、嫌な決断が嫌でなくなるわけではないらしい。


「行こう」


 俺が馬を進めると、張良(ちょうりょう)と王離(おうり)が続いた。


 その先では、すでに楊端和(ようたんわ)と黥布(げいふ)が北へ向かっている。


 秦軍は燕ではなく、そのさらに西北へ進路を取った。

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