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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第1章 戦国の終焉編

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第11話 作られた証拠

 韓非子(かんぴし)咸陽(かんよう)へ来てから、(せい)は彼女をたびたび宮中へ呼ぶようになった。


 身重となった(せい)は、以前ほど長く朝議に出ることができない。その代わりに自室へ官吏や学者を招くことが増え、中でも韓非子(かんぴし)の話を好んで聞いていた。


「罰を重くすれば、それだけ罪を恐れる者も増えるのではないか?」


「お、恐れさせるだけでは……罪を犯さなくなるとは限りません。み、見つからぬよう隠すことばかり、上手くなる者もおります」


 韓非子(かんぴし)は言葉を口にするとき、しばしば最初の音につかえた。それでも(せい)が急かすことはなく、言葉が出てくるまで待っている。そうして語られる内容は明快で、人の善意に頼るのではなく、賞罰と制度によって国を治めるという彼女の考えを、(せい)は日を追うごとに面白がるようになっていた。


 俺も何度か、その講義を聞かせてもらった。


 前世では書物の中にしかいなかった人物が、目の前で自らの思想を語っている。それだけでも妙な気分になるが、その言葉を後の始皇帝となる母上が熱心に聞いている光景は、俺にとってなおさら特別なものだった。


 ただ、その二人が近づいていくことを、快く思っていない女もいた。


 李斯(りし)だった。



 呂不韋(りょふい)がいなくなってから、李斯(りし)は朝廷の中で急速に頭角を現していた。


 法と文書に強く、命じられた仕事も早い。(せい)が何を求めているかを察することにも長けており、呂不韋(りょふい)という巨大な存在が消えた今、空いた場所へ入り込むように王の近くへ進んでいた。


 韓非子(かんぴし)とは同門である。


 同じ師から学んだからこそ、李斯(りし)は彼女の才を誰よりよく知っていた。書においては自分を凌ぐところがあり、法についての考えも深い。吃音きつおんのため弁舌には恵まれていなかったが、それすら(せい)が待って聞くようになってしまえば、大きな弱みにはならない。


 このまま秦へ仕えれば、いずれ重用される。


 そうなれば、自分の出世を阻む。


 李斯(りし)には、それを黙って見ているつもりはなかった。



 最初に見つかったのは、一本の短刀だった。


 場所は韓非子(かんぴし)の居室、寝台の下。王宮内へ武器を持ち込むこと自体が禁じられているうえ、今の(せい)は懐妊中であり、普段より身動きが取りにくい。


 韓から送られてきた人質の部屋から刃物が見つかったとなれば、見過ごせるはずもなかった。


「ち、違います。わ、私は……そのような物を、持ち込んでおりません」


 呼び出された韓非子(かんぴし)は、布の上へ置かれた短刀を見るなり否定した。


 李斯(りし)は彼女を責め立てず、(せい)へ向かって静かに頭を下げた。


韓非子(かんぴし)殿の部屋から出たことは事実ですが、これだけで本人の物と決めつけるべきではございません。まずは、誰が居室へ出入りしたのかを調べるべきでしょう」


「そうしろ」


 (せい)もすぐには罪を決めなかった。


 韓非子(かんぴし)には宮から出ないよう命じたものの、その時点では拘束もしなかった。短刀一本なら、誰かが置いた可能性を否定できなかったからだ。


 俺も、この時はそれで終わると思っていた。


 だが、終わらなかった。


 数日後、今度は韓非子(かんぴし)の荷から細い木簡もっかんが見つかった。


 そこには(せい)が政務を終える時刻や、自室へ戻る道が記されていた。身重になってから昼に休むようになった時間まで書かれており、王の動きを調べていたと疑われても仕方のない内容だった。


「わ、私の物ではありません」


 韓非子(かんぴし)は木簡を見ながら、はっきりと首を振った。


「では、なぜ荷の中に?」


「だ、誰かが入れたのです。た、短刀と同じように」


 李斯(りし)は追及しなかった。


 その代わり、さらに調べるべきだと(せい)へ進言した。


 そして調べれば調べるほど、韓非子(かんぴし)にとって都合の悪いものが出てきた。



 三つ目に発見されたのは、小さく折り畳まれた帛書はくしょだった。


 薄い絹布に書かれていたのは、わずかな文だけだった。


 秦王は懐妊し、身体が重くなっている。


 以前ほど自由には動けない。


 機会は近い。


「わ、私が書いたものではありません」


 韓非子(かんぴし)は声を震わせながら否定した。


「筆跡は?」


 (せい)が尋ねる。


「一致しておりません」


 李斯(りし)が答えた。


「ならば、これも証拠とは言い切れぬな」


「はい。ただ、使われた墨は韓非子(かんぴし)殿の部屋にあるものと同じで、はくも韓から持ち込まれた物と同じ織りでございます」


「そ、それだけで私の物とは……」


「もちろん、断定はできません」


 李斯(りし)は淡々としていた。


 不思議なくらい、いつも韓非子(かんぴし)の言い分を認める。


 短刀だけでは足りない。


 木簡だけでも足りない。


 帛書だけでも決め手ではない。


 だが、一つ一つは弱い証拠でも、それが重なるほど疑いは濃くなっていった。


 さらに数日後、決定的に見えるものまで現れた。


 韓非子(かんぴし)付きの侍女が、夜中に韓から来た商人と会っていたところを捕らえられたのだ。


「そ、その者を呼んでください」


 報告を聞いた韓非子(かんぴし)は、むしろ安堵したようだった。


「き、聞けば分かります。私は何も命じておりません」


「既に聞き取りは済んでおります」


 李斯(りし)が答える。


「侍女は、あなたから帛書を韓へ届けるよう命じられたと証言しております」


 韓非子(かんぴし)の表情が消えた。


「……え」


「商人の荷からも、韓王家へ渡すための印が見つかりました」


「ち、違います」


 首を振る。


「わ、私は……そのような命令をしておりません。そ、その者が、嘘を……」


 短刀。


 王の動静を記した木簡。


 暗殺を思わせる帛書。


 そして侍女の証言。


 一つだけなら、偶然や嫌がらせで済ませられたかもしれない。しかし互いに関係する証拠がこれほど重なれば、誰かに陥れられたという韓非子(かんぴし)の訴えの方が、次第に苦しい言い逃れに見えてくる。


 もちろん、俺たちの知らないところでは、そのすべてが李斯(りし)によって用意されていた。


 短刀を忍ばせたのも、木簡を書かせたのも、帛書を用意したのも、侍女に偽りの証言をさせたのも彼女だった。


 だが、その時の俺には知る由もなかった。


 ただ、妙だとは感じていた。


 証拠が、あまりにも都合よく出てくる。



韓非子(かんぴし)


 最後の報告を聞き終えた(せい)は、しばらく黙ってから彼女を見た。


「お前は今も、何もしていないと言うのだな」


「は、はい」


 韓非子(かんぴし)は青ざめていたが、視線を逸らさなかった。


「わ、私は……王を害そうなどとは、一度も考えておりません。だ、誰かが私を陥れています」


「誰だ」


 問いかけられた韓非子(かんぴし)の視線が、ほんの一瞬だけ横へ動いた。


 そこには李斯(りし)がいた。


 同じ師のもとで学んだ女。


 自分の才も、弱みもよく知っている女。


 だが、韓非子(かんぴし)はその名を口にしなかった。自分が証拠によって追い詰められている以上、証拠もなく誰かを犯人と呼ぶことが、どれほど空しく聞こえるかを誰より理解していたのだろう。


「……わ、分かりません」


 ようやく、それだけ答えた。


 (せい)は目を閉じて考えた。


 少し前まで法について語り合っていた女だ。その才を気に入っていたことを俺も知っている。


 だからこそ、すぐに罪を決めなかった。


 それでも、もはや何もなかったことにはできない。


「身柄を拘束する」


 (せい)は静かに命じた。


「残る事実を調べ終えるまで、牢へ入れろ」


「王……」


「まだ処刑すると決めたわけではない」


 (せい)韓非子(かんぴし)を見据えた。


「無実ならば、それを示すものが見つかるかもしれぬ。だが今のお前を自由にしておくことはできない」


 韓非子(かんぴし)は何かを言おうとして唇を動かしたが、結局そのまま頭を下げた。


 兵に連れられていく間際、彼女は一度だけ李斯(りし)を見た。


 李斯(りし)は、何も言わなかった。



 夕方になっても、俺はそのことばかり考えていた。


 短刀も、木簡も、帛書も、侍女の証言もある。母上の判断はおかしくないし、俺が王でも同じように韓非子(かんぴし)を拘束したかもしれない。


 それでも、何かが引っかかる。


 前世で知っていた歴史の中でも、韓非子(かんぴし)李斯(りし)は同門だった。


 そして韓非子(かんぴし)は、秦へ来てから死ぬ。


 詳しい経緯まで同じではない。俺が知っている歴史と、この世界の出来事は既に何度もずれている。


 だからこそ、気になった。


 俺は読んでいた木簡を閉じた。


蒙恬(もうてん)韓非子(かんぴし)に会いたい」


 蒙恬(もうてん)は少し考えたあと、立ち上がった。


「では、私も参ります」


「ありがとう」


 それだけで話は決まった。


 日が沈み始める頃、俺たちは牢へ向かった。


 入口を守っていた牢番は、俺を見ると明らかに困った顔をしたものの、隣に蒙恬(もうてん)が立っていることを確認すると、結局は道を開けた。


扶蘇(ふそ)様。長居はなさらぬようお願いいたします」


「分かった」


 重い戸が開き、湿った冷気が流れてきた。


 俺は蒙恬(もうてん)とともに薄暗い通路へ入り、韓非子(かんぴし)のいる牢へ向かった。


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