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【秦末興亡記】 ~始皇帝の子に転生した公子は、乱世を生き抜く~  作者: 越後⭐︎ドラゴン
第5章 秦楚漢

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第105話 陣を縫う騎兵

 陳倉(ちんそう)の城壁から放たれた二度目の矢雨は、最初ほどの戦果を上げなかった。


 韓信(かんしん)軍は山越えの際に持ち込んだ盾を前方へ集め、数人一組で重ねながら、その後ろへ弓兵と攻城兵を置いていた。大盾の足りない場所では、荷を運ぶために使っていた板や解体した木材まで継ぎ合わせ、矢を受け止める即席の遮蔽物へ変えている。


「撃て!」


 城壁から弩が放たれると、太い矢が盾へ突き刺さり、何人かの兵をその場に倒した。それでも先ほどのように隊列が乱れることはなく、前列は矢が降っている間だけ身を縮め、射撃が途切れた瞬間を狙って一斉に前へ出た。


「今だ! 進め!」


 韓信(かんしん)の号令とともに兵が距離を詰めるのを見て、城壁の上にいた俺は眉を寄せた。こちらが弩を装填するまでの間隔を、もう測られている。


「射撃を急がせますか?」


 隣にいた蒙凛(もうりん)が尋ねたが、俺は首を振った。


「急がせれば狙いが乱れる。弩兵を三つに分けて、一斉射をやめよう。第一隊、第二隊、第三隊で少しずつ間をずらして撃たせる」


「射撃の切れ目を消すのね」


「ああ。走り出したところを次の隊が狙えばいい」


 蒙凛(もうりん)がすぐに命令を伝え、城壁上の弩兵が三つに分かれた。再び盾兵が近づいてきたところで第一隊が撃ち、韓信(かんしん)軍がこれまでと同じように射撃の途切れ目を狙って駆け出すと、今度は第二隊の矢が降り注ぎ、足を止めた兵へさらに第三隊が続いた。


 これまで存在していた射撃の隙は、大きく狭まった。


 それでも韓信(かんしん)は兵を下げなかった。


「……射撃を分けたか」


 城壁を見上げながらそう呟くと、盾兵を前へ置いたまま弓兵をさらに接近させ、城壁上へ矢を返させた。後方では周囲から木材を集めさせ、盾だけでは足りない場所へ簡単な遮蔽物まで組み始めており、こちらが射撃方法を変えるたびに、それへ合わせて前進の仕方まで変えてくる。


「厄介ね」


 蒙凛(もうりん)が城下を見ながら呟いた。


「一気に城を落とす気はないんだろう」


 韓信(かんしん)が欲しいのは、陳倉(ちんそう)そのものだけではない。攻城を続けて城内の兵を縛りつけ、その間に城外へ出た王賁(おうほん)と蒙恬(もうてん)の進軍を遅らせ、包囲が完成する前に時間を稼ぐつもりなのだ。


 そして城外では、その狙いに沿うように二つの戦いが続いていた。


◆


 北東では、王賁(おうほん)軍と樊噲(はんかい)の部隊が正面からぶつかっていた。


 王賁(おうほん)は敵を受け止めながら左右へ兵を広げ、中央へ戻れないよう押さえ込むつもりでいた。ところが先頭に立った樊噲(はんかい)の突進が予想以上に激しく、陣形を整える前から前列へ強い圧力がかかっている。


「どけぇっ!」


 樊噲(はんかい)が武器を振るうたびに前列の兵が弾き飛ばされ、そこへ後続の漢兵が押し込んでくる。ただ力任せに進んでいるわけではなく、陣形の薄い場所を見つけると自ら飛び込み、周囲の兵を引き連れて強引に穴を広げていた。


 兵だけに任せておけば、そのまま中央まで食い込まれる。


「将が先頭で暴れてどうする!」


 王賁(おうほん)は馬を走らせ、崩れかけた前列へ入った。


「やっと偉そうなのが出てきたね!」


 樊噲(はんかい)は嬉しそうに笑い、大きく踏み込んだ。


 振り下ろされた一撃を王賁(おうほん)が正面から受けると、金属音とともに腕へ強い痺れが走った。まともに打ち合えば力で押されると判断し、手綱を引きながら間合いを外したが、樊噲(はんかい)はそのまま距離を詰めてくる。


「逃がすか!」


 横から打ち込まれた一撃を王賁(おうほん)は受け流し、そのまま反撃して樊噲(はんかい)の腕へ浅い傷をつけた。それでも樊噲(はんかい)は足を止めず、多少の傷を受けることより、前へ出続けて相手を押し込むことを優先している。


 王賁(おうほん)は何度か刃を外しながら反撃したが、その間にも樊噲(はんかい)の後ろから漢兵が押し込んできた。自分が一騎打ちへ引きずり込まれたことで、軍全体の動きまで鈍り始めている。


「王賁(おうほん)様!」


 部下の声で王賁(おうほん)はすぐに意識を戦場全体へ戻した。


「前列を二段下げろ! 中央は受けるだけでいい、左右を崩すな!」


 馬を返し、樊噲(はんかい)との距離を取る。


「逃げるのか!」


「将軍が一兵卒のように、貴様といつまでも斬り合うと思うな!」


 そう返した王賁(おうほん)は、そのまま部隊の立て直しへ戻った。


 樊噲(はんかい)を討つことが目的ではない。むしろ、この女へ付き合っている間に自軍の展開が止まることこそ問題であり、そこから先は無理に勝負を決めようとはせず、中央を厚くして押し込みを受け止めながら左右の配置を整えていった。


◆


 南東では、北とはまるで違う戦いが続いていた。


 蒙恬(もうてん)軍の前を、灌嬰(かんえい)の騎兵が横切っていく。


「追わないでください。そのまま前へ進みます」


 蒙恬(もうてん)は兵へそう命じ、隊列を崩させなかった。


 ところが進軍を再開すると、今度は別の方向から数十騎が接近し、側面へ矢を浴びせてくる。槍兵が向きを変えると、灌嬰(かんえい)の騎兵は接触する前に馬首を返し、追撃できない距離まで離れてから再び向きを変えた。


 陳倉(ちんそう)周辺は、騎兵が大きく駆け回れる平原ではない。谷や斜面が行く手を遮り、大勢の騎兵を一度にまとめて突撃させるには不向きな土地である。


 だからこそ、蒙恬(もうてん)も最初は騎兵を当ててきた意図を測りかねていたが、何度か動きを見れば狙いは明らかだった。


 右へ現れた部隊が引けば、今度は左から別の騎兵が姿を見せる。進軍を急げば側面へ矢を浴びせ、こちらが迎撃のために隊列を変えれば、そのまま戦わず退いていく。


 広く動けないなら騎兵を細かく分け、使える空間だけを使って何度も出入りすればいい。灌嬰(かんえい)はそう割り切っているらしい。


「……私たちに勝つ必要がないのですね」


 蒙恬(もうてん)は敵騎兵の動きを見ながら呟いた。


 灌嬰(かんえい)の目的は、蒙恬(もうてん)軍を撃破することではない。追えば逃げ、追わなければまた近づき、それを繰り返すだけでも包囲予定地点へ到達する時刻は確実に遅れていく。


「全軍をもう少し小さくまとめます。隊の間隔を空けすぎず、騎兵が来ても追わずに槍だけ向けてください。我らの目的は、あの騎兵を倒すことではありません」


 指示を受けた蒙恬(もうてん)軍は隊列の密度を上げ、互いの距離を詰めながら前進を再開した。灌嬰(かんえい)の騎兵が接近しても大きく向きを変えず、槍兵がその場で受ける姿勢を作り、敵が引けば何事もなかったように再び進む。


 少し離れた場所からそれを見ていた灌嬰(かんえい)は、馬上で僅かに顔をしかめた。


「さすがに釣れないか」


 ただ、それでも十分だった。


 蒙恬(もうてん)軍は隊列を崩さないため慎重に進まざるを得ず、速度は明らかに落ちている。灌嬰(かんえい)は前列へ固執せず、次は隊列の中央付近へ圧力をかけるよう騎兵を散らした。


「次は先頭じゃなく中央へ。深く入る必要はないわ。槍が揃う前に引いて、また別の場所から突く」


 命令を受けた騎兵たちは、すぐにいくつもの小隊へ分かれて走り出した。


 広い平原なら一度の大きな突撃に使うはずの馬を、灌嬰(かんえい)は狭い地形の中で細かく動かし、少しずつ蒙恬(もうてん)軍の時間を奪っていた。


◆


 城壁の上から三つの戦場を見渡しているうちに、俺の中には少しずつ焦りが生まれていた。


 兵力ではこちらが優位に立っている。韓信(かんしん)が三万で陳倉(ちんそう)へ現れた時には、王賁(おうほん)と蒙恬(もうてん)を進ませれば、そう時間をかけずに包囲できると思っていた。


 ところが、輪はなかなか閉じない。


 北では樊噲(はんかい)が強引に前線へ食い込み、王賁(おうほん)本人が一度前へ出なければならないほどの圧力をかけている。南では灌嬰(かんえい)が騎兵を小分けにし、決戦を避けながら蒙恬(もうてん)の前進を少しずつ遅らせていた。


 中央の韓信(かんしん)も止まっていない。


 弩の射撃を分ければ盾と遮蔽物で対応し、近づきにくくなれば弓兵を前へ出して城壁上を拘束する。こちらの兵が多いことは最初から分かっているはずなのに、三つの戦線でそれぞれ別の方法を使い、包囲が完成するまでの時間を削り続けていた。


「扶蘇(ふそ)様。王賁(おうほん)様から、北側の展開が予定より遅れるとの報告です」


 蒙凛(もうりん)が伝令の内容を告げた。


「蒙恬(もうてん)は?」


「南も同じ。敵騎兵は追ってないけど、急げば側面を突かれるから慎重に進んでるって」


「分かった。無理はさせないで」


 そう答えながら、俺の視線は西の山々へ向いていた。


 あの向こうには劉邦(りゅうほう)の本隊がいる。


 韓信(かんしん)が三万だけを先に通した以上、後続が来ないはずはない。むしろ、ここまで危険を承知で粘っている最大の理由が、本隊の到着まで時間を稼ぐことだと考えれば、今の戦い方にも筋が通る。


 幸い、まだ山道から新しい軍勢が姿を現す気配はなかった。


 細い山道を大軍で越えている以上、劉邦(りゅうほう)たちの進軍が遅れるのは不思議ではない。こちらにとっては、その遅れこそが韓信(かんしん)軍を孤立させたまま叩ける時間になるはずだった。


 それなのに、思っていたほど差を広げられていない。


「扶蘇(ふそ)様?」


 蒙凛(もうりん)がこちらを見た。


「……韓信(かんしん)に付き合いすぎてる」


「なら、攻める?」


「いや。焦って前へ出れば、その隙を使われる」


 俺は城壁の下と、その先に広がる二つの戦場を順に見た。


 今すぐ包囲を完成させたい。しかし、そのために王賁(おうほん)や蒙恬(もうてん)へ無理をさせれば、樊噲(はんかい)や灌嬰(かんえい)に陣形を崩される危険がある。


 急がなければならないのに、急げば崩れる。


 韓信(かんしん)は三万の兵を使い、その矛盾をこちらへ押しつけていた。


 俺はもう一度、西の山道へ目を向けた。


 まだ劉邦(りゅうほう)の旗は見えないが、このまま包囲を完成できなければ、やがて本隊が現れる。夏侯嬰(かこうえい)も、盧綰(ろわん)も、そして劉邦(りゅうほう)自身も山道の向こうにいる以上、到着を許せば今ある兵力差は一気に縮まる。


 待ち伏せそのものには成功した。


 だが、その成功を勝利へ変えられるかどうかは、まだ決まっていない。


 韓信(かんしん)の三万を本隊が到着する前に崩せるか、それとも劉邦(りゅうほう)の到着まで持ちこたえられるか。


 陳倉(ちんそう)の戦いは、いつの間にか兵数ではなく、残された時間を奪い合う戦いへ変わっていた。


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