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勇者の君へ ——僕は平穏に暮らしたかった物語——  作者: R.R.
第一章 天才、ここに誕生

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03、剣術

木剣が、風を切った。


「――もう一度」


「はい!」


 ルインは両手で木剣を握り直した。


 目の前に立つのは、屋敷お抱えの剣術教師だった。


 年齢は四十を越えている。身体は大きく、腕も太い。子供相手の稽古だからといって、手を抜いているようには見えなかった。


「まずは基本だ。構えから覚えろ」


「はい」


「足はこうだ」


 教師がゆっくりと動く。


 右足を引き、腰を落とす。


 肩の力を抜き、木剣を斜めに構える。


「この姿勢を崩すな。剣術というのは、力任せに振ればいいものではない」


「はい」


「では、真似してみろ」


 ルインは頷いた。


 そして――。


「……え?」


 教師の顔が固まった。


 ルインは、さっき見た通りに身体を動かしていた。


 右足を引く。


 腰を落とす。


 肩の力を抜く。


 木剣を構える。


 ほんの数秒前に教わったばかりの動きだった。


「……坊ちゃん」


「はい?」


「今の構え。誰に習った?」


「え?」


 ルインは首を傾げた。


「今、先生が教えてくれたんですよね?」


「……そうだ」


「じゃあ、先生に習ったんだと思います」


 あまりにも素直な答えだった。


 教師は困ったように眉を寄せる。


「普通はな。一度見ただけで、そこまで綺麗には真似できん」


「そうなんですか?」


「そうなんだ」


 教師は木剣を握り直した。


「では、振ってみろ」


「はい!」


 ルインが踏み込む。


 ――ヒュッ。


 木剣が振り下ろされた。


「…………」


 教師は黙った。


「どうですか?」


「……もう一度」


「はい!」


 ルインはもう一度振った。


 今度は少し速く。


 教師の目が細くなる。


「三度目」


「はい!」


 四度目。


 五度目。


 振るたびに、身体が勝手に馴染んでいく。


 握り方も。


 足の位置も。


 腰の回し方も。


 どこに力を入れて、どこから抜けばいいのかも。


 誰かに教わった覚えなどないのに、身体だけが知っている。


「……おかしい」


 教師が小さく呟いた。


「何がですか?」


「いや……」


 教師はルインを見つめた。


 その目には、驚きだけではない。


 警戒にも似た色が浮かんでいた。


「坊ちゃん。今度は私の動きを見てみろ」


「はい」


 教師が構えた。


 そして一歩踏み込む。


 右から左へ。


 斜めに木剣を振り抜く。


「これをやってみろ」


「はい」


 ルインも構えた。


 教師と同じように一歩踏み込む。


 だが――。


「違う」


 教師が即座に言った。


「え?」


「いや……違わない」


 教師は自分の言葉を訂正した。


「今の動きは、私が教えたものと同じだ」


「じゃあ、合ってますよね?」


「……合っている」


 教師はため息を吐いた。


「だが、お前は今、私が見せた動き以上のことをした」


「?」


「足だ」


 教師がルインの足元を指差した。


「最後の一歩。あれは何だ?」


「何って……」


 ルインは自分の足を見る。


「分かりません」


「分からない?」


「はい」


 本当に分からなかった。


 自分では、ただ身体を動かしただけだった。


 なのに教師は、しばらくルインから目を離さなかった。


「……妙な子供だ」


「褒めてます?」


「さあな」


 教師が苦笑する。


「だが、剣の才能があるのは間違いない」


「本当ですか?」


 ルインの顔がぱっと明るくなった。


 その表情を見て、教師も少しだけ笑った。


「ああ。本当だ」


「じゃあ、もっと教えてください!」


「もちろんだ。ただし――」


 教師は木剣をルインの肩に軽く乗せた。


「才能があるからといって、調子に乗るな」


「はい!」


「返事だけはいいな」


「先生が怖い顔をしているので」


「誰が怖い顔だ!」


 ルインが笑った。


 教師もつられて笑う。


 さっきまでの妙な空気が、少しだけ消えた。


 けれど。


 稽古が終わったあとも、教師の中には一つの疑問が残っていた。


 ――あの足運び。


 あれは、子供が身につけられるものではない。


 まるで。


 何度も何度も戦場で繰り返してきた人間のような――。


 そこまで考えて、教師は首を振った。


「……考えすぎか」


 一方。


 ルインはそんなことなど知らず、楽しそうに木剣を眺めていた。


 剣を握ると、不思議と心が落ち着く。


 初めて触ったはずなのに。


 ずっと昔から知っているような気がする。


「……変なの」


 ルインは小さく笑った。


 そして、その日の夜。


「おやすみなさい」


 母に挨拶をして、ルインはベッドへ入った。


 疲れていたのだろう。


 目を閉じてから、眠りに落ちるまでに時間はかからなかった。


 ――夢を見た。


 真っ暗な場所だった。


 何も見えない。


 何も聞こえない。


 ただ、手の中に何かがある。


 ルインはそれを握っていた。


 剣。


 黒い剣だった。


「……これ、何?」


 夢の中の自分が呟く。


 すると。


 遠くから、誰かの声が聞こえた。


『――シト』


「……?」


 知らない名前だった。


 なのに。


 その名前を聞いた瞬間。


 胸の奥が、どうしようもなく痛くなった。


「誰……?」


 答えはない。


 ただ、黒い剣だけが震えている。


 そして次の瞬間――。


 目の前に、誰かの姿が浮かんだ。


 銀色の髪。


 碧い瞳。


 泣いている少女。


 その顔を見た瞬間、ルインは息を呑んだ。


「……誰なの?」


 少女が、何かを言う。


 けれど声は聞こえない。


 手を伸ばす。


 届かない。


「待って!」


 叫んだ瞬間――。


 ルインは目を覚ました。


「――っ!」


 ベッドの上で身体を起こす。


 息が荒い。


 胸に手を当てる。


 心臓が、嫌なほど大きく鳴っていた。


「……夢?」


 額に手を当てる。


 汗をかいている。


 しばらく何も考えられなかった。


 やがて、ルインは小さく息を吐く。


「変な夢……」


 黒い剣。


 知らない名前。


 知らない少女。


 どれも、自分には関係のないもののはずだった。


「……シト、って誰だろう」


 その名前を口にした途端。


 胸の奥が、また少しだけ痛んだ。


 ルインは眉を寄せる。


 けれど、もう一度目を閉じた。


 夢のことなんて、朝になれば忘れている。


 そう思っていた。


 ――この時のルインは、まだ知らなかった。


 自分の中に眠っているものが。


 いつか、自分自身の人生を大きく揺さぶることになるということを。


 そして。


 その夢に出てきた少女が、遠い未来で自分の前に現れることを。


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