03、剣術
木剣が、風を切った。
「――もう一度」
「はい!」
ルインは両手で木剣を握り直した。
目の前に立つのは、屋敷お抱えの剣術教師だった。
年齢は四十を越えている。身体は大きく、腕も太い。子供相手の稽古だからといって、手を抜いているようには見えなかった。
「まずは基本だ。構えから覚えろ」
「はい」
「足はこうだ」
教師がゆっくりと動く。
右足を引き、腰を落とす。
肩の力を抜き、木剣を斜めに構える。
「この姿勢を崩すな。剣術というのは、力任せに振ればいいものではない」
「はい」
「では、真似してみろ」
ルインは頷いた。
そして――。
「……え?」
教師の顔が固まった。
ルインは、さっき見た通りに身体を動かしていた。
右足を引く。
腰を落とす。
肩の力を抜く。
木剣を構える。
ほんの数秒前に教わったばかりの動きだった。
「……坊ちゃん」
「はい?」
「今の構え。誰に習った?」
「え?」
ルインは首を傾げた。
「今、先生が教えてくれたんですよね?」
「……そうだ」
「じゃあ、先生に習ったんだと思います」
あまりにも素直な答えだった。
教師は困ったように眉を寄せる。
「普通はな。一度見ただけで、そこまで綺麗には真似できん」
「そうなんですか?」
「そうなんだ」
教師は木剣を握り直した。
「では、振ってみろ」
「はい!」
ルインが踏み込む。
――ヒュッ。
木剣が振り下ろされた。
「…………」
教師は黙った。
「どうですか?」
「……もう一度」
「はい!」
ルインはもう一度振った。
今度は少し速く。
教師の目が細くなる。
「三度目」
「はい!」
四度目。
五度目。
振るたびに、身体が勝手に馴染んでいく。
握り方も。
足の位置も。
腰の回し方も。
どこに力を入れて、どこから抜けばいいのかも。
誰かに教わった覚えなどないのに、身体だけが知っている。
「……おかしい」
教師が小さく呟いた。
「何がですか?」
「いや……」
教師はルインを見つめた。
その目には、驚きだけではない。
警戒にも似た色が浮かんでいた。
「坊ちゃん。今度は私の動きを見てみろ」
「はい」
教師が構えた。
そして一歩踏み込む。
右から左へ。
斜めに木剣を振り抜く。
「これをやってみろ」
「はい」
ルインも構えた。
教師と同じように一歩踏み込む。
だが――。
「違う」
教師が即座に言った。
「え?」
「いや……違わない」
教師は自分の言葉を訂正した。
「今の動きは、私が教えたものと同じだ」
「じゃあ、合ってますよね?」
「……合っている」
教師はため息を吐いた。
「だが、お前は今、私が見せた動き以上のことをした」
「?」
「足だ」
教師がルインの足元を指差した。
「最後の一歩。あれは何だ?」
「何って……」
ルインは自分の足を見る。
「分かりません」
「分からない?」
「はい」
本当に分からなかった。
自分では、ただ身体を動かしただけだった。
なのに教師は、しばらくルインから目を離さなかった。
「……妙な子供だ」
「褒めてます?」
「さあな」
教師が苦笑する。
「だが、剣の才能があるのは間違いない」
「本当ですか?」
ルインの顔がぱっと明るくなった。
その表情を見て、教師も少しだけ笑った。
「ああ。本当だ」
「じゃあ、もっと教えてください!」
「もちろんだ。ただし――」
教師は木剣をルインの肩に軽く乗せた。
「才能があるからといって、調子に乗るな」
「はい!」
「返事だけはいいな」
「先生が怖い顔をしているので」
「誰が怖い顔だ!」
ルインが笑った。
教師もつられて笑う。
さっきまでの妙な空気が、少しだけ消えた。
けれど。
稽古が終わったあとも、教師の中には一つの疑問が残っていた。
――あの足運び。
あれは、子供が身につけられるものではない。
まるで。
何度も何度も戦場で繰り返してきた人間のような――。
そこまで考えて、教師は首を振った。
「……考えすぎか」
一方。
ルインはそんなことなど知らず、楽しそうに木剣を眺めていた。
剣を握ると、不思議と心が落ち着く。
初めて触ったはずなのに。
ずっと昔から知っているような気がする。
「……変なの」
ルインは小さく笑った。
そして、その日の夜。
「おやすみなさい」
母に挨拶をして、ルインはベッドへ入った。
疲れていたのだろう。
目を閉じてから、眠りに落ちるまでに時間はかからなかった。
――夢を見た。
真っ暗な場所だった。
何も見えない。
何も聞こえない。
ただ、手の中に何かがある。
ルインはそれを握っていた。
剣。
黒い剣だった。
「……これ、何?」
夢の中の自分が呟く。
すると。
遠くから、誰かの声が聞こえた。
『――シト』
「……?」
知らない名前だった。
なのに。
その名前を聞いた瞬間。
胸の奥が、どうしようもなく痛くなった。
「誰……?」
答えはない。
ただ、黒い剣だけが震えている。
そして次の瞬間――。
目の前に、誰かの姿が浮かんだ。
銀色の髪。
碧い瞳。
泣いている少女。
その顔を見た瞬間、ルインは息を呑んだ。
「……誰なの?」
少女が、何かを言う。
けれど声は聞こえない。
手を伸ばす。
届かない。
「待って!」
叫んだ瞬間――。
ルインは目を覚ました。
「――っ!」
ベッドの上で身体を起こす。
息が荒い。
胸に手を当てる。
心臓が、嫌なほど大きく鳴っていた。
「……夢?」
額に手を当てる。
汗をかいている。
しばらく何も考えられなかった。
やがて、ルインは小さく息を吐く。
「変な夢……」
黒い剣。
知らない名前。
知らない少女。
どれも、自分には関係のないもののはずだった。
「……シト、って誰だろう」
その名前を口にした途端。
胸の奥が、また少しだけ痛んだ。
ルインは眉を寄せる。
けれど、もう一度目を閉じた。
夢のことなんて、朝になれば忘れている。
そう思っていた。
――この時のルインは、まだ知らなかった。
自分の中に眠っているものが。
いつか、自分自身の人生を大きく揺さぶることになるということを。
そして。
その夢に出てきた少女が、遠い未来で自分の前に現れることを。




