14、姉妹….みたい?
パンが焼ける、香ばしい匂いが広がっていた。
かまどの中で、パンがこんがりと色づいていく。
私はそれを眺めながら、深いため息をついた。
「……夢じゃないんだよね、これ」
誰に聞かせるでもなく呟いて、自分の手を見下ろす。
細い指。小さな手のひら。少し力を込めただけで、手の甲に浮かぶ筋まで頼りなく見えた。
つい先ほど、鏡で確認したばかりだ。
どう見ても十五歳前後。
昨日までの私とは、身体の大きさがまるで違う。
いや、昨日までどころか、勇者になる前の私と比べても、どこか違和感がある。
「……本当に、どうしてこうなったかなぁ」
原因は、行商人からもらった透明な粒。
珍しい食材だと思って、パンに混ぜてしまった。味に問題はなかったし、身体に悪そうな感じもしなかった。
まさか、食べた翌朝にこんなことになるなんて。
人生、何が起きるか分からない。
……いや、さすがにこれは予想できないよ。
「おねえちゃんー? パン、焦げない?」
「えっ、あっ!」
ルネの声に慌ててかまどを確認する。
危ない。考え事をしている場合じゃなかった。
焼き上がったパンを取り出すと、表面はきれいなきつね色になっていた。焦げた匂いもしない。
よかった。
私はほっと胸を撫で下ろし、それから自分の着ている服に目を落とした。
……うん。
やっぱり、問題はこっちだ。
元の身体に合わせて仕立てた服は、今の私には大きすぎる。
袖は指先をすっぽり覆っているし、裾も余っている。腰のあたりも緩くて、歩くたびに布が揺れる。
なんとか紐で留めてみたものの、どうにも落ち着かない。
「おねえちゃん、ちょっとこっち向いて」
「ん? なに?」
振り返ると、ルネが私の袖をじっと見つめていた。
「……それ、動きにくくない?」
「動きにくいよ」
「だよね」
即答すると、ルネはなぜか満足そうに頷いた。
「じゃあ、直そう!」
「え?」
「針と糸、あるでしょ? ほら、座って!」
ルネは私の返事を待たず、椅子を引いてくれた。
……あれ?
なんだろう、この感じ。
普段なら、私がルネの世話を焼く側なのに。
食事を用意して、パンを焼いて、無茶をしないように見張って。
なのに今は、ルネが私の面倒を見ようとしている。
「いや、自分でできるよ?」
「袖、踏んで転びそうになったの誰?」
「…………私です」
「裾を踏んで、椅子に座るときに引っかかったのは?」
「…………私です」
「じゃあ、座って!」
「はい……」
ぐうの音も出なかった。
ルネは勝ち誇ったように笑うと、裁縫道具を持ってきた。
その顔があまりにも得意げだったので、私は思わず頬を膨らませる。
「……なんか、悔しい」
「ふふん。今日の私は、おねえちゃんのおねえちゃんだからね!」
「ややこしっっっ」
思わず声が大きくなった。
ルネはきょとんとしたあと、楽しそうに笑い出す。
「だって、今のおねえちゃんは小さいんだもん!」
「小さいって言わないで!」
「小さいよ?」
「うっ……」
正論はやめてほしい。
私は口を尖らせたまま、椅子に座り直した。
……あれ?
今、私、頬を膨らませなかった?
しかも、言い返し方まで子供っぽかったような。
胸の奥が、妙にざわついた。
身体が若返っただけなのか。それとも、頭の中まで少し影響を受けているのか。
さっきから、いつもなら気にしないようなことでむきになってしまう。
自分でも、少しおかしいと思う。
勇者だった頃、こんなふうに感情を表に出すことはあまりなかった。
戦いの最中はもちろん、旅の途中でも、なるべく冷静でいようとしていたから。
けれど今は、ルネにからかわれるだけで、つい反論してしまう。
まるで、昔の自分に戻ったみたいだ。
「……おねえちゃん?」
不意に、ルネの声が優しくなった。
「どうしたの? どこか痛い?」
「え? ううん。大丈夫」
「本当に?」
ルネは針を置いて、私の顔を覗き込んだ。
その瞳には、さっきまでのからかうような色はない。
ただ、心配してくれている。
「……ちょっと、自分でもびっくりしてるだけ」
「そっか」
ルネはそれ以上、深く聞かなかった。
代わりに、私の長すぎる袖を丁寧に折り返し、どのくらい詰めればいいかを確かめてくれる。
「これくらいかな?」
「うん。ちょうどよさそう」
「じゃあ、ここを縫って……っと」
針を動かすルネの横顔を見つめる。
真剣な表情。
普段は私に甘えてくることも多いのに、こうしていると、ずいぶん頼もしく見えた。
「……ふふっ」
「ん? どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
私は首を振った。
なんだか、嬉しかったのだ。
自分がこんな姿になってしまったことは、まだ受け入れられない。
元に戻れるのかも分からないし、これからどう生活すればいいのかも分からない。
不安は、いくらでもある。
それでも。
目の前で一生懸命に服を直してくれるルネを見ていると、不思議と心が落ち着いた。
この子がいてくれてよかった。
そう思った瞬間、自然と笑みがこぼれた。
「……ありがとう、ルネ」
「えっ?」
ルネが顔を上げる。
「服、直してくれて。あと、心配してくれて」
「べ、別に! いつもおねえちゃんにお世話になってるから、そのお返し!」
ルネは少し照れたように目を逸らした。
耳まで赤くなっている。
……あれ?
もしかして、この子も照れることがあるんだ。
いつも私のことをからかってくるから、てっきりそういうのは平気なのかと思っていた。
「ふふっ」
「な、なに?」
「ううん。ルネって、かわいいなって」
「なっ……!?」
今度はルネが固まった。
「ちょ、ちょっと! 急に何言ってるの!?」
「本当のことだけど?」
「そ、そういうのはいいから!」
顔を真っ赤にして抗議するルネ。
その反応が面白くて、私はまた笑ってしまった。
するとルネは、何かを思いついたように私を指さした。
「……おねえちゃんだって、かわいいよ!」
「えっ?」
「今のおねえちゃん、すっごくかわいい!」
「そ、それは……」
「ほら、顔も赤くなってる!」
「なってない!」
「なってる!」
「なってないってば!」
気づけば、私たちは子供みたいに言い合っていた。
……いや、今の私は本当に子供みたいな身体なのだけれど。
そんなことを考えたら、また笑いが込み上げてきた。
ルネもつられたように笑う。
小さな店の中に、二人の笑い声が響いた。
やがて服の手直しが終わると、ルネは満足そうに胸を張った。
「はい、完成!」
「おお……! ありがとう、ルネ!」
袖を動かしてみる。
さっきまでのように手が隠れることもないし、裾を踏む心配もなさそうだ。
これなら、なんとか生活できる。
「すごいね。上手じゃない」
「えへへ。これくらいならね!」
褒められたルネは、嬉しそうに頬を緩めた。
私は立ち上がり、テーブルに焼きたてのパンを並べる。
温めたミルクと、少しだけ残っていた果物のジャムも添えた。
「それじゃあ、お礼におやつにしようか」
「やった!」
ルネは勢いよく椅子に座った。
「……あっ、待って。おねえちゃんが座るまで待つ!」
すぐに立ち上がり、私の椅子を引いてくれる。
その仕草が妙におかしくて、私は目を細めた。
「ふふっ。ありがとう」
「どういたしまして、おねえちゃん」
そう言って、ルネはにっこり笑った。
私はその笑顔を見つめながら、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。
身体は小さくなってしまった。
明日からどうなるのかも、まだ分からない。
けれど、少なくとも今は。
こうして一緒にパンを食べて、笑い合える相手がいる。
それだけで、少しだけ心が軽くなった。
「ねえ、おねえちゃん」
「なに?」
「明日も、一緒にパン焼こうね!」
「……うん。もちろん」
私は笑って頷いた。
十五歳の身体になった私と、いつも隣にいてくれるルネ。
なんだか、姉妹みたいだな。
そんなことを思いながら、私は焼きたてのパンを一口かじった。
香ばしい匂いと、優しい甘さが口いっぱいに広がる。
――まあ、元に戻る方法は、明日から考えればいいか。
今はこの子と一緒に、温かいおやつの時間を楽しもう。
そう思えるくらいには、私はもう笑えていた。




