↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者の君へ ——僕は平穏に暮らしたかった物語——  作者: R.R.
第二章 集い、始まる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/20

11、実験

 地下研究室には、時計の音がなかった。


 壁一面に並ぶ魔導具が低く唸り、青白い光が無数の瓶を照らしている。瓶の中には、液体とも結晶ともつかない物質が浮かんでいた。


 その中心で、男が一冊の研究記録を閉じた。


「……ようやくだ」


 ヴァルドは眼鏡を押し上げ、目の前の装置を見つめた。


 王国は、魔王を倒した英雄を称え、聖剣を讃え、正義を語る。


 反吐が出る。


 その輝かしい歴史の裏側で、どれほどの人間が切り捨てられたのか。どれほどの命が、王国の都合で踏みにじられたのか。


 彼は忘れていない。


「死者を蘇らせる。時間を巻き戻す。そして、あの魔王をもう一度この世界へ呼び戻す」


 誰もいない研究室に、ヴァルドの声が響いた。


「そうすれば、今度こそ王国を壊せる」


 そのために必要なのは、奇跡ではない。


 理論と、魔力と、犠牲だ。


     *


 第一実験の対象は、一輪の花だった。


 枯れた花を台座に固定し、周囲に刻まれた術式へ魔力を流し込む。ヴァルドが指を動かすと、装置の中央に淡い光が集まり始めた。


「対象の時間を、過去へ干渉させる。肉体の状態を以前の段階へ戻す……理論上は可能なはずだ」


 光が花を包んだ。


 枯れた花弁が震え、茶色く変色した茎がわずかに持ち直す。散りかけていた花びらが、逆再生するように元の形へ戻っていった。


「成功か……?」


 ヴァルドは身を乗り出した。


 しかし、次の瞬間。


 ガラスが弾ける音とともに、装置が激しく明滅した。


「なっ――!」


 術式の一部が焼き切れ、花は黒い灰となって崩れ落ちた。


 魔力の奔流が研究室を吹き抜け、棚の瓶がいくつも倒れる。ヴァルドは腕で顔を庇いながら、歯を食いしばった。


 やがて光が消えた。


 静寂の中、彼はゆっくりと顔を上げる。


「……失敗、か」


 声には落胆が滲んでいた。


 だが、彼の目は床に落ちた花の残骸を捉えていた。


 灰の隣に、透明な粒が一つ残っている。


 ガラス片のようでいて、内側には淡い光が流れていた。触れた指先に、奇妙な温かさが伝わる。


「これは……?」


 分析の結果、その物質は周囲の時間に微細な干渉を起こす性質を持っていた。完全な巻き戻しには至らなかったものの、時間の流れそのものに触れた痕跡が残っている。


 ヴァルドはしばらく黙り込んだ。


 そして、乾いた笑いを漏らした。


「花は救えなかった。だが、時間の欠片は残ったわけか」


 彼はそれを小瓶へ封じた。


「使い道は……いずれ考えよう」


     *


 第二実験には、花ではなくとある人間…..いや、怪物の死体が必要だった。


 研究室の奥。幾重もの結界に囲まれた台座の上に、怪物の死体が横たわっている。


 ヴァルドはその顔を見下ろした。


「怪物よ、待っていろ」


 返事はない。


「死の直前まで時間を戻す。肉体が生きていた状態へ戻れば、生命活動も再開するはずだ。魂さえ戻れば……」


 言葉を切り、彼は術式を起動した。


 床に刻まれた魔法陣が赤く染まり、死体の周囲に光の輪が幾重にも重なる。


 空気が震えた。


 死体の指先が、ぴくりと動く。


「来たか……!」


 ヴァルドの顔に興奮が浮かんだ。


 皮膚の変色が薄れ、閉じられたまぶたがかすかに震える。まるで時間だけが過去へ引き戻されているかのようだった。


 しかし、胸は動かない。


 心臓は沈黙したまま。


 いくら肉体を巻き戻そうとしても、そこにあるはずのものが戻ってこなかった。


「どうしてだ……。肉体は戻りかけている。術式も機能している。なら、なぜ――!」


 魔法陣がひび割れた。


 ヴァルドは慌てて魔力を注ぎ込んだが、光は一瞬だけ強く輝き、次の瞬間には砕け散った。


 死体は元の姿へ戻った。


 何も起きなかったかのように。


 ヴァルドは立ち尽くした。


 握り締めた拳が震えている。怒りなのか、悔しさなのか、自分でも判別できなかった。


「……時間を戻すだけでは、足りない」


 やがて彼は、低く呟いた。


「肉体を戻せても、魂は戻らない。死者を蘇らせるには……別の何かが必要だ」


 その答えは、まだ見えない。


 だが、諦めるつもりもなかった。


「待っていろ、魔王。必ず、お前をこの世界へ呼び戻す」


     *


 数日後。


 ヴァルドは研究室の隅に積まれた失敗作を見下ろしていた。


 第一実験で生まれた透明な物質。時間への干渉は確認できたが、安定性に欠け、研究に利用するには危険すぎる。


 第二実験にも役立たなかった。


 今の彼にとって、保管する価値はない。


「廃棄しておけ」


 助手が戸惑った顔をした。


「ですが、先生。時間干渉の痕跡があるのなら、もう少し分析を――」


「聞こえなかったか?」


 ヴァルドが顔を上げた。


 冷たい視線に射抜かれ、助手は言葉を飲み込んだ。


「役に立たないものを抱えている余裕はない。次の実験の準備をしろ」


「……承知しました」


 小瓶は、ほかの廃棄物とともに運び出された。


 ヴァルドはそれを見送ろうともしなかった。


 彼の意識は、すでに次の研究へ向いていたからだ。


 小瓶が研究施設を離れたことも。


 やがて誰かの手に渡ることも。


 そして、その中に残された時間の欠片が、思いもよらない形で人の運命を変えることも。


 彼は知らない。


 遠い町のどこかで、今日もパンが焼かれている。


 香ばしい匂いに誘われて、人々が店を訪れる。


 その店の主が、やがて一つの食材を手にすることになるなど――。


 まだ、誰も知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。