8話:偽りの主従契約
無事にリヒトのお披露目の夜を乗り越え、彼を「勇者」としての立ち位置に据えることには成功した私たちは、今後の具体的な方針を話し合うため、リヒトのために用意された広大な客室へと移動していた。
これで彼が私の〝理想の勇者様〟であったなら、何一つ問題はなかったのだけれど。
……外見だけは極上なのに中身が最悪なリヒトでさえなければ、と心底思う。
『さっきは流石に肝を冷やしたぞ。まさかこの目で本物の『妖精』を見て、それが人の姿へ実体化する瞬間まで特等席で拝むことになるとはな。本当に異世界なんだな、ここ』
『妖精って……ピカリンはあんたの百倍は強くて尊い存在なんだから、その不遜な態度には気をつけなさいよ? ね? ピカリン』
(うんっ! ボクもアインちゃんのお役に立てて嬉しかったな、ピカ!)
『ピカ、か……。その高位精霊というのは、向こうの世界で言えばどれほど規格外の存在なんだ?』
豪奢な部屋の中央で、どうにも落ち着かないのかリヒトは立ったままだった。
それに比べて、私は仮にも『勇者』を前に不遜なほど優雅にソファーへ腰掛け、肩に乗る精霊ピカリンを見つめたまま問いかけに応じた。
あの晩餐会の最中、私を介して〝精霊との簡易的なパス〟をリヒトの霊子にも繋げておいた。
だから今の彼には、ピカリンの姿も、脳裏に響く少年のような可愛らしい声もはっきりと聞こえているはずだ。
『そうね……。
例えるなら、街をぶらりと歩いていたら、偶然天界から降臨された、白銀の長髪でおそろしく長い漆黒の太刀を持った、片翼の美しい大天使様——に出会ってしまうくらいには有り得ない奇跡よ』
『いや、全然例えになってないんだが。前世のゲームの知識に偏りすぎだろ』
なぜ伝わらないのかしら。完璧な例えのつもりだったのだけれど。
『とにかく……この世界には魔術があって、その力の根幹的な概念が具象化した神域の存在が高位精霊なのよ。本体が塊で目の前に出てきたら、誰だって腰を抜かすわ』
『あぁ、霊的事象の顕現的な驚きか。最初からそう言えよ』
なぜそっちの現実的な説明のほうが呑み込みが早いのよ。本当に調子が狂う男だわ。
『まったく……。まあいいわ。ねぇ、ピカリン? パスを通じて何か分かった? 実際、この男の潜在的な力ってどう思う?』
(んーっとね、魔術の才能はこれっぽっちも感じないかな!!
それ以前に、なんて言うか……この人の魂、器の中が〝空っぽ〟なの。
例えるなら、ただ冷たい鉄みたい。
……あ、でも精霊との相性自体は悪くないと思う、ピカ! !
風とか雷とか、そっちの気性の荒い暴力的な精霊に好かれそうな感じ。
——でも、ボクは絶対に嫌いだけどね! ピカッ!!)
『これ以上ないってくらい明確に拒絶された上に、魂が空っぽとまで言われると、流石に傷つくな……』
屈託のない無垢な笑みを浮かべるピカリンの、純粋ゆえに鋭い言葉の刃。
少なくないダメージを受けたリヒトは、気を取り直すように私へと向き直った。
『んで、これからどうするんだ、アイン王女殿下? まずは俺に, この世界の言語を手取り足取り優しく教えてくれる約束だったか?』
『嫌よ、面倒くさい。なんであなたみたいな最低男に、私がそんな労力を割かなきゃいけないのよ。出会い頭に押し倒されて刃物で脅された件、忘れたとは言わせないわよ?』
『あ〜、アレは条件反射的なやつで……確かに俺も冷静さを欠いていた。悪かったな』
意外にもすんなりと頭を下げたリヒトの態度に、私は思わず目を丸くする。
『わ、わかればいいのよ……なによ、急に素直になられたら調子が狂うじゃない』
『なるほど、王女様は強気な男の方が、お好みだと』
『ええ、あなたじゃなければね?』
唇を尖らせる私を、リヒトはニヤリとした小癪な笑みで見据えた。
そして、私の正面にある大理石のテーブルに、無作法に腰掛けた。
『なぁ、アイン王女様。
お前の言う〝本物の勇者〟の基準ってのは、一体どこにあるんだ?
この世界に俺を引っ張り込んだのは、アイン王女様本人だろう?
なら、お前がこれから何人別の人間を呼び寄せようが、そいつらはただの異世界人だ。
そこに〝本物〟なんていう正解が、最初から存在するのか?』
何かと思えば、そんな簡単な質問。答えは決まりきっている。
『あるわよ。——〝本当の勇者〟の基準は、私がこの先の人生で、結婚してもいいと思えるかどうかよ!』
『……は?』
『言ったでしょう? 私はこのクソ王国から、絶対的な自由を勝ち取りたいの。
それは、王女という立場から逃げることで得られる自由じゃない!
王女として、自分の人生の主権を, 自分の手で完璧に掌握するということよ!
私は生まれ変わったこの人生で、今の私のまま、誰一人として他人に振り回されずに生きたいの!』
私は、前世のあの凄惨な最期で悟ったのだ。
周囲の身勝手な感情に振り回され、己の意思を貫く強さを持たなければ、無垢だった美咲のように壊れてしまう。
中途半端な情や道徳心で人と関われば、私のようになってしまう。
そして、誰か一人の存在に狂信的に執着しすぎれば、あの逆恨みで私を殺したエリカのようになってしまうのだ。
そのどれにもなりたくない。
すべての選択を自分で下し、自己中心的に、自分の都合だけで完結して生きていく。
それこそが私の求める、本当のセカンドライフなのだから。
『クク、——ハハハハッ! 本当にめちゃくちゃな理屈だな。
けど、悪くない。……嫌いじゃないぜ、俺はそういう歪んだ奴が』
リヒトは額に手を当てながら、愉しげに笑い声を上げた。
呆れて視線を逸らした私の前、彼はスッとテーブルから降りて立ち上がった。
次の瞬間、ガッと音を立ててソファーの座面に片足をかけ、私の頭の真横、背もたれに手を突いて、逃げ道を塞ぐように覆いかぶさってきた。
(——え!?)
端正な顔が、心臓が止まるほどの近さまで強引に迫る。
驚愕に目を見開いた私の顎を、彼は細い指先でクイ、と優しく、けれど拒絶を許さない力強さで持ち上げた。
「——っ!? ぇ? え!?」
急に、顔が近すぎる!!
睫毛の数まで数えられそうな距離。
リヒトの呼吸が、肌の熱が、群青の眼差しが、冷たいようでいて熱い色気が私を搦め捕る。
彼は私の頬に触れそうな距離で、甘く、けれど酷く昏い声音で囁いた。
『……それなら別に、他の誰かじゃなく、俺でもいいんじゃねぇか?』
その甘い低音に、私の脳内は一瞬でパニックを起こした。
前世も含めて、男の人に詰め寄られたことなんて、なかった。
ドクドクとうるさい心臓を私は必死に黙らせ。なぜか脱力して力の入らない腕をゆっくりと伸ばす。
『調子に、乗らないで』
「ピカリン、同調(憑依)——《光刃》」
私の右半身からまばゆい光の羽が弾け飛び、右手の甲に収束された高密度の光の魔力が、鋭利な一振りの光刃を形作った。
『なっ!? ちょ, 待て! 冗談だ、落ち着け! その物騒極まりない輝く獲物をしまえ!』
問答無用。
空気を引き裂く重低音とともに、光の刃が咄嗟に後ろへ飛び退いたリヒトの喉元を容赦なく掠めた。
「——〝ミケ〟来なさい」
先ほどまでリヒトが立っていた床一面に、巨大な幾何学の魔術式が展開され、禍々しい漆黒の光を放った。
そこから這い出てきたのは、鋭利な牙がずらりと並んだ、三つの凶悪な顎門。
「「「ガルルルルゥウ……」」」
神話に謳われる地獄の番犬ケルベロス——私の可愛い、最高位の召喚獣〝ミケ〟である。
『ミケ、ご飯の時間よ』
『いや、待て待て待て!? 〝ミケ〟って図体じゃないだろう! それにどちらかと言うなら、その外見は〝ポチ〟のほうが——』
『ふぅん。あなた、〝ポチ〟のほうが好みなの? いいわよ、ご希望通りに呼んであげるわ』
「……グルゥ」
『は……っ、——え、嘘だろ……っ!?』
王城のテラスに鎮座していたはずの『赤炎竜』ポチが、即座に中空へ描かれた第二の術式から、勇猛なる紅蓮の翼を広げて姿を現した。圧倒的な竜種の鼻息が、リヒトの前髪を激しく吹き散らす。
ミケとポチの巨体が、必要以上にだだっ広い室内を埋め尽くす圧迫感はさぞ恐ろしいに違いない。
『ポチ、ミケ。——それ、食べていいわよ』
「「「ガルルッ!」」」
「グルラァアアッ!」
『ちょっと待った!! タイムだ!! わかった、完全に俺が悪かった!!
何でもする! 言うことを何でも聞く!!
勇者でも召使いでも奴隷でも何にでもなる!! だから、この化け物どもを下げてくれ——っ!?』
顔面を紙のように白くしたリヒトを静かに見下ろしながら、私は慈悲深く現状を教えてあげることにした。
『……礼儀がなってないって、ミケとポチが怒っているわよ。その子たちは人語が分かるの。あんたのさっきの態度が、一等気に入らないんですって』
先輩方に完全に退路を断たれ、彼はゆっくりと腰を落とし、床に膝を突いて頭を下げた。
『分かった、俺が全面的に悪かった。今後、ミケ殿とポチ殿にも、最大の敬意を持って接すると約束する。だから今回だけは勘弁してくれ、頼む』
『あなた、さっき〝何でもする〟って言ったわよね? 私たちの立場は〝対等〟じゃないわ。明確な〝主従〟よ』
ニヤリと思わず口元が歪むのを自覚する。
私のその邪悪な表情を見て、リヒトの顔からさらに血の気が引いていくのが分かった。
少し悪役のような顔をしてしまっているかもしれないけれど、今まで倫理的な観点から試してこなかった〝アレ〟をやるには、これ以上ない実験台だ。
私は右手に全魔力を集中させ、無詠唱で精密な術式を構築していく。
不気味に明滅する紫紺の〝刻印〟が、私の手のひらの上に完成した。
『ま、待て。何をする気か、なんとなく察しがついたぞ……。やめろ、な? 深呼吸して落ち着こう』
『ミケ、ポチ、押さえて』
必死に話を逸らすリヒトの身体を、ミケの巨大な前足とポチの質量が、容赦なく床へと圧着した。
『観念しなさい。大丈夫、すぐに終わるし、あなたにとっても悪いことばかりじゃないから』
『ひ、や……せめて、優しくしてくれ……っ』
……ん? なんだか、この台詞のやり取り、立場的に色々と逆になっていないかしら?
本来なら私の方が手込めにされて悲鳴を上げるような展開で——って、違うわ!
『不愉快だわっ!!』
『何がだ!?』
変な妄想を呼び起こされた怒りの勢いのまま、私は術式を展開した右手を、べちんっ、と彼の大胸筋のあたりに叩きつけた。
『あだっ!? あ、づ、――うぐ、あぢぢぢぢっ!! なんだ、これ……っ!? ぐ、あああぁっ!!』
リヒトは術式が肉体に焼き付けられていく胸元を押さえ、脂汗を流しながら苦悶の表情を浮かべた。
引き締まった彼の肉体に、私の魔力が紫紺の細いラインとなって、ドロりと溶け込むように刻まれていく。
やはり、知性を持つ人間相手に「従属刻印」を強引に上書きしたのはまずかったかしら……?
いや、契約関係を結んだ方が、私の魔力をパス経由で供給しやすくなるから。
決して、変な趣味で彼を従属させたわけでは——!
『ぐっ、……ふぅ、ふぅ、ふぅ……。終わった、のか……?』
荒い呼吸を繰り返し、溢れた汗を拭いながら、リヒトはゆっくりと上体を起こした。
そして、ふいに目が合った私の姿を捉えた瞬間——彼は、魂を奪われたかのように、呆けた顔で私を凝視した。
あまりの熱い視線に、若干の後ろめたさを感じた私は、思わず目を逸らす。
『な、何よ……。元はと言えば、あなたがいきなり不躾な真似をしてきたのが悪いのよ。
主従と言っても、あなたがこの世界にいる間、私に変な気を起こさなければ——』
『——可愛い』
『は?』
理解不能な単語が鼓膜を揺らした。え? 今、何て言ったの?
『アイン王女様って、こんなに可愛かったっけ。いや、めちゃくちゃ可愛いよな……。うん、なんだか俺、もしかしてお前のこと——』
『気のせい!!! それ、絶対に従属刻印のバグによる気のせいだからっ!?』
それ以上、心傷に悪い言葉を紡がせないために、私は彼の顔面に強烈なストレートを叩き込んだ。
私の心臓がさっきからうるさく脈打っているのも、全部術式の反動のせいなんだから!!
『ごふっ、——いい、パンチだったぜ、ご主人様……』
なんなのよ、それ。もう……この男、本当に嫌い!!




