6話:名付け
ここぞとばかりに言語の優位性を最大限に活かし、言外に「この勇者は私が管理する」と突きつけた私に、しかし国王は大手を振って喜び、玉座から立ち上がった。
「おお、まことか! 勇者殿が我らの味方となってくださるとは心強い! これで魔族との長い争いも終わりに——」
「ちょっと待て。待ってくれよ、親父殿」
まとまりかけた空気を無遠慮にぶち壊したのは、今まで不機嫌そうに無言を貫いていた第三王子ヨシュアだった。
「……チッ」
『おいおい、露骨に不快そうな顔をしているぞ。スマイル、スマイル』
うるさいわね。
あんたのせいでこっちはもう表情筋が限界を迎えているのよ。
それにしても、よりによって一番面倒な単細胞がしゃしゃり出てくるとは。
「ヨシュア、お父様の前ですよ。口を慎みなさい」
第二王女アリエルが冷ややかな流し目でヨシュアを制しようとするが、思慮の浅い男にそんな言葉は意味をなさない。
「いやいや、兄貴も姉貴もおかしいだろ!
存在したかどうかも分からない勇者なんて御伽話の存在がいきなり現れました、なんて誰が信じられるかってんだ。
しかも、あの不吉な〝アイン〟が連れてきたんだぞ?
なんなら言葉も訳が分からないし、態度もこちらを見下しているようで気に食わねぇ! !
勇者というのが本当なら、相応の証拠の一つでも見せてもらわねぇとなぁ!」
どうして男という生き物は、こうも血気に逸れた展開が好きなのか。
ちなみに、上から三番目までの兄姉はすべて第二夫人の子供たちだ。
このあたりで満足しておけば良かったものを、我が父ながら、いくら正妻に子供ができないからといって側室を娶りすぎではないかしら。
ああ、忌々しい。
権力に溺れて後宮を広げる男など、これだから反吐が出る。
寵愛の薔薇色に染まっていられるのは最初の一瞬だけ。
その後に待っているのは、血で血を洗う骨肉の相克、終わりなき泥沼の宮廷闘争劇だというのに。
『なんか、俺を見るアイツの目が険しいんだが。もしかして「勇者としての力を示せ」とでも要求されている感じか?』
……なぜ、言葉が通じないはずなのに正確に察知できるのよ。
異世界転移の加護かとも思ったが、どうやら違う。
その視線を追えば、相手の眼球の動き、筋肉の緊張、自分に向けられる敵意の指向性を注意深く観察しているのが見て取れる。
場の状況を完璧に読み解いているというの? 本来ならパニックになってもおかしくないこの状況で。
『まあ、概ねその通りだけれど。そのことなら、私に考えが——』
私が言いかけた、その瞬間だった。
私の目の前から、唐突に烏間の姿が消えた。
(——え?)
微かな風切り音すら一切ない。
ただそこにあったはずの質量が、陽炎のように掻き消えた。
呆気にとられる私が次に彼の姿を捉えた時——彼は既に、大広間の対面にいた第三王子ヨシュアの背後へと、音もなく佇んでいた。
いつの間にか卓上から引き抜かれていた、小さな果物ナイフの切っ先。
それがヨシュアの無防備な頸動脈へ、冷酷に、深く押し当てられている。
強烈な冷気が、私の背筋を駆け抜けた。
気配を、呼吸を、存在そのものを完全に世界の隙間に隠す、洗練され尽くした『歩法』。
この男、向向の世界で一体、何をして生きていたの——?
「——っ!? て、ててめぇ! なんの真似だ!?」
突如として死の境界線に立たされた衝撃に、ヨシュアは顔を青ざめさせて叫び散らした。
『うわ、身体が軽いな。なるほど、この世界の理が上乗せされると、ここまで勝手が違うものか』
「誰か、こいつを取り押さえろ! この俺の命を狙った逆賊だ! 殺しても構わん、今すぐ斬れ!!」
バッと烏間がナイフを引いた隙に、ヨシュアは振り返りながら無様に後退し、周囲の護衛を怒鳴りつける。
国王も動揺を隠せない様子で狼狽の極みを見せている。
他の兄姉たちは一瞬だけ驚きの表情を浮かべたものの、事の成り行きに興味があるのか、一様に冷徹な静観を決め込んでいた。
この人たちの、こういう酷薄な本性が、私は大嫌いなのだ。
『ん? 力を示すというのは、こういうことではないのか? ——これは、我が故郷流の親愛の表現だが、通じないか?』
通じるわけがないでしょう。その故郷は私の故郷でもあるのよ。
『いや、普通にやりすぎよ。それに、何その異常な身のこなし。……少し薄気味悪いわ』
『は? そこは感嘆して見惚れる場面だろう』
『馬鹿みたい』
ヨシュアの命令に応じ、彼の護衛騎士たちが一斉に烏間を取り囲んだ。
抜剣された白刃の切っ先が、冷酷に彼へと向けられる。
『これは、少々不味いな。アイン王女殿下? 手を貸してくれないか』
『絶対に嫌。私、他人は助けない主義なの』
『何だその主義。人道的に色々と問題があるんじゃないか?』
『自業自得でしょう。私の言葉を待たずに勝手に動くからよ』
道徳? 人道? ——そんな欺瞞、窮地の私を一度だって守ってはくれなかった。
そうした正しい行いが報われる世界であるならば、私は前世で、あんな逆恨みによって無惨に命を落とすはずがなかったのだ。
「アイン! これは、お前の指示か!? 今、その男と何を話している!」
「お兄様、私がそのような暴挙を指示するはずがございません。
今は勇者様に、その真意を問い質していたところにございます!」
「アインよ、勇者殿は何と!?」
完全にあたふたしている国王が、縋るように私を見つめてくる。
そこは「矛を納めよ」と一言、威厳を以てこの場を制して欲しい場面なのだけれど。
「勇者様は——」
「そいつの言葉など信じられるか! 構うな、者ども! その不届き者を直ちに討ち果たせ!!」
言いかけた言葉を遮り、激昂した第三王子が大声で騎士たちへ凶行を命じた。騎士たちも躊躇うことなく、手にした剣を真っ直ぐに突き出す——。
「はぁ……。お願いね、〝ピカリン〟」
私が心の中で小さく呟いた瞬間。
騎士たちの剣は烏間の肌に触れるよりも早く、彼を覆うように展開した〝幾何学的な黄金の光の紋様〟に激しく弾き返された。
それは単なる魔術の障壁ではない。
まばゆい神聖な光が、烏間の背後にまるで大いなる天使の翼のような紋章を描き出していた。
「な、何だこれは……! 剣が、通じない……!?」
「馬鹿な……この光の紋様は……ガルムス建国神話に刻まれた、選ばれし救世主の証——〝勇者の聖痕〟ではないか!?」
騎士たちの驚愕の声に、会場が大きくどよめいた。
事前に召喚しておいた光の高位精霊——通称〝ピカリン〟に、あらかじめあの男の身に危機が迫れば、建国神話の記述に似せた光の紋様を展開するよう頼んでおいたのだ。
単細胞の第三王子でなくとも、勇者の存在を目障りに思う兄姉たちが、いずれ難癖をつけて勇者の面目を潰しにかかるだろうということは予測がついていた。
だから私は、決して彼を助けたわけではない。
これは私自身の利益のためであり、元々予定していた演出に過ぎない。
だが、周囲の反応は私の想像以上に深刻だった。
第一王子アレクサンダーの、あの完璧な仮面の笑顔が完全に引き攣っている。
第二王女アリエルの瞳には、明確な戦慄と、それ以上の深い殺意が宿っていた。
アインが連れてきた『得体の知れない置物』だと思っていた男が、本当に国を揺るがす『本物の勇者——最強の手札』だと、彼らは骨の髄まで理解したのだ。
『おお……。凄いな、これは魔法ってやつか? 本当に異世界なんだな』
周囲の生々しい殺意の膨張に気付いているのかいないのか、危機感の欠片もない烏間が、興味深そうに自分を包み込む光の結界を眺めている。
『私の『魔術』よ。言っておくけれど、別にあなたを救ったわけではないから。
……光の聖痕に守られる姿って、いかにも〝勇者〟らしくて民衆受けが良いでしょう?』
私は国王へと向き直り務めて冷静な口調で状況を説明する。
「お父様。勇者様はご自身の実力を試されているのだと察し、余興としてヨシュアお兄様にあのような悪戯を……。
今は少々度が過ぎたと、深く反省しておいでです。その身に宿る聖痕こそが、何よりの証明にございます」
「おお、なるほど! 得心がいったぞ! であるならば、勇者殿は十分〝勇者〟たる資格を証明してみせた。建国の聖痕が、普通の人間に無条件で発現するなどあり得ぬことだからな」
そうかしら。ピカリンは普通に心の優しい良い子よ?
私が容易く使役できるという事実は、師であるマーリンにさえ秘匿していることなのだけれど。
「ヨシュアよ、これで勇者殿を認めるな? 先ほどまでの非礼、しかと謝罪せよ」
「なっ!? この俺に頭を下げろだと……? くそ、俺は認めんぞ!」
絵に描いたような悪態を吐き捨て、バツが悪そうに踵を返して去っていく第三王子。
「ではお父様。勇者様の今後の待遇については、私が——」
場を収め、速やかにこの修羅場から撤収しようと考えていた私の言葉を、またしても別の声音が遮った。
「いや、実に素晴らしい。アイン、改めて勇者殿の御名をお聞かせ願えるかい?」
第一王子アレクサンダーが、完璧な美貌に甘言を弄するような微笑を湛えてこちらを見つめていた。
その瞳の奥は、一切笑っていない。
彼の中に、この勇者を『何としてでも自分の陣営に取り込むか、さもなくば消すか』という冷徹な計算が走ったのを、私は見逃さなかった。
「……はい、お兄様。勇者様のお名前は——」
『待て。もしかして今、俺の名前を尋ねられているか?』
だから、なぜ視線だけでそこまで正確に分かるのよ。
『だったら何よ。何か問題でもあるの? 勇者クロト様』
フッ、私のささやかな意趣返し。
嫌味な響きでしょう? 自分がどれだけ周囲を不快にさせているか、その身で自覚するといいわ。
しかし、烏間は動じた様子を一切見せなかった。
むしろ、少し何かを思案するように目を細めた後、酷く端正な、そして酷く昏い笑みを漏らしながら私を見つめてきた。
『アイン王女殿下が、俺に新たな名を与えてくれよ』
『は? 何を言っているのよ。意味が分からないわ』
名付け? なぜ私に?
あなたには、『烏間黒斗』というちゃんとした名前があるでしょうに。
『俺は、この世界にいる間〝アイン王女の勇者〟として生きることに決めた。
こんな稀有な機会は、人生でそうあるものじゃない。
だから、ここにいる間は烏間黒斗とは別の人間として生きてみるのも、なかなか面白そうだろう?』
な、何よ……。
私の勇者だなんて、ほんの少し響きが良いではないの。
それに、不遜に歪めていない時の彼の笑顔は、不覚にも、目を奪われるほど綺麗で……。
いいえ、騙されないわ。私は絶対に、この男の口車には乗らないから……っ!
『ふ、ふぅん。よく分からないけれど、好きにすればいいじゃない。そうね……』
『そう言いながら、真剣に考えてくれているお前は嫌いじゃないぜ?』
『う、うるさいわね! 少し黙っていなさい!』
黒斗、烏、漆黒……彼の背景にあるものは、どういうわけか昏い色彩ばかりが浮かんでくる。
それならば——光を。この泥沼の王宮で、私の切り札として輝くための、偽りの光を。
「アイン? 勇者様は何と仰っているんだい?」
痺れを切らしたアレクサンダーが、笑顔の裏に鋭い刺を隠したまま、私に問いを重ねてくる。
私は小さく息を吐き出し、スッと脳裏に、そして胸の奥に灯ったその名前を、静かに、だが毅然と告げた。
「リヒト。——勇者様のお名前は、リヒト様とお呼びいたします」
ドイツ語で『光』を意味するその名を告げた瞬間、私の前に座るリヒト——烏間黒斗は、ゾクりとするほど艶然とした、悪魔のような笑みを浮かべた。
(お前が俺に光を望むなら、その通りに演じてやるよ、姫神桜——)
彼が目でそう囁いた気がして、心臓が跳ね上がる。
腹黒い王族たちの冷徹な視線が突き刺さる中、私と、この最悪で最強の『勇者』による、世界を欺く偽装劇の幕が上がった。




