6話:歪んでいる者同士
私は一呼吸おいた後、目の前に座る麗しい容貌の男——我が勇者(仮)に向け、ふんわりと極上に可憐な微笑を湛えて日本語で語りかけた。
『改めまして、先ほどはお見苦しいところを。
突然の状況に混乱されていると思いますが、まずは自己紹介をさせてください』
『……』
軽く会釈をして謝意を表情に表しつつ、可憐な王女を演じて低姿勢に言葉を紡ぐ。
見れば、男の端正な眉が僅かに跳ね上がった。意外そうな顔をしている。
(フフ、この見知らぬ異境で、唯一言葉が通じる可憐な美少女が手を差し伸べてくれたのだもの。
先ほどの無礼は水に流してあげるから、このまま私を頼り、私に心を委ねてくれればいいのよ)
だが、私が〝転生者〟であることを明かすつもりは毛頭ない。
日本語を解する理由は、後ほど魔術的な方便で押し通す予定だ。
あくまで私は、異世界に召喚されて困惑する勇者に寄り添う、世界で唯一の理解者。
そして、不遇な王女の境遇を知った勇者は、次第にその心を私へと傾けていく——我ながら完璧な青写真だ。一分の隙もない。
初手の不遜な態度は気に食わないが、ポチの乱入で私の実力は誇示できた。
こうして引きずり出した以上、この男には私の都合の良い切り札として動いてもらう。
『詳しい説明の前に、まずは私から名乗らせていただきますね。私の名前はアイン——』
『本当の名前は?』
突然、異国の言語で親密そうに語り合い始めた私たちに、周囲の王族や騎士たちが怪訝な表情を浮かべる。
だが、それ以上に男が遮るように放った一言が、私の貼り付けた笑顔を完全に凍りつかせた。
『……本当の名前、と仰いますと?』
『ああ、そういう態度を取るわけか。
いきなりこんな訳の分からない場所に放り込んでおいて。
ドラゴンを乗り回して、ボロボロのドレスのまま、いかにも『中身は同郷です』って目を隠そうともしないお前が、一番奇妙なんだよ。
なぁ、その分かりやすく嘘を貼り付けた笑顔で、これからも俺に接し続けるつもりか? 主犯格のお前が』
男の群青の瞳が、私の顔をじっと値踏みするように射抜く。
『……勘弁してくれ。
とにかくお前や、この愉快でもない茶番の相手をしている暇はないんだ。
簡潔に現状を説明しろ。できるなら、今すぐに元の場所へ戻せ』
あ、駄目。——私の中で、冷たく、何かが弾ける音がした。
『……うるさいわね』
『は?』
『うるさいって言ったのよ!!』
思わず日本語で怒声を張り上げていた。
『私にだって色々と事情があるわ! !
大体、あなただって最初に私と対峙した時、不遜な態度で首にナイフを突きつけて、名乗りもしなかったでしょう!?
私は、この忌々しい王族どもが反吐が出るほど大嫌いで、自由になりたいの。
そのために魂を削るような思いをして、あなたを召喚した。それだけよ!
名前はアイン。本当も何も、私は過去の記憶を持って生まれ変わった転生者。
嘘なんて一言も吐いていないわ。前世の名前は——〝姫神桜〟。
あちらで理不尽に殺されて、目を覚ましたら、この泥沼のような王家の末端に生まれていたのよ!』
私の苛烈な剣幕に、男は一瞬だけ息を呑んだ。
だが——「姫神桜」というその名が私の口から滑り落ちた瞬間。
『……っ、お前、今……何と言った?』
男の目の色が一変した。
先ほどまでの飄々とした余裕が完全に消え失せ、群青の瞳が、まるで獲物の正体を確かめるかのような凄まじい鋭さで私を凝視する。
そのあまりの圧に、私の呼吸が一瞬止まった。
『な、なによ……。私の前世の名前がそんなに珍しいわけ?』
『……いや。何でもない』
男はすぐに、ふっと目を細めて元の冷徹なポーカーフェイスに戻った。
だが、その瞳の奥に、先ほどまでとは明らかに違う、どろりとした暗い熱が灯ったのを私は見逃さなかった。
勢いに任せて言い放ったものの、我に返れば周囲の空気が完全に凍りついている。
やってしまった。大声を出しすぎたわ。
普段、兄姉たちの陰湿な嫌味を無視し続け、会話といえばマーリンとしか交わしていなかったせいだ。
久しぶりに他者と対等に対峙したことで、抑えていた素の自分が決壊してしまった。
とにかく、この場だけでも取り繕わなければならない。
私の言葉の意味が、周囲の者たちに伝わっていないことだけが幸いだった。
「コホン——勇者様は、皆様の温かい歓待に深く感謝している、特にこの供された料理は至高の逸品であった、と仰っております」
何事もなかったかのように優雅に通訳をしてみせる私を、上位の兄姉たちが酷く胡乱な眼差しで見つめている。
「おお、そうか! 異界の勇者殿の口に我が国の料理が合ったか! それは喜ばしい限りだ」
「食を分かち合えるということは、友好への大いなる一歩。流石は父上の深い御配慮にございます」
私の欺瞞に満ちた通訳に気を良くする国王と、分かりやすく追従を述べる第一王子アレクサンダー。
『……今、堂々と偽りの通訳をしただろう。お前、相当悪い顔をしてるぞ』
『していません。多少、潤色しただけよ』
必死に完璧な笑顔を貼り付けたまま、視線は国王に向け、口の端だけを僅かに動かして応じる。
『まあ、大体の事情は察した。
お前の名は姫神桜。
それが今は、この見知らぬ世界で生まれ変わった、憐れな第十王女アイン様、というわけだ』
『——ええ、そうよ。その通りだけれど、何かしら』
何よその、すべてを見透かしたような言い草は。心の底から苛立ちがせり上がってくる。
『……そうか。それにしてもお前、随分と歪んでいるな』
『は? 意味が分からないわ。初対面のあなたにそんな断定をされる筋合いはないのだけれど』
『いや、歪んでいる。大なり小なり、すべてに絶望した人間の目だ。
前世の因縁か、あるいはここでの環境か。だが……お前が言う通り、人のことを言える義理じゃないか』
男は自嘲気味に、低く小さく笑った。
『俺の名は烏間黒斗。
アイン王女殿下に異世界から呼び出された〝勇者〟様、か。……柄ではないがな。
この状況でお前に牙を剥くのも愚策だ。乗ってやるよ、アイン王女殿下の目的とやらに』
烏間——この男は、もう心の中で呼び捨てで充分だ。
烏間は私に向けて、皮肉げでありながらも、完璧に洗練された慇懃無礼な一礼をして見せた。
その優雅な所作に、周囲の人間が再びざわつき始める。一体どのような密約が私たちの間で交わされているのか、気が気ではないのだろう。
『やめて頂戴。周囲に変な猜疑心を植え付けるわ。
……それに、ドラゴンの件もそうだけど、異世界への適応が早すぎるのではないかしら。
もう少し困惑というものをなさいよ』
『割り切って動いた方が合理的だろう。
お前は、俺を勇者として祭り上げることで〝自由〟の足がかりが欲しい。
俺は元の世界への帰還と……そうだな、この世界ならではの『武器』で手を打ってやる。
これでお互い、遠慮なく利用し合える歪んだ同志ってわけだ』
『……本当に、最悪の性格ね』
こちらの思惑などすべて掌の上だと言わんばかりの態度。
なぜ、このような男を召喚してしまったのか。
これなら、自尊心をくすぐれば操りやすい傲慢な騎士崩れの方が、幾分か御しやすかった。
「アインよ、勇者殿は何と? 何と申されておるのだ」
痺れを切らした国王が、身を乗り出すようにして問いかけてくる。
兄姉たちも冷ややかな視線を保っているが、その耳朶は確実にこちらの言葉を拾おうと澄まされていた。
『好きに通訳して構わないぜ。どうせ彼らには理解できない。お前の独壇場だ』
『ふん、言われなくてもそうするわよ。
言っておくけれど、あなたはあくまで代用品よ。次こそは、必ず私の望む通りの〝本物〟を召喚してみせるから』
『本物、か。ククッ、いいぜ。
お前がその〝本物〟とやらを呼び出すまでの間、俺はお前の望む通りの勇者として振る舞い、力を貸してやる。
首尾よく本物が召喚できたら、俺は元の世界へと帰してもらう。どうだ? 悪くない取引だろう』
饒舌に条件を提示してくる烏間の言葉に、不快感を覚えながらも、私は完璧な王女の仮面を維持し、友好的な笑みを浮かべて見せた。
あまりに引き絞ったせいで、口角が攣りそうだ。
「お父様、お兄様、お姉様」
私はスッと烏間から視線を外し、国王と兄姉たちへ、たおやかに視線を巡らせた。
「勇者様は、我がガルムス王国の為にその大いなる力を惜しみなく振るってくださる、と誓われました。
ただ、その前に、一刻も早くこの国の言語を習得し、皆様と直にお言葉を交わしたいと望んでおられます。
当面は、私が不束ながら言語の指南役を仰せつかり、お側でお仕えしようかと存じます」
スン、と澄ました表情の裏で、ぎちぎちと軋む奥歯の音だけが、私の耳の奥に冷たく響いていた。




