5話:三つの決意と、お腹の黒い家族たち
私が前世の凄惨な経験から学び、今世を生きる上で魂に深く刻み込んだ決意が三つある。
一つ、人は絶対に助けない。
一つ、自分の利益以外は何も考えない。
一つ、自分の決断からは決して逃げない。
我欲に塗れた悪女だと謗られようが、知ったことではない。私のこの決意に文句があるなら、あの雨の日に逆恨みされ、歩道橋の階段から突き落とされてみればいいのだ。
あの、内臓まで凍りつくような死の恐怖は、二度と御免だ。
誰かのために自分が不幸になるのも、人生をめちゃくちゃにされるのも、理不尽な暴力を振るわれるのも、背後から突き落とされるのも、本当にすべて、金輪際勘弁だった。
だから私は、この先の人生で自分以外の誰かが困っていても絶対に手を差し伸べない。
徹底的に自分のためだけにこの命を使う。
他人からの助けも期待しないし、ハナから求めるつもりもない。
私の人生は、私の力だけで掴み取っていく。
そう決めたからこそ、今日まで天才と謳われる才能に溺れず、死ぬ気で努力して魔術の力を付けてきた。
他人に打ちのめされても、今度こそ自分の力でねじ伏せるために。
まずは、この国からの〝自由〟を手に入れる。
生まれ変わってまで、誰かに飼い殺されるだけのカゴの鳥で終わるつもりはない。
だからこその〝勇者〟だ。
アレはこの世界に生まれてから十数年間、私が積み上げてきた努力と執念の結晶なのだ。
絶対、あの傲慢な兄姉なんかに渡さないし、渡せるはずがない。
「贅沢なドレスや、お飾りの侍女なんて、今の私には必要ないわ」
激しい夜風に銀髪をなびかせながら、私は自身のボロボロになったドレスを一瞥した。
儀式による煤がつき、汗をかいて乱れている。
王族の晩餐会に出るには、あり得ないほど不敬で無様な格好だ。
だけど、それがどうした。
私の価値を決めるのはドレスじゃない。
私の背後にある、この圧倒的な『暴力』だ。
「いくわよ、ポチ! あいつらの度肝を抜いてやりなさい!」
「グルゥァアアッ!!」
赤炎竜の猛烈な咆哮が、静まり返った王城の夜空に木霊する。
目指すは、一層激しい光が漏れ出す王城の最上層——晩餐会が催されている『太陽の間』の巨大テラスだ。
突如として夜空から襲来した伝説の巨大竜に、テラスを警備していた近衛騎士たちが「な、なんだアレは!?」「敵襲ーーッ!」と色めき立ち、腰を抜かして武器を取り落とす。
その混乱のど真ん中へ、ポチは凄まじい風圧とともにドスンと豪快に着陸してみせた。
「ふぅ、到着。ありがとうポチ、ここで待機していて」
「グルゥ、グルゥララァ」
私が巨躯の背から軽やかに飛び降り、鼻先をひとなでしてやると、ポチは満足そうに翼を畳んでテラスに鎮座した。
近衛兵たちは、伝説の赤炎竜をまるで大型犬のように従える私の姿を見て、恐怖のあまり誰も一歩も動けないでいる。
私は乱れた銀髪を手ぐしで堂々と整え、ガラス張りの大きな扉を開けて、晩餐会の会場へと足を踏み入れた。
***
重厚な扉が内側から開き、広間に私の姿が露わになる。
「な、第十王女、アイン様が……ご帰還……?」
案内役の騎士が、私のあまりに凄絶でボロボロな姿と、テラスにそびえ立つ竜の影に完全に気圧され、震える声で告げた。
静まり返る豪華絢爛な広間。
私は汚れのついたドレスの裾をあえて優雅に翻し、毅然とした足取りで進んだ。
一際豪奢な玉座に腰掛ける男の前で立ち止まり、完璧な淑女の礼を執る。
「お父様、遅れて申し訳ありません。召喚の儀を終え、ただいま戻りました」
「お、おお……アインよ、その格好は一体……。いや、此度は勇者召喚の快挙、実に見事であった!
ちょうど宴を始めたところだが、勇者殿と言葉が通じず手を焼いていたのだ。アイン、お前なら彼の言葉がわかるか?」
国王が引きつった笑みを浮かべて問いかけてくる。私はそれに、冷徹な仮面の笑顔を貼り付けて応じた。
「もちろんでございます、お父様。私が責任を持って、勇者様のお言葉を通訳いたします」
(言葉が通じないことくらい想定できたでしょうに。なぜ私が目覚めるのを待たずに勝手に始めるのかしら、この浅慮な王は。……それにしても、一段高い玉座の間から、客席へのこの大階段……)
ふと視線を落とした瞬間、背筋に悪寒が走った。
未だに、私は『階段を降りる』ことができない。
エリカに突き落とされた時の感覚がフラッシュバックし、激しい嘔吐感が込み上げる。
(……チッ、こんなところで怯えてたまるもんですか。試してあげるわ)
「——来なさい、私の眷属」
背後に隠した手のひらに魔力を集中させ、極小の術式を展開する。
現れたのは、一匹の小さな『転移コウモリ』のぽん太だ。事前に力でねじ伏せ、強制的に契約印を刻んでおいた私専用の隠し球。
「ぽん太、あそこの客席の椅子の前まで、私を跳ばしなさい」
「キィッ!」
パシィン!と小さな空間の爆ぜる音が響いた瞬間、私の身体は大階段を一切踏むことなく、一瞬で最前列の客席へと転移した。
またしても物理法則を無視した私の魔術ムーブに、周囲の貴族たちが「空間転移だと!?」「無詠唱で、あれほどの高等魔術を……!」と今度こそ完全にざわつき始める。
「チッ——」
不快そうな舌打ちが耳に届いた。
視線を向ければ、案の定、あからさまな敵意と嫉妬を孕んだ兄姉たちの視線が私を射抜いていた。
「お兄様、お姉様方……お待たせいたしました」
「アイン、あなたが召喚した男でしょう。ボロボロの醜い姿でしゃしゃり出るのは不愉快よ。早くその男の口を開かせなさい」
冷たく言い放ったのは、私の異母姉シルヴィアだ。
「……かしこまりました、シルヴィアお姉様」
(この危険な男を何の準備もなく引きずり出したのは貴方たちでしょう。傲慢に眉をひそめる暇があるなら、少しはその足りない頭を働かせたらどうかしら)
私は張り付いた笑顔を崩さぬまま、第一王子の向かいに座る男の元へと進む。
そこにいたのは、底知れない鋭さを秘めた美貌の男——あの黒髪の青年だった。
出会い頭のような荒々しさはない。
だが、一切の緊張感を感じさせない群青の瞳で、彼は部屋に乱入してきた私を、まるで『何かを確認する』かのように、執拗に、じっと凝視していた。
その目が、なぜか私の奥底を見透かしてくるようで、背筋に奇妙な粟立ちを覚える。
「アレクお兄様、前のお席を失礼いたします」
「ああ、構わないよアイン。早く勇者様の言葉を聞かせておくれ」
余裕に満ちた笑みを浮かべるのは、第一王子アレクサンダー。
誰にでも寛容で人当たりの良い聖君を演じているが、その本質は肥大化したプライドに塗れた男だ。
権力の座に最も近い、独善の塊。
私は第一王子に冷ややかに頭を下げ、勇者の隣に座る女性へと視線を移した。
「アリエルお姉様、お隣を失礼いたします」
第二王女アリエル。彼女は私の煤けたドレスを見て、これ見よがしに鼻を鳴らした。
「そうね、末席のあなたが私達の隣に座れること、光栄に思いなさい。
それにしても……相変わらず、薄汚い髪色に、その薄汚い格好。王家の恥さらしね」
(貴女のその燃えるような品のない赤髪こそ、私から見れば随分と下品に思えるけれど?
ボロボロの私に怯えて指一本触れられないくせに。
何の脈絡もなく他者を貶めるその低俗な口を、今すぐ縫い合わせて差し上げたいわ)
胸の内で最高級の罵倒を浴びせながらも、私は完璧な微笑を保ったまま、他の兄姉たちへの儀礼的な挨拶を済ませた。
側近が引いた椅子に深く腰掛け、私はその冷徹な眼差しを持つ勇者(仮)の、真正面へと向き合った。
さあ、私の獲物を取り戻す時間よ。




