13話:黒い雷
ノンノンが、私を庇うように一歩前へ出た。
ここまで露骨に殺気を滲ませる姿を見るのは、随分久しぶりだった。
——つまり、それほど危険な存在が、今まさに呼び出されようとしている。
『強情なやつだな。……いい加減、出てこい』
リヒトは術式へ片手を添えたまま、低く吐き捨てる。
額には汗が滲み、その周囲では膨大な魔力が暴風のように荒れ狂っていた。
魔力回路を通じ、精霊の根源そのものを無理やり引きずり出しているのだ。
召喚術師である私には分かる。
今リヒトが行っているのは、常軌を逸した力技だった。
次の瞬間。
轟音と共に、術式から漆黒の雷が噴き上がる。世界そのものが闇に呑まれたかと錯覚するほどの黒。
空気が震え、肌が焼けるように軋んだ。
『……やっと出てきやがった。……女か』
黒雷が静かに収束していく。その中心に現れたのは、小さな人影だった。
(我が名は〝黒雷〟。万象を穿ち、森羅を滅する深淵の雷なり)
ゆるやかに揺れる黒髪に妖艶な漆黒のドレス。 黄金の瞳が、獲物を値踏みするように私達を見下ろしていた。
サイズだけなら、ノンノン達と変わらない。けれど、その存在感は異質だった。
高位精霊などという言葉ですら、生温い。
ただそこにいるだけで、空間そのものが侵食されていく。
……それにしても。
随分と露出の多い格好をしている。
もし人間サイズだったなら、男達を容易く狂わせていたに違いない。
手の平に収まる大きさで、本当に良かった。
(……なんだ、そこな『ちびっ子』。先ほどから我を見つめおって。そんなに我の姿が珍しいか?)
挑発的な声音に、私は眉一つ動かさず魔術式を展開した。
『ねえ、ノンノン。この不遜な精霊、今すぐ消し炭にしても問題ないわよね?』
『はい。世界への影響は極めて軽微かと』
空気が凍りつく中、当のコクライは愉快そうに口元を歪めただけだった。
その直後、慌てたようにリヒトが私達の間へ割って入る。
「待て待て待て! 落ち着け、アイン様!」
「止めないで。今なら綺麗に焼けるわ」
「今から契約する奴を消し炭にしてどうする!?」
悲鳴じみた声を上げた後、リヒトは一瞬だけ真顔になった。
「……小柄なのは欠点じゃない。アイン様には、人を惹きつける可憐さがある」
「——、と、当然でしょう」
私はふいと顔を背けた。いきなりこう言う勘違いすることを言わないで欲しい。
見た目美少女だと自称しているのも、兄姉に見下されたくない為の虚勢のようなものなの。
面と向かって言われると、正直、どう反応していいかわからないわ!
どうせ刻印のバグでしょうけど!!
「今さらあなたに言われるまでもないわ」
「……マスターの美貌は絶対です」
ノンノンが静かに頷いた。ある意味ノンノンの嘘偽りないが多少私に対する審美眼が盲目的な肯定を受け、少しだけ落ち着きを取り戻す。
するとコクライが、呆れたように肩を竦めた。
(ちびっ子と、脆弱そうな男に堅物精霊が、我とやる気か? 別に構わんが。……あまり我を失望させるなよ?)
その瞬間、リヒトの空気が変わった。
ぞくり、と背筋が粟立つ。
思わず私が一歩後ずさるほど、その圧は冷たく鋭かった。
「……いい加減、躾けが必要みたいだな」
驚くほどに低い声に先ほどまでの軽薄さは微塵も感じられない。
「お前は俺の精霊になるんだ。なら、主従くらい理解しろ」
(矮小な人間風情が——この黒雷を従えると?)
黒い雷が荒れ狂う。
空間を裂くような雷鳴が響き、顕現した巨大な『黒き雷竜』がリヒトへ牙を剥いた。
(その身を灼かれる覚悟はあるのだろうな!)
「上等だ」
リヒトは一歩も退かなかった。
「——その力、俺が使いこなしてやる」
雷竜が襲いかかる。私は咄嗟に動こうとした。
だが、その必要はなかった。
「——従え」
たった一言。
それだけで、荒れ狂っていた黒雷がリヒトの右腕へ収束していく。
まるで、主へ傅く蛇のように。
(な……っ!?)
「なるほど、アイン様の『魔力』ってやつをさっき感じて、なんとなく『上書き』みたいな事もできそうだと思ったが、なんとかなったな?」
コクライの表情が驚愕に染まった。私だって空いた口が塞がらない。
これだから天才というやつは……、別に、ちょっと格好いいなんて思ってないわ。
(我の雷を……従わせただと……!?)
リヒトは無言のまま、その小さな身体を鷲掴みにする。
『どうする? 従うか?』
鋭い眼差しに、逃げ場を奪うような濃密な魔力。
コクライの瞳が、とろりと潤んだ。
(っ……我は、貴様などに……)
『そうか。なら返すぞ』
(ひぁっ——!!)
リヒトが反対に黒い雷を流し込んだ瞬間、コクライの身体がびくりと震える。
甘い痺れに侵されるように、その身体から力が抜けていった。
『従うか?』
(っ……ま、待て……)
誇り高い精霊の声音が、次第に弱々しく崩れていく。
(……我以上の雷など……そんなもの、存在するはずが……)
『で?』
(……従う。貴様に従おう)
『リヒトだ』
(……リヒト)
悔しげに唇を噛みながら、それでもコクライは彼の名を呼ぶ。
(我の力を扱える者など、本来存在せぬのだ。誇るがいい)
……どれだけ名前を呼ばせたいのよ。名付け親としては、少し気恥ずかしい。
呆れていると、隣でノンノンが震える声を漏らした。
『……信じられません。あの“破天候”が、人と契約するなんて』
『……もう理解するだけ無駄な気がしてきたわ』
(ふん、小娘。妙に我が主人と距離が近いな)
コクライがじろりと私を見る。
(貴様……まさか、我が主人の女ではあるまいな?)
『違うわよ』
当然即答しかない。
『私とそいつは、ただの“契約関係”、それ以上でも以下でもないわ』
(……ほう?)
けれどコクライは納得しない。むしろ警戒を強めたようだった。
(だが貴様、随分と歪んだ目をしている)
『喧嘩売ってる?』
(歪んだ自我は嫌いだ。主人に害を為すなら、我が雷で滅ぼしてやろう)
濃密な殺気。空気がぴりつき、私は静かに魔力を高める。
「言っておくけど、私、そこまで弱く——」
その時だった。
リヒトが私の前へ立ち、そして当然のように、再びコクライを掴み上げた。
『歪んでいて、何が悪い』
静かな声だった。
『俺は、そういうアイン様を嫌いじゃない』
『……余計なお世話』
『ひねくれてて、面倒で、すぐ壁を作るくせに、変なところで優しい』
『それは、褒めてるのかしら?』
『割と本気で』
その言葉に、胸の奥が妙にざわついた。……嫌になる。
どうしてこういう人間ばかり、私の周囲には現れるのだろう。
誰にも踏み込ませないようにしているのに。
平然と、その境界を越えてくる。
熱が冷めるように、私は小さく息を吐いた。
「ノンノン、私は先に帰るわ——精霊とのアレコレとか、言語学習のフォローも、お願い」
「……了承しました」
背を向ける。
後ろから、困ったようなリヒトの声が追いかけてきた。
『……気をつけて帰れよ、アイン様』
「……歪んでいるのは、いつだってあなた達の方よ」
振り返ることなく溢した『日本語』ではない私の呟きはリヒトに理解される事なく、そのまま私はギルドを後にした。
***
私がギルドの扉をくぐり、その場を後にしようとした、まさにその時だった。
「待ってください、サクラさーんっ!」
私の背後から必死の形相で追いかけてきたニーナが、バタバタと足音を立てて立ち塞がる。
その手には、封蝋が施された重厚な羊皮紙の巻物が握られていた。
「もう……本当に、これだけは受け取ってください! ギルドとしても、このクエストだけは放置できないんです。どうか、サクラさんのその……慈悲深い心でっ!」
彼女は半ば泣きつきながら、私の胸元に強引にその巻物を押し付けてくる。
断固拒否しようとした私だが、ニーナの瞳があまりに必死で、そして何より——その依頼書に刻印された『王家直属の調査印』が、私の視界に毒のように飛び込んできた。
「……何よこれ。ただの護衛依頼じゃないわね?」
私が巻物を広げると、そこには夜会の標的となる『貴族』の名前と、何の目的か律儀に高級な紙にしたためられた犯行予告文。
ふと、標的の貴族の名前が目に止まった。
「これを見れば、サクラさんも興味を持ってくれるかと……っ。報酬の倍増は保証します! どうか、このクエストを『受理』という形だけでもっ!」
彼女は私にクエストカウンターの承認印を押させようと、強引に私の指をインク台へと誘導する。私は溜息を隠そうともせず、半分呆れながらその指をスタンプさせた。
「……分かったわよ。受理すればいいんでしょ、受理すれば」
「やったぁっ!! ありがとうございます、サクラさん! あ、それとこれ……オマケの情報です!」
ニーナはニカっと無邪気に笑うと、私の手の中に小さなメモを握らせた。
そこには、『双刃魔剣士』とやらの特徴、過去に引き起こした事件などが詳細にまとめられている。
「……ホント、抜け目ないわね、あなた」
私は呆れつつも、そのメモを懐にねじ込む。
人助けをする気など毛頭ない。
けれど、今回の標的は、後々私がこの国で『自由』を勝ち取るために必要な『駒』になる可能性がある。
「さあ、これで文句ないでしょ? じゃあね、ニーナ」
私は今度こそ、ギルドに背を向けて歩き始めた。
私の背中を追いかける彼女の視線を感じながら、私は冷たく心に誓う。
この依頼は、私のためのもの。
誰の平和も、この街の安寧も守るつもりはない。
ただ、私の邪魔をする奴を排除する、それだけのことなのだから。




