12話:魔力カスカス事案
ギルド本部の三階は、ノンノンの広大な執務室兼、彼女のプライベート空間になっていた。
私たちは重厚な革張りのソファに腰を下ろし、対面に向き合っている。
ちなみに、私の右隣にはノンノンが完全にへばり付いている状態だ。
『嗚呼、マスター……。
マスターの清廉な匂い、マスターの柔らかな感触、マスターの圧倒的な存在感……っ!
満たされていく……ワタシのコアの最深部が、マスターの霊子で満たされていくのを感じる……ノン』
ガッツリと私の腰に抱きついたノンノンは、自身のブラウスが大胆にはだけ、白い肌が露出している事実など微塵も気にする様子がない。
ゴーレムとは言っても、大地の高位精霊が神域の技術で造り出した肉体だ。
質感も、柔らかさも、そこらの高貴な美少女以上の完成度を誇っているため、客観的に見ればひどく破廉恥な状況になっているのだけれど。
私はとうの昔に慣れっこなので、完全にスルーを決め込む。
対するリヒトは、元いた世界の倫理観が邪魔をするのか、完全に目のやり場に困った様子で視線を天井や壁へと彷徨わせていた。
彼のそんな初心な反応を見ているのは、これはこれで中々に愉快である。
『……で。その神話級の高位精霊様が、人間の姿をして冒険者ギルドのトップに収まっているってのは、一体どういう狂った状況なんだよ』
『まぁ、十中八九、その原因を作ったのは私ね』
『どおりで、一階と二階の構造が、俺の知っている大手の近代的なショッピングモールそのものなわけだ。中世の人間が思いつく導線じゃねぇと思ったぜ』
仕方のないことでしょう?
この世界には元来、ファンタジーの義務教育である「冒険者ギルド」という概念そのものが存在しなかったのだから。
あり得ないわ。
そんな退屈な異世界、私の美学が断じて許さない。
だから、私が創り上げた。ただそれだけのこと。
ノンノンは高位精霊の中でも極めて異端な「人間の社会構造」に対する強い知的好奇心を持っていた。
だから、私が前世の記憶にある効率的な組織運営システムと商業導線を教えてあげたところ、私がそれ以上何もしなくとも、彼女自身の天才的な処理能力で組織を自律的に拡大させていってしまったのだ。
私が初期に提供したのは、王女としての立場を利用して調達した最低限の設立資金(スポンサー料)だけ。
建物の建築や資材の調達に関しても、彼女は大地の最高権能を有する存在だから、人件費も材料費も完全にゼロ。
それ以上に、ノンノンという個体が優秀すぎたため、私が実務に関わる必要など微塵もなかった。
私はただ、気楽な一人の冒険者〝サクラ〟としての二重生活を楽しんでいただけなのだ。
あとは、そう。
……もしも、私の『理想の勇者召喚プラン』が完全に破綻し、この王国から武力で排除されそうになった時のための、絶対的な暴力装置としてのプランB。
実質的に大陸のインフラを牛耳るこのギルドは、私の最後の保険でもある。
基本的には使う予定のない、ただの予防線だけれど。
『私はただ、基本の概念をアドバイスしただけよ。
実際、ノンノンは本当に優秀なギルマスとして君臨しているしね。
正直、今このギルドがどれほどの規模にまで膨れ上がっているのか、私自身も正確には把握していないくらいだわ』
『……そんな恐ろしい事実を、随分と自信満々に言い放つもんだな』
『マスター、ご報告します。
現在、マスターの所有する冒険者ギルドの総資産および武力規模は、間違いなくこの大陸における屈指の巨大組織へと成長しております。
人族の主要な王国は、経済的・情報的にすでに支配したも同然。
――世界を物理的に手中に収めるのも、もはや時間の問題かと推察される……ノン』
……ん? ちょっと、私の知らない間に、組織を広げすぎではないかしら?
まぁ、でも、実際の帳簿なんてフタを開けてみれば、意外とずさんで可愛らしい結果だったりするものだわ。
うん、深く気にするのはやめましょう。
『アイン様が、今更この王国のたかが「十番目の王女」の身分に執着する理由が殊更わからなくなった』
言うんじゃないわよ!
腹が立つから、そんな底の知れない含み笑いを浮かべるのはやめなさい!
私は別に、暗黒街の巨大組織のボスや、世界の裏の支配者なんて大層なものを目指しているわけではないの。
私はただ、王女としての尊厳を保ったまま、誰にも縛られない、完璧に自由で優雅なセカンドライフをのんびりと送りたいだけなのだから!
『――それはそれとして、その話は一旦棚上げよ。
ノンノン? この、顔の良さだけが唯一の取り柄の転移者の男のことなのだけれど。
見ての通り、この世界の言語が一切話せないのよ。
……何か、一瞬で言語を脳内に定着させるような、都合の良い術式ってないかしら?』
『リヒト、な? あと、主のくせに、俺への丸投げの方向性と雑さが、未来の猫型ロボットに頼り切る小学生並みなんだが』
ソファの向かい側で、心底不機嫌そうな表情を浮かべて指摘してくるリヒト。
私はそれをこれ以上ない冷ややかな視線で一蹴した。
この際、細かい規則にうるさい面倒な男は完全に放置して、私はノンノンの翡翠の瞳を見つめる。
『マスターの期待、最優先。
……そこの不純物の男に言語学の魔導書を全三十巻貸し出します。
脳細胞を活性化させ、一日で丸暗記しなさい。パッと覚えなさい』
『こっちはさらに雑だな!? 流石に脳が爆発するから無理だ!』
『――チッ。……マスター、方針を変更。
この男に、どこかしらの精霊と契約させることを提案します。
契約精霊が存在すれば、その媒介を通じて、相手の言語の概念を精霊の感覚と完全に共有し、無条件で理解・翻訳することが可能であると推察。
――話す方は、自力で血反吐を吐きながら頑張ればいい……ノン』
なるほどね! 異世界ファンタジーにおける、主人公の肩に乗って通訳をしてくれるマスコット妖精キャラクターのようなシステムか。
本当ならピカリンが適任だったのだけれど、あの子は今、謎の旅に出ていて不在だし、何より昨夜のあの凄まじい拒絶っぷりを見る限り、リヒトと契約を結んでくれるとは到底思えない。
私は、チラリと隣のノンノンへ、期待を込めた視線を向けた。
その意味(あなたが契約してあげたら?)を瞬時に察したノンノンは、凄まじい駆動音を立てて、頭部が胴体から千切れ飛びそうなほどの勢いで首を左右に激しく振り続けた。
絶対に嫌だ、と彼女の無機質な瞳が雄弁に物語っている。
『……あなた、一体どれだけ精霊達から嫌われているのよ』
『いや、俺が一番理由を聞きたいんだが? さすがに、俺の強靭なメンタルにも、浅くない裂傷が刻まれているぞ』
意外とそういう拒絶を気にする質なのね、と彼の意外な一面を記憶しつつ。
まぁ、方針さえ決まれば、あとは行動あるのみだ。
私はその場でソファから立ち上がると、リヒトの目の前の大理石の床へとスッと右手をかざし、無詠唱で淡く輝く幾何学の魔術式を展開した。
『この術式の中心に手を置いて、あなたの体内の魔力を流してみて。
そうすれば、あなたの魂の波長に興味を持った精霊が、世界の境界線を超えて引き寄せられてくるから。
あとは、どんな手段を使ってでも、相手にあなたを認めさせれば契約は完了よ』
『……おい。誰も来ない、なんていう、男として一番悲惨な結末だけは勘弁してくれよ?』
いや、そこまでは流石に私の責任の範疇を超えているわ。
そんな捨てられた仔犬のような哀愁漂う眼差しで見つめられても困る。
私だって、この世界における人間関係においては、完璧な「ぼっち」なのだから。
――……自分で言っていて、泣きそうになったわ。
そうして、どこか恐る恐る、リヒトが床に展開された魔術式へと、その細い手のひらを触れさせた――。
その、瞬間だった。
『なっ――なんだ、これ……っ!? 手が、床に吸い寄せられて、離れねぇ……っ! 全身の芯から、力が、一気に抜けていく――』
『焦らなくても大丈夫よ。術式が発動するために、自動的に必要な分の魔力をあなたの体内から吸収するルーティンを組んでおいたから――』
そこまで言いかけた私の視界の中で、信じられない光景が広がった。
リヒトの顔面から一瞬で血の気が失せ、白目を剥きかけながら、全身をギチギチと痙攣させて苦悶の表情を浮かべ始めたのだ。
『って、嘘でしょう、魔力枯渇!?
術式が起動するための最低ラインの魔力すら、まだ一割も溜まっていないのよ!?
――あなた、一体どれだけ魔力量がカスカスなのよ!!』
これは、私の計算を遥かに超越した最悪の想定外だった。
起動に必要な魔力量の、十分の一にも満たない段階で彼の体内が完全に枯れ果てた。
下手をすれば、この世界の魔術を学び始めてすらいない、幼い子供以下の魔力保有量ではないの。
自動で必要量を満たすまで魔力を強制吸引し続ける術式を組み込んでしまったがために、術式はリヒトの許容量を完全に無視し、彼の生命エネルギー(魂の根源)そのものを凄まじい勢いで搾り取ろうと暴走を始めていた。
このままだと、精霊を呼ぶ前に、リヒトの魂が消滅して死んでしまう。
『っく! 完全に私の設計ミス……! だからって、あなたを助けてあげるわけじゃないんだからね……っ!』
「マスター、ワタシのコアの魔力も、無制限に使用してください!」
「ありがとう、ノンノン!」
ノンノンが瞬時に私との間に魂のパスを繋ぎ、大地の莫大な魔力を共有してくれた。
私は咄嗟にリヒトの背中へと回り込み、その広い背面に手のひらを強く押し当て、私の体内の純粋な魔力を、彼の霊子の中心にある〝核〟へと直接、濁流のごとく注ぎ込んだ。
注がれた外来の魔力が、彼の核を経由してリヒト自身の魔力へと強制変換され、暴走する床の術式へと流れ込んでいく。
「――なによ、この、異常なまでの魔力変換効率は……っ!? こんなの、まるで……」
背中から伝わってくる感覚に、私の全身に鳥肌が立った。
通常、外部から他人の魔力を注ぎ込まれた場合、それを自分の魔力へと馴染ませ、昇華させるには数日から数週間の緻密な瞑想を必要とする。
ましてや、これほどの濁流を直接注がれているのだ。
普通の人間の肉体なら、強烈な拒絶反応で内臓が破裂するか、吸収しきれずに周囲へ爆散するのが世界の真理。
私は普段から多くの召喚獣や精霊たちと魔力を共有しているから、魔力のパスの扱いには常人より遥かに秀でている。
……けれど、それは送り手側の話だ。
受け取る側であるリヒトは、意識が朦朧とした死線の中にありながら、私の注いだ異質な魔力を、まるで空気を肺に送り込むかのような自然さで、瞬時に「自分の完全な魔力」へと完璧に変換し尽くしているのだ。
「……そう、いうこと。だから、精霊たちに嫌われるはずだわ……っ!」
人間という生き物は、大気中や食物に含まれる微量な魔力を、長い時間をかけて体内に摂取し、己の力へと昇華していく。
それを一切必要とせず、自然界に満ち溢れる魔力の根源たる事象の力。
それらを、自らの意志でそのまま引き出して使用できる存在こそが精霊であり、概念そのものである彼らだからこそ許された神威の芸当。
リヒトは、己の中に蓄えるための「プール(魔力量)」をほとんど持たない代わりに、周囲に存在する、あるいは他人が放った魔力の根源を一瞬にして、文字通り自分の力へと掠奪・変換することができる。
――これは、言い換えるなら、対峙したあらゆる魔術師や精霊の魔力を、自らの糧として奪い尽くすことができる、おそろしき「天敵」の才能。
魔力の塊そのものである精霊たちからすれば、自らを一瞬で喰らい尽くしかねないリヒトという存在は、本能的な恐怖の対象でしかなかったのだ。
もしもこの男が、その力を完全に自覚し、使いこなす術を身につけたなら――それは、この世界のパワーバランスを根底から覆す、とんでもない規格外の能力になる。
やがて、床の術式に淡く神聖な陽光色の輝きが宿り、暴走が完全に収束して、一つの完成された魔術の門が構築された。
『 ──……うぐっ、ぶっ、……っげ、気持ち悪ぃ……。
一体、何がどうなったんだ……?
俺は今、一瞬、川の向こうに見える綺麗な花畑を散歩していた気がするんだが……』
完全にあの世へ召されかけていたじゃないの! ?
危ない、本当に危なかったわ。
私の過失のせいで、彼を死なせてしまったなら、流石の私も一生モノの精神的トラウマを植え付けられるところだった。
これ以上のトラウマの上書きは、本気で勘弁していただきたい。
『あなたの固有の〝魔力最大値〟が、そこらの道端にいる小さい子供以下だったから、術式に生命力を吸われて死にかけたのよ! 本当に、無駄にびっくりさせないでくれる?』
『なっ……。こ、子供以下……!?』
魔力という概念の詳しい力関係はまだ理解できていないようだけれど、「子供以下」という不名誉極まりない事実は、やはり男として相当なショックだったらしい。
リヒトの整った目尻が、わずかに屈辱でピクピクと痙攣している。
「要するに、魔力のプールがカスカスってことね」
「ワタシの分析でも、魔力が完全にカスカスであると判定されます」
「……カスカス、かよ……」
おお。頭を抱えて、目に見えて地面に沈み込むほど凹んでいる。
容姿が極上なだけに、こうして情けなく打ちひしがれている姿は、これはこれで中々に愛嬌があるわね。
当分の間楽しめそうだわ。
『いつまでも凹んでいないで、さっさとその術式に向かって呼びかけなさい。
あなたのその、異質極まりない力に呼応した精霊が、もう門の向こうまで来ているはずだから』
力なく頷いたリヒトは、先ほどの死線の恐怖が尾を引いているのだろう。
チラチラと、縋るような視線を私たちの方へと向けながら、再び大理石の床の術式へと向き直った。
……ほんの少しだけ「可愛い」なんて思ってなどいない。
断じて、天地に誓って、一瞬たりともそんなことは思っていない。
再び、両手を術式の中央へと置き、リヒトの表情が、心なしかこれまでに見たことのないほど冷徹で、真剣なものへと変貌した。
彼はゆっくりと、その薄い唇を開いた。
『――出てこいよ』
ぽつり、と彼の口から漏れ出たその声音は、妙におそろしく重く、いつもの飄々とした軽薄な態度からは完全にかけ離れていた。
――その瞬間。
床に展開されていた淡い陽光色の光が、一瞬にして、禍々しい黒紫の色彩へと染まり変わった。
術式の周囲の空間がギチギチと軋みを上げ、バチバチ、と大気を焼き裂くような「漆黒の稲光」が激しく室内に狂い咲く。
『黒い、雷……!?
属性の記述にある、どの高位精霊の色彩とも合致しない。
一体、何が呼び出されようとしているの――!?』
『マスター、下がってください。
――ワタシの深部索敵に、極めて不吉なエラーログを検出。
……とんでもなく面倒な、〝異端の存在〟が来ますっ!』




