11話:大地の精霊
冒険者ギルド総合本部に出向いた私。
リヒトの衣服をはじめとする当面の必需品を一通り買い揃え、ついでに二階のテラス席で美味な地方料理の昼食までしっかりと楽しんでしまった。
これは断じてデートなどではない。
ただの投資効率を高めるための事前懇親であると、胸の内でヤキモキしながら言い訳を繰り返しつつ、私たちは飲食フロアからさらに上の階層へと足を止めることなく進んでいた。
『おい。この仕立て、生地の中に防護術式が編み込まれていて防弾衣並みに頑丈だって話だったが……。
正直、怪しさしかねぇぞ。俺は騙されてないか?』
リヒトは、先ほど購入したばかりの、対物理・対魔術の二重付与が施された衣服へとすでに着替えていた。
と言っても、元の世界で彼が着ていた地味な配色の衣服から、少し上質な革製の細身のパンツとシャツ、そして漆黒のロングコートへと変わっただけだ。
……いや、シルエットがほとんど変わっていないではないの。
プロデューサーとしての私は少しだけ物足りなさを覚えてしまう。
『防弾衣っていうか、向向の基準で言うなら、銃弾と砲撃が飛び交う最前線の戦地を、鼻歌交じりで快適に散歩できるくらいの防御性能はあるわよ?』
『そんな物騒な場所、絶対に散歩したくはねぇが……。
まぁ、アイン様がそう言うなら、本当にそうなんだろうな』
『……っ、なによその、妙に全幅の信頼を置いてますみたいな空気は』
いちいち、本当にこの男はいちいち、私の防壁を無自覚に揺るがさないと気が済まないのかしら。
不意に心臓に悪い態度を取るのを、本気でやめていただきたい。
『で? 今度はどこへ行くんだ? もう買い揃える物なんてないだろう』
『ここに足を運んだのなら、〝あの子〟に顔を見せておかないと、後からどれほど激しい執念で詰め寄られるか分かったものじゃないのよ』
『あの子……? ──』
「マイ、マスターっ!!!!」
建物の最上階である三階。
ここまで来ると、一般の冒険者たちの喧騒は完全に遮断され、静謐な通路の先には豪奢な一枚板の扉が佇んでいるだけだった。
その扉が、私の接近をあらかじめ察知していたかのように勢いよく開き、中から鮮烈なエメラルドグリーンの髪をなびかせた少女が飛び出してきた。
無機質でどこか人形めいた翡翠色の瞳に狂おしいほどの歓喜の光を灯し、まるで主人の帰還を迎える忠犬のように、私の胸へと目掛けて一直線に飛び込んできたのだ。
「お〜、よしよし。元気だった? ノンノン」
「マスター、マスター、マスター、マスターっ……!!」
私の下腹部に頭を埋め、ひたすらに私の呼称を連呼しながら、グリグリと左右に激しく頭を振り続けて悦びに浸っている〝ノンノン〟。
そのあまりにも奇妙で狂気的な甘え方に、背後に立つリヒトの顔が引きつっているのが気配で分かった。
「〝マスター〟という役職は、どちらかと言うとノンノンの方でしょうに。あなた、ここの最高責任者である〝ギルドマスター〟のノンノなんだからね?」
この、愛らしい子犬のような少女が、大陸屈指のギルドの頂点に君臨しているのだから世の中分からないものである。
けれど、それで良いのだ。精霊としての彼女の実年齢は、おそらく数万歳はくだらないのだから。
『か、かなり個性的なお身内だな。……お前の、数少ない友人の一人か?』
友人、ね。
……その温かい響きを持つ言葉に、私の胸の奥がほんの一瞬だけ冷たく収縮した。
絶望に染まった前世の記憶が、一瞬だけ脳裏を掠める。
そんなもの、今の私の人生にはもう、必要のない不純物だわ。
『……人間? マスター、どうやらワタシとマスターの神聖なる共有空間に、極めて不快な不純物が紛れ込んでいる模様。
早急に排除、および無害化しなければならない』
リヒトの呑気な呟きに反応した瞬間、ノンノンの首がグリンと人間離れした角度で回転し、その無機質な翡翠の瞳がギチギチと音を立てるように見開かれた。
『はっ!? 日本語……? というかおい、アイン様、本当に人間かそいつ!?』
あ、まずいわ。
あの瞳の奥の輝き、目から超高熱の破壊光線か何かを撃ち出す気だ、この子は。
『おい! アイン様!? あの小娘の目の輝きが完全に一線を越えているんだが! なんか出そう、目から物理的にヤバイ何かが出そう!!』
ノンノンの瞳が周囲の光を急速に吸収し、彼女の眼前に、幾重にも重なる幾何学的な魔術障壁が砲台のように段々と言列を成して構築されていく。
『魔力充填、完了。対象をロックオン。――マスター、害虫殲滅砲の発射許可を求む』
『が、害虫なのか、俺は……。初日から扱いが酷すぎないか?』
『肯定。マスター教育録第八十条三項〝顔だけが良い男は、例外なく八割が女の敵であり、残りの二割はただの天災である〟との記述を確認。対象を『八割の敵』と自動認識。排除、排除、排除』
……あー。遠い昔に言ったかもしれないわね、そんな前世の偏見に満ちた格言のようなものを。
まさかそんな言葉まで完璧に記憶しているなんて。
『いや、偏見の解像度が高すぎるだろ!?
美妙に外見を褒められているせいで、複雑すぎて突っ込み切れねぇ! ?
とにかく、アイン様、この暴走人形を止めてくれ!!』
『はいはい、そこまでよ。
ノンノン、術式展開をストップ。
――この男は、顔が良いだけの敵じゃなくて、顔だけが唯一の取り柄の、私の忠実な味方(手札)だから、破壊しちゃダメよ』
『さらに複雑な侮辱を上乗せされたんだが!?』
『イエス、マスター。……攻撃シークエンスを完全中止します。――ノン』
……ノン、って。ノンノンまで謎の語尾を。
精霊たちの間で、私の知らない奇妙な語尾のキャラ付けブームでも流行しているのかしら。
よく分からない長旅に出てしまった光の精霊のことを思い出し、小さくため息を漏らしながら、ようやく落ち着きを取り戻したノンノンを伴って、私たちは扉の奥の執務室へと移動した。
『というわけで、彼女は〝大地の高位精霊〟のノンノン。
この愛らしい少女の姿は、ノンノン自身が土属性の極致で練り上げた魔道人形に、自らの霊子を〝受肉〟させた仮の姿。
――ついでに、ここのギルドマスターを務めてもらっているの』




