10話:ギルドモール
燦然と降り注ぐ陽気と、耳を震わせる賑やかで活気のある人混み。
石畳の街道の左右には所狭しと露店が立ち並び、香ばしく焼かれた肉や新鮮な野菜、瑞々しい果物の香りが鼻腔をくすぐる。
商人たちの張りのある野太い呼び込みの声が、至る所から響き渡っていた。
『というわけで、さっさと買い物にいくわよ!』
『どういう脈絡だよ……。ふぁあ、眠ぃ』
私はリヒトを引き連れて、王都の城下町、その中心部へと足を運んでいた。
このガルムス王国は大陸の中央に位置することから、近隣諸国からも多種多様な人種と物流が集まる、まさにこの大陸の心臓部だ。
地方や異国からの珍しい物資が、日々大量に流れ込んでくる。
『あなたの着替えも、最低限の日用品も装備も必要でしょう? 一応お城の備品でも揃うけれど、あんな格式張った豪奢な装いじゃ、いざという時に動きにくくて話にならないわ』
『だから、〝あなた〟じゃなくて〝リヒト〟と呼べって言ってるだろ』
なぜこの男は、頑なに名前にこだわるのか。
……絶対に呼んであげないけれどね。
なんだか気恥ずかしいし、負けたような気がして癪に障る。
『というか、アイン……様。なんで突然、髪が金髪になってるんだ?』
昨夜のミケとポチの恐怖が頭をよぎったのか、それとも胸に刻まれた呪わしい刻印の作用か。
皮肉混じりの「王女様」という呼び方を途中で言い淀み、不器用な「様」付けに落ち着いたリヒトが、私の容姿の〝激変〟に眉をひそめてツッコミを入れてきた。
私は足を止め、ふっと慈悲深い聖女のような笑みを貼り付けて応じる。
『わたくし、一応はこれでも王女ですので。街へ降りるための変装に決まっているでしょう。
これは最高級の繊維で編まれた魔術的なカツラよ。私の本来の銀髪は……この国じゃ、悪目立ちしすぎるの』
ただでさえ不吉の象徴として忌み嫌われている髪だ。
街中で晒せば、暴動が起きかねない。
それに、一応は第十王女。
兄姉たちは私がどこで野垂れ死のうが関心すらないだろうけれど、余計な火種は避けるに限る。
この大陸において、純粋な銀髪を持つ人間は存在しない。
基本的にはブロンドか茶系、あるいは赤毛が一般的だ。
第二王女アリエルの鮮烈な赤髪も珍しくはあるけれど、完全に排斥されるような色彩ではないのだ。
『あぁ、なるほどな、変装か。どおりで格好も、随分とラフなわけだ』
本日のコーディネートは、いつもの息が詰まるドレスを完全に脱ぎ捨て、ふんわりとしたパフスリーブが特徴的な仕立てのブラウスに、動きやすさを最優先したショートパンツ。
その上から、編み込みが施された丈の短いフード付きのローブを羽織っている。
テーマは、小生意気な天才魔術師風の美少女だ。
まさにそんな雰囲気の、完璧な異世界冒険者スタイルに仕上がっていた。
ふと、隣を歩くリヒトが、妙に真剣な眼差しで私の姿を凝視していることに気がついた。
『な、何よ。ジロジロ見ないでくれる?』
え、嘘。そんなに変?かしら。
『あ、いや……。その金髪も驚くほど似合っているが。――個人的には、アイン様は元の銀髪のほうが、ずっと可愛いと思ってな』
「――かわっ!? そ、そんなお世辞言ったって、騙されないわよ!」
ほんの、本当にほんの僅かだけ動揺してしまった私は、思考の防壁が決壊し、日本語を忘れてこの世界の言語で大声を上げてしまった。
『ん? 悪い、急に早口になって何て言ったんだ?』
――こういう時だけ、無駄に鈍感になるのねこの男は!
ふぅー、落ち着け、私。騙されるな。
可愛いなんて言葉、ただの口先だけの社交辞令に決まっている。
本来、一国の姫であるならば、そんな賛辞は周囲の耳障りの良い臣下たちから嫌というほど浴びせられ続けて――。
……あ、れ。浴びてないわ。一度も。
生まれた瞬間から今日に至るまで、私に社交辞令でさえ「可愛い」なんて言ってくれた人間、この世界に一人もいなかった。
――おかしいな。なんだか、目頭の奥が熱くなって、視界が滲んできたぞ。
『アイン様……?』
下から覗き込まないで!その無駄に整った凶悪な顔で、今、精神的に極めて繊細になっている私を正面から見つめないでっ!!
『う、うるさいって言ったの! ほら、さっさと歩きなさい!』
『……?』
おそらく林檎のように真っ赤に染まっているであろう顔を隠すように、私はローブのフードを深く目深に被り、早足で目的地へと逃げるように歩き出した。
『……着いたわよ』
『お、おう。ずいぶんと立派な建物だな。……というか、なんでアイン様はさっきから少し不機嫌なんだ?』
人々の行き交う賑やかな繁華街から数区画離れた、一際静穏なエリア。
私たちの目の前に現れたのは、城塞とまではいかなくとも、重厚な風格を漂わせる総煉瓦造りの大建築だった。
規模で言えば、前世の地方にある大型スーパーが丸ごとひっくり返ったほどの広さ。
この中世レベルの産業規模の都市においては、明らかに異彩を放つ超巨体建築物だ。
この世界において、これほど実用的な巨大建造物を民間で建てる技術も発想も、本来なら存在しない。
そう、ここは私にとっての「異世界内政の最高傑作」であり、革命の牙城なのだ。
『別に怒ってなんていないわ! とにかく、中に入るわよ』
『分かった分かった。んで、一体ここは何の施設なんだ?』
『――冒険者ギルドの本部よ』
『おお……! さすが、ファンタジーの王道って感じだな』
『当然でしょう。異世界に転生しておいて、冒険者ギルドという概念が存在しないなんて、私の美学が絶対に許さないわ』
『異世界に対する固定観念がおそろしく強固だな……』
『何よ、文句あるの? 入らないなら置いていくわよ』
『いや、入るよ。興味はある』
そうなのだ。ステータスや固有スキルといった便利システムは、まあ世界の理として「ないのが普通」と言われれば納得もできる。
けれど、冒険者ギルドがない世界なんて、そんなものはただの「中世ヨーロッパ風の地味な国」だ。
絶対に受け入れられない。
ギィ、と重厚な鉄補強の施されたオーク材の扉が軋んだ音を立て、私とリヒトは一歩、中へと足を踏み入れ。
そこには、昼間から安酒を煽った荒くれ者たちが、ギラギラとした血走った目で新参者を威嚇し、殺気立っている――なんて悪趣味な光景は、ここには一切存在しない。
「いらっしゃいませ! 冒険者ギルド総合本部へようこそ!」
エントランスを抜けた瞬間、美しく整えられた受付カウンターに並ぶ、厳選された見目麗しい受付嬢たちが、完璧な角度の柔和な微笑みと、鈴を転がすような気持ちの良い挨拶で出迎えてくれる。
天井の高い開放的なフロアを見渡せば、区画ごとに美しく整理された専門店がずらりと並び、厳選された武器や防具、堅牢な衣服、旅を快適にする魔導便利アイテムなどが整然とディスプレイされていた。
中心に位置する大理石の螺旋階段から二階へ目を向ければ、複数の飲食業者がそれぞれのブースを構え、独自の芳醇な香りを漂わせながら、美食の数々を高ランクの冒険者たちへと振る舞っている。
『……おい。これ、「ショッピングモール」じゃないか?』
リヒトの呆気にとられた呟きに、私は内心で盛大に勝ち誇る。
――ふふん、まさにその通りよ!
この世界には元来、「一つの巨大な建物の中に、独立した複数の商店を集めて営業させる」という商業発想自体が存在しなかった。
戦闘組織である冒険者が集まるインフラを国費で構築し、そこに目を付けた大商人たちに出店を促して、莫大な賃料と手数料をギルドに回収する。
前世の知識があれば、こんな簡単な経済循環すら、この世界では一国を揺るがす革新的事業になるのだ。
「ようこそおいでくださいました、AAランク冒険者〝サクラ様〟!
――すぐにギルド長、ノンノ様をお呼びいたしましょうか?」
私の顔を認識した受付嬢の一人が、周囲に聞こえるようなよく通る声で、あえて最高峰の「ランク」を付け足して呼びかけてきた。
これこそが私の仕掛けたシステムの一つ。
B級以上の高ランク冒険者に対しては、ギルド内において、容姿端麗な受付嬢から常に「ランク名」と「様」を付けて恭しく呼ばれる仕様を徹底している。
名誉欲と承認欲求の塊である荒くれ者たちは、この特権階級の快感に酔いしれ、向上心を爆発させて命がけの依頼をこなすようになるのだ。実にあざとく、わかりやすい人間心理。
ちなみに、この外の世界での活動において、私は「アイン」という呪われた王女の名は使わない。前世の名前である「サクラ」を名乗っている。
「いいえ、後でこちらから顔を出すから大丈夫よ。今日は純粋に、そこの連れの買い物をしに来ただけだから」
「畏まりました。……それにしても、あの孤高のサクラ様が、異性の連れを伴って街を歩くなんて本当に珍しいですね?
そちらの素敵なお方は、もしかして……」
年齢の近い受付嬢のニーナが、あからさまに興味津々な笑顔を浮かべて、私の背後で言葉が分からずに佇んでいるリヒトへと視線を向けた。
……というか、私がいつも〝ぼっち〟で寂しく行動していたみたいな言い方はやめてもらえるかしら。
間違ってはいないから余計に刺さるのよ。
「ち、違うから! そういう関係じゃ断じてないから!!」
「ええー? いいじゃないですか。
普段は男勝りな凄腕のサクラ様も、やっぱり年相応の女の子なんだって分かって、私すごく親近感が湧いちゃいました!
――それにしても、その〝彼氏〟さん、めちゃくちゃ格好いいですね!」
「か、か――彼氏だなんて、そういう不埒な関係では、本当に、絶対にないからね!?」
ニタニタと邪悪な笑みを浮かべ、物理的な距離を詰めてくるニーナ。
対するリヒトは、言葉は分からずとも空気を察したのか、前世での処世術か、いつもの端正な顔に営業用の完璧な微笑みを貼り付けた。
瞬間、ニーナの瞳のハイライトが消え、一瞬で陥落したのが分かった。
顔が良いだけの男、本当に有害極まりないわ。
「あ!そうです!サクラさん、丁度サクラさんにお願いしたい案件がありまして〜」
急に瞳をキラリと光らせ仕事モードで話しかけてきたニーナ。嫌な予感しかしないわね。
「魔獣関係?」
「い、いえ、今回はA Aランクのサクラさんならとっても簡単な護衛任務で」
「パスよ、私、魔獣専門」
基本的に冒険者サクラとしてのスタンスは魔獣専門。
下手に護衛依頼なんて貴族が絡みそうな案件で身分が露見する事態になっては目も当てられない。
それに、私は直接「人助け」になるような依頼は受けない。
「そ、そんな〜、は、話だけでも!! 最近『双刃の魔剣士』を自称し、立て続けに貴族を襲撃する通り魔事件がですねっ」
「はいはい、勝手に始めない。それに二つ名を自称って、馬鹿みたい」
「そうなんです!それだけでも恥ずかしいのに、今回は予告状まで送りつけてくる始末で!」
「何それ、余計に関わりたくないわ。はい、この話はおしまい! 珍しい魔獣討伐があればまた声かけて」
「待ってくださいよ〜! サクラさーーん!!」
そんな私たちのやり取りを、どこか冷めた、けれど尋常ではない密度の視線で見つめていたリヒトが、不意に、底の知れない低い声で私に問いかけてきた。
『――サクラ。今、あいつ、お前のことを「サクラ」と呼んだか?』
『……っ!? な、なんでそこだけ正確に聞き取れるわけよ?』
唐突に投げかけられた言葉に、背筋を氷で撫でられたような戦慄が走る。
内心の動揺を隠すように、私は必死に弁明の言葉を紡いだ。
『……ただの偽名よ。まぁ、私にとっては、本名でもあるけれど』
さっきのニーナの「彼氏」という単語は、この世界の言語だから理解できていないはずだ。
なのに、どうしてそんなに鋭い反応を見せるのか。
『……本当に。お前は、姫神桜なんだな』
その瞬間、リヒトの群青の瞳から、それまでの軽薄な温度が完全に消失した。
あまりにも昏く、重く、そして刃のように鋭い眼差し。
彼が口にした「姫神桜」というフルネームの響きには、単なる異世界の名前を確認しただけとは思えない、何か決定的な――血と硝煙の匂いがするほどの、強烈な執着が混じっているように思えた。
いきなりそんなシリアスなトーンで前世の名を呼ばれた私は、恐怖にも似た緊張感で身を硬くする。
『本当にって、何よ……意味が分からないわ。私がわざわざ、そんな嘘を吐く理由がどこにあるのよ?』
『……いや。何でもない。ただの、独り言だ』
リヒトはすぐにいつもの表情へ切り替えたが、その胸の奥に、引きずり込まれそうなほどの昏い感情を仕舞い込んだのを、私は見逃さなかった。
『変な男。……そんなことより、さっさと買い物! いくわよ』
『あー、いや……。非常に現実的な話を提案したいんだが、俺、この世界に来てから完全に無一文なんだが』
……は? そんな分かりきったことを、今更この男は何を言っているのかしら。
まさか、仮にも王女である私に、彼の衣服一着すら買い与える余裕もないとでも思っているのか。
『……あのね。仮にも王女の財力を舐めないでくれる?』
『いや、お前の財布の問題じゃなくてだな。男のプライドとして、初日に女に全部奢らせるのはどうなんだって話だ』
じゃあ、どうしろと言うのよ。
これは私にとって、完璧な勇者を演じてもらうための必要経費であり、純粋な投資なのだ。
決して、優しさなんかじゃない。
これ以上、無駄に変な勘違いをされないように、ここで明確に釘を刺しておかなければ。
『うるさいわね! これは単なるビジネスとしての〝投資〟なのよ!
あなたには、これから勇者らしく完璧に働いてもらって、それこそ、そんじょそこらの男なんかより、よっぽど私の人生に貢献してもらうんだから!!』
『……あ、そう。投資、ねぇ……。……えーっと?』
は!? 投資の話から、なぜ私は今、「男」なんて単語を口にしたのかしら!?
誰が、何が!? もう、自分の思考が完全に自爆している。
とにかく、さっさと買い物を済ませるわよ!
混乱を誤魔化すように、私は強引にリヒトの逞しい腕を掴み、賑やかな専門店区画へと彼を引っ張っていった。
誰かと並んで歩くなんて、前世を含めても、本当におそろしく久しぶりのことだった。
(……もしかしてこれ、客観的に見ればデートという状況なのでは?)
という甘酸っぱい疑問に脳内で身悶えし、顔を真っ赤にさせながらも――私は、彼と繋がった腕の温かさを、ほんの少しだけ、確かに楽しんでいたのだった。




