9話 紙芝居
訪問に先立って、モニカが話を通してくれていた。はずだ。
なのだが――それを知らないサラが「私こういうの得意だよー! ちょっと話をつけてくるね!」とか言って特攻。
結果的に、それが悪く働くことはなかったのだが、孤児院の前でしばらく待たされる羽目になってしまった。
閑話休題。
「いやぁ、宮廷画家様が慰問に来られると伺ったときは驚きましたが……これほど若い方とは思いませんでした」
院長さんは初老の男性だった。
「こう言っては失礼ですが……あまり、国の方々は、こういった施設に興味がないものかと」
「はは。無理もないことです。ですが、アイラ殿下は、国の現状を憂えておいでなのです。今回も、殿下の指示で私が遣わされた次第で」
ははは、と笑って見せると、院長さんも控え目に笑った。
俺の善意という体にはしない方がいい。あくまでも、上げるべきはアイラへの好感度なのだ。
「子供たちは、今何人ほどいるのでしょう」
「現在は、十二人ですね。ここ数年はあまり新しい子も入ってきていないのですが、多いときは二十人を超えていたこともあります」
「そんなにですか……大人は院長さん一人なんですよね?」
「ええ。運営もなかなか苦しい状態で……子供たちには苦労を強いてしまっています。大人になって巣立っていった子の中には、援助をしてくれる子もいるのですが……彼らも、孤児院出身ではそう上等な職にはつけませんからねぇ」
苦境の世の中だ。寄付で運営していくことなど夢のまた夢。
遊戯の一環として、裏手の森から切り出した木材を使って彫り物などを作り、市場で売ったりしているそうだが……当然、それも大した資金源にはならない。
アイラに頼んで援助をしてもらおうか。
いや、でも、たまたま縁があったからといって、この施設だけを援助するのは不公平というものだろう。
なんとかして、いずれ解決したい問題だな。
それから、抱えている問題など、いくつかの点を質問した俺は、ようやく子供たちと対面することになった。
一室に子供たちを集め、取り出しましたる紙芝居セット。
教卓的な机の上にどーんと紙芝居セットを起き、語り始める。
「むかしむかし、あるところに――」
演目は、この国で普遍的に知られているという童話をアレンジしたものだ。
基本的には俺が絵を転換しつつ読み上げるのだが、せっかくなのでジルにも手伝ってもらうことにした。と言っても、人見知りの激しい彼女なので、教卓の裏で、女キャラの台詞を読み上げるという、それだけの役目だ。
俺が選んだ物語は、主人公がお姫様を助ける系の、日本人にとっては非常に馴染み深いストーリーだ。ジルも知っている童話らしく、台本の構成にあたっては彼女の助言も大きかった。
のだが。
「何ということでしょう! 悪いドラゴンに、お姫様は攫われてしまったのです!」
「『きゃー。たすけてー』」
「………………ど、ドラゴンはお姫様を連れて自分のねぐらに帰りました」
ひどい棒読みだった。
い、いかん。
子供たちの反応が悪い。
原稿を用意したことで安心し、演技指導をしなかった俺がいけなかったのか。
ジル本人はやる気満々なので厄介である。
と――そんな局面に耐えかねた奴がいた。
サラである。
滑り込むようにやってきたサラは、「ごめんね」とジルから原稿を奪う。
それに凄まじい速度で目を通したかと思うと――
「娘を攫われた女王様は、部下たちをドラゴン退治に向かわせましたが、ドラゴンの炎には誰も敵いません。仕方がないので、女王様は、次に都の荒くれ者を頼り、最後には農村の若者にまでドラゴンを退治する勇者を求めました」
「『おお――何たることじゃ、何たることじゃ! あの子はもう帰っては来ぬ! 誰もあの憎き邪竜には敵わぬのじゃ!』」
明確に、空気が変わった。
俺のリズム、俺の空気感に、見事に合わせ切った完璧な読み方。
あの飄々とした表情はそこになく、サラの瞳からは、今にも悲嘆の涙が流れてきそうだった。
驚きながらも、彼女からのアイコンタクトを受け取った俺は、慌てて紙を次の一枚に変換させた。
「勇者が見つからず、女王様が泣き崩れたそのときでした。あのいじめられっ子の少年がやってきて言うのです。『僕ならドラゴンを倒せます』と――」
サラの演技力は、ただ上手なわけではなかった。俺の舌まで彼女の作り出す流れに巻き込まれ、緩急と感情に満ちた読み方へ導かれる。
見慣れぬ形式のエンターテインメントに困惑していた子供たちが、次第に目を輝かせていくのを感じた。
ジルだけがぽつーんと取り残されたまま、俺たちの紙芝居は成功に終わった。
また新しい作品ができたら見せに来るよ、と約束して、俺たちは孤児院を後にした。
◆
「ご主人……」
夕焼けに影が伸びる帰り道。
ジルは影に追われているようで。サラは影を引き連れてるようで。
二人の間を歩く俺は、陰と陽の極致みたいなコンビに苦笑していた。
「ん、どうした」
「ごめん」
「まぁ仕方ないさ。院の出身者が劇場で働いてるからって、頼めば簡単に招待状をもらえるってわけでもないだろう」
「そうじゃなく」
何をそんなに申し訳なさそうにしているのだろう。
と思ったら、サラがけらけらと笑った。
「あー下手糞だったねー! まー最初はあんなもんだよ!」
「……へた、くそ」
「あ、そのことか。そんなに気にするなよ。ジルはよく頑張ってくれた。それに、人には向き不向きってものがある。一つのことができなかったからって、自分を卑下しちゃだめだよ」
「そーそー。それに、次の機会もあるんでしょー? なら、だんだんうまくなっていけばいいんだよっ!」
サラと二人で慰めてみるが、簡単には立ち直ってくれないようだった。
まぁ、俺ももともと暗いタイプの人間ではある。ジルの気持ちはわからなくもない。慰めれば慰めるほど、彼女は惨めさを感じるのかもしれないな。
「それにしても、サラの演技力はすごかったな」
「あははー、まぁねー!」
「できれば次の機会にも力を貸してほしいよ」
「んー。可能なら、そうしたいんだけどねー」
なぜか困り顔でそう答えるサラ。
思わぬ返答に、きょとんと彼女の方を向いた時だった。
「探しましたよ、サラ」
低い男の声。
振り向くと、建物の陰に、一人の男が立っていた。
「あちゃー。見つかっちゃったか」
どうやら彼とサラは知り合いらしい。
だが、友達というふいんき(なぜか変換できない)には到底見えない。
「サラ……?」
「あはー。ごめんね二人とも。やっぱ、しばらく会えそうにないや」
男の方へとサラが方向転換する。
俺がサラを追うのを妨げるように、男はサラと俺の間へと進み出た。
「サラがお世話になりました」
「……あの。あなたは」
「サラの脱走はこれで三度目になります。もしまた見かけられても、相手をされませぬよう」
俺には答えず、男はサラの手を引き、路地裏へ去っていこうとした。
「あ……レンくん! ジルちゃん! また隙を見て逃げ出すから――『春風』で会おうね!」
そして彼女は俺たちの目の前から姿を消してしまった。
それから――数日が経過したが、サラが俺たちと再会することはなかった。
ただ、ある霧深い夜、慌てた様子で飛び込んできた『春風』の店主モニカは、一枚の紙を握っていた。
それは王立劇場の招待状だった。
招待対象者の名前は、俺とジル。そして――招待者の欄には。アルディラの文字で、こう書かれていた。
「『王立劇場専任女優 サラ・ダランベール』……?」
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