エピローグ 身の程を教えて差し上げます
一年後。
私、イレーネ・フォン・アイゼンヴァルトと、ヴェスターラント王太子エドヴァルドの婚約が、両国の祝福の中で、正式に発表された。
辺境伯令嬢と、王太子。二つの国を繋ぐこの縁は、同盟をさらに強固なものにし、ザイデルン帝国への、揺るぎない備えとなった。
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グレタは、レーヌ・ブランシュの正式な共同経営者となった。
三年間、私の影として、聖医の診療網と化粧品事業を守り抜いてくれた彼女。もう、影でいる必要はない。彼女は今、堂々と表舞台に立ち、事業を率いている。
「お嬢様。……いえ、妃殿下と、お呼びしたほうがよろしいかしら」
「グレタまで、そんな他人行儀な。……昔のように呼んでちょうだい」
「ふふ。承知いたしました、お嬢様」
彼女の笑顔は、あの潜伏の日々の緊張から、すっかり解き放たれていた。
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兄バルドゥインは、アイゼンヴァルト家の次期当主として、正式に認められた。国境の守りを担う武門の跡取りとして、その武名は、ますます高まっている。
時折、私に会いに来ては、こう言って笑う。
「怖い妹だと思っていたが……今や、一国の妃だ。ますます手に負えん」
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オデットのその後は、風の便りに聞くだけだった。
社交界を追われた彼女は、遠い領地の、小さな屋敷で、静かに暮らしているという。かつての華やかさは、もうどこにもない。ただ、身の丈に合った、ささやかな日々を送っているらしい。
フェリクスのその後も、また、風の便りに届いた。
伯爵位を失い、負債だけが残った彼は、すべてを清算した後、再び――行商人として、旅に出たという。
四年前、私が出会ったときと、同じ姿で。荷を担ぎ、街道を歩き、その日暮らしを続けている。
あれほど望んだ地位も、名誉も、財も。手にした途端に手放して、彼は、振り出しに戻ったのだ。
ただひとつ、あの頃と違うのは――もう、彼を支える者は、隣にいないということだった。
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その日、私は、レーヌ・ブランシュの新作発表会に、招かれていた。
王都の一等地に構えた、瀟洒な店。棚には、私が生み出した香油や紅が、美しく並んでいる。集まった貴婦人たちが、目を輝かせて、新作に見入っていた。
かつて、地味な色を勧められ、押し込められてきた私の感性が、今では、この国の美の基準を、静かに作り変えつつある。
「――イレーネ様。この新作の紅、なんて美しい色でしょう。どうやって、この色を?」
ひとりの貴婦人が、うっとりと尋ねてきた。
私は、微笑んで、答えた。
「秘訣は、ひとつだけですわ」
「まあ、なんですの?」
「――誰かに『似合わない』と言われても、自分の好きな色を、諦めないこと」
貴婦人たちが、くすくすと笑った。
その笑い声の中で、私は、そっと自分の首元に触れた。
もう、『霞の首飾り』は、そこにはない。
顔を隠す必要も、身分を偽る必要も、誰かの都合で沈んでいる必要も――もう、どこにもない。
私は、ただ、私自身として、ここに立っている。
四年前、「身の程を弁えろ」と嗤われた女が。
今、この国の美の基準を作り、隣国の妃となり、ひとりの人として、愛されている。
――身の程を教えて差し上げるのは、こちらのほう。
あの日の言葉を、私は、静かに胸の内で、もう一度だけ、繰り返した。
窓の外には、穏やかな春の光が、差し込んでいた。
(完)




