第二章
建国直後。
まだ都市の移送は完全には済んでおらず、慌ただしい雰囲気であった。
かつて栄華を築いた都市が解体されていく様子は皆、寂しく眺めていた。
埃が舞う匂いに、崩れゆく音。
聞こえる声に覇気はない。
猶予は3年。それまでに領土から出ていかなければ問答無用という約束。
急がれる必要なものの移送と秘匿の分解。
牙人達のその焦る姿に対し、高みの見物をする人間。
本当に世界が入れ替わっていた。
やがて時は過ぎていき、また当主巡礼の季節となった。
もう王都周辺に各当主は移動しており、誰一人遅れることなくすぐに参上していた。
いつもの如く部屋には硫黄の香りが充満していた。
今日も窓から差し込む光は少ない。
会議を始める合図をした瞬間、皆が口をそろえて言い出した。
「血の供給はどうなっている!?皆飢えて苦しんでいるぞ」
静かな議会は一瞬にして騒がしくなる。
ルブリア十世は思わずその音圧に耳を塞ぎそうになった。
農業都市のアウランティ家当主は遮るようにして答える。その声は疲れ切っている中絞り出したようだった。
「無理だ、生産が間に合っていない。こうなることはわかっていた事だろう。王よ、なぜ人間と取引しないのですか」
ルブリア十世は悩み抜いた結果、ため息をつきながら一つの書類を取り出した。
「この条件を飲めるのか?」
取り出された書類。その手は怒りか、緊張か、震えていた。
落ちる紙の音はやけに重たく感じられる。
皆その書類の異質さに目を丸くした。
『我が国民を差し出すためには同数の無害化した労働力を差し出すこと。また、手数料として石炭を一人当たり1kgつけること』
無害化した労働力――この文言が何を示すのかを皆一瞬で悟り、血の気が引いていった。
更に手数料についても、国民の飢えた身体にはかなり厳しいものがあるということもわかっていた。
当然誰も取引しろなんて言う者はいなかった。
もう部屋の硫黄の匂いは誰も感じていなかった。
いや、感じる余裕もなかった。
そんな中ルブリア十世は諦めた声で続ける。
「だが、もう限界ではなかろうか。生存なくして繁栄なし。まずはここであろう?だから私はこの条件も飲まなければならないと思う」
一同が目を合わせた。混乱する当主達。
「正気ですか、王よ!」
数名が身を乗り出して言った。
そんな中アウランティ家当主は一番この危機を理解し、責任を感じていた。
その背中はあまりの重責に今にも潰れそうであった。
手汗と自分を殺すような心拍で語りだす。
「でも、王の言う通り、我が農園だけでは賄えない。アウランティ家の力だけでは限界がある。打開策が見つかるまでは仕方ないのではないか」
まさかアウランティ家当主が踏み切るとは思わなかった。他当主達もそんな心持ちで、心臓が跳ねる。
皆、次にどうすべきか、混乱していた。
理性を保っていたのは制裁都市のカルニフィク家当主。
「仕方ない。まずは罪人を差し出す。気は乗らぬが牙折りはする」
その言葉に皆が慄いた。
一気に皆の表情から血の気が引く。既に引いた血の気から更にだ。
その言葉の重さに凍りついてしまう他当主。
「その表情はなんだ?無力化といえば牙折りしかなかろう?」
淡々と言うカルニフィク家当主の姿に息を呑む皆の顔を見てレリグス家当主が言い出した。
「牙折りは禁忌。それにそんなことをしたら……死んでしまうではないか!」
必死に、泣きそうな声で。身振り手振りを加えて伝える。
それはただ恐怖というよりも禁忌を犯すことに対する危機感と怒りも含まれていた。
カルニフィク家当主はそんなことを気にせず話を先に進めようとしている。もうこの話は承諾したものだと。
「それぐらいわかっている。だから麻酔はする。スコラスティアン家の麻酔も回して欲しい」
視線の先は学識都市のスコラスティアン家当主へ。
彼には余裕が無く、その顔は嫌な予感で引き攣っている。
「待て、幾らかは回せたとして国民の医療はどうすると言うのだ」
それに対しても反論は用意していたカルニフィク家当主は淡々と続ける。
「ならそれも無力化されてるとして。送ればいいではないか」
やはりかと背もたれに力なく体重を預けるスコラスティアン家当主に威厳は最早ない。
そこに身を乗り出し、立ち上がるユーディキリオ家当主。
牙を剥き出し、その倫理観に抵抗を示す。
「カルニフィク家には倫理というものがないのか!」
カルニフィク家当主はその声の元を睨み、尋ねる。
「今この国に弱者を救う余力があるとでも?」
その言葉に皆口をつぐんだ。
ユーディキリオ家当主もゆっくり椅子に吸い込まれていった。
皆、薄々思っていた。彼が自分たちの真意を代弁したのだと。そう思うしかなかった。
そんな中、スコラスティアン家当主が提案する。
「……運搬時に病気が蔓延するともう取引にもならない。無惨な結果になるだろう。だから別便にするか、最低限の治療だけは施してからにしたい」
ルブリア十世もそれに納得した。
何か吹っ切れたように力が抜けた様に言い出す。
「せめて……送りだすにふさわしい状態にしてやって欲しい」
もう皆の心は憔悴し切っていた。
自分たちのために同胞を売る事になるなど誰が思っただろうか。
この後の議会の空気が冷え切っていたことは言うまでもない。
ルブリア十世は静かに紙を取り出し、何を決めなければならないのかをメモしていく。
その筆跡は震えていた。
内容はアンスロポリスへ送る牙人の候補について。
何人を牙折りにして、どれくらいの麻酔が必要で、どういう輸送形態で渡すのか。
スコラスティアン家当主が計算し、収支を出していった。
「……まだ足りません」
その言葉でまた一つ議会の空気は凍えていく。
更に技術都市のニグリィ家当主が頭を抱える。
「今年の石炭産出量はそこまで多くないので手数料が払えない可能性が……」
取引すらままならないのかと皆の額には汗が滲む。
必死に皆が再計算と代替案を出し続ける。
そこにビリディオン家当主が尋ねる。
「後追いで支払えないか交渉できないでしょうか?建国準備で生産が整っていなかったと言えば何とかできるかと。あるいは代替の資材で…レートは悪くても聞いてみる価値はあるかと思いますが」
ルブリア十世は深呼吸し、落ち着けようと試みる。
だが、次の声を発する時、口から心臓が出てしまいそうな感覚に襲われていた。
「打診はした。私も今年の石炭量が芳しくないことは把握している。だが、それも見越した上なのだろう。これ以上の取引には応じないと来た。だからどうにかするしかない」
この言葉にビリディオン家当主は呆然とする。
同時に人間の狡猾さに唇を噛む。
少し視線を下にやり考えついた先は……最終手段といっても過言でもないことだった。
だからこそ、彼もまた深呼吸し、落ち着かせようとした。
「なら、節制しかありませんね。臨時法を制定しましょう。名家含む全国民、2日に1度配給すると。現状の取引ではなく、公共配給所による一括管理としましょう」
皆が一斉にビリディオン家当主の方を向き、口を開けていた。ルブリア十世すらも驚いて絶句していた。
その中でスコラスティアン家当主だけは計算をし直していた。
「……そうですね、それなら今年は乗り切れるでしょう。来年はもう少し調整しないといけませんが」
シネレイ家当主が机を叩き反論する。
「バカを言うな、そんなことをしては領民が反撃してくるぞ。それに軍事は食無くして行えるか!」
ため息をついて答えるカルニフィク家当主。
「それを統制するのがシネレイ、お前の仕事だろうが。必要なら牙折りにしておくが」
火に油を注ぐ。
また机を叩いて今度は立ち上がる。
「ならだれがこの国を守るのだ!」
カルニフィク家当主は黙る。
それは反論できないのではなく、するのが面倒になった様だった。
この状況にビリディオン家当主が割り込む。
「今はもう殴り合いで解決する時代じゃないのです。そこは私に任せてください。だからシネレイ殿の手は他の都市を手伝って下さい」
しかしこんなものでシネレイ家当主の怒りは収まらず、吠える。身振りも大きくなっていく。
「こっちの役割をなくしてそれで満足か!?」
その大声にビリディオン家当主は少し尻込みしてしまっていた。
フォローするように物流都市のナウィクラリィ家当主が続いた。
「ビリディオン当主はそういうことを言いたいわけじゃないだろう。落ち着いてほしい。護衛が欲しいって言いたいんだ。向こうが交渉に応じずこちらの物資だけ持っていくなんてこともありうるからな」
そこにビリディオン家当主が咳払いしながら補足した。
「外交も命がけです。故にこちらとしては護衛が欲しいと考えています。それならシネレイ殿の仕事を奪いませんから」
またしても叩かれる机。
シネレイ家当主の頭の中は混乱していた。
「どいつもこいつも矜持はないのか!……クソ、理性ではわかっている。だがこんな屈辱があっていいのか……?」
頭を抱えて小さくなっていった。
芸術都市のヴィオラセイ家当主が沈黙を破る。
「ふう、黙っていたが、私の都市とアルビオンの都市はこのままでは真っ先に消えてしまう。それは困る。だが、我々は人々の希望の灯としてあろう。おそらく来年は何の罪もない人々の大半が我らの都市から持っていかれることは想像に容易い。だからこそ、それを和らげるための対策は必要だろう」
娯楽都市のアルビオン家当主も続いた。
「同じく。生産できない都市ができることは人を出すことだけ。しばらく私は命を狙われる立場になるだろうね。やれやれ、困った話だ」
二人の理性的な声掛けもあり、小さくなったシネレイ家当主は腹を括った。
「……皆が言いたいことは理解した。我が矜持は一度生存のために使うことを約束しよう。ただ、二人が言うように、皆の心が不安定になっている。何かの形で鼓舞してやってくれ」
ルブリア十世は皆の考えが概ね固まったところでまとめる。
「なら、この取引には応じ、国内には臨時の節制法を。そして公共配給所の設立と配給ルールの制定。軍は各名家及び物流に護衛をつける。娯楽、芸術、宗教の三位一体で皆の不安を取り除くように」
そこにアウランティ家当主が続いた。
「私も提案がある。現状の農園運営では生産量に限界がある。知識と技術、強力してもらえないだろうか。一刻も早くこの屈辱から抜け出す必要がある」
ルブリア十世は頷き、続ける。希望の表情で。
「当然だ。スコラスティアン家とニグリィ家はアウランティ家に協力すること。食料問題はこの三位一体で解決を頼む」
その言葉に二名は快諾した。
こうしてこの都市の当主巡礼議会は締められた。
この部屋にはもう声はない。
急ぎ次のやるべきことに向けて支度をしていた。
その背中に大義を乗せて。
しかし、この決断が今後長期間に渡り大量の血を流す悲劇の始まりだという事は誰も予想していなかった。
すぐに国に法は敷かれ、配給所も建てられた。
国民の違和感と反感が高まっていく。
それを見越した当主達の動きもまた素早かった。
芸術は宗教に力を貸し、皆の心を静めた。
それでも癒えない心は娯楽がごまかしていった。
建築は進み、物流が取引を進め、軍は暴れる民衆を押さえ、人間を見張った。道を外れたものを制裁しながら。
技術は取引のための資源を確保しながら、知識は国民を最低限動ける状態にしながら食料の確保のため、持てる知恵を結集させ、農業に渡していく。
最悪の中の最善を尽くすために名家は走り続けた。
その背景にいた人々達はただこれは一時的なものであると信じる他なかった。
一部の知識人は悟っていた。当主がよくないことを行なっていることを。
一般人はただ、今を生きるために必死だった。
時折我慢できない者が争いを起こす。
その度に街から人が減っていく。
連れて行かれた者は戻らない。
ただ祈るしか無かった。神性を受け継ぐ当主達を信じるしかなかった。




