アレシアナ-偽りの弱点を報告する
「──例の生徒が、帝国領の国境付近まで接近している」
低く抑えた声が、会議室に響いた。
卓上に広げられた地図の中央には、赤いバツ印が一つ。
ヴァルキオン帝国とマーブルローズ王国を隔てる国境線。そのほぼ中央に位置する地点──珍しい素材が採れるとして、一部の者の間では知名度の高いダンジョンであった。
かつては、その高純度の鉱石を巡って王国と小規模な衝突が起きたこともある。
今は表向き沈静化しているとはいえ、軍関係者にとっては未だに火種と言っても差し支えのない場所だ。
「確認できたのは四人。護衛も付けず、単独でダンジョンに向かっているようだな」
「大胆不敵というべきか……、愚かというべきか」
乾いた笑いが、数人分重なった。
だが、その笑いに油断や余裕はない。
どこか探るような、警戒するような響きが混じっていた。
「これまでの大掛かりな計画は、すべてこの少女に潰されてきた。そうだな?」
「はい、いまだに信じがたいですが──」
「本当に、ただの学生じゃないか」
疑念とも警戒とも取れる声。
視線が、自然と一人の少女へと集まった。
黒衣に身を包み、背筋を伸ばして座るアレシアナ。エリシュアンへの潜入任務から戻ったばかりで、フィアナという名を最もよく知る人間──そう認識されているがゆえだ。
「アレシアナ、ヤツの情報を」
「はっ」
アレシアナは、一拍置き、淡々と報告を始める。
「地下モンスターの単独撃破、暴走したモンスターの鎮圧。さらにはテロ騒動の解決にあたっても、目覚ましい戦果をあげています。直近の星煌祭でも計画を妨害──端的に言えば、学生とは思えない規格外の戦闘力を有しているかと」
「……ふむ」
上座の男が、短く唸った。
アレシアナは、帝国でも有数の諜報員だ。これまでも数え切れないほどの潜入任務を成功させ、戦況を左右する情報を持ち帰ってきた実績がある。
その判断力と観察眼は、誰よりも信頼されている──はずだった。
「やはりどうにも信じられんな」
「所詮は年頃の少女だ。ターゲットに情が移っただけではないのか?」
その一言で、空気がわずかに冷えた。
諜報員の中にはそう疑念を抱いていることを、もはや隠そうとすらしない者も居た。
「あなたたちこそ、事の脅威を見誤っているわ。ただの学生──その先入観を捨てないと、取り返しのつかないことになるわよ」
「ふん。どうだか──」
そう吐き捨てたのは、無精ひげを生やした男だった。
名はクラウス──アレシアナとほぼ同時期に諜報機関へ配属され、一方的にアレシアナのことをライバル視している男だ。
こうしていちゃもんめいた因縁をつけられたことも、一度や二度ではない。
「その辺にしておけ、クラウス」
上座に座る男が、そうクラウスを諌めると、
「ヤツの向かった居場所に、情報に間違いはないのだな?」
「はい。確かな情報です」
そう答えたのは、王国に忍び込んでいた別の諜報員だった。
「ふむ、いまだに狙いは見えないが──これは打ち取る絶好の好機だろうな」
上座の男が立ち上がり、手にした煙管を軽く揺らす。
そして一拍置いて、そう結論を下した。
「腕利きを集めろ。確実に仕留める。指揮は──」
一瞬の間。
「アレシアナ。お前がやれ」
命令だった。
拒否の余地など、初めから存在するはずもない。
「……承知しました」
上官命令は絶対だ。
そう頭を下げながらも、アレシアナの胸の奥には重いものが沈む。
(どうして……来てしまったの)
無論、口には出さない。
それでも、思考は止められなかった。
王国と帝国の関係が、どれほど緊張しているか。この状況で帝国領近くに踏み込むことが、どれほど危険な意味を持つか。
フィアナは、それを理解していなかったのだろうか。
(それとも……、理解したうえで来たの?)
視線を落とし、アレシアナは静かに呼吸を整える。考えるのは後だ──今は、組織としての判断だけが求められている。
「部隊編成は、こちらで行う」
会議を仕切っていた男が、そう続ける。
「副官には、クラウスを付ける」
「……承知しました」
名前を聞いた瞬間、アレシアナは理解した。
監視役。あるいは、失敗した場合の保険か。
(……いいえ。この任務、私に失態を起こさせるつもり?)
皇帝からも重用されていたアレシアナは、彼らにとってさぞ目の上のたんこぶだったことだろう。
信用を失いつつある今、一気に失墜させようと考えてもおかしくない。
そんな狙いすらアレシアナは、冷たく受け流す。
この帝国に、心安らぐ場所などあるはずもない。
価値がなければ捨てられる──しごく当たり前のことなのだから。
「これが改めて、ターゲットについての情報だ」
会議は淡々と進む。
壁面のスライドに映し出されたのは、間の抜けた笑顔の少女だった。
──フィアナ。アレシアナは、そっと唇を噛む。
「目標の弱点についてだ」
「そうだな、まずはアレシアナ。お前の見解を述べろ」
一瞬だけ、思考が揺れた。
(──優しい)
(──仲間を大切にする)
(──それゆえ、人質を取れば動きを縛れるかもしれない)
それが、諜報員としての経験からアレシアナが導き出す、もっとも合理的な答えだった。
だが……、
「……あの人間の弱点は、持久力です」
アレシアナは、別の答えを選ぶ。
「圧倒的な魔力と身体能力を持っていますが、それは継戦力を犠牲にしたもの。短期決戦では手が付けられませんが、この人数で持久戦を挑めば勝てるでしょう」
嘘ではない。
けれども核心でもない──そんな中途半端な答え。
「ほう……」
上司が、満足げに頷く。
「良い情報だ。その線で行こう、クラウスも良いな?」
「ハッ。必ずや、彼の者の首を挙げてみせましょう」
クラウスがそう応じ、作戦は即座に固まった。
死角からの不意討ち。
地形を活かした包囲戦。
そのまま数に物を言わせた消耗戦──そして討伐。
「フィアナとやらも、これで終わりだな」
満足そうに頷く上官。
そうして会議が終わり、各員が席を立つ。
最後に残ったのは、アレシアナ一人だけだった。
(私は……、何をしたいんだろう)
──そう自嘲しながら。





