フィアナ、廊下の片隅で一息つく
ニヤリと、不敵な笑みを浮かべる魔王の娘の姿がありました。
「しまった、逃げ遅れか!?」
「なんでそんなところに生徒が!?」
「そこの子! はやく逃げて!」
風紀委員たちからは、悲鳴のような声が上がります。
しかし、
「……ふうむ、命知らずな奴じゃのう」
リリスはそう呟くと、突進してきたイノシシの鼻先を、躊躇なく掴みました。
片手で。
「ぶもぅっ!?」
巨体が、不自然なほどあっさり止まります。
まるで、じゃれつく相手をいなすかのような動きでした。
「誰に向かって牙を向けておる」
普段からは、想像もつかない威厳のある声。
その一言でイノシシの動きがピタリと止まりました。
まとっていた瘴気が薄れ、耳がぺたりと伏せられ、
「……くぅん」
先ほどまでの凶暴さが嘘のよう。
まるで叱られたペットのように、縮こまっていました。
「ふむ、誰に唆されたのやら──」
リリスは、そう鼻を鳴らすと、
「さて……、ところでクレープ屋はどこじゃ?」
何事もなかったかのように。
私を見て、マイペースにそう告げるのでした。
数分後。
「うぅ……、あんまりじゃ……」
しくしくと涙を浮かべるリリス。
「クレープ……わらわのクレープ──」
「もう……、リリスったら、いい加減泣き止んでください。クレープなら街で、また買ってあげますから」
涙目のリリスを、私はそうなだめます。
「本当じゃな? 約束、約束じゃぞ?」
「はいはい、約束です」
目的地のクレープ屋は、どうやらテイムモンスター触れ合い会場の隣にあったらしいのです。
モンスターの暴走の巻き添えで、備品が駄目になってしまっており、とても営業できる状態ではないとのことでした。
そんな私たちに対して、
「大変、申し訳ございません! 本当にご迷惑をおかけしました」
制服姿の少女が、深々と頭を下げていました。
──どうやら、イノシシモンスターのテイマーのようです。
「普段は本当に大人しい子なんです……」
「そ、そうなんですね……」
無惨な姿になった教室を見たら、にわかには信じがたいですが……、
「無理もない」
リリスが、珍しく落ち着いた声で言いました。
「瘴気を強制的に吸わされておって、理性を失っておったんじゃろうな」
その一言で、周囲の視線が一斉に集まります。
(……あ、まずい)
(というかこの子、さっきから正体を隠す気あります!?)
リリスの言葉は、あまりにも事情に詳しすぎました。
私とセシリア、エリンちゃんは、ほぼ同時にリリスの口元を塞ぎます。
「え~っと、そのへんの話はまた後で!」
「失礼しました~……、ですわ!」
「すみません、この場はお任せしますね!」
私たちはリリスの口を塞いだまま、慌ててその場を離れるのでした。
***
人目につかない廊下の陰まで移動したところで、
「ぷはっ! いきなり何事じゃ!?」
「普通の生徒が、モンスターの事情に詳しいのは無理がありますからね!」
抗議するリリスに、私はびしっと指を立てました。
「むう……、なんとも面倒じゃのう」
リリスはそう呟き、ふてくされたようにそっぽを向きます。
「ところでさっきの話ですが、本当ですか?」
「さっきの話というと──、瘴気のことじゃな?」
「はい。瘴気を強制的に吸わされてたって──」
私の問いに、リリスは即座に頷きました。
「間違いないのじゃ。元々、あの種のイノシシは温厚な性格──まして、テイムまでされておるなら、あそこまで暴れる事はありえん」
「それは確かな情報ですのね?」
頷くリリスを見て、セシリアが額に手を当てます。
「つまり、誰かが意図的にモンスターを暴走させた。そういうことですわね?」
「また、テロリストの仕業?」
「そうだとしても……、いったい何が目的なんでしょう?」
言葉を重ねても、答えは出ません。
(嫌な感じですね……)
そう私たちが頭を悩ませていた、その時でした。
「む」
「……リリス?」
「またこの匂い──間違いない、瘴気じゃ」
その一言で、空気が張り詰めました。
リリスが示した視線の先。
一見、何もない、何の変哲もない空間。ですが……、
(たしかに、なにか居ますね)
風景の中で、わずかに浮いているズレ。
空気が、そこだけ歪んで見えるような感覚。
うまく姿を隠していますが、一度気づいてしまえば、拭いきれない不自然さがあります。
「これ以上、学園の中で好き勝手はさせません!」
飛び出そうとする私を、
「ちょっと待って!(こそこそ)」
「な、なんですか?(こそこそ)」
「泳がせよう、敵の狙いが分かるかも(こそこそ)」
エリンちゃんが、真剣な表情で止めました。
(な、なるほど……)
私たちは距離を取り、気配を悟られないように尾行しました。
謎の存在は、校舎の隅へ。
使われなくなった準備室と物置の狭間。
「……あそこです」
覗き込んだ先で見えたのは、床に描かれた魔法陣。
黒ずんだ靄のようなものが、ゆっくりと染み込ませられていきます。
(もう、いいですよね)
私が振り返ると、エリンちゃんがこくりと頷き、
「何をしてるんですか!」
私が声をかけた瞬間、
「──っ!」
人影が跳ねました。
次の瞬間、冷たい光が煌めき。
「いきなり物騒ですねっ!」
暗器。
迷いのない殺意──考えるより先に、体が動きました。
暗器を叩き落し、そのまま相手の体制を崩し、
「ぐっ!?」
床に転がった男を、私はそのまま押さえ込みます。
黒装束に、隠し持った暗器──どう見ても学園祭を楽しみにやってきた、一般人には見えませんでした。
魔力で拘束し、ぐるぐるに縛り上げてから、ようやく息をつきます。
「あなたは何者ですの? ここで何をしてましたの?」
「ふん。言うと思うか?」
セシリアの問いに、ケッと男は唾を吐きました。
「ふん。狙いは瘴気の散布──そんなところか?」
リリスが、つまらなそうにそう言いました。
「瘴気の散布!?」





