第7話 笑顔
「……えぇ」
岡井さんからの問いに、私はなんとか声を振り絞ってそう答えた。
初めて、先生と家族以外の人とまともに会話する。
ちょっとした連絡事項などではなく、ちゃんとした……世間話。
だからこそ、無駄に緊張してしまい、心臓が激しく鼓動を立てる。
「本が好きなので」
続けるように、そう言ってみる。
すると、岡井さんは微かに目元を緩めて、口を開いた。
「まぁ、嫌いなら自分からやらないよね」
嫌いなら自分からやらない……。
当たり前のことなのに、改めてそう言葉にされると、なんだか可笑しい。
それが、私の笑いのツボにでも入ったのだろう。
なんだか面白くなって、私は気付いたら笑ってしまっていた。
「黒田さん……?」
「フフッ……あぁ、ごめんなさい。ただ、岡井さんの返しが、少し、可笑しくて」
「え、何か変なこと言った?」
岡井さんの言葉に、私は無意識に自分の口に手を当てた。
もしかしたら、私の感性がおかしいのかもしれない。
彼女に変な人だと思われるのは嫌だ。
私は羞恥心に打ちひしがれるのをなんとか隠しながら、口を開いた。
「いいえ……久しぶりに誰かと話したので、なんだか少し、感覚がずれているのかもしれません」
私の言葉に、岡井さんは驚いた表情で胸に手を当てた。
どうしたのだろう? と不思議に思っていると、彼女は口を開いた。
「わ、私で良かったら……これからも、話し相手になるよ」
「良いんですか?」
考えるより先に、口が動いた。
本当に、感情がそのまま口からこぼれ出た感じだった。
そんな私の言葉に、岡井さんは頷いた。
「うん……私も、ずっと黒田さんと話してみたかったし」
「そうなのですか? 私もですよ」
「えっ!?」
珍しく感情を露わにして驚く岡井さん。
どこに驚いたのか分からなくて、私はついキョトンとしてしまった。
すると岡井さんが身を乗り出してくる。
「私と……話してみたかったの?」
「え、えぇ……岡井さん、よく図書館でホラー小説の棚を見ているじゃないですか」
「うッ」
本当はそれ以外にも理由があるけれど。
でも、普段彼女に対して思っていることをそのまま口にすると悪口になりかねないので、黙っておく。
それに、共通の趣味があることを提示しておいた方が、話しやすいと思うし。
それからしばらくは、色々な話に花を咲かせた。
どんな本が好きなのかとか、なんで本が好きなのかとか。挙句の果てには、この学校にいる同性愛者についてまで。
人とは話さない分、私の耳には様々な人の噂が入って来る。
誰か特定の人物とばかり話していると、相手の価値観により偏った情報しか手に入らない。
中立地点。誰とも関わらずにいると、誰かの価値観により偏った会話ではない……様々な視点から見た平等な情報が入ってくる。
だから、その情報網で手に入れた情報を岡井さんに披露していると、五時間目が始まる前の予鈴のチャイムが鳴った。
元々私は弁当を片付けていたのですぐに立つことが出来たが、岡井さんは弁当を片付けるのに時間が掛かるようだった。
「行きましょう? 次の時間が始まります」
私はそう言いつつ、岡井さんに手を差し出した。
すると、岡井さんはキョトンとした後で……優しく、微笑んだ。
「うん」
たった一言。たった二文字。
ただそれだけの返事なのに。
彼女の笑顔に私の意識は吸い込まれた。
確かに、彼女の笑顔はほとんど見たことない。
白田さんと話している時に、ごく稀に笑っているだけだ。
でも、それとは違う。
私に直接向けられた好意。
彼女にとっては何気ないことなのかもしれない。
でも私は、それがすごく……嬉しかった。




