9
「やっと終わった~」
ナイフを握る手が痛い。
気づけば厨房も人がまばらになっていた。
もう夜なんだろうか?
厨房のあちこちのロウソクに灯がともっていた。
トイレついでに外に出る。
外はもう真っ暗だった。
トイレを済まし厨房に戻ろうとしたら井戸に人影があった。
誰だろう?
何となく興味本位で井戸に近づく。
そこにはうつむいているリカーの姿があった。
「リ……」
声をかけようとして躊躇した。
彼女の肩がわずかに震えていたからだ。
泣いている?
あの元気なリカーが?
しばらくその様子を眺めているとリカーが私に気がついた。
「ミ……ミカン、いつからそこに?」
慌てたように目をこするリカー。
やっぱり泣いてたんだ。
「何かあったのリカー?」
「ん、これからあるんだ。ミカンはその………男との経験はあるのか?」
男の人との経験……ってつまり……。
ボフ
思考が妄想の暴走を呼んで頭から煙が巻き上がる。
「どどど、どうしたの急に?」
「ん、実は今日指名がかかっちまって……その……」
し、指名?
それって、それって……。
「いや、何でもない。忘れてくれ」
忘れろって言ったって……。
「ん、どうしたんだ? その手」
ひょいと私の右手をつかみ取ると「なんだ血豆ができてるじゃないか」手のひらにできた血豆をまじまじと眺めるリカー。
「こんな柔な手で本当に冒険者かよ」
いつものリカーに戻っていた。
「ちょっとついてきな」
リカーに促されるまま後をついて行く。
ついたところは厨房だった。
「ちょっと待ってな」
リカーは沢山並んでる引き出しの中から何かを取り出し戻ってきた。
その手には針と葉っぱが握られている。
「ちょっと痛いけど我慢しろよ」
針をロウソクの炎にかざすと、熱くなったであろうその針を血豆にプスリ。
「痛っ」
思わず声が漏れる。
穴のあいた血豆から血を全部出すと水で洗い流して葉っぱを巻き付けてくれた。
「これでよし。すぐに治るぜ。明日も皮むきだろ? こいつを使いな」
渡してくれたのは手のひらが少し固くなってる皮の手袋。
指先は切り落としてあり細かい作業もばっちりだ。
「ありがとうリカー」
「なぁに良いってコトよ。それじゃあたいは行くから。また明日な」
手をヒラヒラさせて行ってしまった。
「リカー、大丈夫かな?」
井戸のわきで泣いていた彼女を思い出していると。
「掃除ザマス。グズグズしないザマス」
メイド長が怒鳴り込んできた。
「はい~」
ジャガイモの皮を外の生物捨てようの穴に持って行ったのだった。
「あふ」
四日目の朝が来た。
レモン一体何やってるのよ?
眠い目をこすりながらいつものように井戸に顔を洗いに行こうとして立ち止まった。
お風呂の方から音がする。
おかしいな、こんなに朝早く誰だろう?
ちょっとした好奇心でのぞきに行った。
するとそこにはリカーが体を洗っている姿があった。
それも丁寧にではなく、落ちない汚れを無理に落とすように力一杯擦っている姿が……。
「リカー、何してるの!」
リカーの真っ白い肌は薄っらと血がにじんでいる。
「よぉ、ミカンか。見ればわかるだろ。汚れを落としてるんだ」
うつろな瞳でリカーは答えた。
いつものような元気など微塵も感じない。
「傷だらけじゃない」
リカーの手に握られた体洗いようのひょうたんを奪い取る。
「何するんだよ、みかん。汚れを落とさないと、気持ち悪いんだ」
なお虚ろな目をしているリカーはゾンビのごとく緩慢な動作で手を伸ばしてくる。
「ダメよ。もう傷だらけじゃない。部屋に戻ろう」
「まだ綺麗になってないんだ……どんなに洗っても綺麗にならないんだ……」
リカーの瞳から涙が一滴頬を伝った。
「どうしたのリカー、何があったのよ」
「きれいに……戻れない……」
リカーは積を切ったように涙があふれ出していた。
「リカー」
何があったかわからなかったけど、私はリカーを抱きしめることしかできなかった。
リカーのこんな姿を見るのは初めて。
よっぽどのコトがあったんだ。
声を殺して泣き続けるリカーの背中を優しくなでてあげる。
リカーが落ち着くまでそばにいよう。
そう思った矢先、「あーたたち、ここで何してるザマスか」
メイド長の言葉が突き刺さる。
「あの、その、リカーが気分が悪いそうで……」
何だか上手く言葉が出てこない。
「何ザマス」
ズカズカと私たちの元にやってくるメイド長。
私たちを引き離す。
リカーは泣きながらひょうたんに手を伸ばす。
メイド長はそんなリカーの姿を見てひょうたんを取り上げる。
「リカーのことは任せるザマス。ミカンは早く厨房に行くザマス」
「でも……」
リカーを放っておけない。
「大丈夫ザマス。あーたはジャガイモの皮むきザマス」
鋭い視線に貫かれて私はしぶしぶ厨房に向かう。
「ミカン、ついでにハガネに来るように伝えるザマス」
振り返りリカーを見る。
床に横たわって肩をふるわせていた。




