43、疲れたわ
「ほんと、疲れたわ」
ヤエは家に戻り、店内のカウンターに上半身を預け、ぼそっとつぶやいた。
あれから。
西端の村の魔族全員に行き渡るように家を建てた。
彼らは三人家族が三組、夫婦が二組、独身者が三名の合計十六名だった。
建てた家は合計で八棟。
それ以外に井戸を作って、共同の洗濯場を作って、公会堂を建てた。
これが大仕事のように聞こえるが、ヤエにとっては願うだけで建てられるから、そこまでの苦ではなかった。
本当の苦労はこれらの使い方を魔族に教えることだった。
彼らはかなりワイルドな生活だったらしく。
ベッドひとつとっても使い方がわからない。
どうぞと渡したら下にもぐって寝る者が大半だった。
最初はひとつづつ丁寧に教えていたが、途中でこのままではヒナタがご飯も食べられないし、寝る時間になってしまうことに気づいて。
一旦、リチャードに任せて戻ってきた。
丸投げとも言う。
「ヤエママ、おつかれさま」
そう言ってヒナタがお茶の入ったマグを横に置き、隣の席に座った。
三歳になったヒナタは最近お茶を淹れられるようになった。
差し出されたコップに、娘の成長を感じた。
さらにそのお茶を啜ると、娘の愛が感じられて。
さっきまでの疲れが一気に吹き飛ぶような気がした。
「ありがとう、ヒナタ」
そう言って頭を撫でると、ヒナタはへちゃあとした顔で笑った。
見た瞬間に。
腹の底からかわいいが湧いてきて。
「ああ、もう! 大好き!」
かわいいが口からあふれ出した。
感情にまかせてヒナタを抱きしめる。
ヒナタも抱きしめ返す。
「ひーもヤエママ大好きだよー」
小さく柔らかな手と、赤ちゃん返りしたような愛らしい言葉が。
ヤエの心を温める。
魔族を丸ごと救ったのは正解だったんだと思わせてくれる。
よかった。
色々な感情を胸に染み込ませるように。
ヤエは瞳を閉じる。
しばらくして瞼を開くと。
目の前には狸のふくれっ面があった。
「テレジアさん、どうしたの?」
ヤエが明らかに不機嫌そうなテレジアに問う。
「ん? テレママ、どうしたー?」
その声を聞いてヒナタも振り返ってテレジアを見る。
「ヤエさん、ヒナタ、私も疲れましたよう?」
不満げに満ちた声だった。
その声の理由、ヤエばかりを労うヒナタに怒っているのだろうとヤエは理解した。
「そ、そうね!
テレジアさんも魔族のみんなへの説明を一生懸命やってくれたものね。
当然疲れているわね」
「そうです!
それをヒナタはヤエさんばかり!
私にはなでなでを所望します!」
ヤエ、ご明察。
「いいよう。ヒナタ、ヤエママをなでなでするの好きだから」
「ヒナタだけではダメですよう!」
「えー、ヒナタじゃダメなの?」
「当たり前です!
いつ私の番が来るのだろうかと待ちわびました!
それが待てど暮らせど、ずっと二人でイチャイチャと!
私は寂しかったのです!
だからヒナタとヤエさんのダブルなでなでを所望します!」
「ふふ、私もなの?」
「当然です!」
「わかったわ。ヒナタ、二人で一緒にテレジアさんをなでなでしましょ」
「うん! いーよ! ヒナタ、テレママなでるの好き!」
「じゃあ、来なさい」
気づけばいつの間にか。
ヤエとヒナタが座るカウンター席の前には、のびーんとしたテレジアが横たわっていた。
「じゃあ、私は頭側ね」
「ヒナタ、おしり側ねー」
どちらからともなくヤエとヒナタはテレジアを優しく撫ではじめた。
「うむ、いいでしょう。くるしゅうありません」
撫でられる女神はその心地よさに目を細める。
ヤエの手はテレジアの気持ち良い所を熟知しているし。
ヒナタの手は小さく柔らかく温かい。
それぞれにそれぞれの良い所がある。
「キュウ」
思わずテレジアから狸の声が漏れ出した。
「ああ、失礼しました。あまりの気持ちよさに狸になってしまいましたよう」
照れるテレジア。
「ふふ、大丈夫よ。テレジアさんかわいいわ。ねえ、ヒナタ?」
「うん! テレママ、なでなでしながら、お日様吸っていい?」
ヒナタは狸吸いのことをお日様吸いと呼ぶ。
ヤエがテレジアを吸っているのを見てから。
それを真似して初めてテレジアを吸った時、お日様の匂いがするという感想を持ったからだった。
「いいですよう」
そう言うと、テレジアはくるんとひっくり返り、お腹を二人に見せた。
「やったー! おなか側だー!」
喜んでヒナタはテレジアのお腹にかぶりついた。
知らない人から聞けばとても猟奇的な言葉だが、三人の間では成り立っている。
ヤエもヒナタもテレジアのお腹を吸うのが特に好きだった。
毛も肉も背中側と比べてとても柔らかい。
「ふぁらはふてひわわへ」
柔らかくて幸せ。
そう言っているのだけれど、誰にも伝わらない。
「ヒナタ、喋るならお日様吸いが終わってからにしなさい。お行儀悪いわよ」
「ふぁい」
「テレジアさん、今日はありがとう」
静かに狸を吸い始めたヒナタを眺めつつ。
ヤエはテレジアの顎下を掻くように撫でながら言った。
「いいんですよう。ヤエさんの自由ですから」
テレジアはそう答えると、目を閉じてヒナタのされるがままになった。
狸のしっぽ亭の店内は濃くて暖かい色の光に照らされている。
そこにはただ。
ヒナタの呼吸音と。
テレジアのピスピスした鼻息と。
ヤエの撫でる手の音。
それだけが在った。
幸せはゆっくりと夜に溶けた。




