23、伝わる愛
膠着するヒナタとテレジアの間。
そこにはただ絡み合って固まった空気があった。
物体はなにもなかった。
聞こえるのは、テレジアの荒い呼吸と、ヒナタの静かな呼吸だけ。
瞬きの音すらしそうなほどの静寂。
そんなしじま、二人が奇しくも同時に瞬きをした。
閉じて。
開く。
その一瞬の間に。
何もなかった空間にいきなりヤエが現れた。
お互いの姿だけを注視していた二人には、突然現れたそれがヤエだとは認識できない。
ただ急に現れた異物に視界を塞がれた状態になった。
音が聞こえた気がするほど明確に。
プツンと。
二人の緊張の糸は切られた。
ピンと張り詰めていた糸は均衡を失い、自然と中心のヤエに向かう。
ヒナタもテレジアも、それがヤエだと認識する前に、反射的に攻撃を放っていた。
ヒナタの振るう鋭い剣戟。
それはヤエの左腕に食い込む。
テレジアの深紅の口中に光る白い牙。
それはヤエの右腕を穿った。
ヤエは声を上げない。
受肉した木の体は痛覚を持っている。
痛くないわけがない。
勇者ヒナタの木剣は左腕にヒビを入れているし、女神テレジアの牙は右腕に深く突き刺さっている。
そんな状況にも関わらず。
「二人とも、大丈夫だから、落ち着いて」
その声はいつも通りのヤエの声だった。
シンセカイの森、そのものから響くような深く優しい慈愛に満ちた声。
その声を聞いて、ヒナタとテレジアは我に返った。
テレジアがゆっくりと口を開くと、ヤエの腕から牙がすっと抜ける。
木の体からは血は流れず。
そこにはただ二つの穴がぽっかりと空いていて。
空虚な目のようにテレジアを見ていた。
「あ、ああ、ヤエさん、ごめんなさい。私、噛んじゃいました」
テレジアは反射的に謝った。
さっきまでぶわりと膨らんでいた毛並みが一気に半分くらいになっている。ヤエはそんなテレジアの背中をゆっくりと撫でる。
艶々した手触りが腕の穴の痛みを和らげた。
「大丈夫ですよ、テレジアさん。私のためにありがとうございますね」
「え、ええ。当然ですよう」
テレジアはこんなに偉そうに肯定をしたいわけじゃない。
ただ混乱して言葉がそれ以外に出てこない。
森そのもののヤエがテレジアの牙程度で死ぬわけじゃないけれど。
それでも受肉体に傷をつければ痛いことをテレジアは知っている。
ヤエを守ろうとした行動でヤエを傷つけた。
狸の本能でしっぽを丸めて逃げ出したい気持ちを、神の思考で抑えこむので必死だった。
それゆえの混乱。
そしてそれ以上に混乱しているのはヒナタだった。
「ヤ……ヤーママ?」
母の名をうつろに呼ぶ。
その目は泳いでいて、決してヤエとは合わない。
姿勢は剣を振るったそのままで固まり、剣を握った手はプルプルと震えている。
力強く握り過ぎている証拠だ。
ヤエは己の左腕にヒビを入れている木剣をゆっくりとはずして、手のひらでその剣先を地面に向けるように誘導した。
ヒナタはおとなしくそれに従って木剣を下ろす。
何度か剣から手を離そうと試しているようだったけれど手はどうしても開かなかった。
諦めてそのまま下を向いて肩を振るわせる。
ただでさえ小さい体が今は半分くらいになっているように見える。
そんなヒナタに。
ヤエはなんと声をかけるべきか迷う。
いろんな言葉があるだろう。
でも頭に浮かぶ全部の言葉が違う気がする。
だったら、と。
ヤエはヒナタを抱きしめた。
手に固く握られた剣ごと。
ヒナタの小さい体をぎゅうと抱きしめる。
普段の優しい抱擁や抱っこじゃない。
ぎゅーっと、自分の愛情を強く伝えるようなハグ。
子供のヒナタの体温は高く。
木製のヤエの体温は低い。
ヒナタの高い体温がヤエに伝わって混ざる。
それと一緒に二人の感情を相互に理解する。
ヒナタは謝っている。
ただ謝っている。
くりかえしくりかえし。
ごめんなさい、ごめんなさい、と。
ヤエはそれを許す。
抱きしめる力の優しさと強さのバランスで伝える。
やってはいけないことをしてしまった事実とそれに対する許しを。
それは確かにヒナタに伝わっている。
自分が許されたと感じたヒナタの手からは自然と力が抜ける。
剣はヒナタの手から離れ、柔らかい地面に落ちた。
「ヤエママ、ごめんしゃーい、ひーは悪いこー」
剣と一緒に憑き物が落ちたかのようにヒナタは幼子に戻って泣いた。
ふえーんふえーんと。
それはとても悲しい泣き声で。
聞いているとヤエもテレジアもつられて泣きそうになるほどだった。
だから。
「ヒナタ、大丈夫、大丈夫よ」
ヤエはただヒナタを優しく抱きしめたまま。
その背中を優しくトントンと叩くしかできない。
そのまま。
ただ、ただ。
大丈夫、と繰り返す。
それでもヒナタは泣き止まず。
平和を取り戻した森の中にはしばらくヒナタの悲しい泣き声がこだまするのだった。




