14、ミルクを飲むヒナタ
気持ちよく晴れた平凡なある日。
森に生えた勇者ヒナタと。
世界の脅威ヤエと。
怠惰な狸女神テレジアの。
奇妙な共同生活が始まって三ヵ月ほどが経った頃。
「キャアアイ」
「はいはい。ヒナタはミルクの時間ね。ちょっと待ってて。テラスで飲もうねー」
ヤエは森に生えていた赤子にヒナタと名付けて森で育てることにした。
以来、受肉したままの状態で森の中に建てた『狸のしっぽ亭』で過ごしている。
人間の子供を育てるには人型を取るのがやりやすいと判断したからだった。
そしてそれと同時に一旦森の拡張もお休みすることにした。
これ以上広げなくても、森の規模も環境も整っているし。
人間が訪れることを前提とした生態系も完成している。
森の管理は森の王であるテレジアがいるだけで安定するから。
ヤエが手を出す必要性もない。
そういった事情からヤエはヒナタの子育てに集中することができた。
はじめは慣れないことばかりでバタバタした。
だけど授乳期のヒナタを育てることはすべてが未経験で楽しかった。
これもまたスローライフの形だとヤエは思っている。
ヒナタのミルクを要求する声に応えて。
ヤエは嬉しそうにカウンターの中のキッチンに立ち。
哺乳瓶を振りながらたまにそれを頬に当て。
ミルクが人肌にぬるまったのを確認する。
ほどよくぬるまったそれを片手に持ち。
反対の腕でお気に入りのバウンサーの上に寝転がっている赤子を抱き抱えた。
ひとつひとつの動作が心地いい。
数時間おきに繰り返しているその所作は実に慣れたものだった。
そのままテラスへ出る。
外は晴天で森の中にぽっかりと抜けたこの空間には、ヒナタの名前のような暖かい陽光が降り注いでいた。
ヤエは視線を上げ、優しいその光に少し目を細めてから、再び視線を腕の中のヒナタへ落とす。
目が合うとヒナタがにこりと笑う。
「はい、お待たせ。ご飯だよ」
ヤエは立ったまま、腕に抱いたヒナタの口に哺乳瓶を含ませる。
「ンキュンキュ」
口なのか喉なのか。
どこが鳴っているかよくわからない音を鳴らして一生懸命ミルクを飲むヒナタの姿はとても可愛い。
思わず頬が緩んでしまう。
哺乳瓶がヒナタの口からずれないように気をつけながら。
ゆっくりと歩いて。ヤエはテラス席の椅子に静かに腰掛ける。
テーブルの上には先客の狸テレジアが丸くなっていた。
さっき熊のクマゴンに乗って帰ってきているのが窓から見えたから、森の巡回を終えたばかりなのだろう。
あらためて丸々とした狸玉となったテレジアを見る。
見れば見るほどふっくらとした良い毛並みだ。
しっぽもツヤツヤとして実に美狸で。
そりゃあ森のカリスマにもなるだろうなとヤエはなんとなく思う。
そんな視線に気付いたのか、テレジアは目を開き。
ヤエとヒナタを交互に見る。
「ヒナタはよくミルクを飲みますねえ。良いことです」
テレジアは丸くなったままヒナタを流し目で見ながら言う。
「うん。いっぱい飲んで大きくなってほしいわ。テレジアさんの方は? 巡回は問題なかった?」
「ええ、カリスマックスな私がいれば、すべて世はこともなし、ですよう」
「ふふ、テレジアさんが堕天していることをのぞけば、本当にそうだからリアクションに困るわね」
「見守ってるのだから女神がどこにいようと関係ありませんよう。ねえ、ヒナタもそう思うでしょう?」
そう言いながらテレジアがヒナタの柔らかい頬に鼻先を押しつけると、押されたヒナタの頬がへこんだ。
ぷに、とした柔らかい感触と、張りのある弾力が、触れていないヤエでも感じられるほどだった。
「アーイ」
ちょうどお腹いっぱいになったのか、哺乳瓶から口を離したヒナタがテレジアに答えるように声をあげた。
言っていることがわかっているのかいないのか。
ヒナタはヤエとテレジアの言葉にちゃんと反応する。
もしかしたら勇者の能力で言っていることがわかってるのかな。
と、ヤエは考えている。
「いたいたた」
テレジアの悲鳴に、そちらを見てみれば。
いつの間にかヒナタがテレジアのひげを小さな手で掴んで引っ張っていて。
狸テレジアはその痛みに目を白黒させていた。
もしかしたらミルクを飲むのを邪魔されて怒っているのかもしれない。
「テレジアさんがミルクの邪魔するから怒ってるんじゃないですか?」
それをそのままテレジアに伝える。
「だとしてもひげはダメですよう。いたた」
痛い痛いと言いながらもテレジアはヒナタに怒ったりしない。
この数カ月でテレジアもヤエ同様にヒナタを大事に思うようになっていた。
「ふふ、そうですね。ほら、ヒナタ、やめなさい。テレジアさんが痛がってますよ。痛いのはダメです」
「キャア」
ヤエの言葉に素直にヒナタは手を離した。
「そう、えらいね。テレジアさんを触る時は優しくなでなでしなさい。なでなで」
「ええ、なでなでなら許しましょう。狸女神の美しい毛並みを撫でられることなんて、そうそうありませんよう?」
そう言って大きなしっぽをヒナタに届くように動かす。
「アアイ」
ヒナタはテレジアの方に手を伸ばした。
小さな手を一生懸命伸ばしている姿。
そんな手でテレジアの太いしっぽを優しく撫でている姿。
それを見るふたりの胸には温かい感情があふれた。




