第十二話 ティッカ
もちろん断った。踊りなんてやった事もない。だけど、押し負けた。
キーシェの事をもっと詳しく知りたかったし、無下にできなかったのだ。
「大丈夫、踊りは私が何とか誤魔化す!適当に客に笑ってれば良いからさ。本当にマジでお願い、一生のお願い、ちゃんと報酬も折半するから」
街の南にある、ティッカ達の家に連れて行かれて、豪華な服が並ぶのに圧倒されたのがいけなかった。
「半分じゃなくて多めに出しな!迷惑かけてるんだから!」
ティッカの母親と二人で同時に責めてくるし、ドンドン可愛い服を乗せてくるから、もう完全に負けた。
踊り子の衣装なんて露出度高すぎて無理!と断れば「露出度が低いのもあるから!」と押し切られてしまう。
彼女らの家につれてかれて、借りた衣装は、首と腕しか露出しないし、下半身は腰から尻までゆったりとして、足首の所でピタッと止める。そんなサルエルパンツの衣装だったので、断りきれなかった。
「ほら、隣の部屋で着替えて!」
押し込まれたら、試しに着てみたくなっちゃうだろう!?そんなの、だって刺繍が沢山はいってて、キンキラで可愛いんだぞ、この衣装!
胸の所は、当たり前だけれどスカスカのペタンコだったけれど「これ詰めときな」とティッカの母親から胸の形をした布を詰め込まれて、今やそこそこの巨乳に見える。
なるほど、こういう技もあるのか。
口元を隠す半透明のフェイスベールをつけて、鏡の前で確認する。
沢山の刺繍が入った、青い踊り子の衣装。これはこれでエキゾチックで良いかもしれない。流石僕、何でも上手く着こなせてしまうな。
「着られたら、ほら早く行くよ。ちょっと遅れ気味だし」
引っ張られて赴いた先は、軍の高官が暮らす邸宅のようだった。
「この石を両手で持って、リラ~ックスして」
小さな魔生石を渡されて持つと、ジワッと魔力の熱を感じる。
「靴にも石が埋めてあるの。本当は初心者の練習用なんだけど、アタシの動きと完全にシンクロするような仕掛けになってるから、力をぬけば、ほらね」
手の中の石に引っ張られて、目の前のティッカと同じポーズに体が動く。
なるほど、操動術で動きを連動させて、一緒に踊っているように見せるというわけか。
「アタシの魔力じゃ人間一人を持ち上げるのが限界だから、力入れたり、抵抗しないでね!そこまで強く押さえらんないから、ポーズが崩れちゃう」
魔術にも才能があるから、仕方ないだろう。むしろ、少ない魔力の中で適職を見つけられただけ、偉いなと思う。
「わかったよ、力抜いてるから、代わりにちゃんと動かしてくれよ」
宴会場で待っていると、そこにいたのは王都の重鎮、同盟国の外交官、そしてこの都市の管理者、錚々たるメンバーが揃っていた。一体何の会合だ?コレは。
中には魔術ギルドの支部長と補佐官もいてギクリとする。
しかし、口元を覆う布で僕とはわからなかったのだろう。
「あの方は?君が講義の後、誘う手はずでは……?」
「誘ったのですが、断られました。どうやら、この土地の催しは気に入らないようです」
補佐官がすました顔で支部長に告げる。おい、嘘つくな誘われても無いぞ。この野郎。
支部長は「そうか……せっかく評判のいい子を頼んだんだが、無駄になったな」と肩を落とす。
その僕が踊り子の格好をして、ココにいるなんて想像もしていないのだろう、隣の高官と酒を片手に話しを始める。
「それでは、皆様始めさせていただきます〜」
ティッカも、よそ行きの口調に改めると、踊りを始める。
彼女が踊りを始めると、側に置いていた楽器達が彼女の操術に合わせて動いて、音をかき鳴らす。
それだけでも、綺麗で面白かった、けれどゆっくり見てる暇はなかった。
踊りなんて、踊った事ないし、衣装と僕は可愛いけど大丈夫かな、と不安だったが杞憂だった。
ティッカに言われた通り、力を抜いていると、手の中の魔生石が引っ張って、動きを誘導する。
次に、どちらに動けばいいか、どう手を上げて、どこに歩いて行けば良いのかが、自然と引っ張られて分かる。
流石に、激しく腰を振る踊りは、僕の範疇外で無理ではあったが、そこはティッカが僕を隠すように前に出て踊った。
舞台に立っていると、出来栄えがどうなのか見てわからないが、観客の「おぉ〜」という感嘆の声からして、悪くはないのだろう。
衣装として身につけていた貴金属が、踊り子の体の動きに合わせてシャンシャンと鳴り、一つの音楽を肉体で奏でる。
毎日練習しているのだろう、露出した腕や足の筋肉がうねり、自分ではできないような美しいポーズでリズムを奏でる。
なんだか、その音を聞いていると不思議と心地よい、懐かしいような気がした。
おかしな事だ。今まで踊り子なんて人種、文献でしか見た事がなかったというのに。知るはずもない音が懐かしいと感じるなんて。
本当に、僕は聞いた事がないのか?
もしかして、自分でも記憶にないぐらい、幼い、赤ん坊の頃に聞いた事があるのではないか?
キーシェという女が、本当に僕の母親だというなら、僕の出自は一体……?
ぼんやり、そんな事を考えているうちに、音楽は止まり、僕とティッカは観客の前に伏せて、踊りの終わりを知らせる。
部屋中に拍手が広がり、和気あいあいと客達は盛り上がる。
「いやぁ本当に幻想的で良かった」
「新人の子、とても可愛いね、名前は?」
ティッカはその問いかけに背中で僕を庇いながら「ウチの秘蔵っ子なんです〜次も呼んでくれたら、お名前はその時に、わ・か・る・か・も?」と営業スマイルを見せる。
次なんてあってたまるか!と心の中で思いながら顔を伏せる。
「くぅ〜たまんないね!そのいじらしい仕草!次も絶対呼ぶからね〜!」
酔っぱらいに絡まれそうになって、ヒヤヒヤしていると支部長の声が「それでは、話しの続きは上の部屋で」とまとめる。
さすが支部長、話しのわかる男。引き際もわかってる。
どうやら、階段を上がっていくと、途中までドタドタと踏み鳴らす足音がしていたのに、フッと途中で消える。
遮音魔法か、まぁ大事な会談をするための術である。
踊り子のダンスと酒は緊張をほぐす為の余興だったか、一体何の会合なのだろう。
集まったメンツも中々に重要なメンバーが揃っているように見えた、この街から少し離れた地方の首長も混じっている。
考えていると「ねーねー」と気の抜けたティッカの声が耳元で響く。
「服、持ってきてるでしょ?着替えよ〜汗で濡れたまま帰ったら、風邪ひいちゃうよ〜」
確かに、汗で濡れた体に、窓の隙間から入り込む夜風が冷たく感じた。
「使用人部屋、貸してもらえたからさ。そこで一緒に着替えよ」
ずるずると引っ張らて、途中で気がつく。一緒に着替える!?
想像して、思わず顔を赤くする。
「あっいや、着替えは別々にしたいから、先に!」
慌てて使用人部屋の前で、足を踏ん張るとティッカは「あっそっか」と気がついて手をうつ。
「ごめん、男の子だもんね、一緒じゃ嫌だよね」
「えっ!?」
事も無げにサラッと言うので、僕は驚いて体が固まる。そんな、気づかれていたのか?
「あっ違うの違うの!パッと見は全然わかんないよ!ほんと、超可愛いし!ただ、お尻とか骨盤の形で……なんとなく。ほら、アタシ、ママと一緒に踊りの先生もしてるから、体の違い、わかっちゃうんだよね。ごめん、言われたくなかった?」
そんな部分でバレるものなのか!?今度から、ヒップラインが出る服を着る時は気をつけなければ。そう思いつつ、伺うようにティッカを睨みつける。
「いや、その……女装が好きな……おかしな奴だぞ、その……変態かもしれない、じゃないか。怖くないのか?」
ティッカは「えぇっ!?」と笑いながら首を振る。
「そりゃ、合ってない服と化粧の男なら、何が目的なの!?って怖くなるけど、アンタは違うじゃない。自分をわかってるし、自分が一番、可愛いって思える服と化粧してるだけだもん。このクソ熱い地方で昼間っからローブ着てる魔術師達の方が、よっぽど気味悪いよ」
それは制服だし、防御の面で仕方なくで、こっちだって好きで着てないんだよ!と言いそうになって飲み込む。ティッカには、正体がバレない方が良い。
ブレイブの言うことが真実なら、何かが起きて、彼女に殺された事になる可能性もあるのだ。
今は、魔術師の僕ではなく、ただの女装した……女装した何だ!?結果的には変な人間で覚えられてないか?コレ!
「ていうか、ラッキースケベ狙うタイプの変態なら、一緒に着替えたくないとか言って逃げないし!あははっ顔真っ赤にしちゃって、か〜わい〜ね?」
頬をツンツンして、はにかむ様子からは信じられない。このティッカと痴情のもつれ?そんな事、起きそうもない。
お互い交代で服に着替えて、僕は元のワンピース、ティッカは長い足がよく見えるスリット入りの腰巻きスカートに、豊満な胸が強調されるVネックのノースリーブシャツ、その上に厚手のストールをかけて出てくる。どれもビーズや刺繍が沢山ついて明るくて素敵な服だった。
「普段着は、カッコいい系なんだ。いいなぁ……その腕の所の鳥の刺繍」
肩に書けてるストールの刺繍を指差すと、パァッと顔を明るくする。
「え〜わかる?この刺繍、アタシが自分で入れたんだよ、模様から考えてすごーく時間かけたの!ちょっと金色の高い糸いれて陰影つけてるから、見る方向によって色合い変わるんだよ」
言いながらクルクル回って、腕をパタパタさせる。
「へぇ本当だ、良いなぁ、腕を上げる度に目に入って気分が上がりそう」
「マジそれ!意味もなくバンザーイしてみちゃう。腕合わせるとちょうど鳥が翼広げてる形になるの見てみて!」
ティッカが腕を合わせているのを見ながら、思った。
あっこういう会話楽しい。今まで、男所帯で良いんじゃないとか、似合ってるの数パターンぐらいしか聞いて来なかったから、こういう細かい綺麗な物の話しができるの楽しい!
「ていうか、ずっと気になってたんだけど、爪のそれ凄くない?真珠が乗ってるみたい、何そのネイル、それも自分で作ったの?ね〜お金払うから、コレちょうだい!欲しい!」
「だめ、これ貴重な素材で作ったヤツだから。それに麻痺毒でもあるから、気軽にあげらんない。間違ってひっかいたり、食べ物につけちゃったら、一時間ぐらい痺れるよ」
「え〜いいじゃん、嫌な客に当たった時とか、それ使って逃げたいから、なおさら欲しいし!」
そんな話をしながら、屋敷の裏門に出ると、門番が待っていた。
「あれが今回依頼してくれた手配のやつだから、残りの料金貰ってくるわ。家に帰ったら精算しよ」
どうやら、前金で半分貰って、宴会が終わったら残りの報酬が貰えるらしい。
「もう今日の仕事は終わりかい?」
金の束を片手に持ちながら、ジロジロと見てくる。なんだコイツ、目を見て話せや、失礼だろ。
「うん、これがラストだよ。それ、残りの報酬でしょ、ちょうだい」
ティッカが手を伸ばすと、男は金を持った手を引っ込めてニヤニヤする。その後ろで、もう一人居た、仲間の男もニヤニヤと、覗き込んでくる。
「まぁ、そう焦るなよ……もう少し、話しをしてきなよ。客商売なのに愛想が足りないんじゃないか?」
何だか嫌な感じだった。ティッカの笑顔も堅くなる。
「悪かったわね、これが最後の仕事だし疲れてて、ちょっと態度悪かったかも。でもお話なら、また今度するから、今日はもう良い?この子と精算しなくちゃいけないから」
ティッカが報酬に手を伸ばすと、ガシッとその腕を掴む。
「つれないこと言うなよ。俺達、もう仕事上がりなんだ、この後どう?」
明らかに仕事の雰囲気ではなくなった。ティッカの顔からとうとう笑顔が消える。
だけど、男の視線は胸の谷間に落ちていて、それに気が付かない。
「俺達、この前給料入ったばっかだから、結構出せるぜ。よその都市の珍しい酒も家にある」
「ウチに来いよ、可愛がってやるから。そっちのカワイコちゃん、良いねぇ、小さなお尻がキュートだ」
ティッカの腕を撫で、僕の方にまで手を伸ばしてきたので、もうコレは間違えようがなかった。
ティッカは、相手の男の胸を押しのけて、相手が「おっ」と体勢を崩した隙に、高い所によけられてた金を取り上げて叫ぶ。
「兵隊さん達!何か勘違いしてるみたいだけど、ウチそういうサービスやってないから!お断り。よそに頼んで!」
男たちを突き飛ばすようにして、ティッカが肩を怒らせて前に進もうとすると、その長い髪を男の一人が掴んで引き止める。
ティッカが「キャアッ」と悲鳴を上げて、頭を押さえる。
「あんなエロい格好して化粧して踊ってよぉ、男を誘うためなんだろう?お高くとまんじゃ……」
男が全ての台詞を言い終わる前に、気がついたら、ぶっ飛ばしていた。
手始めに、ティッカの髪を掴んでた男の膝裏を蹴り上げて、腰を落とさせると、驚いて事態が掴めてない顔面、クソみたいな鼻骨を思い切り肘鉄で潰した。
「ごぼぇっば、ばながっ」
鼻から溢れる血を、手で押さえようとして、ティッカの髪から手を離し、悶える男。
その隣にいた仲間の男が一拍遅れて反応する。
「てめぇ、何しやがっ……」
拳を振り上げて、近づいてきたので振り向きざまに、透明化したままのメイスを背中から腕に引き寄せ、下から勢いよく顎目掛けて殴りあげる。
壁の外にいるモンスター達に比べれば、悲しくなるぐらい遅い、油断しきってる、それでいてモンスターに劣らぬ醜悪さに吐き気がした。
見えないメイスで顎を殴られた男はノックダウンして床に倒れ、起き上がれないまま、体をビクッビクッとはねさせる。脳震盪を起こしてるのだろう。
鼻血の男は、まだ体は動かせるのか「ごのぐぞあまぁ」とノロノロ掴みかかろうとしてきたので、拳を避けて、もう一度拳で殴る。
僕は最強の魔術師ではあるけれど、別に魔術しかできないわけじゃない。
普通に、そんなやつが五人っきりで危険なモンスターが頻出する世界を冒険しようなどと思うわけがない。
膝をついて倒れた男の襟首を掴んで持ち上げると、言った。
「あんな格好だと?お前、目に泥でも詰まってんのか?あの可愛い服を見て、素敵な刺繍を見て、あんな、だと?素敵な服だと言え!この目腐れ野郎が」
そのまま、壁に勢い良く叩きつける。細身で小柄だからと舐められがちだが、僕だって勇者に選ばれた人間なのだ。舐めてかかってるクズに負けるほど柔では無い。
「僕が手間暇をかけて化粧したり、着る服を選ぶのに、お前みたいなポッと出のクソ野郎が関係あるわけ無いだろ!自分が楽しむために服着て、化粧してるんだよ!」
もう一度、壁に思い切り叩きつけると、相手は「ひぃっごめんなさい!」と謝り出す、手応えのない。
隣の森の雑魚モンスターの方が、まだ歯応えがあった。
その後ろで、ティッカが「マジそれ!もっとやっちゃえ!」と声を上げる。
「てゆーか汚ねぇ手で勝手に髪触んなし!ケアにどんだけ時間と金かけてると思ってんだよ!バーカ!バーカ!」
怒りが溜まっていたのか、ティッカは声を張り上げる。
その声を聞きつけたのか「どうした」「何の騒ぎだ?」と屋敷の中で警備していた人々が足音を立ててやってくる。
鼻を潰された男がニヤリと笑うと、血まみれの口で叫んだ。
「奇襲だ!踊り子のふりをした敵にやられた!助けてくれー!」
唖然とする。コイツ、自業自得で殴られたくせに、仲間を集めてティッカや僕を冤罪にかけようっていうのか?
「ヤッバ!逃げるよ!」
ティッカは僕の腕を引っ張ると走り出す。
屋敷からは大勢の兵隊達が出てきて「何だ何だ」「あれだ!あの二人を追え!」と追いかけてくる。
「逃げなくても、事情を話せば良いんじゃないか?」
僕はティッカと手をつないだまま、二人で夜の街の中を駆け抜ける。
「そんなの通じないし!アイツラ、よそから集められた荒くれモンだよ!機嫌損ねたからって、屯所に詰められて、そのまま死んだやつだっているんだ」
僕は目を細める。なるほど、この都市の捜査機関が信用ならないと、ブレイブ達が書いた理由がわかる。
この都市に集められた兵士たちは、もちろん治安維持のためにいるが、結局の所、選別しきれなかった荒くれ者の劇薬も含まれてしまう。
モンスターに対して有効なのは間違いないが、暴力性が行き過ぎた集団が権力を持てば、こういった不正も起きてしまうのだろう。
「ごめん。僕のせいで、君を危険な目に合わせた」
路地裏に逃げ込んで、ゴミ箱を足代に平屋根の上に上がる。
「そういうの今は良いから、早く手伸ばして」
先に屋根に登っていたティッカが僕に手を伸ばして、引き上げる。
「こっから、南にまっすぐで、ウチまですぐだから」
屋根に上がると、そんな事を言いながら、慣れた様子でティッカは進んでいく。
そのティッカの背中を見ながら、思う。
もしかして、最初に僕が殺された時にティッカが踊り子として犯人にされたのも、僕が今みたいに激情にかられて勝手な真似をしてしまったからなのかもしれない。
それで事件に巻き込まれたのだとしたら、悪いことをしてしまった。
屋根から屋根へと飛び移りながら暗い顔をしていると、ティッカが「あのさ!」と叫ぶ。
「そんな顔しなくて良いよ、アタシもずっとアイツらにはムカついてたからさ!アンタが言わなくても、いつか自分で言っちゃってただけだし!代わりに言ってくれて超スッキリした!」
民家の屋根の上で、足を止めると月の下でティッカが羽のようにストールを翻して笑う。
「めっちゃカッコよかったよ。ちょっと好きになっちゃった!」
「はぁっ!?な、なに言ってるんだ!僕ら会ったばかりなのに……」
いきなり、そんな事を言われて、顔が熱くなる。
「え〜うそ!顔真っ赤!めっちゃウブじゃん、ちょ〜〜可愛い!やだ、隠さないでよ!見せて見せて!」
「うるさい!見るな!もうっ前に進めバカッ」
赤くなった顔を誤魔化しながら、二人で月夜の中、屋根伝いに走っていく。
「あとちょっとで、ウチだから……えっ!」
ティッカが驚嘆の声と共に、足を止める。
「どうした?」
その視線の先を覗き込むと、ティッカの家を警備兵達が囲んでいた。
「アイツ……ウチを知ってたんだ。きも……狙ってたわけ?」
その場にティッカがへたり込む。
「ママは、まだ帰ってない時間だから、いつもの酒場に迎えに行って……そんで、そんで……はぁ〜」
長い溜息と共に、ティッカは顔を上げる、その瞳は少し涙ぐんでいた。
「この都市を出てくしか、ないかぁ……やだなぁ……せっかく頑張ってきたのに、お気にの服もあんのに〜」
「そんな、君が悪いわけじゃないのに!」
「そーゆうの関係ないの!アイツらが、あそこまで出しゃばって来たってことは、名誉とか何とか関わってるわけだし、アタシらが悪かったって事にしなきゃ、収まりつかないんだよ!もう、ほとぼりが冷めるまで逃げるしかない!」
思わず歯噛みする。そんな理不尽、この動乱の時代では、そこかしこで起きている事は知ってた。でも間近で見ると、耐え難い理不尽だ。
「ねぇ、一緒に逃げてくれる?」
ティッカが、赤くなった目のフチで僕を見る。
「アンタなら腕も立つし、一緒に興行すれば、他の場所でもソコソコいけると思う。気も合うしさ……アタシとママと一緒に、逃げよう!」
必死な様子で手を引いてくる。頼りなさげな肩は抱きしめてやりたくなるほど、細かく震えていた。
「そう、アンタの母親の故郷なんて、ちょうど良いんじゃない?そこでどんな人だったか調べながら、暮らしてこうよ」
一瞬、その情景を想像した。ティッカも、その母親も気の良い人達だ。母親の故郷で、自分を探しながら暮らしていくのも、悪くない気がした。
けれど、脳裏をよぎる。
義母が与えた強烈な痛み。使用人に殺されかけて、殺した動乱の夜。そしてブレイブとの出会い。
「ティッカ、抱きしめても良い?」
僕の問いかけに、ティッカが「えっ」と戸惑う。そうして、暫く瞳を揺らした後、恐る恐る頷く。
僕はティッカを安心させるように、優しく抱きしめる。
「大丈夫、僕が何とかするから信じて。きっと君を、自分の居場所から逃げさせるなんて、惨めな真似はさせたりしない」
逃げるのは屈辱だ。絶対的な後悔を残す。追い立てられるのも、自分を認められないまま生きていく事も、そんな苦しみは許しがたい。
その気持ちが、僕をココまで突き動かしてきたのだ。
ならば、目の前の光景だって許してはいけない。
「だから、この件は僕に任せてくれ。君は黙って、頷くだけでいい」




