077 旅の記憶[23]
「責任を取るって、どういう事だ?」
「説明するよりもやったほうが早いわ」
ポール達を下がらせ、私はマモンの前に立つ。そしてポケットに忍ばせていた懐中時計を取り出し、彼の目の前へと垂らした。
「何しようって……んっ……!?」
「ほら、もうあなたはこの時計から目を離せないでしょう?」
ゆっくりと左右に揺れる金の時計を追って、マモンの視線は右へ左へとゆれる。
それは抗えない強制的な力、そう思わせているだけだ。
人間は本能的に動く物を目で追ってしまうもの。それを幻術の力で増幅させてやれば、相手にとっては魔法で操られているようにしか感じない。
決して逆らえない相手だと思わせる事、それが幻術士としての最も大事な要素であり、そして最初にしなければならない事なのだ。
「クソッ! こんな事やって何しようってんだ!?」
「そうね、何だってできるわ。痛めつける事も、苦しめる事も、死に至らしめる事すらも……ね」
静かに言い、そしてクスクスと笑う。不気味な女、そのイメージさえもが私に味方する。
けれど相手はともかく、周囲にもそう映るのは考え物だ。
行く末を見守ろうとしていたポールも、不穏な空気に口を挟んだ。
「おい待て、お前まさか……」
「ポール、あなたが罪に対し禊を行うように、彼の罪にも罰が必要だとは思わない?」
「罰って……」
私が言い終わるや否や、マモンに変化が現れる。
それは“何か”に怯え、身もだえ叫ぶ。
「やっ……やめろっ! 来るなっ! 嫌だっ!! 嫌だぁぁぁぁぁ!!」
脂汗を額に滲ませ、ガクガクと震えるマモン。必死の抵抗は、縛られた蔓を無理やり引きちぎろうとするが、逆に彼の身体に深く食い込み血をにじませる。
そしてひとしきり暴れたあと、口から泡を吹いてぐったりとして動かなくなった。
「まさか……、死んだのか?」
「いえ、気を失ってるだけよ。死なせちゃ罰にならないでしょう?」
背筋がゾワリとする感覚、それが魔力越しに伝わってくる。
ポールもまた、私がどういう存在なのかを再認識したようだ。
そう、私は幻術士。相手の望むモノ、そして恐怖するモノを魅せる者。
他人の命、そして自身の命すら軽んじるマモンにとって、死など恐怖の対象ではなかった。
彼が恐れ、意識を自ら手放すほどに忌避するモノ、それは“自分が自分でなくなること”だった。
彼が見たもの、それは無数の小さな虫型魔物に襲われる幻覚。
ぞろぞろと地面を這う黒い波、それが自らの身体を飲み込み、そして内部へと侵入する。
内側から食い破られ、崩壊し、そして生きながら魔物へと置き換わる恐怖。それこそが死よりも恐れるものだった。
「さて次は……」
私がマモンの部下へと目をやれば、皆そろって涙目になり首をフルフルと振っている。
先ほどのただ事でない様子と、何より彼らにとって法よりも上位の者であるリーダーマモンの無様な姿は、到底勝てる相手でないと自覚させるには十分であり、手を下される前から彼らの精神は折れていたのだ。
「もうやめろ! お前は一体何がしたいんだ!?」
「まだ何もしてないわ。本番はここからよ。ミズキ、水魔法をお願い」
「えっ……。うん、わかった」
「待て! お前もこれを見てなんとも思わないのか!?」
「んー……。だからって斬捨てるよりはマシそうだし?」
「お前ら……」
「ポール、あなたは優しすぎるわ。でもね、優しさだけじゃ大切な物は守れないのよ」
彼を見ると思い出してしまう。優しすぎるがゆえに攻撃魔法を使えず、そして自らを犠牲に散った彼を。だから私は、冷酷にならなければならない。優しすぎる彼らがその身を滅ぼさないために……。
バケツ一杯ほどの水球が宙に現れ、マモンへとぶつけられる。身体的ダメージを与えるためではない、その手放した意識を取り戻させるためだ。
水を吸い込んだマモンはゲホゲホとせき込みながら目を覚ます。
そして私を視界に入れるや否や、怯えた表情を隠すことなく震え上がった。
「やめろっ……! 来るなっ……!!」
「あらあら、ずいぶんな言われようね。
でもあなたもそうやって命乞いしてきた人たちを、何も思わず手にかけてきたのでしょう?」
「たっ……、助けてくれ! 俺が悪かった! 見逃してくれっ! なっ、なんでもするっ!」
「あら? 今“なんでもする”って言ったわね?」
「ひっ……!」
静かに笑みを作れば、マモンはより顔を引きつらせる。当然、そのように仕向けているのだけど。
ここまでしてやれば十分だ。あとは仕上げを残すのみ。
「支部長、こちらへ」
「へっ……?」
呆然とマモンに対し行われている“何か”を眺めるしかなかった支部長が、急な事に気の抜けた返事をする。
けれど逆らうべきでないという当然のはんだんが、オドオドとした様子と共に、こちらへと足を運ばせた。
そして再度懐中時計をマモンの目の前に垂らし、静かに問う。
「彼はあなたの行いを知っても責める事はなかったわ。それどころか、自身の責任だとまで言った。
だから命だけは助けてあげる。けれどあなたはどうかしら? 彼にどうやって報いるのかしら?」
ゆっくりと、追い詰めるように語り掛ける。すると周囲からは再び、あの黒い波が押し寄せる。
私と彼にだけ見える、黒く吐き気を催す魔物の群れが。
「ああ……、あああああ……」
「ほら、どうするか自分で決めるのよ? あなたの命の恩人に対して、今後どう振る舞うかを」
徐々に囲まれ、周囲は一面黒く染まる。彼と支部長を除いて、視界に入るのは蠢く蟲。
命を助けたなど、彼には関係ない。ただこの恐怖から逃れるために、自尊心を砕く言葉を口にせねばならないのだ。
「……従います。……あなたに服従いたします」
頭を地面にこすりつけ、みすぼらしく支部長へと絶対服従を誓うマモン。
その姿を合図に地面を覆う黒い波は霧散し消える。そして彼の精神は完全に砕かれた。
それを確認し、互いの魔力を引き寄せる。そして抗えぬよう呪いをかければ出来上がりだ。
「ふふっ、奴隷魔法なんて実際に使うのは初めてだけど、なかなかうまくいったわ。
ということで支部長さん、ちゃんと責任持って面倒見てね?」
「へっ!? ちょっと待って下さい、奴隷って!?」
「あら、嫌だった? 罰としては妥当だと思うし、便利なシモベができて喜ぶと思ったのだけど?」
「だからって奴隷化するなんて……。だいたい私が彼を奴隷にしたとなると色々問題が……」
「その辺は抜かりないわよ。これは登録しなくていい奴隷だから。
魔法としては登録した奴隷と同じものなの。だからある程度自由はあるし、登録しないなら奴隷の証は付けられない。
証がなければ彼が奴隷だということは、誰にもばれやしないわ」
「それってつまり裏奴隷……」
「バレなきゃ合法よ」
「そんな無茶苦茶な!!」
「無茶をしなきゃ、誤魔化せないのよ」
私はマモンの手下達へ向き直り、同じように時計を垂らしながら続ける。
「私達は魔道士ギルドで部外者よ。それでもね、冒険者ギルドがゴタつくのは避けたいのよ。
互いに不干渉とは言え、パワーバランスが崩れればどんな影響があるか分からないもの」
手下達はすでに精神が折れており、簡単に支部長へと忠誠を誓う。
「だから今回の件、盗賊は魔物に襲われ全滅したと報告するわ。
そしてマモン達は、一人犠牲者を出したものの支部長、あなたとポールに救われ帰還した。そういう筋書きよ」
「そんな言い訳がまかり通るわけ……」
「通るか通らないかじゃないの、通すのよ」
「それじゃあ彼らを奴隷にする必要は……」
「これは罰。そして彼らが同じ過ちを繰り返さないための枷。
あなたが彼らを更生させられたなら、この呪いは解けるわ」
「だから君は、私に責任を取らせると……」
「えぇ。できるわよね?」
「……はい」
それは自信なさげな、小さな声の返答だった。
けれどそれ以外の答えがもたらすであろう未来を考えれば、他の答えなどありはしなかった。
次回は7/30(木)更新予定です。




