050 精霊とチョコレート
目の前には顔を少し赤らめて恥ずかしがる精霊メシア。そこには先ほどまでの威厳を示そうとしていた面影は一切なく、ただ一人の女性……いえ、少女が存在していた。
「チョコレート? ってなんですか?」
ただ彼女がなぜそこまで恥ずかしがるのかは分からない。そのナントカというのは、そんなに恥ずかしいものなのだろうか?
ただ、今までの話から供物の中にそれが含まれているのは確かだろう。
「メシア様、発言をよろしいでしょうか」
押し黙る精霊と、その理由が分からない私の間に落ちた沈黙を破ったのは元神官ハシミだった。
もしかしたら、神官だと分かる事柄なのだろうか。
「えぇ、いいわ」
「彼女はチョコレートが何か分かっていない様子ですので、わたくしめが説明させていただいてもよろしいですかな?」
「……そうね」
少しハシミの雰囲気が変わった。それは先ほどまでの精霊を敬いつつも恐れているのとは違い、愛らしさにほっこりしているような、そういった空気の色を纏っている。何より口調さえも柔らかくなっていた。
「ノッテ殿、チョコレートというのはお菓子の事でしてな。近頃やっと世に出たものなのですよ」
「お菓子ですか? あの、なんでお菓子で恥ずかしがるんですか?」
「だって……精霊がお菓子に浮かれてるなんて思われたくないじゃない!!」
「えぇ……。でも、美味しいものが気になるなんて誰しもそうじゃないですか?」
「それが問題なの! 誰しもなんてのは人間の間の話でしょ!? 私は精霊なんだからねっ!!」
あぁ、やはり彼女は精霊という立場というか、俗物とは一線を隔した存在でありたいみたいだ。
それは仕方ないというか、父が貴族として振る舞わねばならず、そしてロベイアが必死で自らの理想の自分を作り上げようとしていたのも、似たような心理なのだから理解はできる。むしろ私が無頓着なだけだ。
精霊メシアも、精霊として俗物である人間とは違う事を自身に求めているのだろう。ならばここは逆にその心理を突いて、彼女にありのままでいいと思わせればいい。
「少し失礼な事なんですが、思った事を言わせてもらえますか?」
「いいわよ」
「その、メシアさんは精霊である事に矜持を持っているようですが、何と言いますか……。
精霊という立場、人間という立場、その地位というか、そういうものに縛られている方が人間味があるというか……。
あえてはっきり悪く言いますと、精霊ともある方がその程度の事を気にされるなんてがっかりです」
「なっ……!」
私の言葉に精霊は目を丸くする。というか、この精霊人間味がありすぎる。なぜなら私は彼女の感情を魔力から読み取れてしまっているからだ。それはキュウにすらできる対幻術士用防衛技術を持ち合わせていないという事。本当に彼女は精霊なのか、そう疑問に思うほどにガードが弱いのだ。
そして彼女はわなわなと震え、言葉に詰まる。しかし彼女の魔力の色は怒りではなく、より一層自身を恥じているような、さまざまな感情が入り混じる混乱に似たものだ。
ちなみにその姿を見たハシミは、この世の終わりを悟ったような深く黒い青に染まっている。
「申し訳ございません精霊メシア様! なにとぞお怒りを鎮めていただきたく……」
「……いえ、怒ってなんていないわ。だってそうでしょう? 私が人間程度の戯言に本気で怒るとお思いかしら?」
とは言うが本当は指摘された事が図星で内心焦っている。だからこそ人間の言葉に揺さぶられないふりをしているのだ。そしてそれを誤魔化すように精霊メシアは続けた。
「さっ、そんな事はいいからチョコレートを出しなさい!」
「はっ、はいっ……!」
ハシミはあわあわとした様子で、一つの小さな木箱を取り出す。両掌にちょうど乗る程度の長方形で、あまり深さのない箱を精霊の目の前に差し出し、そっと蓋を開ける。それと同時に甘く香ばしい香りが漂う。中には濃いブラウンのボールが整列しており、つややかなそれらは指でつまめるほどの大きさだ。
「これがチョコレート……。お噂はかねがね……」
「お噂……?」
「あっ、えっと……。私も初めて見るのよ。 ほら私って風や鳥、木々から話は聞けるから大抵の事は知ってるんだけど、この森から出る事はできないし、許されないの。
話には聞いてたんだけど、どんなものか、ましてやどんな味がするかなんて知らなくて……。
だから供物の中にチョコレートがあるって聞いて楽しみで楽しみで……」
「そうだったんですか……。さっきはえらそうなこと言ってごめんなさい、楽しみにしているのに水を差しちゃいましたよね……」
「ううん、いいのよ。おかげでどれがチョコレートか教えてもらえたもの。
帰ってから見つけても、きっとこれだって分からなかったわ。なんというか……、思ってたより地味だもの」
確かに彼女の言う通り、チョコレートと呼ばれるそれは精霊が楽しみにするようなほどの派手さというか、すごいものという雰囲気は纏っていない。私も初めて見るし、名前すら知らなかったものだ。きっと何も知らされず渡されても不審な何かとして処理、少なくとも食べようとは思わないだろう。
「これがお父様を虜にしたお菓子……。ふふっ、それじゃぁさっそくいただきまーす!」
満面の笑みで一粒ほおばるメシア。そこには精霊ではなく、ただ自身の好きな物を前に喜ぶ一人の女性が居た。のだが……。
「……」
その後の彼女は何とも言い難い、バツの悪そうな、困惑した表情をして押し黙る。何か気に入らない事があったのだろうか?
その分かりやすい表情にハシミは再び焦り問いかけた。
「メシア様、お口に合いませんでしたでしょうか……」
「いえ、おいしいわ。ほろ苦くて、それでいて甘くとろける不思議な感覚。 鼻に抜ける香りもとても心地いいわ……。でも……」
「でも……?」
「なんだろう、こんなものなの? って感じてしまうのよね」
あぁ……、これはおそらく私も体験した事があるアレだ。
「メシアさん、チョコレートは初めて食べるんですよね?」
「えぇ、そうよ」
「話はずっと聞いていたんですよね?」
「そうね、話通りの味と言われればそうなんだけど……」
「ずっとどんなものなのだろうって考えてました?」
「そうね、きっとこれ以上ない素晴らしいものなんだって思ってたわ」
「その気持ち、なんとなくわかります……」
その感覚、私にも覚えがある。それは私が初めて領都の外を見た時、あの黒竜に遭遇する直前。
まだ見ぬ世界にドキドキして、外はどんなに素晴らしい世界なんだろうと想いを馳せた日々。そして募らせた想いが高く積みあがった結果、一面に広がる畑にガッカリしたあの感覚。
「多分それは、期待しすぎた理想と現実の差に心が付いていけてないんだと思います」
「そうなのかしら? うーん、でもこれが失敗作って事もあるわよね?」
「そっ、そんなはずはっ!」
「ちょっとハシミ、味見しなさい。あなたならこれの出来の良し悪しが分かるでしょう?」
「えっ……。はい、では失礼して……」
チョコレートを一粒つまむハシミの姿を見て、私はふと疑問を口にした。
「ハシミさんってお菓子にも詳しいんですか? あ、今は商人だからですか?」
「あぁ、このお菓子は異世界人にはなじみがあるそうなの。って、聞かされてなかったわね。彼は異世界人よ」
「えっ?」
突然の告白に皆の視線がメシアに集まる。異世界人はその事実を隠すことが多い。それはトラブルを回避するためであるのだが、まさか自分から言うではなく第三者にその情報を漏らされてしまったのだ。
ともかく、まさかの発言にあのキュウですら驚いたのか硬直し、遠慮気味に意見した。
「あの、その事を教えるのは……」
「いいじゃない。ノッテちゃんだけ知らないって仲間外れみたいでひどいと思わない?」
「私は別にかまいませんので……。ただ、他の方には秘密にしておいていただければ……」
どうやら知らなかったのは私だけらしい。それもそうか、キュウは長い付き合いのようだし、当然ながら精霊メシアは情報だけならほぼ全てを知っているというのだから。
「ともかくよ、とりあえず今は味見しなさい。異世界人的にこれは合格なの?」
「はい、では改めましていただきます」
そうしてハシミはひと思いに小さな菓子を口へと放り込んだ。
次回更新は4/27(月)の予定です。
以下雑記
うん、脱線するつもりがその序章にもならなかったよ……。
なんだろ、メシアちゃんがわちゃわちゃしてるの書きたくなっちゃたんだね。
一人寂しい森暮らし、たまに迷い込む子たちとの女子会だけが楽しみなんだよ。
ちなみに男は基本的に追い返すそうです。




