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俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】  作者: パラレル・ゲーマー


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第29話 猿と仮面と予知者K

 斬撃魔法の基礎である「切断」の概念をどうにか掴み取ってから、さらに数日が経っていた。


 佐藤健司の日常は、相変わらずギリギリのバランスで回っている。


 日中は「予知者K」としての資金と体裁を保つために最低限のデイトレードをこなし、夜になればヤタガラスの業務連絡をチェックしながら、魔導書の容赦ないスパルタ訓練に耐える日々だ。


 健司は、自室のローテーブルの前であぐらをかき、右手の指先をじっと見つめていた。


 指先をスッと動かすと、テーブルの上に置かれた不要なチラシが、音もなく真っ二つに切断される。


 だが、現時点で彼にできるのはそこまでだ。


 対象に直接触れなければ切断の因果を発生させられず、遠距離へ斬撃を飛ばすという次のステップには全く手が届いていなかった。


「……三日間死ぬ思いして覚えたのが、ハサミ代わりになるだけの魔法。俺、これで本当に何かを得たって言えるんだろうか」


 健司が力なくぼやくと、床に転がっていた魔導書が即答した。


『文句を言うな。ハサミ代わりになる、極めて偉大な魔法だ』


「お前、本当にそれしか言わないな」


 健司が深く脱力したその時、スマートフォンに一通のメールが届いた。


 送り主は、ヤタガラスの橘真からではない。


 健司が個人的に管理している『予知者K』の公式メールアドレス宛てだった。


 差出人は『オカルト実験室クロノス』。


 健司は眉をひそめた。


 登録者数十万人の中堅オカルト系YouTubeチャンネルだ。


 心霊スポットの突撃、未解決事件の考察、都市伝説の検証、そして有名占い師へのインタビューなどをメインコンテンツとしている。


 最近、このチャンネルが予知者KのXでの不可解な的中率を何度も動画で取り上げていることは、健司も把握していた。


 メールの文面には、極めて丁寧な言葉で「予知者K本人への直接取材の申し込み」が綴られていた。


「取材って……。いや、無理だろ。顔出しなんて絶対にできないし」


 健司が即座にメールを閉じようとすると、魔導書が止めた。


『待て、猿。顔を出さなければいいだけのことだ』


「顔出さないって言ったって、声で身バレするリスクがあるだろ。ヤタガラスに目をつけられてるだけでも厄介なのに、これ以上面倒事はごめんだ」


『変声器を使えば済む。お前の貧弱な知能でもそれくらい思いつくだろう』


 魔導書は、なぜかこの取材に乗り気だった。


『予知者Kは、今のところネット上の“文字だけ”の不確かな怪異に過ぎん。だが、一度でも映像メディアに実体として出力されれば、観測者たちの認識における実在感が桁違いに跳ね上がる。それは結果として、お前の存在を社会の因果に強く固定する強力なアンカーになる』


「アンカーって……。でも、映像に出たら絶対に怪しまれるぞ」


『それでいい。顔も素性も出す必要はない。オカルトの界隈においては、怪しければ怪しいほど、逆にそれが真実味として機能するのだ』


 健司は、強烈な嫌な予感を覚えた。


「おい。……お前、俺に何を被らせてカメラの前に出させる気だ?」


『決まっているだろう』


 魔導書の声が、愉快そうに弾んだ。


 取材当日。


 健司が指定した場所は、都内の少し外れにある小さなレンタルスタジオだった。


 会議室と撮影スペースの中間のような簡素な部屋に、照明、カメラ、そして対談用のテーブルがセットされている。


 YouTuber側のスタッフは三人。


 チャンネルの司会進行を務める男性YouTuberの神谷。


 進行管理の若い女性スタッフ。


 そしてカメラ兼編集担当の男性だ。


 神谷はオカルト系の動画をいくつも作っているが、根っからの信者というわけではない。


 動画的に面白く、再生数が稼げればそれでいいという、極めて現実的で半信半疑なタイプだ。


 スタジオの空気が、少しだけ緩んでいたその時。


 入り口のドアが開き、健司が入室した。


 服装は、黒い無地のパーカーに色落ちしたジーンズ。


 手には黒い手袋。


 そして、顔にはドン・キホーテのパーティーグッズ売り場で買ってきた、妙にリアルで不気味な『猿の面』を被っていた。


 喉元には、小型のボイスチェンジャーを仕込んである。


 映像的な怪しさは、完全にカンストしていた。


 神谷が、完全に固まった。


 女性スタッフは、あまりのシュールな絵面に、思わず口元を押さえて笑いを堪えている。


「……えー……っと。本日は、はるばるお越しいただきありがとうございます。予知者K、さんでよろしいでしょうか?」


 神谷が、引きつった笑いを浮かべながらどうにか声を絞り出した。


 健司は猿面のまま、無機質な機械音声で会釈した。


『どうも。予知者Kです。本日はよろしくお願いします』


「あ、はい……よろしくお願いします」


 神谷は、健司の顔を凝視したまま尋ねた。


「その……お面は?」


『身バレ防止です』


「なるほど。……では、なぜ数あるお面の中で、『猿』を選ばれたんですか?」


 健司は少し黙った。


 脳内では、魔導書が腹を抱えて爆笑している。


 健司は、できるだけもっともらしいトーンで答えた。


『初心を忘れないためです』


「初心……ですか?」


『はい。人間というものは、だいたい猿から始まっていますから。自分がどこから来たのかを常に意識するために、これを選びました』


 完全に意味不明な回答だったが、猿面と機械音声の相乗効果で、なぜか妙に深遠な『予知者っぽい』発言としてスタジオの空気に着地してしまった。


『クハハハハ! 傑作だ! 猿が猿の起源について偉そうに語っているぞ!』


 魔導書の爆笑に、健司は内心で強烈な殺意を抱いた。


 対談のテーブルに着く前に、神谷が神妙な顔つきになった。


「Kさん。大変失礼かとは思いますが、我々としても、あなたが本当にネットで話題の『予知者K』ご本人なのか、確認をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


『構いませんよ』


 神谷が、テーブルの上に置かれた『青い紙コップ』を指差した。


「収録の三十分前に、予知者Kの公式XアカウントのDMから、我々の裏の連絡用アカウント宛てに、『本日の合言葉:青い紙コップ』というメッセージが届きました。これは、我々スタッフが偶然ではなく意図的にここに置いたものです」


 神谷は、女性スタッフと頷き合った。


「これは間違いなく、Kさんの公式アカウントから送られたものであり、あなたがご本人であることの証明になりますね」


 これは、視聴者へ向けた「この猿面の男は本物だ」というアリバイ作りのための演出だった。


 健司が猿面の奥で小さく頷くと、カメラが回り始めた。


「では、さっそく単刀直入に聞かせていただきます」


 神谷が、カメラを意識しながら身を乗り出した。


「Kさんは、本当に未来が視えるんですか?」


 健司は少し考え、言葉を選んで答えた。


『視える、というより、いくつかの未来の流れや分岐が、分かる時がある。という表現が一番近いです』


「何でも分かるんですか?」


『分かりません』


 健司は、そこは強めに否定した。


『宝くじの当選番号を全部当てろとか、特定の誰かがいつ死ぬかを全部ピンポイントで言えとか、そういうのは無理です。未来の事象には、視えやすいものと、極めて視えにくいものがあります』


「視えやすいもの、とは具体的に?」


『確率がはっきりと数字で提示されているもの。結果が短時間で出るもの。そして、観測しやすいものですね』


 健司は、わざとらしく間を置いた。


『たとえば……ソシャゲのガチャとか』


 神谷が、食いつくように前のめりになった。


「ガチャ?」


『はい。分かりやすいところで言えば、最高レアのSSRを、十枚連続で引き抜くことができます』


 現場の空気が、ピタリと止まった。


「……すみません。今、何て?」


『ガチャで、SSR十枚抜きができます』


 機械音声が、淡々と事実をリピートする。


 カメラの後ろで、スタッフたちがざわついた。


「それって、スマホゲームのガチャのことですよね?」


『はい。そうです』


「十連ガチャを回して、十枚全部が最高レアリティのSSR……?」


 神谷は、さすがに呆れたように笑い飛ばそうとした。


「いやいやいや、Kさん。いくらなんでも、それはさすがにオカルトが過ぎますよ。確率的にあり得ない」


『できます』


 健司は、揺るぎない声で断言した。


 神谷は、事前に用意していた検証用のスマートフォンをテーブルの上に置いた。


 条件は以下の通りだ。


 スタッフが個人的に所有している端末を使用する。


 収録のカメラが回っている状態で、新規ゲストアカウントとしてログインする。


 ガチャを回すための石は、スタッフ側が事前に用意したものを使用。


 編集で画面を差し替えられないように、神谷自身が端末を持ち、画面をカメラに向け続ける。


「このゲームのSSRの排出率は、公式表記で『1%』です」


 神谷が、画面の提供割合を指差して言った。


「これを十回連続で引く確率なんて、計算するのも馬鹿らしい天文学的な数字ですよ。本当にやるんですか?」


『ええ。神谷さんが、そのまま端末を持っていてください。私は触れません』


 健司は、画面を見つめた。


 懐かしい感覚だった。


 深夜の六畳一間で、絶望しながらリセマラを繰り返したあの夜。


 自分の魔法の、すべての始まり。


 健司は右手を上げ、手袋越しに神谷の持つスマホの画面をスッと拭うような仕草をした。


 そして、右手親指の爪を、もう片方の手で三回、カチ、カチ、カチと擦る。


 最後に、マスクの奥で小さく「いただきます」と念じた。


「……今の動作は?」


 神谷が不思議そうに尋ねる。


『ルーティンです』


「祈りみたいなものですか?」


『観測点を整え、確率の波を固定するための、ちょっとした儀式みたいなものです』


 そのもっともらしい説明が、いかにも予知者然としていて、現場に奇妙な説得力を生んだ。


『今です。十連ボタンを押してください』


 健司が静かに告げた。


 神谷が、半信半疑のまま画面をタップする。


 派手な演出が始まり、一枚目のカードが裏返った。


 ――虹色の輝き。SSR。


「おっ。いきなり一枚目からSSRですね」


 女性スタッフが笑いながら言う。


 二枚目。


 ――虹色の輝き。SSR。


「おっと。二枚連続。運がいいですね」


 神谷が少し驚いた声を出す。


 三枚目。SSR。


 神谷の顔から、徐々に笑みが消え始めた。


 四枚目。SSR。


 カメラ担当のスタッフが、「え?」と低い声を漏らした。


 五枚目、SSR。


 六枚目、SSR。


 七枚目、SSR。


 八枚目、SSR。


 九枚目、SSR。


 そして、最後の十枚目。


 ――画面が激しく発光し、最高レアリティの虹色のカードが弾け飛んだ。


 リザルト画面に並んだ、十枚のSSRのキャラクターたち。


 スタジオに、完全な沈黙が落ちた。


「…………え?」


 神谷が、手元のスマホと健司の猿面を交互に見比べる。


「いや、ちょっと待って……」


 女性スタッフが、信じられないものを見るように後ずさった。


「回ってます。これ、カメラちゃんと回ってますよね?」


 神谷が、すがるような声でカメラマンに確認する。


「回ってます。ノーカットです」


 カメラマンの声も震えていた。


「これ……何かの裏技とか、編集のトリックじゃないですよね?」


『今、この瞬間に収録中ですよ。トリックの仕込みようがありません』


 健司は、機械音声の奥でニヤリと笑った。


「確率、何%ですか!?」


 神谷がスタッフに叫ぶ。


「SSR一枚、1%です……」


「十枚全部SSRって、確率どれくらいになるんだ!?」


「……計算したくないです。というか、バグを疑うレベルです」


 健司は、猿面の奥で静かに言い放った。


『これが、一番分かりやすくて視えやすい、私の予知の形です』


 ここで、YouTuber側の「疑い」は完全に崩れ去った。


 現場の空気が、単なるオカルトバラエティから、本物の怪異を前にした緊張感へと一変する。


 神谷が、姿勢を正して真剣な声で尋ねた。


「Kさん……これ、本当に予知なんですか? それとも、あなたが何らかの方法で『運』そのものを操作しているんですか?」


 健司は一瞬だけ答えに窮した。


 実際には、これは未来視ではなく『確率操作』の魔法によるものだ。


 だが、外向きにはあくまで「予知者K」としてのペルソナを保たなければならない。


『自分では、予知というものにも、いくつかの種類があると考えています』


 健司は、慎重に言葉を選びながら、予知の三分類についての説明を始めた。


『一つ目は、予測予知。これは、今ある情報や前兆の欠片を集めて、そこから未来の動きを読むものです。天気予報や、株価の相場分析の延長線上にあるものと考えてください。ただし、私には普通の人よりもずっと多くの、細かな前兆の因果が視えるんです』


「なるほど」


『この予測予知は、比較的安全です。現実の中に判断材料がしっかり存在しているので』


『二つ目は、未知予知。自分が本来知るはずのない情報まで含めて、未来の光景が直接視えてしまうものです。誰かの突発的な行動、全くの偶然、自分の視界の外にある場所での出来事。それらが自分の前に突然現れる。これは、自分が把握していない情報が大量に混ざるため、脳への負荷が極めて高く、危険を伴います』


「危険……」


 神谷が神妙な顔で頷く。


『そして』


 健司は、声を一段階低くした。


『もう一つ。……普通は、絶対に触れない方がいい予知があります』


「触らない方がいい?」


『自分という個人の枠組みを超えた、もっと大きなもの。個人の運命ではなく、世界の巨大な流れとか、何かもっと上の階層の意思に直接触れてしまうようなものです』


 健司の脳裏に、ARCやオラクル、Tier0といった途方もない存在たちの影がよぎる。


『これは、視ようとしない方がいい。深淵を覗けば、視えた側の人間の精神や認識が、完全に壊れてしまうこともあると思います』


 神谷は、ゾッとしたように腕をさすった。


「……怖いですね。オカルトの枠を超えてますよ」


『ええ。だから、普段はソシャゲのガチャくらいを引いているのが一番平和で安全なんです』


「急に規模が落ちましたね」


 神谷がツッコミを入れ、スタジオに小さな笑いが起きた。


 緊張が少しだけ解ける。


「ところで、Kさん」


 神谷が、台本に目を落としてから質問を投げかけた。


「もし、絶対に避けられないような『悪い未来』が視えてしまった時、Kさんはどうするんですか?」


 健司は、少しの間、動きを止めた。


 頭の中に、つい先日終わったばかりの、学校の黒板の事件が蘇る。


 血が流れる未来。


 白石未羽の悲痛な叫び。


 自分はあの時、予言を強引に外すのではなく、安全な形で成立させて『未来を変える』という方法を取った。


『……変えられるものなら、できる限り変えたいとは思います』


 健司は、偽りのない本心を答えた。


「視えた未来は、全部変えられますか?」


『無理です』


 健司は即答した。


『強引に変えようとすると、別の場所に必ず歪みが出て、より最悪な事態を引き起こすものもある。そもそも、私が視た時点で、すでに因果が固定されてしまっていて、ほぼ確定している未来もあります』


『だから、ネット上で予知者が“万能の神”のように扱われるのは、少し怖く感じます』


 神谷が真剣な表情で食い下がる。


「じゃあ、もし悪い未来を予知して、それを変えられずに実際に不幸な事故が起きてしまったら……Kさんは、自分のせいだと責任を感じますか?」


 健司は、猿面の奥で沈黙した。


 表情は見えないが、その沈黙の重さがスタジオの空気を圧迫した。


『……感じないように、したいですね』


 健司は軽く受け流すように答えたが、内心では、自分は間違いなく責任を感じて押し潰されるタイプの人間だと自覚していた。


 収録が中盤を過ぎ、現場の空気が少し弛緩し始めた頃だった。


 健司の視界の端に、カメラの横で機材を整理している若い男性スタッフの姿が映った。


 彼の腰のベルトには、車のキーがぶら下がっている。


 白い軽バンのキーだ。


 彼が帰りに、機材車を運転する予定なのだろう。


 その瞬間。


 健司の脳裏に、短い未来のビジョンが不意に飛び込んできた。


 ――夜のコンビニの駐車場。


 ――白い軽バン。


 ――運転席で、買ったばかりの缶コーヒーを開けようとするスタッフ。


 ――車が発進する。


 ――コンビニを出て、最初の左折。


 ――視線が一瞬落ちた隙に、ガリッ! という嫌な金属音。


 ――車体の左側面が、ガードレールに激しく擦り付けられる映像。


 人身事故ではない。


 しかし、車に確実なダメージが残る自損事故の未来。


 健司は、猿面の奥で眉をひそめた。


「Kさん? どうしました?」


 神谷が、健司の様子の変化に気づいて尋ねる。


 健司は一瞬迷った。


 言うべきか。


 言わなければ、ただの自損事故だ。


 人は死なないし、怪我もない。


 放っておいても問題はない。


 けれど、言えば、この嫌な未来は確実に避けられる。


『……帰り、あの白い軽バンには乗らないか、運転を変わった方がいいです』


 健司は、男性スタッフを真っ直ぐに指差して言った。


 現場の動きが、ピタリと止まった。


「え?」


 神谷が目を丸くする。


『特に、帰りに寄るコンビニを出て、最初の左折の時です』


 スタッフたちが、顔を見合わせた。


「……いや、帰りにコンビニ寄って夜食買う予定ですけど……」


 運転担当のスタッフが、引きつった顔で言う。


「うちの機材車、白い軽バン?」


 神谷が女性スタッフに確認する。


「はい。いつも使ってる白い軽バンです」


 スタジオの空気が、一気に冷え込んだ。


 健司は、淡々と警告を続けた。


『人を轢くとか、命に関わるような事故ではないです。たぶん、自損事故です。左折の時に、車体の左側をガードレールにこすります』


『缶コーヒーを開けるタイミングを、運転中ではなく、車を停めている時に変えてください。あと、左折する前には必ず一回、左のサイドミラーをしっかり確認してください』


 神谷は、乾いた笑いを漏らした。


「……Kさん。これ、もしガチで当たったら、オカルト動画の撮れ高としては最高ですけど、現実としては最悪ですよ」


『起きない方がいい予知です。だから、言いました』


 健司のその言葉に、予知者としての確かな重みが宿っていた。


 収録の終盤。


 神谷が、少しトーンを変えて切り出した。


「実は、本日はKさんに、ささやかなサプライズをご用意しています」


 健司は警戒した。


『サプライズ?』


「はい。実は、海外の著名な予言者の方から、日本の新星であるKさん宛てに、ビデオメッセージをいただいているんです」


『海外の?』


「ジョセフさんです」


 健司もその名前は知っていた。


 海外のテレビ番組やネットでたびたび取り上げられている、大物予言者だ。


 彼の予言が本物かどうかはネットでも評価が分かれているが、少なくとも業界内では圧倒的な知名度を持つ重鎮である。


 神谷がタブレットを操作し、動画を再生した。


 画面には、白髪混じりの温和な表情をした外国人男性が映し出された。


 画面の下には日本語の字幕が出ている。


『ハイ、K。若き予言者よ。私はジョセフです』


 落ち着いた、深みのある声だった。


『日本に、非常に力強く、特異な新たな予知者が現れたと聞いて、こうしてメッセージを送りました。君のように、確率の波を明確に読み取る力を持つ予言者は、世界的に見ても珍しい』


 ジョセフは、カメラ越しに健司の目を見つめるように語りかけた。


『同じ道を歩む先人として、君に一つだけ、伝えておきたいことがあります』


『悪い予知を視てしまっても、それは決して、あなたのせいではありません』


 健司は、息を呑んだ。


『予知というものは、変えられないことの方が圧倒的に多い。そして、多くの予知者は、自分が視た悲劇に対して、“自分が視たから起きたのではないか”と、過剰な責任を感じてしまい、心を壊していく』


『あなたには、そうなってほしくない』


『どうか、これからの未来に、いい予知をたくさんしてください。日本に行くことがあれば、ぜひ直接会いましょう。では』


 動画が終わった。


 スタジオは、水を打ったように静まり返っていた。


「……どうですか、Kさん。大先輩からのメッセージは」


 神谷が、静かに尋ねる。


 健司は、猿面の奥で少しだけ間を置いた。


 表向きは、あくまで軽薄なネットの怪人を装う。


『いやー……大変参考になりましたね。光栄です』


「……軽いですね」


 神谷が苦笑する。


『重く受け止めすぎると、猿のお面を被って座っている自分の絵面の滑稽さに、耐えられなくなるので』


 健司の返しに、スタッフたちから小さな笑いが漏れた。


 だが、健司の内心は全く違っていた。


 ジョセフの言葉は、健司の胸の最も柔らかい部分に深く突き刺さっていた。


(悪い予知を視ても、それはあなたのせいではない)


(予知は、変えられないことの方が多い)


 健司は、あの学校での黒板の怪異を思い出していた。


 白石未羽の、震える肩と涙。


 自分はあの時、完全には未来を変えられなかったが、予言を強引に成立させることで、最悪の事態だけは回避した。


(悪い予知は俺のせいじゃない。……それは、そうかもしれない)


(でも。……それでも、変えられる未来があるなら、俺は変えたいよな)


 健司は表には出さず、猿面の奥でただ静かに決意を固めていた。


『よい先達だな』


 魔導書が、脳内で静かに呟いた。


(お前、珍しくまともなこと言うな)


『俺様はいつだってまともだ』


(そういうところだぞ)


 収録は無事に終了した。


 神谷とスタッフたちは、明らかな興奮状態にあった。


 ガチャのSSR十枚抜き。


 理路整然とした予知理論。


 スタッフの車の事故予知。


 そして、大物ジョセフからのビデオメッセージ。


 オカルトチャンネルの動画としては、これ以上ないほどの完璧な「撮れ高」だった。


「Kさん、本日は本当にありがとうございました! これ、編集して動画として公開しても大丈夫ですよね?」


 神谷が何度も頭を下げる。


 健司は、事前に取り決めた条件を再度確認した。


 顔は完全に隠すこと。


 声はボイスチェンジャーの音声のままにすること。


 収録した場所が特定できる情報は一切出さないこと。


「車の事故予知の部分は、もし実際に事故が起きなかった場合は、冗長になるならカットしてもらっても構いませんよ」


「分かりました。検証も兼ねて、使わせていただきます」


 この時点では、神谷もスタッフも、まだ半信半疑だった。


 ガチャの奇跡は本物っぽいが、事故の予知については「たまたま適当なことを言っただけ」と思っている節がある。


 健司はスタジオを去る直前、運転担当のスタッフの肩を軽く叩いた。


『本当に、缶コーヒーは車を完全に停めてから開けた方がいいですよ』


「あ、ははは……気をつけます」


 スタッフは、引きつった苦笑いを浮かべていた。


 数日後。


 動画が公開される前日の夜、健司の公式アカウント宛てに、神谷から血相を変えたDMが届いた。


『Kさん、マジで事故りました』


「……え」


 健司は、送られてきた短いドライブレコーダーの映像を開いて固まった。


 夜のコンビニの駐車場。


 白い軽バンに乗り込む、例の運転担当スタッフ。


 彼の手には、買ったばかりの缶コーヒーが握られている。


 車が発進する。


 コンビニの出口へ向かい、最初の左折。


 スタッフが、右手でハンドルを回しながら、左手で缶コーヒーのプルタブを開けようと、視線をほんの一瞬だけ手元に落とした。


 ガリッ!!!


 車体の左側面が、死角にあった低いガードレールに激しくこすり付けられる嫌な音が響いた。


「うわあああああっ!!?」


 映像の中で、スタッフの悲鳴が上がる。


 人身事故ではない。


 怪我も全くない。


 だが、白い軽バンの左のドアには、見事な一本の擦り傷が刻まれていた。


 健司は頭を抱えた。


「あんなに気をつけろって言ったのに……!!」


『予知を聞いて警告されても、猿は事故る時は事故るのだ。運命の強制力というより、単に猿が愚かなだけのことだ』


 魔導書が冷酷に言い放つ。


「いや、猿扱いを一般人にまで広げるのやめろ」


 健司はため息をつきつつも、内心では深く安堵していた。


 人身事故ではない。


 彼が予知で忠告したことで、スタッフの心にわずかな警戒心が生まれ、結果としてもっと大きなスピードでぶつけていた可能性のある事故が、「軽い擦り傷」程度で済んだのかもしれない。


 予言は、ただ当てるためだけにあるのではない。


 警告として機能することにも、十分な意味があるのだ。


 翌日。


『オカルト実験室クロノス』のチャンネルで、一本の動画が公開された。


 タイトルは、【検証不能】予知者Kに直接取材したら、収録中にスタッフ車の自損事故を予言された→後日、本当に事故る。


 動画は爆発的に伸びた。


 オカルト界隈だけでなく、まとめサイトやSNSで瞬く間に拡散されていく。


 ネットの反応は凄まじかった。


「猿面でインタビュー受けてて草」


「絵面が怪しすぎるだろww」


「怪しさがカンストしてるのに、ガチャ十枚抜きで一瞬で現場を黙らせてくるの腹痛い」


「SSR十枚抜き、ガチで編集じゃないなら確率どうなってんの……」


「ガチャはまだ奇跡の偶然って言い張れるけど、スタッフの事故予知が一番ヤバい」


「コンビニ出て最初の左折まで当ててるの怖すぎ」


「缶コーヒーのタイミングまで言ってるの何者だよ」


「海外の大物ジョセフから名指しでメッセージ来てるの草」


「猿面のせいで真面目な話が全然頭に入ってこないんだが」


「でも、ジョセフの『悪い予知はあなたのせいではない』って言葉、普通に重いな」


「K、笑って受け流してたけど、たぶん刺さってそう」


「ガチャSSR十枚抜きできるなら、俺のアカウントにも降臨してくれ」


「予知者K、ただのネットのオカルトから、急に現実世界に顕現した感がある」


 株クラ側でも、静かな波紋が広がっていた。


「株のKと予知者K、やっぱ同一人物じゃね?」


「ガチャの確率操作と相場予測、根っこの部分はやってること同じ説あるぞ」


「猿面で相場ポエム書いてると思うと笑える」


「でもこの精度で未来が見えるなら、企業の粉飾決算とかも一発で見抜きそうだな」


 健司は自室で、PCの画面に流れる無数のコメントを眺めていた。


 彼が想定していた以上に、「猿面」というビジュアルのインパクトが話題を掻っ攫ってしまっている。


「……予知の内容より、猿面の方に話題持ってかれてないか?」


 健司がうんざりして呻くと、魔導書が即答した。


『貴様が猿だからだ』


「うるさい」


 だが、動画としては大成功だった。


 予知者Kは、ネット上の「文字だけ」の不確かな存在から、実際に映像の中で言葉を発し、奇跡を起こす「実在の怪人」へと進化したのだ。


 猿面。


 機械の変声。


 ガチャの奇跡。


 事故の予言。


 そして海外からの助言。


 どこまでも胡散臭いのに、誰にも否定しきれない。


 健司は、動画の終盤で流れたジョセフの言葉を、もう一度頭の中で反芻した。


『悪い予知をしても、それはあなたのせいではありません』


『予知は、変えられないことの方が多い』


 健司は、小さく呟いた。


「……でも。変えられるなら、変えたいよな」


『ならば、運命を変えられるだけの圧倒的な力を身につけろ』


 魔導書が、静かに、だが力強く応えた。


 健司は、自分の右手の指先を見た。


 つい先日、斬撃魔法という新たな手札の端っこを覚えたばかりの指。


 まだ紙を切る程度の微弱な力しかない。


 だが、自分は少しずつ、確実に変わっている。


 未来を予知で視る。


 確率操作で有利な結果を寄せる。


 そして、斬撃で物理的な因果を断ち切る。


 未来を変えるための、現実に干渉する手段が、少しずつ増えている。


 健司はスマホを机に置き、床に転がっていた不要なコピー用紙の一枚に、そっと人差し指の先端を触れさせた。


(切れろ)


 紙が、音もなく静かに真っ二つに切れる。


 彼はその滑らかな切断面を見つめながら、もう一度だけ呟いた。


「いい予知を、たくさん……か」


 その言葉が、健司の胸の奥で、妙に心地よく、そして重く響いていた。


最後までお付き合いいただき感謝します。


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