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俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します【リメイク】  作者: パラレル・ゲーマー


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第30話 猿と信仰と異界探索

 オカルト実験室クロノスによる、『猿面の予知者K』のインタビュー動画が公開されてから、数日が経っていた。


 佐藤健司は、自室のローテーブルに置かれたノートPCを開き、YouTubeの画面をぼんやりと眺めていた。


 動画のタイトルは、【検証不能】予知者Kに直接取材したら、収録中にスタッフ車の自損事故を予言された→後日、本当に事故る。


 サムネイルには、ドン・キホーテで買ったチープな猿面を被り、黒いパーカー姿で静かに座る健司の姿が大々的に使われている。


 その再生数は、すでに百万回を悠々と突破していた。クロノスのチャンネル史上、最速でのミリオン達成らしい。


 コメント欄は当然のように荒れ狂い、SNSやまとめサイトでも切り抜き動画が大量に拡散されている。


『猿面の予知者K、絵面が強すぎるだろww』


『ガチャSSR十枚抜き、ノーカットなら確率どうなってんだよ。バグ?』


『ガチャよりスタッフの自損事故予知の方がガチで怖い』


『海外の大物ジョセフからメッセージ来てるの草。世界線繋がりすぎ』


『K、猿面被ってふざけてるのに、妙に落ち着いてるのが逆にサイコパス感あって怖い』


『もうこれ、文字だけの怪しいアカウントじゃない。映像付きで顕現した本物の怪人だろ』


 健司は、流れていくコメントの波を見つめながら、微妙な顔をして頬杖をついた。


「……なんか、予知の内容とかガチャの奇跡より、猿面の切り抜き画像ばっかりバズって伸びてるんだけど」


『当然だ。貴様が猿だからな』


 床に転がっていた魔導書が、即答で皮肉を飛ばしてくる。


「うるさい」


 健司は反射的に言い返した。


 PCのメールソフトには、予知者Kとしての活動用に作ったアドレス宛てに、オカルト実験室クロノスのディレクター・神谷から興奮気味の追加連絡が届いていた。


『Kさん! 動画がチャンネル最速で100万再生を突破しました!


 視聴者からの反響も凄まじく、次回出演の希望が大量に殺到しています!


 つきましては、可能であれば第二回のインタビュー、または何か別の検証企画をやらせていただけないでしょうか?


 ガチャ以外の、Kさんにとって“視えやすい予知”を実演していただきたいです。


 また、もしご興味があれば、海外のジョセフ氏とのリモート対談企画も、あちら側と調整できるかもしれません!』


 健司は画面から目を逸らし、頭を抱えた。


「いや、次回って……。俺、別にオカルトYouTuberとしてデビューする気はないんだけど」


『よいではないか。逃げるな、猿』


 魔導書が、どこか満足げなトーンで言う。


『順調に“信仰”が集まっているぞ』


 健司は眉をひそめた。


「……信仰?」


『そうだ』


 魔導書が、静かに講義を始める。


『予知者Kという存在は、もはや単なる匿名の個人アカウントではない。ネットという巨大な海で何十万人という人間に観測され、信頼され、期待されることで、確固たる社会的な“意味”と“質量”を帯び始めているのだ』


「意味と質量……」


『人間どもが、“あの人は当てる”“あの人の予言は信じられる”“あの人なら未来が見える”“あの人の言葉には意味がある”と強く認識する。その集合的な信頼の総量が、予知者Kというペルソナそのものを強力に強化する』


『予知とは、単に未来を視るだけではない。“観測”と“信頼”によって成立する魔法でもあるのだ』


 健司は黙って耳を傾けた。


『誰にも信じられていない予言は、ただの狂人の独り言に過ぎん。だが、数万、数十万の者が“あの予言者の言葉には意味がある”と認識すれば、その言葉は、不確定な未来の因果の網に食い込む、強烈な物理的強制力を持ち始める』


『猿どもの信仰を集めれば集めるほど、予知者Kの放つ予言は、より強固な事象として現実に定着するようになるのだ』


 健司は嫌そうな顔をした。


「……猿の信仰って言い方やめろ。見てくれてる視聴者に失礼だろ」


『人間も猿だ。大差ない』


 魔導書は平然と切り捨てた。


「あのなあ……」


 健司はため息をついた。


『“あの人は信頼できる”という大衆の認識は、貴様自身の能力向上にも直接役立つ』


 魔導書は続ける。


『特にお前のように、未来予知と確率操作と強烈な自己暗示をごちゃ混ぜにして使っている、基礎のなっていない猿にはな』


 健司は、少しだけ考え込んだ。


 深夜の部屋で初めてリセマラをしたあの夜。


 画面を拭き、右手親指の爪を三回こすり、「いただきます」と念じる。


 最初は、ただの自分だけが信じる痛々しいルーティンだった。


 それが、自分にとっての魔法の「観測点」になっていた。


 だが、今回の動画で、その儀式がカメラを通して何十万人という他人に観測された。


 視聴者たちは、「予知者Kがこの儀式をしたら、必ず当たる」と認識した。


 つまり、健司の内側だけにあった個人的なジンクスが、外側の世界である観測者たちにも「共有されたルール」として定着したのだ。


 健司は、その現象の持つ底知れない怖さと、強さを同時に理解した。


「……つまり、俺の儀式が、俺だけの個人的なジンクスじゃなくなったってことか」


『そうだ』


 魔導書が肯定する。


『お前が自分で信じるだけでなく、周囲の観測者たちもそれを“そういうものだ”と信じる。信じる者が増えれば増えるほど、その魔法の“型”は絶対的な強度を持つようになる』


 健司は、再びPCの画面を見た。


 100万回という再生数。無数のコメント。切り抜き動画。まとめサイトの考察記事。


 それらすべてが、健司の意図しないところで、『予知者K』というペルソナの因果の強度をガンガンと底上げしているのだ。


 健司は複雑な顔をした。


「……バズるって、現代の魔法的にも、随分と面倒なシステムなんだな」


『面倒だが極めて有用だ。せいぜい上手く利用しろ』


 健司は、自分の立ち位置をぼんやりと整理してみた。


 佐藤健司。


 元底辺フリーターで、今はヤタガラスの特別任用職員。


 予知者K。


 猿面で動画に出演した、ネット上の怪しすぎる仮面予知者。


 株のK。


 株クラで妙に当てる、相場の預言者。


 そして、生意気な魔導書の所有者である『猿』。


 本人の内心では、どれも自分自身だ。


 だが、外からの見られ方はどれも少しずつ違っている。


「……佐藤健司、予知者K、株のK、猿面の怪人……。なんか、急に肩書きが増えすぎだろ」


『よかったな。無職の底辺猿から、随分と華々しく出世したぞ』


「だから言い方」


 場面は変わり、その日は週に一度のヤタガラスへの定期出勤日だった。


 健司は、霞が関にあるヤタガラスの施設へと足を運んでいた。


 いつもの小会議室に通されると、橘真がすでに資料を広げて待っていた。


 相変わらずの、隙のない落ち着いた佇まいだ。


 橘は、健司が席に着くのを確認すると、手元の資料を整理しながら、ごく自然な雑談のトーンで切り出した。


「クロノスの動画、拝見しましたよ」


 健司は少しだけ気まずそうに頭を掻いた。


「ああ……見ましたか」


「ええ」


 橘の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。


「あの猿のお面、なかなか印象的でしたね」


「……ツッコミどころ、そこですか?」


「もちろん、ガチャの実演と、機材車の自損事故の予知も確認しています。実に見事な立ち回りでした。……ただ、今回はこちらとして、君のあの活動に何か口出しをするつもりはありません」


 橘は、ヤタガラスとしてのスタンスを明確に示した。


「予知者Kは、すでにネット上で広く公開され、定着してしまったペルソナです。我々がそれを無理に押さえ込み、完全に消し去ろうとする方が、世間的にはむしろ不自然な動きとして勘繰られますから」


 橘はペンを置き、健司の目を真っ直ぐに見た。


「ただし、今後の活動において、社会的に危険な大規模予知や、個人の特定に繋がるような情報の取り扱いには、十分に慎重になってください」


「分かりました」


 健司は短く頷いた。


 ヤタガラスの特別任用職員とはいえ、個人の『予知者K』としての活動はある程度放任されている。


 そのバランスが健司にとってはありがたかった。


「それにしても」


 橘が資料のページをめくりながら、さらりと言った。


「海外のジョセフさんから、直々にビデオメッセージを貰っていましたね」


 健司が反応する。


「あ、はい。……あの人、海外じゃ相当有名なんですか?」


「ええ。予知系の能力者としては、世界的に見てもかなり名前の知られた、重鎮と言っていい人物です」


 健司は少し身を乗り出した。


「ジョセフも、ヤタガラスの海外支部みたいなところに所属してるんですか?」


 橘は静かに首を振った。


「いえ。彼はアメリカ人ですので、ヤタガラスの管轄や所属ではありません。……アメリカの異能管理組織、『MAJESTIC-12』。通称、マジェスティック・トゥエルブに所属、あるいは協力している人物です」


 健司の動きが止まった。


「マジェスティック・トゥエルブ……」


 どこかの都市伝説や陰謀論のオカルト本で聞いたことがあるような、物々しい名前だった。


 橘が簡潔に補足する。


「まあ、簡単に言えば、アメリカ版のヤタガラスだと思っていただければよろしいです」


「へー……。アメリカにも、ヤタガラスみたいな裏の組織があるんですね」


「ありますよ。正確には、国ごとに呼び名や組織の形式は全く違いますが、異能や怪異、そして能力者という存在を管理・対応する国家機関は、世界各地に存在しています」


 橘の言葉で、健司の世界観の地図が、日本から世界へと一気に広がった気がした。


 日本にはヤタガラス。


 アメリカにはMAJESTIC-12。


 他にも、名も知らぬ組織が世界中に存在しているのだろう。


 だが、今はまだその全容を知る段階ではない。


「ジョセフさんは、マジェスティック・トゥエルブの協力者として、数々の異常事案の予測補助をしていると聞いています。テレビやネットに出ている姿は、彼の活動のごく一部の、ほんの表向きの顔に過ぎません」


 橘の説明に、健司は少し驚いた。


「じゃあ、あの動画のビデオメッセージって、完全な民間のオカルトYouTuberのノリで送ってきたわけじゃなかったんですか?」


「完全な偶然や、単なる遊び心ではないでしょうね。彼らなりの、日本の新たな予知者に対する『観測』と『接触』の意味合いが含まれていたはずです」


 橘はそこで少しだけ表情を和らげた。


「ただ、彼個人の純粋な善意も、間違いなくあったと思います。予知系の能力者は、己の視る未来の重圧によって、精神的に非常に壊れやすい。彼のあの助言は、同じ予知を扱う経験者としての、本音の忠告でしょう」


 健司は黙り込んだ。


 動画でジョセフが語りかけてきた言葉が蘇る。


『悪い予知を視ても、それはあなたのせいではない』


『予知は、変えられないことの方が多い』


 健司は、少しだけ頷いた。


「……あの言葉は、すごく参考になりました」


 橘は静かに返す。


「それは良かった」


 橘は、手元の分厚い資料をパタンと閉じた。


「さて、本題に入りましょう」


 健司が姿勢を正す。


 ここからが、今日の出勤のメインだ。


「佐藤さんに、『異界探索』の許可が正式に下りました」


 橘が淡々と告げた。


「異界?」


 健司が聞き返す。


「ええ。我々は異界、あるいは今風の言葉で言うと、『ダンジョン』と呼んでいる空間です」


 健司は目を瞬かせた。


「ダンジョン……?」


「はい。この世界には、古くから通常の物理空間から少しだけズレた場所に発生する、閉鎖された異常空間が世界各地に存在しています」


 橘が真面目な顔で説明を続ける。


「現代のゲームや漫画などのフィクションでは『ダンジョン』という言葉が一般的ですが、実際には、フィクションよりも遥か以前から、現実世界に存在し続けていたものです」


「へー……。なんか、急にファンタジーRPGのゲームみたいになってきましたね」


 橘は少しだけ微笑んだ。


「ハハハ。そうですね。ただ、どちらかと言えば、『昔から現実に異界が存在していて、それを元にした概念や恐怖が、時間をかけて創作やゲームのイメージの中に流れ込んでいった』と言った方が、歴史的には正しいでしょう」


「なるほど。ゲームが現実を真似たってことですか」


「そういう側面も多大にあります」


 橘は、異界についての基本的な説明を補足した。


 異界とは、神社の奥深く、古いビルの使われていない地下室、地図から消えた廃村、山中の洞窟、地下鉄の未開通通路など、ありとあらゆる場所に発生する。


 内部は通常の物理・空間法則とズレていることが多く、外観の広さと内部の容積が全く一致しなかったり、同じような通路が無限に続いたり、時間感覚が狂ったりする。


 そしてそこには、「怪異」と呼ばれる存在が出現する。


 探索者の目的は、怪異の討伐や、内部でしか採掘できない異常資源の回収だという。


「討伐して資源を集めるって……ますますゲームそのまんまじゃないですか」


 健司が呆れたように言うと、橘は苦笑した。


「その感想は、新人の皆さんからよく言われます。ですが、こちらとしては軽いゲーム感覚で入られて死なれると非常に困るので、異界への進入は厳格な許可制にしています」


「俺に、その探索の許可が出たんですか?」


「はい」


 橘が頷く。


「佐藤さんは、すでに初任務の学校の案件で、現場の補助要員として一定の実績を出しています。また、君の持つ未来視による危険予測能力は、一寸先が闇の異界探索において、非常に有用です。ああいう閉鎖空間では、数秒先の判断が生死を直接分けることが多々ありますから」


 健司は少し納得した。


 未知の罠、予測不能の怪異、狂った空間異常。


 そうした極限状態の異界では、少しでも未来を読めるという能力は、パーティーの生存率を劇的に引き上げるだろう。


「もちろん、最初は単独での探索ではありません。ベテラン職員の同行とバックアップが必須条件です。ただ、一度しっかりと潜って実戦を経験してみることをおすすめします」


「おすすめ、なんですか?」


「ええ。佐藤さんの能力は、机上の理論よりも、実際の現場で過酷な経験を積むことで爆発的に伸びるタイプに見えますので」


『よく見ているな。その通りだ』


 脳内で、魔導書が橘の分析に妙に感心したように同意した。


 橘が、健司の全身を改めて観察するように見た。


「現在、佐藤さんには支給された主武装がありませんね。MMAジムで鍛えている素手での身体強化と、予知による補助が中心ですよね。……必要であれば、探索用の短棒や特殊警棒、刃物、あるいは霊的処理済みの銃火器などの武器を支給できますが」


 健司は少し考えた。


 ジムで学び始めた総合格闘技のステップ。


 身体強化による爆発的な瞬発力。


 そして、三日間の血の滲むような特訓の末に覚えたばかりの、触れれば発動できる『斬撃魔法』。


「ああ……一応、対象に触れれば『斬撃魔法』が使えるようになったので、武器はなくても大丈夫だと思います」


 健司がごく自然に言うと、橘がピタリと動きを止めた。


「……斬撃魔法、ですか?」


「はい」


 健司はあっさりと答えた。


「まだ紙とか、薄いものをスッパリ切る程度の実力ですけど。触れた相手に強制的に“切断”という結果を発生させる感じです」


「なので……MMAの技術と身体強化で一気に近づいて、相手に組むか触れるかして、ゼロ距離からの斬撃魔法で仕留める、とか……今思いついたんですけど、どうですかね?」


 健司は軽く言った。


 まだ実戦で試したわけでもなく、思いつきの戦術に近い。


 だが、橘はしばらく健司の顔を見つめ、真面目なトーンで答えた。


「……非常に、良いと思いますよ」


「いいんですか?」


「ええ」


 橘は深く頷いた。


「未来視で危険な接近タイミングを避け、身体強化と格闘技術で一瞬で距離を詰め、接触と同時に斬撃魔法を発動して対象を断ち切る。……自身の強みと弱みを理解した、極めて合理的な戦術です」


「ただし、相手に必ず触れる必要がある以上、常にハイリスクなインファイトになります。最初は無理をせず、同行者の補助と連携を大前提に行動してください」


「分かりました」


 健司は頷いた。


 橘が、手元の分厚いファイルにペンで何かを書き加える。


「予知能力だけでなく、すでに斬撃魔法も使えるようになっているとは……。また、佐藤さんの能力査定の情報を更新する必要があるようですね」


 健司は少し気まずそうに頭を掻いた。


「すみません。つい最近、自力で覚えたばかりで」


「いえ。能力の引き出しが増えること自体は、組織としても歓迎すべきことです」


 橘はペンを置いた。


「ただ、こちらの安全管理の都合上、実戦で使えるようになった能力は、できるだけ包み隠さずに共有してくださいね」


「分かりました」


 これは決して注意や叱責ではなく、純粋な業務上の確認だった。


「では、具体的な探索の日程や、同行する調査員については、また追って改めて連絡します。今日は、探索の許可が正式に下りたことの通達と、基本説明だけです」


「了解しました」


 会話が終了し、橘が席を立った。


「では、私はこれで」


 健司も立ち上がり、軽く頭を下げて会議室を後にした。


 帰宅後。


 健司は自室の床に寝転がり、天井を見上げていた。


 頭の中には、橘から聞いた新しい情報がぐるぐると回っている。


 異界。


 ダンジョン。


 怪異。


 討伐。


 資源。


 そして、探索許可。


 健司の胸の奥で、恐怖よりも、未知への僅かなワクワク感が勝っていた。


「へー……ダンジョン、か。なんか、ちょっと楽しみになってきたな」


 健司が呟くと、魔導書が即座に反応した。


『異界ダンジョンだな。貴様の貧弱な想像力でも理解しやすいフィールドだろう』


「お前、こういう場所があること、知ってたのか?」


『当然だ。異界など、高位の魔法使いにとっては庭のようなもので、決して珍しいものではない』


「じゃあ、もっと早く教えろよ。心の準備があるだろ」


『猿にいきなり世界の森羅万象をすべて詰め込んでも、処理しきれずに頭が爆発するだけだ。順序というものがある』


「だから言い方」


 魔導書は構わず続ける。


『まあ、今の貴様の修行の場としては、ちょうどいいだろう』


『異界は、現実世界よりも魔法的な因果が剥き出しになって存在している空間だ。予知、確率操作、身体強化、そして覚えたての斬撃魔法。そのすべての手札を統合して試すには、極上の実戦経験の場となるぞ』


 健司は、自分の右手を見上げた。


 指先で紙を切れるようになったばかりだ。


 だが、次に向かうのは動かない紙切れではない。


 悪意を持って襲いかかってくる、正体不明の怪異がいる異界だ。


 健司は少しだけ緊張を覚えた。


「……俺、いきなり罠に引っかかって死んだりしないよな?」


『死にたくなければ、予知で視ろ。確率操作で寄せろ。身体を限界まで鍛えろ。そして、接触して切れ』


 魔導書の答えは、どこまでもシンプルで非情だった。


「結局、持ってる手札全部使って足掻けってことね」


『そうだ、猿』


 健司は枕元のスマホに目をやった。


 オカルト実験室クロノスからの次回出演の打診メールには、まだ返事をしていない。


 動画はミリオン再生を超え、ネットの海では『予知者K』への信仰が、今も静かに、だが確実に膨れ上がっている。


 一方で、現実のヤタガラスからは、異界探索という危険な実戦の許可が下りた。


 ネット上の不気味な仮面予知者としての自分。


 現場で怪異に向き合う、ヤタガラスの特別任用職員としての自分。


 その二つの異なる顔が、今、同時に前へと進み始めている。


 健司は小さく呟いた。


「猿面被ってバズったと思ったら、次はダンジョン探索か……。俺の人生、いったいどこに向かってるんだろうな」


『魔法使いだ』


 魔導書が即答した。


 健司は黙った。


 その言葉は、数週間前まではただの痛々しい冗談のように聞こえた。


 だが今は、もう冗談ではなかった。


 最初に魔導書を拾った頃、彼は深夜のアパートで、ただソシャゲのガチャでSSRを引いて小躍りしているだけの、どこにでもいる無力な底辺フリーターだった。


 だが今は、予知者として世間に広く知られ、ヤタガラスという国家機関に所属し、概念を断ち切る斬撃魔法を覚え、異界探索の許可まで得ている。


 健司は、ローテーブルの上に置いてあった不要な裏紙に、スッと人差し指を触れさせた。


 音もなく、紙が綺麗に真っ二つに切れる。


 それを見て、健司は少しだけ笑った。


「……まあ、とりあえず行ってみるか。ダンジョンとやらへ」


『よい心がけだ、猿。生死の懸かった実戦ほど、優秀な教師はこの世にいないからな』


 魔導書が、愉快そうに答えた。


 予知者Kへの信仰は、ネットという巨大な海で、誰にも止められない速度で静かに膨れ上がっていた。


 そしてその一方で、佐藤健司は初めて、日常のすぐ裏側に広がる『異界』という名の深淵の入り口へ、確かな一歩を踏み入れようとしていた。


 猿はまだ、自分がどれほど厄介で底知れない場所へ進み始めたのかを、正確には理解していない。


 だが、その右手の指先には、すでに世界を切り裂くための小さな刃が、確実に宿り始めていた。


最後までお付き合いいただき感謝します。


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