Kýrie eléison
円山大飯店の高層階から南を見渡せば、台北で最も華やかな夜景が見えるのだという。
二キロにもわたって続く林森北路。
そこには大手ホテル、百貨店、銀行、商店、高級レストラン、KTV、そして──数え切れないほどの商務会館、クラブ、会員制バー、ホテルが集まっている。
実家を離れて台北へ来てからというもの、私は大学の近くで授業とアルバイトに追われる毎日だった。こんな都会らしい光景を目にしたことは一度もない。ようやく、本当の大都市へ来たのだという気がした。
「派手すぎるな。」
だが、さっき車の中で、黒いベンツを運転していた男は軽蔑するような口調で言った。
「ここはもう発展しすぎた。遅かれ早かれ廃れるさ。昔は誰でも、ここへ堂々とやって来て、裏であれこれ話を回せた。でも今はマスコミの目がうるさい。釣り人全員が魚のいる場所を知っちまったら、その場所に魚なんて残ると思うか?」
独り言のようでもあり、後部座席の私へ語りかけているようでもあった。
「あのビリヤード場くらいの広さがちょうどいい。大きすぎず、小さすぎず、しかも路地裏にあるから人目につかない。少し内装を変えれば上等な招待所になる。何人か女の子を集めれば、市議員や立法委員、財界の大物たちが安心して羽を伸ばせる秘密の拠点になるんだ。昔から龍哥にはそう勧めてたんだけどな。あいつはどうしてもやろうとしなかった。儲からないビリヤード場やネットカフェを続けて、貧乏学生相手に商売してるほうがいいってさ……ったく。俺も人を見る目がなかった。若い頃は西区を暴れ回る一匹の龍だったのに、今じゃミミズにもなりゃしない。本気で跡を残したいなら、東南アジアには安い女なんていくらでもいるだろうに。なんで義理の娘にまで手を出して、あんな面倒なことになったんだか。」
ルームミラーに、サングラスが一瞬だけ光を反射した。
「だから、人は誰につくかが大事なんだよ。NANA、お前には才能がある。ただ、お前には引っ張ってくれる人間が必要だ。俺のところの女はみんな成功する。Lunaみたいな素人だって、半年もあればどこの招待所でも取り合いになる看板嬢だ。あの縄張りを手に入れたら、お前もちゃんと頑張れ。将来有望な政治家でも何人か釣り上げてくれたら、そのうち俺のほうがお前を頼ることになるかもしれないな。ははは。」
同じような口車で、いったい何人の女を罠へ落としてきたのだろう。
もっとも、私は最初から、その言葉を一つも聞くつもりはなかった。
「こんにちは。プロのマネージャー、Baileyです。どのようなことでもお申し付けください。」
電話がつながった瞬間、自動音声の案内かと思った。
「……もしもし? NANAです。」
「NANA? ……ああ、Lunaの友達か。こんなに早く連絡してくるとは思わなかった。Jadeの件かな? 決心がついたなら、こっちはいつでも段取りできるよ。」
「……違う。Jadeのことじゃない。」私は受話器を反対の耳へ持ち替えた。「Lunaが働いている場所まで連れて行って。今すぐ。」
私の強い口調に、電話の向こうは半秒ほど黙った。
「……十分後。君たちの住んでるところから一番近い路地の入口で待ってる。黒のベンツで迎えに行く。」
返事は驚くほどあっさりしていた。理由も聞かなかった。車に乗ってから聞けばいいと思ったのだろう。
私は彼女と暮らしている部屋で、一度開けた鉄の箱を見つめながら、十分が過ぎるのを待った。
意外なことに、彼は目的地へ着くまで、私がなぜここへ来たいと言い出したのか、一言も尋ねなかった。
──あえて避けられるほど、人は気になってしまう。これも一種の「駆け引き」という心理なのだろう。自分から踏み込んで相手の触れられたくない話題に触れるより、相手が自分から話し出すまで待つ。そして、その流れに乗って、自分に都合のいい結論へ導いていく。
陳苡若と話したあと、コンビニで働きながら──正確にはぼんやりしながら──宗教輔導室でのやり取りを思い返していて、私はようやくそのことに気づいた。陳苡若に対して駆け引きなど必要ない。
けれど、この男を相手にするなら、警戒しすぎるということはなかった。
彼は車を、一見すると普通のマンションにしか見えない建物の地下駐車場へ滑り込ませた。管理人は親しげに手を振って挨拶をする。見た目はごく普通の住宅だった。だが、駐車場の中を何度も曲がり、奥のエレベーターホールへ入り、その扉が再び開いた瞬間、そこはまったく別の世界になっていた。
磨き上げられた大理石の床には橙色がかった柔らかな照明が映り込み、ホテルのようなフロントの奥にはソファが整然と並んでいる。二つに区切られたスペースのうち、一方は誰もおらず、黒い鏡面仕上げの長テーブルだけが磨き抜かれていた。もう一方には、華やかなドレスをまとった四人の女性が静かに腰掛けていた。
誰も目を伏せたまま。互いに話すこともない。一瞬、人形かと思った。その姿は、おとぎ話で王子を待つ姫のようでもあり。同時に、整然と並べられた商品にも見えた。
「いらっしゃいま……あっ、Bさん。お久しぶりです。」
フロントにいた男女のうち、先に男性が声をかけた。
「また新人を連れてきたんですか? 少々お待ちください。副支配人を呼んで面接を──」
「いやいや、違う。この子は新人じゃなくて……」
二人の会話を遮り、私はそのままカウンターへ歩いていった。
女性スタッフへ向かって言う。
「Lunaを指名します。ラストまで。」
業界のことは詳しくない。それでも、彼女から最低限の用語くらいは教わっていた。
相手が呆然としている間に、私は安物のリュックから鉄の箱を取り出し、一枚、また一枚と札束をカウンターへ並べた。
「いくら必要?」
「え……お、お会計は後ほどになりますので……」
女性スタッフは助けを求めるように同僚を見た。男性スタッフも事情が分からず、Baileyへ尋ねる。
「Bさん、この方は……?」
Baileyは肩をすくめて笑った。
「ルールは知らないみたいだけど、お客なんだから普通に案内してあげればいいよ。ああ、俺の紹介料はいらない。君たちへのチップってことで。」
「えっ……ありがとうございます、Bさん……?」
そこまで言われると、女性スタッフはすぐに営業用の笑顔へ切り替え、カウンターから出て軽く一礼した。
「失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「……NANAで。」
彼女は身をかがめ、奥へ手を差し示した。
「NANA様、こちらで少々お待ちください。お部屋の準備が整い次第ご案内いたします。すぐにマネージャーへ連絡し、Luna様をお呼びいたします。」
ソファへ座ると、すぐに四人の女性が話し相手として私のそばへ来た。たぶん、それが彼女たちの役目なのだろう。けれど私は、一言も話さなかった。そのまま個室へ案内されるまで。
若い男性スタッフが入ってきて何か必要なものはないかと尋ねたが、それも断った。
そして。
彼女が来るのを待った。
「こんばんは、NANA様。初めまして。本日はご指名いただき──」
個室の扉が開いた瞬間。満面の笑みを浮かべていた彼女は、どれほど訓練を積んでいても隠しきれないほど目を見開いた。
驚きだった。
しばらく固まったあと、彼女は声を潜め、私には見えない扉の向こうへ向かって言った。
「この部屋はテーブルサービスいらない。誰も入ってこないで。チップは私のほうで二倍払う。お酒代もあとでフロントへ精算する。この部屋の料金は全部、私の時給から引いて。」
そう言うと、素早く扉を閉めた。
「どうしてここへ来たの?」
「Belialが連れてきた。」
「Baileyよ。聞きたいのはそこじゃ……いや、それもだけど。ちょっと待って。」
彼女はソファへどさりと腰を下ろし、テーブルの冷水を自分でコップへ注ぎ、一気に飲み干した。気持ちを落ち着かせようとしているのだろう。
「……ふぅ……」
深く息を吐く。
その吐息には、前の客が残していったウイスキーの香りがまだ混じっていた。
「……まずは説明して。張若曦。」
「Bel……えっと、Baileyが私のところへ来て、自分のところの女の子にならないかって。」
私は相変わらず、英語の名前を覚えるのが苦手だった。とくに男の名前は。
「それで、あなたの借金のことも話してた。私があの人の計画に加われば、あなたの借金も早く返せるって。」
「……あのゴロツキ……」彼女は眉をひそめ、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
けれど、彼女はすぐに溜息をつき、力が抜けたように両肩を落とした。
「……私のせいね。ちゃんとあなたを守れなかった。一緒に暮らそうって連れてきた時点で、この危険も考えておくべきだった。何度かお客に飲まされすぎて、あいつに家まで送らせたことがある。あなたの存在に気づかなかったはずがない。」
「違う。あなたは関係ない。たぶん、私が働いてるところで……地下のビリヤード場で目をつけられたんだと思う。あなたと私につながりがあるって分かったのは、ただの偶然。」
結局、彼の最終的な目的は、あのビリヤード場を手に入れることなのだ。新しい女の子を探しているだけなら、わざわざ私を選ぶ必要はない。
地下のビリヤード場という言葉を聞くと、彼女はさらに眉をひそめた。
「どうしてそんなところで働いてるの? どれだけ危ないか分かってないの? それとも、本当にそんなにお金が必要なの?」
「大学の同級生に紹介された。ただの普通のビリヤード場だよ。危険かどうかは……」
連瑀辰の妊娠を思い出した。「ないとは言えないけど。お金が必要なのは本当。」
「いくら足りないの? 十万? 二十万? 五十万? 私があげる。だから、もうあんなところには行かないで。」
「三百七十五万。」
その数字に、彼女はしばらく言葉を失った。
私は彼女が呆然としている隙に、両肩を強くつかんだ。
「私に足りないのは、お金じゃない。あなたの自由よ。」
彼女の瞳に浮かんだ驚きは、すぐに怒りへ変わった。
「子どもが口を出すことじゃない!」
「もう子どもじゃない! 成人してる!」
「何歳になっても、私はあなたの年上で、姑姑なの!」
「私はあなたを姑姑だなんて思ってない!姑姑だけだなんて、思いたくない!」
力を込め、彼女をソファへ押し倒した。
「あなたは本当に、私を姪としか思ってないの?」
私は、薄紫に縁取られ、桜色と桃色の化粧が施された彼女の目を見つめた。
彼女は紅い唇をわずかに開き、息を吸い込んだ。白く艶めいた鎖骨が持ち上がる。けれど、何かを言いかけたまま、その息を吐き出した。
「……私……分からない。」
張月臻は顔を背け、私の視線から逃れた。
「五歳下の妹みたいに思ってるのかもしれない。同じ部屋で暮らす同居人だと思ってるのかもしれない。生まれてこなかった自分の子どもみたいに思ってるのかもしれない……あなたも、あの醜い家で与えられなかった母親の愛を、唯一の女性の年長者だった私に重ねてるのかもしれない。だから私を姑姑として見られないだけで……」
「違う!」
私は大声で否定し、彼女の頬へ手を添え、無理やりこちらを向かせた。
「それに、たとえそうだったとして、何が悪いの?」
「姑姑と姪でも、姉妹でも、母娘でも、同居人でも……だから何?」
さらにソファへ上がり、彼女を跨ぐように覆いかぶさった。
「誰にも、どんな男にも、もう一度あなたの身体へ触れさせたくない。それが、私があなたに抱いているいちばん強くて、いちばん率直な感情。」
「あなたはどうなの、張月臻?」
彼女の迷いと息遣いが、私の下腹を通して、胸の奥まで伝わってきた。
「こんなの……間違ってる……」
「『正しい』とか『間違ってる』とか、誰が決めたの?」
あの老いぼれか。私の目には顔のない群衆か。それとも、何も語らない聖父か。
古今の道徳も規範も、すべて男たちが決めてきたのなら。どうして女だけが、無条件にその古い決まりを守らなければならない。
彼女の反論を待たず、私はその桜色の口紅へ唇を重ねた。初めての口づけは、レモンのように青く、甘酸っぱいものだと聞いたことがある。私のそれは、重たいウイスキーの味に満ちていた。
「……私は、できない。」それでも彼女は、心の中で最後の抵抗を試みていた。「二百五十万以上も借金が残っている。あなたまで巻き込むわけにはいかない。」
百二十五万、減っていた。この間、彼女がどれほど必死に返してきたのかは想像できる。けれど、あの男なら別の方法で借金を増やし続けるかもしれない。あるいは、ほかの手段で彼女を支配するかもしれない。
私は鉄の箱を取り出した。
「このお金は、どこから来たの?どうして、もともと私のものだなんて言ったの?」
彼女は眉を寄せ、下唇を噛んだ。
「それから、誰があなたに連絡したの?私が台北へ進学するって、どうして知ってたの?」
家を出てから、もう五年近く。ずっと音信不通だった。それなのに、私の合格発表から間もなく、自分から実家へ電話をかけてきた。家賃を節約できるから、一緒に暮らさないかと。
彼女と連絡を取り続けようとする人間は、誰か。
私が台北へ来ることを気にかけ、彼女と私を結びつけようとする人間は。
「……あれは……口止め料。」
「張仕信が、子どもの頃に私を襲ったことを、外へ漏らすなって。」
思った通りだった。
張月臻が家を出たあと、いちばん怯えていたのは張仕信だったはずだ。私の父がゴミのように家から追い出されたあと。彼は張家に残された、最後の希望だった。
けれど、彼の人生で決して消すことのできない汚点は、思春期の衝動に頭を支配された、あの午後にあった。
「じゃあ、どうしてこのお金が私のものなの?」
「あなたが、あのことを止めてくれたから。」彼女は淡々と言った。「あなたが私を救ってくれた。そのあと、私は自分で自分を壊したけど。」
私は彼女の上から降り、鉄の箱を軽く揺らした。
「なら、お金はもう問題じゃない。」
「え? どういう意味……待って。まさか、あなた──」
私は軽蔑するように冷たく笑った。
「十万や二十万、数十万で、子どもの頃から傷つけられた心が元に戻ると思ってるの?」
「女を、いったいどれほど安い商品だと思ってるの!」
鉄の箱をソファへ叩きつけた。
蓋が跳ね上がり、その反動で何十枚もの千元札が個室の中へ舞い散った。
「この罪は、一生をかけて償わせる!」
この世界が地獄なら。
どうして私たちが、悪魔になってはいけない。
Kýrie eléison(主よ、憐れみたまえ)。




