Beata Maria
入学したばかりの頃、新入生オリエンテーションの一環として、校内を知るために半ば強制的にここへ来させられた。
そして、ほとんどの学生は卒業するまで、二度とここへ足を踏み入れない。
管理人のいない入口を抜け、脇にある重そうな木の扉を押し開けると、花草や植物性の油を焚いたような香の匂いが鼻をついた。
広い礼拝堂。祈祷台へ向かって何列も並ぶ長椅子には、見渡す限り、たった一人しか座っていなかった。
しかも、その後ろ姿には、私ももうかなり見覚えがあった。
私はゆっくりと彼女のそばまで歩いていった。彼女は少しだけ顔を上げて私を見ると、いつも通りの穏やかな微笑みを浮かべ、それから身体をわずかにずらし、私が隣へ座れるだけの場所を空けた。
ここで彼女に会ったこと自体は、不思議ではなかった。けれど、彼女が私の来訪を知っていたはずはない。それでも、その一つ一つの仕草は、まるで最初から私を迎える準備をしていたかのように自然だった。
腰を下ろすと、彼女は再び両手を組んで胸の前に抱き、目を半ば伏せたまま、礼拝堂の最奥にある祈祷台へ視線を向けた。
礼拝堂全体は、荘厳でありながら簡素だった。窓枠と同じ高さまでの壁には濃い色の木材が張られ、その上から天井までは、純潔を象徴する雪のような白で塗られている。
祈祷台の真後ろには聖母子像があった。
聖母マリアが、生まれたばかりのイエス・キリストを胸に抱いている。
けれど、その聖母子像の真上には、どうしても存在を無視することのできない十字架が掲げられていた。イエス・キリストが、最後に磔にされた刑具。
マリアの息子は、生まれたその瞬間から、すべての人間の罪を背負い、十字架にかけられることを定められていた。
十月十日、腹の中で育て。乳を与え、手をかけて育て。一生をかけて細やかに世話をした、そのすべては。最後には主を成就させるために──自らの血肉を聖父へ捧げ返すためにあった。
天使ガブリエルは、恵まれたマリアへ告げた。
主があなたと共におられる。あなたは身ごもり、男の子を産み、その子をイエスと名づける。彼は至高なる者の子となり、その国は永遠に終わることがない。
イエスが十字架にかけられたとき。イエスは、マリアが弟子ヨハネと共に立っているのを見て、呼びかけた。
母よ、見なさい。
あなたの子です。
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」
神よ。なぜマリアを見捨てたのですか。なぜ女を、自らの感情も存在も持たない、生むためだけの器としてしか扱わないのですか。
私の母が、自分の腹の中に私がいると知ったとき。彼女も連瑀辰のように、友人へ助けを求めようとしたのだろうか。
私は分からない。永遠に分からない。
双方の取り決めによって、少なくとも母の側の認識では、私は最初から存在していなかった。ならば、母が私を身ごもっていたその時間もまた、存在しなかったことになるのではないか。
私は妊娠中におろされることはなかった。けれど、生まれたあとには死んだものとして定義されることを、最初から定められていた子どもだった。
私には選ぶ権利がなかった。母にも選ぶ権利がなかった。女には昔から、選ぶ権利などなかった。
私は隣にいる陳苡若をちらりと見た。彼女は相変わらず、祈っているようでもあり、ただぼんやりしているだけのようでもある姿勢のまま、聖母子像と十字架を見つめていた。
「……どうして私がここへ来たのか、聞かないの?」
先に沈黙を破った私の問いに、彼女は穏やかで温もりのある声で答えた。
「話すつもりがないなら、私は聞かないよ。」
「でも、この前はずっと私を捜してたじゃない。」ずっと避けていたけれど。
「それは、あなたが私を捜しに来たいと思うようなことが、たぶんあるんじゃないかと思ってたから。今日みたいに。」
彼女は胸元で組んでいた手を下ろし、こちらを向いた。
「前からずっと、そう感じてた。だから団契に来てみないかって聞いたの。」
「どうして、そう思ったの?」
「あなたは、主がお造りになったこの世界を、一度も心から見たことがないから。」
陳苡若は微笑んだ。
「あなたは誰かの目を見て話さない。でも、この世界は、ちょうど一人一人の目の中から形づくられている。もしこの世界から『彼ら』がいなくなったら、『あなた』には『あなた』しか残らない。」
「私だけでいることの、何が悪いの?」
「何も悪くないよ。あなた自身が、その選択を良いと思うなら、それは良いことだから。」
彼女は静かに立ち上がり、祈祷台の方へ歩いていった。
「でも、今日あなたが主の前へ来たということは、自分の判断を疑っているってことでしょう?」
私は、無地のワンピースに包まれたその背中を見つめた。
「『良い』って、どういう意味?」
「あなたが『良い』と思うなら、あなたにとっては『良い』んだよ。」
「そんなわけない。」
私は軽蔑するように笑った。
「じゃあ聞くけど、この前、私たちがあなたを連れていったあのビリヤード場。あなたは、あそこを『良い』と思う?」
「私にとっては、必ずしもそうじゃない。でも、あなたはあそこで楽しそうだったでしょう?」
彼女は聖母子像と十字架の前で立ち止まった。
「『その行いが完全で、主の律法に従い、主の定めを守り、不義を行わない者は幸いである』」
「私たちが、あそこで『不義』を行わなかったと思ってるの?」
「あなたは、行ったと思ってる?」
彼女は振り返り、私を見た。
「大切なのは、『私』がどう思うかじゃない。『あなた』がどう思うかだよ、小七さん。」
十字架へ注がれる光は、そのまま陳苡若の身体にも降りかかっていた。
「自分のしていることを『不義』だと思う人はいない。悪を行うために生まれてくる人もいない。違いがあるとすれば、心に主の教えがあるなら、その人の行いは主の律法に従い、最後の審判が訪れたときに永遠の命を得るということ。心に主がいなくても、その人は自分の行いを『正義』だと思うことができる。その正義が主に認められるかどうかを決められるのは、主だけ──私たちはみな、ただの人間だから。誰かを裁く権利はない。私たちにできるのは、自分がしたいことと、自分にできることを選ぶだけ。」
私は彼女を見上げ、皮肉を込めて尋ねた。
「私がしたいことが、他人には『不義』に見えても? 強盗とか、殺人とかでも?」
「してもいいよ。ただ、法律と主が、それに見合った罰を与える。もし自分がその罰に耐えられないと思うなら、自然としようとは思わないでしょう。」
彼女はゆっくりとこちらへ歩み寄り、私に両手を差し出した。
私は無意識のうちに、自分の手を彼女の掌へ重ねていた。彼女に引かれ、長椅子から立ち上がる。
その拍子に、うっかり彼女の目と視線が重なった。
「……あなたの目、本当にきれい。」
彼女は突然そう言った。
「前からずっとそう思ってた。いつも正面から見せてくれないのが、もったいないなって。」
そんなことを言われたうえに、両手まで握られていた。目を逸らすこともできず。かといって顔ごと背けることもできず。私はただ、両目を閉じるしかなかった。
この目は、私の身体の中で、母とのつながりが最もはっきり現れている場所なのかもしれない。
一度も会ったことのない母の姿を、私はこの目から想像するしかない。そして、もしかすると一度くらいは、偶然誰かが私の目を見て、私の母が誰なのか気づくことがあるかもしれない。そうなれば。あのクソじじいと、母の家族が共に編み上げた嘘は砕ける。母は一度も子どもを産んだことがない。私は、最初から存在していなかった。その嘘が。
「……連瑀辰が妊娠した。」
陳苡若に話すつもりなど、まったくなかった。
それなのに、その言葉はいつの間にか、私の口から零れ落ちていた。
口にした瞬間、胸が小さく締めつけられた。何か、言ってはいけないことを言ってしまったような気がした。けれど、よく考えてみれば。王育廷やほかの誰かと違って、陳苡若は、このことを知ったところで、自分から厄介事を招くような人ではない。──余計なことさえしなければ。
だから私は、もう一言だけ付け加えた。
「……あ、その……学校には言わないよね?」
「もし連さん本人が学校に助けを求めたいと言うなら、その時は力になるよ。でも、本人が何も言わないなら、私が勝手に決めることはできない。どんな状況に置かれているのかも分からないし。」
彼女の反応は、私が思っていた以上に大人だった。
そういえば。あの日、彼女をビリヤード場へ連れていった時もそうだった。最初こそ少しおどおどしていたけれど、時間が経つにつれて自然と輪の中へ溶け込んでいた。自分から積極的に話しかけることはなかった。それでも、ところどころで一対一の会話を交わしていたし、手にしていた飲み物を飲み終えれば、人から勧められたものも気兼ねなく受け取っていた。もちろん、その前に私は常連たちへ、強い酒だけは飲ませないよう釘を刺していたけれど。
「……連瑀辰が妊娠したって聞いても、あまり驚いてないんだね。」
「うーん……もちろん驚きはしたよ。でも、私に何かを変えられるわけじゃないし。それに、七ちゃんも私に大げさな反応をしてほしいとは思ってなかったでしょう?」
彼女が少しずつ力を込めるたび、私の掌にも彼女の体温がゆっくりと伝わってきた。
「私にできるのは、話を聞くことだけ。それは、私たちが主の前に立つ時と同じ。心から祈れば、主は私たちの声を聞いてくださる。でも、それだけ。救われるかどうかは、最後には自分自身の行いによるものだから。」
「……私は、神様って全知全能なんだと思ってた。」
「全知全能だからといって、何でも介入するとは限らないでしょう?」
その考え方は、線香を焚き、供え物をして神仏に現世利益を願うよりは、少しだけ高潔に思えた。もし神へ供物を捧げることで運命を変えられるのなら。それは取引か、賄賂と変わらない。
「それなら、どうして私たちは神様に祈るの?」
「小七さんが、どうして私に連さんの妊娠を話したのかと同じだよ。」
私は、話すつもりなんてなかった。
それに──
「……話したところで、何も変わらない。」彼女が言った通りだった。
私は小さく息をついた。私たちの運命は、生まれた瞬間から決められているということなのだろうか。
「変えられないわけじゃないよ。」
陳苡若は、私の両手をしっかりと握った。
「きっかけは、きっと私たちのすぐそばにある。ただ、それを見つけるのは私たち自身なんだよ。『人の歩みは主によって定められる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れても、打ち伏せられることはない。主がその手を支えてくださるから。』」
きっかけは。私たちの、すぐそばにある。
すぐ、そばに。
──「あのお金は『もともと君のもの』なんだよ。私は少し早く返しただけ。」
その言葉が、不意に脳裏をよぎった。
もともと、私のお金?
どうして彼女の手元に、「もともと私のものだったお金」があるのだろう。
あのお金は、誰が渡したのか。
どうして、それが私のものなのか。
「……私もね、迷ってるんだ。」
陳苡若は、少し寂しそうな微笑みを浮かべた。
「私もまだ答えを探してる。だから、よくここへ来るの。でも、小七の目を見てると、もう少しで自分の答えに辿り着きそうな気がする。」
「うん。……たぶん。」
私がそう答えると、彼女は静かに私の手を離した。
私は彼女の瞳を見た。その向こうにある聖母子像を見た。そして、そのさらに上に掲げられた大きな十字架を見た。私は今でも神を信じてはいない。
けれど。彼女の背後にある信仰が彼女を支えていなければ、きっと私は、こうして彼女に立ち上がらせてもらうこともできなかった。
私の視線に気づいたのだろう。彼女は少し悪戯っぽく片目を瞬かせた。
「そうだ。さっき、小七さんが連さんの妊娠の話をして、『どうして驚かないの』って聞いたでしょう?」
「うん?」
「じゃあ、今度は私から一つ。たぶん、七ちゃんがびっくりする話をしてあげる。」
「……何?」
彼女は自分の下腹を軽く指さした。
「私ね、高校二年生の時、一度だけ妊娠したかもって思ったことがあるの。あの時は本当に焦った。でも結局、生理不順だっただけで。やっぱりする時は、ちゃんとコンドームしないとね。」
「……え? ──ええっ?」
待って。
まるで穢れを知らない聖母マリアみたいで。教会の家庭で育ったと聞いていて。服装だっていつも地味で慎ましい。そんな陳苡若が、今、何て言った?
「しかも二人付き合ったことあるよ。」
彼女はピースサインを作るように二本指を立てた。
「比べてみないと分からないこともあるでしょう? でも、今は次の人を探すつもりはないかな。」
「え、あ……う、うん……」
私はもう、言葉を組み立てる力すら失っていた。
「だからね。」
呆然としている私の頬へ、陳苡若はそっと手を添えた。
「目を開けて。誰かを見て。まだ見たことのない、その人のもう一つの姿を見てみて。そうしたら、あなたの世界はきっと組み替わる。その世界が、あなたにとって地獄でも、楽園でも。」
「主の祝福がありますように。」
彼女は目を細めて、静かに微笑んだ。




